Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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再び、世界を救う旅路へ

管制室に戻った笑いは、長くは続かなかった。

 

中央卓の上で、トリスメギストスの演算音が変わる。高い警告音ではない。だが、一定だったはずの音が一拍だけ乱れ、すぐに何人かのスタッフが顔を上げた。霧の観測図に、四つの光点が浮かび上がっていた。

 

「……増えた?」

 

ムニエルの声に、誰もすぐには答えなかった。ダ・ヴィンチちゃんは表示を拡大し、一つ目の光点だけを中央に固定する。白い霧の層の中に、町の輪郭のようなものが薄く浮かんでいた。

 

「全部を同時に相手にするわけじゃない。今、こちらから座標を掴めそうなのはこの一つだけだ」

 

「特異点、ですか?」

 

マシュが尋ねる。ダ・ヴィンチちゃんはすぐには頷かなかった。画面上の数値を送り、何度か照合欄を見直してから、ゆっくり息を吐いた。

 

「似ている。けれど、性質が違う。人理の中で何かが歪んだというより、霧の内側に別の町の輪郭が綴じ込まれて、こちらの観測線に引っかかっている。今の段階では、通常の特異点として扱うより、局所的に綴じられた接続点と見た方が近い。仮称として、偏綴点と呼ぼう」

 

「……偏綴点」

 

藤丸はその言葉を繰り返した。意味を理解できたわけではない。ただ、管制室の画面に浮かぶ町の輪郭は、知っている特異点とは少し違うものに見えた。

 

セレシェイラが、別の端末から読み上げる。

 

「第一偏綴点。トリスメギストスの自動照合では、地名らしき音声・文字片として“ナミモリ”が残っています。正式な名称かどうかは未確定です。観測線に残った反応では、大気中のマナに相当する反応はほとんど拾えていません」

 

「拾えていない?」

 

藤丸が聞き返すと、セレシェイラは画面から目を離さずに頷いた。

 

「はい。向こうの空気を直接採取できたわけではありません。霧の外縁に残った値を、こちらの観測系で読んでいるだけです」

 

「つまり、現地に入ったら違う可能性もある」

 

ダ・ヴィンチちゃんが言うと、セレシェイラは別の数値を表示した。

 

「もう一つ、熱を伴わない炎状の波形が断続的に出ています。性質は不明です」

 

「炎なのに、熱じゃない?」

 

藤丸が呟く。マシュも、モニターへ視線を移したまま眉を寄せた。

 

「温度とは連動していません。むしろ、情動や生体反応の変動に似た揺れ方をしています。現地の法則なのか、こちらの観測がそう読まされているだけなのかは不明です」

 

セレシェイラはさらに別の値を表示した。座標固定率の欄だけ、他の数値よりも細かく揺れている。

 

「もう一点。座標そのものは拾えていますが、通常レイシフト基準では安定していません。霧の層が間に挟まって、こちらの固定値を滑らせています」

 

「それだと、いつものレイシフトでは届かない?」

 

藤丸が尋ねると、ダ・ヴィンチちゃんが投影図を切り替えた。

 

「うん。今回はシバで霧の外縁を読み、トリスメギストスで座標を仮固定し、カルデア式の存在証明を繋いで送り出す。正確には、飛ぶというより、霧の中に開いた細い通路へ身体を通す形に近い」

 

オルガマリーが続ける。

 

「低マナ環境用の霊基安定補助、簡易魔力循環バッファ、それからカルデア側からの存在証明維持。使えるものは持たせるわ。ただし万能じゃない。向こうで接続に干渉されたら、補助は一気に弱くなる可能性がある」

 

「つまり、足場は作れる。でも、向こうで崩されるかもしれない」

 

「そういうこと。だから、異常を感じたらすぐ報告しなさい。現地で無理に答えを出そうとしないこと」

 

通信越しのエミヤが、低く応じた。さっきまで軽口を交わせていた管制室の空気が、少しだけ張り直される。

 

『魔力で補えば済む、という場所ではなさそうだな』

 

『うわ、初手から面倒なやつじゃない。炎って聞いたから少しは分かりやすいかと思ったのに』

 

ジャンヌ・オルタの声には苛立ちが混じっていた。だが、その苛立ちは敵へ向けたものだけではない。切れたはずの縁を勝手に開かれ、なお藤丸の前に立つことになった自分自身への落ち着かなさも、そこに混じっているように聞こえた。

 

『あの、俺は大丈夫なんすかね。魔力じゃない炎とか、正直かなり専門外なんすけど』

 

マンドリカルドの不安そうな声に、藤丸は少しだけ表情を緩めた。

 

「大丈夫だと思う。分からないことを分からないって言ってくれる人が一緒にいる方が、俺は助かる」

 

『……それ、褒めてます?』

 

「褒めてる」

 

『なら、いいっすけど。いや、よくはないかもしれないっすけど』

 

短い笑いが起きかけたところで、別の数値が赤く点滅した。マシュの視線が、無意識に自分の手元へ落ちる。盾はまだない。けれど、その手が何かを握りしめるように、かすかに丸まった。

 

ダ・ヴィンチちゃんが、その動きを見逃さなかった。

 

「マシュ。君の同行については、今は許可を出せない」

 

「……理由を聞かせてください」

 

マシュの声は落ち着いていた。落ち着かせている声だった。

 

「パラディーン霊基の深層覚醒は確認できている。けれど、この霧の中で表層展開した時の負荷が分からない。ここで無理をして、君自身が倒れたら意味がない」

 

「……はい」

 

マシュは反論しなかった。できなかったのではない。言いたいことを一度飲み込み、その上で、今の自分にできることを選んだ顔だった。

 

藤丸は彼女を見た。隣に立ちたいに決まっている。自分だって、隣にいてほしい。けれど、その気持ちだけで進めば、いちばん傷つくのはマシュだと分かっていた。

 

「マシュ」

 

「はい」

 

「管制側で支えてくれる? マシュの声が聞こえるだけで、俺は落ち着ける」

 

マシュは一瞬だけ目を伏せた。悔しさは消えない。それでも顔を上げた時、彼女の声はまっすぐだった。

 

「はい。通信は私が担当します。先輩が戻ってくる場所を、こちらで守ります」

 

「うん。頼りにしてる。……でも、マシュも無理はしないで」

 

「それは、先輩もです」

 

返された言葉に、藤丸は小さく頷いた。

 

オルガマリーが中央卓に手を置く。彼女の視線は藤丸ではなく、霧の観測図に向いたままだった。

 

「綺麗にまとまったところ悪いけれど、座標固定率が落ち始めているわ。第一偏綴点、固定率は?」

 

「七十二パーセント。これ以上待つと下がります」

 

セレシェイラが答える。

 

「十分とは言えない。でも、今が一番ましだね」

 

ダ・ヴィンチちゃんは藤丸を見る。その目はいつもの軽さを残していたが、奥にある緊張までは隠しきれていなかった。

 

「藤丸くん。第一偏綴点へ向かってもらう。目的は調査、現地法則の確認、聖杯に近い固定反応の有無、そして可能なら異常の解除。勝つことより、まず帰ってくることを優先して」

 

「分かった。調べて、持ち帰る。必ず戻る」

 

「いい返事。けれど、分からないことをその場で全部抱え込まない。約束できる?」

 

「約束する」

 

オルガマリーが、ようやく藤丸へ視線を向けた。

 

「藤丸立香」

 

「はい」

 

「命令は簡単よ。生きて戻りなさい。原因が分からないなら、分からないまま持ち帰ればいい。勝手に答えを出して、その場で全部背負おうとしないこと」

 

「……了解です、所長。必ず戻ります」

 

「よろしい」

 

ムニエルが小声で「今の、完全に心配してたよな」と言いかけた。次の瞬間、セレシェイラが無言で端末を差し出す。追加作業リストだった。ムニエルは口を閉じ、何も言わずに席へ戻った。

 

オルガマリーは聞こえていないふりをした。耳だけが、ほんの少し赤かった。

 

その一言で、管制室の空気が変わった。笑いの残り火は端末の音に消え、スタッフたちはそれぞれの持ち場へ戻っていく。送り出すための準備が、静かに始まった。

 

出撃準備は、いつもより静かに進んだ。

 

カルデアのスタッフは出撃準備に慣れている。それでも、今回の空気は違った。普段なら確認のために飛び交う声も、今は少し低い。誰も必要以上に騒がない。騒げば、霧の向こう側にあるものの正体が、余計に分からなくなるような気がした。

 

藤丸は装備確認を受けながら、何度もモニターを見た。第一偏綴点、ナミモリ。名前だけでは何も分からない。分かっているのは、マナ反応が極端に薄いこと、熱を伴わない炎状の反応があること、そしてその性質がまだ仮判定にすぎないこと。それだけだった。

 

「マスター」

 

エミヤが隣に立つ。霊基はまだ完全ではないが、声も姿もはっきりしていた。

 

「無理をするな、とは言わない。君にそれを言っても、必要な時には無理をするだろう」

 

「……否定できない」

 

「なら、無理をする前に言え。こちらにも準備がある」

 

藤丸は少しだけ笑った。

 

「分かった。……エミヤ。頼りにしてる」

 

「了解した。君を守るための手は尽くす。そこは任せておけ」

 

近くでマンドリカルドが小さく吹き出しかけ、すぐに咳払いで誤魔化した。ジャンヌ・オルタは露骨に呆れた顔をしたが、目元の力は少しだけ抜けていた。

 

「マンドリカルド」

 

藤丸が声をかけると、マンドリカルドは肩を跳ねさせた。

 

「来てくれる?」

 

「……来ますよ。来ますけど、面と向かって頼まれると、少し気恥ずかしいっすね」

 

マンドリカルドは剣の柄に触れ、笑いきれない顔で頷いた。怖くないわけではない。それでも、退くつもりはない。そういう顔だった。

 

ジャンヌ・オルタは、検査用の端末に片手をかざしたまま、不機嫌そうにしていた。

 

「まだ?」

 

「霊基値の再照合中です」

 

セレシェイラが淡々と答える。

 

藤丸が近づくと、ジャンヌ・オルタは目だけを向けた。

 

「何よ。出撃前に、わざわざ説教でも聞きに来たの?」

 

「違う。来てくれて、本当に助かったって言いたかった」

 

「……それ、今言う必要ある?」

 

「ある。言わないまま出たら、後悔しそうだったから」

 

ジャンヌ・オルタは舌打ちした。けれど、端末に置いた手は動かさない。怒っているのに、突き放しきれない。藤丸には、それが分かった。

 

「重いのよ、あんたは。そういうことを普通に言うから、こっちが変に調子を崩すの」

 

「ごめん。……でも、今は言わせてほしい」

 

「だから謝るなって言ってるでしょ」

 

声は強かった。けれど、そこに混じっていたのは怒りだけではなかった。嬉しいと言ってしまえば負ける。そんなふうに踏ん張っているようにも見えた。

 

「辛いなら辛いって顔をしなさい。平気な顔で前に出て、全部飲み込んで、後で倒れるみたいなのは許さない」

 

藤丸は少しだけ息を吸った。

 

「平気じゃない。だけど、前には進める。今は、みんながいるから」

 

「……ならいいわ。泣きそうな顔のまま突っ込んだら、今度こそ燃やすから」

 

「それは困る」

 

「困るなら帰ってきなさい。文句はその後で聞いてあげる」

 

その言い方に、藤丸はようやく少し笑えた。ジャンヌ・オルタは目を逸らしたまま、もう一度だけ小さく舌打ちした。

 

そのやり取りに、エミヤが小さくため息をつき、マンドリカルドが肩をすくめる。管制室の緊張が、少しだけ人のいる場所の空気に戻った。

 

マシュは少し離れた場所で、その様子を見ていた。藤丸と目が合うと、柔らかく頷く。

 

「先輩。通信は私が担当します。霧で途切れる可能性がありますが、できる限り繋ぎます」

 

「頼む。マシュの声が聞こえるだけで助かる」

 

マシュは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「……はい。先輩のサポートは、お任せください。必ず、聞こえる場所にいます」

 

床の光が、ゆっくりと強くなる。

 

ダ・ヴィンチちゃんが最終確認を始めた。

 

「霊基安定補助、起動。現地法則への過干渉は禁止。魔力反応が低い場合でも、無理に出力を上げないこと。藤丸くん、令呪の使用は慎重に。今回は何が現地法則に引っかかるか分からない」

 

「了解。焦らないようにする」

 

「エミヤ、前衛と状況判断。マンドリカルド、藤丸くんの近接護衛。ジャンヌ・オルタ、火力担当。ただし、現地の炎反応に触れた時は必ず報告」

 

「了解した」

 

「了解っす」

 

「命令口調が気に入らないけど、聞いておいてあげる」

 

オルガマリーが中央卓に手を置いた。

 

「第一偏綴点、識別名ナミモリ。藤丸立香、同行三騎。カルデア側より存在証明を維持。――行きなさい」

 

「はい」

 

藤丸は最後に、マシュを見た。

 

「行ってくる。すぐ戻る」

 

「はい。いってらっしゃい、先輩」

 

レイシフトが始まった。

 

最初の数秒は、知っている感覚に近かった。身体が光へほどけ、存在証明の糸がカルデアから伸びる。エミヤ、マンドリカルド、ジャンヌ・オルタの反応も隣にある。マシュの声も通信に乗って届いていた。

 

『先輩、存在証明は維持できています。三騎の霊基反応も確認――』

 

そこで、声が乱れた。

 

白いものが割り込んだ。

 

霧、というより層だった。薄い膜が何枚も重なり、その間へ身体ごと差し込まれる。上下の感覚が一瞬で曖昧になり、胃の奥が浮く。足元にあったはずの光が遠ざかり、代わりに、誰かの指先のような冷たい感触が背骨の奥をなぞった。

 

「……っ」

 

藤丸は声を出そうとした。だが、喉に入った空気が薄い。息はできるのに、吸った実感だけが途中で削られる。

 

『藤丸くん、応答して! 座標が――違う、これは送っているんじゃない、引っかけられてる!』

 

ダ・ヴィンチちゃんの声が遠くなる。

 

『先輩! 先輩、聞こえますか!』

 

「聞こえる……大丈夫、まだ――」

 

言い切る前に、隣にあった三つの気配が薄れた。消えたのではない。けれど、すぐそこにいたはずの仲間の輪郭が、白い層の向こうへ一枚ずつ押し戻されていく。

 

『マスター、こちらを見失うな!』

 

エミヤの声。

 

『マスター! こっちです! 手、伸ばせます!?』

 

マンドリカルドの声。

 

『勝手に消えたら許さないわよ!』

 

ジャンヌ・オルタの声。

 

藤丸は手を伸ばした。誰の手にも届かなかった。

 

白い層の奥で、何かが自分の内側へ触れてくる。壊すためではない。探すためでもない。もっと嫌な目的で、形を測っている。そう感じた瞬間、胸の奥が冷えた。

 

『存在証明、急速低下! 藤丸くん、今戻す――』

 

ダ・ヴィンチちゃんの声が途切れる。

 

『先輩!』

 

マシュの声だけが、最後まで追いかけてきた。

 

藤丸は答えようとした。大丈夫、と言いたかった。戻る、と言いたかった。けれど、白い層が視界を埋め、音も、重さも、隣にいたはずの気配も、全部遠くなっていく。

 

次の瞬間、足元の感覚が抜け落ちた。

 

白い層が、最後に彼の視界を閉じた。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第2部終章の熱がなかなか冷めず、あまりにもFGOの新たな物語が読みたくて、「それなら自分で作ればいいじゃん!」となって書き始めた作品です。笑

本当はパスト・カルデアが始まる前にある程度形にしたかったのですが、気づいたら当日になっていました。時間の流れって怖いですね……。

本作は『Fate/Grand Order』第2部終章後を想定したファンメイド第三部になります。
独自解釈・独自設定を含む作品ではありますが、お付き合いいただけますと幸いです。
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