Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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第2話 沢田綱吉の非日常

 それは、沢田綱吉にとっていつも通りの朝だった。

 

 並盛町の住宅街は、いつもと変わらない速さで目を覚ます時間帯にあった。道沿いの塀には昨夜の雨を引きずった湿り気が残り、電柱の影はまだ短くなりきらず、曲がり角の先からは通学に急ぐ足音や、自転車のブレーキが鳴る乾いた音が混ざって聞こえていた。

 

 綱吉は学校鞄の肩紐を直しながら、少し先を歩く獄寺と、その横で気楽そうに周囲を眺めている山本の背中を追っていた。京子とハルはその後ろ寄りで話していて、笑いの切れ端だけが風に乗る。さらに後ろから、クロームの控えめな足音が続いていた。

 

 見慣れた朝の並びだった。

 

 少し前まで、綱吉は勉強も運動も苦手な、並盛中のごく普通の生徒だった。母が連れてきた赤ん坊の家庭教師――リボーンが家へ来てから、その普通はあっさり壊れた。

 

 リボーンの正体は、イタリアから来たヒットマンだった。目的は、綱吉をマフィア組織ボンゴレファミリーの十代目ボスへ育てること。何度拒んでも話は進み、その日から、学校と家の往復で終わっていたはずの毎日へ、殺し屋もマフィアも当たり前のように入り込んできた。

 

 黒曜では、六道骸に仲間を奪われ、人の身体も心も目的のために使う戦いへ引きずり込まれた。ボンゴレ十代目の座を争うリング戦では、同じボンゴレに属する最強の独立暗殺部隊ヴァリアーと敵対し、XANXUS(ザンザス)を相手に、獄寺や山本たちの生命を懸けて戦った。

 

 十年後の世界では、白蘭率いるミルフィオーレファミリーによってボンゴレ本部が壊滅状態へ追い込まれ、ファミリーの関係者まで狙われていた。無数の並行世界へ手を伸ばす白蘭を止めなければ、帰る場所だけでなく、その先に続く世界まで失われるところだった。ようやく元の時代へ戻った後も、古里炎真たちシモンファミリーと、過去の憎しみによって友人同士を争わせる、救いのない戦いへ追い込まれた。

 

 どれも、マフィアのボスになるために望んだ戦いではない。目の前で誰かが倒れ、手を伸ばせるのに逃げる方が嫌だった。ただそれだけで、いつも後戻りできないところまで走っていた。

 

 ――いや、本当によく生き残れたよな、オレ。

 

 京子たちと並んで学校へ向かいながら、綱吉は今さら背筋を震わせた。少なくとも、その朝までは、いつもの並盛へ帰ってきたつもりだった。

 

 その平らな朝へ、白が差した。

 

 視界の端で、空気が膨らむ。薄い膜が、電柱と塀の間に重なり、朝の輪郭を一枚奥へ押し込んだ。遠くから流れ込んでくる気配はない。目の前にあった空気そのものが、内側から白く濁り、景色を掴む感覚だけを遅らせていく。

 

「……え?」

 

 綱吉が足を止めるのと、獄寺が舌打ち混じりに振り返るのはほとんど同時だった。山本の笑みが消え、京子とハルの会話が途中で切れる。クロームも小さく息を呑む。次の瞬間、通学路全体へ白い膜が重なった。

 

 近くの電柱も、塀も、人影も残っている。なのに距離だけが狂う。手を伸ばせば届くはずの塀が一歩ぶん遠く、角を曲がれば見えるはずの道が一枚向こう側へずれている。吸い込んだ空気は肺へ入る。だが手応えが薄い。耳に届く足音も、靴底に返るアスファルトの硬さと噛み合わなかった。

 

「十代目、下がってください!」

 

 獄寺の叫びが白の奥で跳ねる。声量ほど近くない。綱吉は返事をしようとして、喉の奥で息を詰まらせた。隣にいた京子とハルの姿が、さっき見た位置から抜けている。白へ溶けた痕も、走り去った足音もない。ただ、そこにあったはずの気配だけが、きれいに外されていた。

 

「京子ちゃん! ハル!」

 

 呼んでも、返事は戻らない。白い膜は、来た時と同じ唐突さで剥がれた。色が戻り、道路と塀が視界へ戻る。家並みの配置も、さっき歩いていた住宅街へ近い場所へ収まった。

 

 ただ、音だけが戻らなかった。人がいない。車の音がない。近所の話し声も、遠くの信号待ちのざわめきも、犬の鳴き声もない。家はある。窓もある。洗濯物も干されたままで、自転車も門の脇に止まっている。朝の生活が触れた跡はそこらじゅうに残っているのに、今ここを歩いていた人間だけが抜き取られていた。

 

 目の前には獄寺がいる。山本がいる。少し離れてクロームも立っている。了平とランボの姿はまだない。京子とハルだけが、通学路のどこにも残っていない。

 

 綱吉の胸の奥が、きゅっと細く縮んだ。

 

「……京子ちゃんとハルは?」

 

 声にした瞬間、喉が冷えた。さっきまで同じ通学路にいた。白が重なる直前まで、二人の笑い声はすぐそばにあった。

 

 獄寺が塀の内側、路地の角、家の影へ視線を飛ばす。焦りを噛み殺しながら、拾える手掛かりを一つずつ潰していく目だった。

 

「……いねえ。あの白が重なる直前まで、そこにいた」

 

 山本が小さく息を吐いた。

 

「はぐれたって感じじゃねーな。気配ごと消えてる」

 

 綱吉は、山本の軽さが薄くなった声を聞いた。獄寺が前へ出る速さも、クロームが町の外側へ意識を向ける静けさも、普通の朝には馴染まない。けれど、その動きに迷いは少ない。

 

 異常が日常を破る瞬間を、綱吉たちは何度も潜り抜けてきた。怖さが消えたわけではない。それでも、獄寺は手掛かりを探し、山本は周囲の音を拾い、クロームは町の外へ意識を伸ばしている。綱吉も、立ち止まったまま京子とハルの帰りを待つことはできなかった。

 

 クロームがかすかに俯く。

 

「……外側が、変です。町のまわりだけ、何か……残っています」

 

 その震えに、綱吉たちは一斉に振り向いた。並盛町の外へ続く道の先、普段なら遠くまで見通せるはずの外周だけが白く沈んでいる。境界線をなぞるように、白い包囲層がぐるりと町を囲っていた。

 

 道路は続いている。家並みも途切れていない。けれど近づこうとした瞬間、奥行きだけが薄く引き延ばされる。綱吉が一歩進めると、靴底に返る距離のズレが眉の奥まで響いた。まっすぐ続いているはずの道が、曲がり角の向こうで同じ塀へ戻る。出られるのか、戻されるのか、その判断を身体が先に嫌がっていた。

 

 綱吉は、もう一度だけ京子とハルがいた辺りを見る。返事はない。胸の奥で不安が広がり、指先にまで冷たさが落ちる。ここで立ち止まっていても、二人の気配は戻らない。

 

「……探そう」

 

 綱吉がそう言うと、獄寺はすぐに頷いた。

 

「当然です。十代目、町の中を見て回りましょう。外へ出られないなら、原因は中にある」

 

 山本も周囲へ視線を巡らせる。いつもの笑みは戻らないまま、足だけはすでに動く準備をしていた。

 

「人が消えてて、町の外は白いまんま。さっきの白も普通じゃねーしな」

 

 クロームは小さく頷き、息を整えてから続けた。

 

「この中だけ、切り取られてるみたいです……」

 

 その一言が、綱吉の背中へ残った。正体は分からない。それでも、この町だけが外側から隔てられ、人の気配だけを抜かれたように残っている現実には、近い響きがあった。

 

 調べ始めると、並盛の住宅街は見た目だけならほとんど変わっていなかった。商店の看板も、通学路の角も、見慣れた建物も残っている。家の窓の内側には朝の生活の名残があり、街路には人の気配だけがない。町の外周へ近づくほど白い包囲層は濃くなり、空気そのものがこちらを押し返すように、位置の感覚だけを歪めてくる。

 

 獄寺と山本は外へ抜ける道を試し、ほどなく同じ角の前へ戻ってきた。二人とも、自分から引き返した顔をしていなかった。

 

「……チッ、壁ってわけでもねえのに進めねえ」

 

 獄寺が苛立ちを抑えきれずに吐き捨てる。山本も笑っていなかった。

 

「真っ直ぐ歩いてるつもりで、景色だけがぐるっと戻る。感覚が気持ち悪いな、これ」

 

 綱吉はその報告を聞きながらも、意識の一部をずっと通学路へ残していた。京子とハル。目の前で消えた二人のことが、胸の奥へ刺さったまま抜けない。

 

 そのとき、遠くから音がした。何かが倒れるような、乾いた重い音だった。

 

 全員が同時に顔を上げる。住宅街の奥、一本入った細い路地の向こう側。風向きに紛れて、焦げに似た、けれど熱を伴わない空っぽの臭いが届いた。

 

 綱吉の靴先が動く。獄寺の制止より早く、膝が路地へ向いた。

 

 路地を抜けた先で、黒い輪郭が電柱の影から伸びていた。

 

 炎に似て揺れるのに熱がない。人間の輪郭を真似ているのに、肩の高さも腕の長さも噛み合っていない。影だけが、誰かの姿を思い出そうとして途中で歪んだような、不気味な化け物だった。電柱の陰、塀の向こう、屋根の縁にも同じ黒が立ち、位置を変えながらこちらを囲み始めている。

 

 その手前で、小さな身体がもつれていた。

 

 赤ん坊にしか見えない小ささだった。けれど、服装も雰囲気も異質だった。走ろうとしているのに足が前へ出ず、踏み込んだ一歩が短く、次の拍で前のめりに崩れかける。身体の扱い方だけが、今の背丈と噛み合っていない。

 

 黒い腕が、その小さな背へ落ちる。綱吉の胸が先に熱くなった。距離も、敵の数も、後ろへ押しやられる。あの腕が落ちる前に届く。その一点だけが残った。

 

 指先が懐へ入り、小さな丸薬を口へ放り込む。噛むより早く喉の奥へ流し込まれたそれが、次の瞬間には身体の芯へ火を点けた。

 

 余計な迷いが、一息で焼き払われる。視界の輪郭が鋭く立ち上がり、呼吸が整う。靴底へ返るアスファルトの硬さが噛み合い、遅れていた思考が身体へ追いついた。

 

 額に大空の死ぬ気の炎が灯る。その時点で、沢田綱吉の動きは、さっきまでとは別の精度へ切り替わっていた。アスファルトを蹴る。黒い化け物の位置、腕の落ちる角度、間に合う距離だけが細い線になって浮く。獄寺が後ろで何か叫び、山本が動く気配もした。だが、その声はもう遠い。

 

 間合いへ入る。黒い腕が振り下ろされる。綱吉は左肩を引き、腕の内側へ滑り込んだ。拳は胸板めいた場所を避け、揺れの芯へ入る。

 

 触れた瞬間、黒い輪郭が内側からほどけた。殴り飛ばされた重さはない。支えていた輪郭だけが崩れ、黒は音もなく粒子へ変わる。その粒子は空気へ溶けきらず、細い流れになって路地の奥へ引かれていった。

 

 綱吉は着地し、倒れかけた赤ん坊を抱き留める。

 

 思ったよりずっと軽い。腕の中に収まる体重は幼い子どものものに近かった。けれど抱いた瞬間、柔らかい軽さの奥に、妙な密度があった。小さな身体の内側へ、今の背丈に収まりきらない何かが折り畳まれているような手応えだった。

 

 その瞬間、空気が揺れた。何もいないはずの脇へ、ひび割れのような線が走る。白い層の奥で押し潰されていた気配が、その線から浮かび上がった。

 

 赤い外套をまとい、戦場を見極める目で周囲を見る男。

 

 黒を基調とした衣装に、燃えるような気配を宿した女。

 

 無骨な剣を携え、頼りなさと誠実さを同じ場所へ抱えた男。

 

 三人の輪郭はまだ薄い。肩口は空気へ溶け、足の輪郭も揺れている。それでも、彼らは赤ん坊のそばへ寄った。赤ん坊は驚いているが、三人から逃げようとはしない。三人もまた、小さな身体を守る位置から離れなかった。

 

 綱吉の中で、警戒の角がわずかに丸くなる。

 

 大空の死ぬ気の炎が近くにある間だけ、三人の輪郭が少しずつ現実へ寄ってくる。綱吉の炎が力を分け与えている感覚はなかった。もっと手前の、この町へ立つための最低限の足場だけを、辛うじて支えている。

 

 赤い外套の男が低く息を吐いた。

 

「……少しずつだが、ようやくまともに実体化ができる」

 

 綱吉の腕の中で、赤ん坊の肩がほんの少し震えた。泣き出す時の震えと違い、張り詰めた息だけが一瞬緩み、すぐまた固くなる。

 

 黒衣の女が、苛立ちと驚きを半分ずつ混ぜた声で吐き捨てる。

 

「最悪。けど、さっきよりはずっとマシね」

 

 無骨な剣を持つ男も、剣の柄へ手をかけ直しながら、赤ん坊へ視線を向けた。

 

「よかった……いや、全然よくはねえんだけど、今は少しマシだ」

 

 事情は綱吉の頭に追いつかない。それでも、目の前の赤ん坊が一人きりでこの町へ落ちた様子には、もう見えなかった。

 

 獄寺が息を呑む。

 

「……何だ、今の」

 

 山本もさすがに笑わない。

 

「これは、驚くな」

 

 クロームだけが、わずかに安堵を滲ませた目をしていた。彼女には最初から、薄くではあってもそこに何かがいると分かっていたのだろう。

 

 その直後、獄寺たちが追いついた。

 

 綱吉は赤ん坊を抱えたまま振り返り、その時ようやく、額に灯っていた炎が静かに細る。圧が薄くなり、空気の張りがほどけていく。呼吸が、もっと人間らしいリズムへ戻る。削ぎ落とされていた迷いのなさが少し緩み、そのぶん、もともとそこにあった戸惑いも戻ってきた。

 

 腕の中の赤ん坊が、綱吉の顔をじっと見ていた。怖がるだけの目ではなかった。さっきまでの炎を見て、いま目の前にいる綱吉を見て、その二つが同じ人間の中にあることを確かめている目だった。

 

 綱吉は、どう声をかければいいか掴めなかった。

 

 そのタイミングで、別方向から荒い足音が近づいてくる。

 

「極限だァ!」

 

 聞き慣れた大声と一緒に、笹川了平が路地の角を曲がって飛び込んできた。腕の中には、泣き疲れて眠ってしまったランボが抱えられている。小さな身体は力なく了平へ預けられ、頬には涙の跡が乾ききらずに残っていた。

 

 了平は全員を確かめると、一瞬だけ安堵の息を漏らし、それから周囲の異常へすぐに顔を引き締める。

 

「また極限に妙なことになっているな……!」

 

 雑な言い回しだったが、外してはいない。

 

 綱吉、獄寺、山本、クローム、了平、ランボ。そして、綱吉に抱えられた赤ん坊と、その背後で辛うじて輪郭を保つ三つの人影。

 

 息を整え直しながら、綱吉は短く伝えた。白い膜が通学路へ重なったこと。剥がれたあとで人が消えたこと。町の外周だけが白い包囲層に囲まれていること。黒い炎の化け物が町を徘徊していること。そして、その化け物に襲われそうになっていた赤ん坊を助けたこと。

 

 全員の視線が赤ん坊へ集まる。最初に引っかかったのは、首元の硬い異物だった。丸い器を思わせるそれは、リボーンが胸元に下げているおしゃぶりに似ている。だが色も質感も噛み合わず、飾りとして首へかけられている気配も薄い。皮膚の奥へ糸を伸ばし、小さな身体へ縫い込まれているように見えた。獄寺の目は特に鋭かった。リボーン関係の誰かか、別のマフィア絡みの厄介ごとか。そんな疑いが浮かんでいることくらいは、綱吉にも分かる。見た目だけなら、十分そう思える。だが、目の前の赤ん坊の雰囲気は、綱吉の知っている裏の人間とも少し違っていた。無防備とは違う。誰かを騙すために張っている空気とも違う。

 

 山本はあからさまに問い詰めない。けれど、柔らかく見える視線は、肝心なところを逃がしていなかった。

 

「普通の赤ん坊、って感じじゃないよな」

 

 了平は腕を組みかけ、ランボを抱えていることを思い出してやめる。

 

「極限に小さいが、ただの子どもとも違うということか」

 

 クロームは少しだけ躊躇い、それでも藤丸の背後へ目を向けた。

 

「……後ろの人たち、その子を守ろうとしてるように見えます」

 

 見えている範囲で、彼女が差し出せる一番慎重な声だった。

 

 綱吉は赤ん坊へ視線を戻す。

 

「えっと……どう呼べばいいかな。俺は沢田綱吉。こっちは獄寺くん、山本、クローム、お兄さん。それで、今寝てるのがランボ」

 

 赤ん坊は綱吉の腕の中で、小さく頷いた。自分の声にまだ慣れていないように、一度だけ喉を詰まらせる。それでも、逃げるように目を伏せることはなかった。

 

「藤丸立香、です。さっき、この町に落ちてきました。……見た目はこうですけど、元から赤ん坊だったわけじゃありません」

 

「落ちてきた?」

 

 山本が聞き返す。軽く責める響きはない。けれど、流して進めるには重すぎる声だった。

 

 藤丸は首元の硬い異物へ指を添えた。触れた瞬間、顔がわずかに強張る。

 

「白い層みたいな場所で、身体をいじられました。小さくされて、力みたいなものも少し奪われて……これを付けられたんだと思います」

 

 獄寺の目が鋭くなる。

 

「誰にだ」

 

「姿は見てません。声も聞いてないです。ただ、こっちの中を測られてる感じがしました」

 

 獄寺は舌打ちを飲み込んだ。相手の正体が掴めない。その掴めなさが、路地の空気をさらに重くする。

 

 クロームは藤丸の背後を見つめる。白い層の残りに揺れる三つの輪郭は、まだ不安定だった。けれど、藤丸の近くから離れようとはしていない。

 

「……その人たちは?」

 

「俺の味方です。赤い外套の人がエミヤ。黒い服の人がジャンヌ・オルタ。剣を持ってる人がマンドリカルド。今はうまく動けないけど、ずっと守ってくれていました」

 

 綱吉は、ジャンヌ・オルタの響きに一瞬だけ眉を寄せた。ジャンヌ・ダルクなら歴史の授業で聞いたことがある。だが、目の前の黒い服の女は、教科書に載っていた聖女の印象から大きく離れていた。

 

 エミヤは周囲を見極めるように目を細め、軽く会釈だけを返す。ジャンヌ・オルタは不機嫌そうに鼻を鳴らし、マンドリカルドは所在なさげに剣の柄へ触れた。

 

「……まあ、味方っす。たぶん今は、それだけ分かってもらえれば助かるっす」

 

 了平はランボを抱え直しながら、大きく頷いた。

 

「極限に事情は分からん! だが、襲われていた子を見捨てる理由にはならんな!」

 

「了平さん、声大きいです……」

 

 クロームの小さな注意に、了平は一瞬だけ口を閉じる。ランボがむずがるように身じろぎしたからだ。

 

 獄寺はまだ警戒を解かない。だが、藤丸の怯え方と、背後の三人が彼を守る位置から動かないことを見て、すぐに敵と断じるだけの材料もなかった。

 

「十代目、信用しきるのは危険です」

 

「分かってる。でも、このまま置いていく方が危ないよ」

 

「……あの、さっきから『十代目』って。何の十代目なんですか?」

 

 藤丸に問われ、綱吉の肩が小さく跳ねた。

 

「ボンゴレファミリーだ。十代目はボンゴレを継ぐお方だぞ」

 

「獄寺くん! まだ継ぐって決めてないから!」

 

 山本が藤丸の顔を見て、ようやく事情に気づいたように眉を上げる。

 

「あー、藤丸にはそこからか。ボンゴレってのは、まあ、マフィアだな」

 

「……()()()()?」

 

 藤丸の声がわずかに低くなった。背後でエミヤも目を細め、ジャンヌ・オルタは綱吉と獄寺を見比べる。マンドリカルドは驚きを隠せないまま口を閉じた。

 

「その反応は何だ。十代目をその辺のチンピラと一緒にすんな!」

 

「いや、そういう意味じゃなくて。普通に学校へ行ってそうな人たちが、マフィアだって聞いたから驚いただけで……」

 

「俺も、マフィアになりたいわけじゃないんです。リボーンっていう家庭教師が、俺を十代目にするって決めて……気づいたら色んな争いに巻き込まれてて」

 

 綱吉は言いながら、人の消えた住宅街へ目を向けた。学校へ向かっていた朝に、見知らぬ少年へ自分がマフィアの後継者候補だと説明している。今朝の始まりには、考えもしなかった会話だった。

 

 それでも、獄寺も山本もクロームも了平も、今ここにいる。普通が崩れた後に残ったものまで、綱吉は捨てたいと思わなかった。

 

「でも、獄寺くんたちは仲間です。それだけは間違いないです」

 

 藤丸は一度だけ綱吉たちを見回し、小さく頷いた。

 

「分かりました。俺も、肩書きだけで決めません」

 

 会話が途切れかけたところで、綱吉の左手が震えた。

 

 指輪――ボンゴレギアが、内側から脈打つように熱を帯びる。

 

「……っ」

 

 思わず息が止まった。腕の中で、藤丸が反射的に首元の硬い異物を握る。綱吉には理由まで掴めない。けれど藤丸もまた、同じタイミングで何かの変化を受け取っていた。

 

 獄寺もほとんど同時に自分の手元を見る。山本も顔を上げる。クロームも、わずかに目を見開いた。

 

 全員のボンゴレギアが反応していた。綱吉のボンゴレギアが一番強く熱を持つ。熱の流れは、坂の上へ向いていた。住宅街の奥、並盛神社へ続く方角だった。

 

「……神社か」

 

 了平が同じ方向を見る。獄寺は歯を食いしばったまま、すぐに結論へ飛ぶ。

 

「行くしかありませんね。これだけ露骨に反応するなら、何かある」

 

 山本も頷いた。

 

「異常の原因に近いものか、少なくとも鍵にはなってるだろうな」

 

 綱吉は藤丸を見る。小さくなった身体は、相変わらず思うように動かせていない。自分で歩ける可能性はある。けれど今走らせれば、足を取られる。黒い化け物がまだ近くに潜んでいるなら、その遅れが命取りになる。

 

 綱吉はしゃがみ込まず、そのまま藤丸を抱え直した。

 

「だったら、行こう」

 

 静かな声だった。押しつける調子は混じらない。ただ、ここで足を止める選択が、綱吉の中から消えていた。

 

 藤丸は小さく頷く。その背後で、赤い外套の男、黒衣の女、剣を携えた男の輪郭が、綱吉の近くへ寄るぶんだけまた少し安定した。まだ危うい。それでも、今の彼らにとっては十分に大きい。

 

 並盛神社。京子とハルの行方も、町を囲う白い包囲層も、黒い炎の化け物も、全部の線がそこへ集まり始めている。

 

 全員が警戒を解かないまま、住宅街の奥へ向かった。坂道の先で、まだ誰にも触れられていない七つの反応が、静かに脈を打っていた。

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