Fate/Grand Order 第三部 Script of the Palimpsest   作:白瀬 綴

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誰が為の代理戦争

マンドリカルドの悲鳴が境内へ刺さったあとも、時計は外れなかった。

 

 引けば外れるような軽い装着感ではない。むしろ逆だ。皮膚へ触れている感覚はあるのに、そこへあとから巻きついた異物という違和感だけが薄い。最初からその位置にあったものへ、遅れて意識が追いついたみたいな、不自然な馴染み方をしている。藤丸は自分の手首へ視線を落とした。丸い意匠を持つ、少し特殊な一本。外見は境内に並ぶケースから出た他の時計と大きく変わらない。けれど、縁の面取りや金具の収まり方だけが、この町の機械類とは微妙に思想が違って見える。その僅かな差が、ここへ押し込まれた自分だけが完全にはこの世界へ染まりきっていないことを、かえって露骨に突きつけていた。

 

 綱吉は、自分の左腕を一度だけ見て、それから視線を上げた。

 

 太いバンドの一本が、ぴたりと手首へ巻きついている。見た瞬間に、重さの意味だけは分かる。だが、その意味の輪郭が曖昧なまま、先に“役目”だけ押し込まれているのが気持ち悪かった。

 

 獄寺はすでに二度、三度と自分の時計へ指をかけていた。爪を差し込もうとしても継ぎ目が見つからず、乱暴に引けば手首へ食い込むだけで、外れる気配がない。舌打ちを飲み込むように息を吐いてから、綱吉の腕を見る。

 

「十代目、その太いやつ……たぶん、こっちのより上の役目です」

 

 獄寺自身の腕へ巻きついた細い一本と、綱吉の太い一本。その差は見た目だけでも明らかだった。けれど、それ以上に嫌なのは、そこへ頭の中へ流れ込んだ意味がぴたりと重なっていることだ。

 

 山本も自分の手首を返した。細いバンド。補助側に回る形。軽い調子で受け流せる類のものではないが、それでも声色だけは崩さない。

 

「こっちはバトラー、だったな。言葉は知らねえけど、付き添い兼戦闘って感じか」

 

 クロームは手首を押さえたまま、小さく呼吸を整えている。了平は眠るランボを抱き直し、前へ出るべきか、一度下がるべきか、その両方を同時に計っているようだった。

 

 その背後で、エミヤ、ジャンヌ・オルタ、マンドリカルドも、それぞれ自分へ巻きついた時計を見ていた。

 

 エミヤは一番早く冷静さを取り戻す。

 

「役割を与える、というより……立ち位置ごと縫い留めているな」

 

 ジャンヌ・オルタは露骨に顔をしかめた。

 

「最悪ね。こっちの都合も確認せず、“ここに立て”って先に決めてから押しつけてる」

 

 マンドリカルドはまだ完全に立て直せていない。だが、さすがにさっきみたいな悲鳴を連発する余裕は消えたらしい。代わりに、情けないくらい正直な声でぼやく。

 

「いや……でもこれ、本当に重いっすよ。いきなり『お前がボスだ』って言われて、『はいそうですか』ってなるやついるっすか……?」

 

 藤丸は反射的に目を閉じかけ、寸前でやめた。マンドリカルドの困惑が、そのまま胸の奥へ刺さる。自分だって、腕へ巻きついたこの一本が何を意味しているのか、全部を飲み込めているわけじゃない。ただ一つだけは分かる。これは便利な道具じゃない。盤面へ打ち込まれた杭だ。自分たちを逃がさないための印でもある。

 

 境内の中央では、小さな身体をした六人とユニが、それぞれ違う沈黙で同じ異物を受け止めていた。

 

 コロネロは息を短く吐き、まず周囲の動きから確認している。

 

 黒いフードを被った赤ん坊は、自分の時計を見るより先に、誰がどう反応するかを冷静に拾っていた。

 

 フルフェイスヘルメットとライダースーツの赤ん坊は、乱暴に引っ張ってみて外れないと分かると、ますます不機嫌そうに顔をしかめる。

 

 理屈の匂いを滲ませる赤ん坊は、フェイスの構造と、自分の中へ流れ込んだ意味を照合しているようだった。

 

 (三つ編みの赤ん坊だけは、静かなまま、しかし微動だにしない目で時計を見ている。)

 

 リボーンは、自分に何が起きたかを一拍で飲み込み、もうその先の判断へ意識を移していた。

 

 ユニは帽子のつばの下で、ほんの少しだけ呼吸を浅くしている。

 

 綱吉は、その全員を見渡した。

 

 小さな身体の六人。ユニ。藤丸。背後に立つ三騎。自分の横にいる獄寺、山本、クローム、了平。ここへいない相手にまで光は届いた。つまり、この神社の前へ集められた者だけでなく、並盛町そのものが盤面に使われている。

 

 その気味悪さを、言葉へするより先に、リボーンが口を開いた。

 

「頭に押し込まれた内容、整理するぞ」

 

 声が低い。だが短くはない。全員が、今ここで“言葉へ落とさないとまずい”と分かっていた。頭の中へ直接流れ込んだ情報は、そのままだと曖昧なまま足場を奪ってくる。なら、いったん人の口で並べ直すしかない。

 

 綱吉がわずかに息を吐く。自分の中にある意味の断片へ、ようやく手をかけるための呼吸だ。

 

 リボーンは続けた。

 

「まず確認だ。俺たちは何かを“聞かされた”んじゃねえ。意味ごと流し込まれた。だから気持ち悪いほど分かる。逆に言えば、誰かがこっちへ理解を強制してるってことでもある」

 

 誰も口を挟まなかった。全員の身体に、同じ不快さが残っていた。

 

 獄寺が低く言う。

 

「だったら、曖昧なままにしない方がいいですね。十代目、順に出しましょう」

 

 綱吉は頷き、頭の中へ残る情報を一つずつ引っ張り上げる。知らない言葉も混じっている。だが、分からないから黙るより、今は並べる方が先だ。

 

 綱吉は自分の手首を見た。頭に押し込まれた意味を、一つずつ言葉へ変えていく。参加する陣営には、アルコバレーノウォッチ、ボスウォッチ、バトラーウォッチが割り当てられる。おしゃぶりを持つ者には、アルコバレーノウォッチ。代理人の中心にはボスウォッチ。その周りを支える者には、バトラーウォッチ。誰かに説明されたわけではないのに、理解だけが最初からそこにあった。

 

「勝てば、報酬が出る……らしい。アルコバレーノの呪いを解く資格と、町の異常に関する情報。それから、敗退した人の行方や、他の陣営の位置も」

 

 言いながら、綱吉は顔をしかめた。自分の口から出た言葉なのに、どれも気持ち悪い。願いを餌にして、必要な情報を小出しにして、こちらが動くしかない場所へ追い込んでくる。そんな冷たさが、時計の奥から滲んでいる。

 

 獄寺が腕時計を睨む。文字盤はただ淡く光っているだけなのに、見つめていると皮膚の下まで熱を押し込まれるようだった。戦闘領域が開けば、定められた相手同士がぶつかる形へ押し込まれる。時計を与えられていない者は、その領域から弾き出される。そして、中で攻防が途切れれば、領域は狭まり、ウォッチへ負荷が走る。

 

「つまり、戦わないで済ませようとしても、時間を稼ぐほどこっちが削られるってことか」

 

 山本が軽く言った。だが声は笑っていない。リボーンは帽子のつばを下げる。

 

「ああ。戦えって命令じゃねえ。戦わなければ、守る相手を締め上げる仕組みだ。悪趣味だな」

 

 その言葉で、境内の空気はかえって重くなった。さっきまでは頭の中でぼんやりしていた不快さが、人の声を通ったぶんだけ逃げ場を失ったのだ。

 

 山本が最初に口を開く。

 

「呪いを解く方法、ってのが報酬か。こっちの連中にとっては、断れねえ理由としては十分すぎるな」

 

 誰が何を背負っているのか、綱吉たちはまだ全部を知らない。だが、少なくとも“ここにいる小さな身体の連中が、普通じゃない事情を抱えている”ことくらいは分かる。そういう相手に“解く方法をやる”と差し出せば、本気で乗らざるを得ない。

 

 コロネロが短く笑う。乾いた、兵士の笑い方だった。

 

「気分の悪い餌だな」

 

 了平が、その一言の意味を噛みしめるように顔をしかめる。師匠のその言い方で、この報酬が軽いものじゃないと十分伝わる。

 

 クロームは小さく手首を押さえたまま、ぽつりと言う。

 

「戦闘領域……っていうのも、嫌です。町の中を、そのまま使うつもりなんでしょうか」

 

 理屈の匂いを漂わせる赤ん坊が答える。

 

「町そのものを盤面化し、そこへ局所的な決闘領域を重ねる、と考えるのが自然だろうな。自由行動の時間があるのなら、なおさら厄介だ」

 

 リボーンはその分析へ否定を入れない。むしろ、すでに同じ結論へ着いている顔だった。

 

 綱吉は、そこでようやくユニの方を見る。

 

「さっきの“代理戦争”って単語だけど……ユニは、それ自体は知ってるわけじゃないんだよな」

 

「はい」

 

 ユニは静かに頷く。

 

「言葉だけが先に浮かぶんです。でも、それに続くはずの説明や背景が、うまく見えません」

 

 そこで一度、息を整える。自分の中にあるものを、できるだけ正確に言葉へ変えようとしている顔だった。

 

「……これは、わたしの“予知”に近い感覚なんだと思います。未来の流れや、大まかな形だけが先に見えることが、ときどきあるんです。でも、今回はそれがひどく不安定で……見えかけたものが途中で欠けたり、急に遠ざかったりします」

 

 綱吉たちは黙って聞く。知らない力についての話なのに、不思議と嘘には聞こえない。

 

 ユニは帽子のつばへ指先を触れたまま続けた。

 

「ここにいる人たちも、この町も、見え方がどこか噛み合いません。知らない場所を見ているというより、知っているはずの形に別のものが重なっているみたいで……だから、いつものように先を読もうとしても、輪郭が途中で崩れてしまうんです。見えるはずの流れが、最初から最後までつながらないというか……」

 

 そこで、ほんの少しだけ視線を伏せる。

 

「だから、“代理戦争”っていう言葉も、知識として知っているわけじゃありません。ただ、見えた断片の中にその形に近いものがあって、それで引っかかっただけなんです」

 

 獄寺が眉を寄せたまま呟く。

 

「知らねえ単語なのに、頭の中には意味だけ入ってる……ほんとに気味の悪い仕組みだな」

 

「しかも、その知らない言葉と、おしゃぶりとユニと、この場の連中が全部つながってる」

 

 綱吉の声は低い。けれど、ただ困惑しているだけじゃない。押し込まれた情報と、自分の目で見てきた事実を繋ぎ始めている。

 

 白蘭の名前も、まだ綱吉の中で尾を引いていた。

 

 ユニは直前までγや白蘭たちと一緒にいたと言った。つまり、この異常は並盛だけで閉じていない。少なくとも、別の場所にいたはずの人間まで巻き込める規模で動いている。

 

 獄寺がわずかに歯を食いしばる。

 

「γまで巻き込まれてるなら、町の外で何が起きてるかなんて、もう想像もつかねえな……」

 

 敵として戦い、最後には同じ方向を向いた相手の名だからこそ、その声には苛立ちと重さが混じる。

 

 その会話の途中で、黒いフードを被った赤ん坊が静かに口を挟んだ。

 

「少なくとも一つ言えるのは、これが“ちゃんとした説明を受けて参加する類のものじゃない”ってことだよ」

 

 柔らかい口調なのに、言っていることは容赦がない。

 

 フルフェイスヘルメットの赤ん坊も、乱暴に腕を振った。

 

「いきなり巻きつけて、はい戦えってんだからな! クソみてーな始め方だぜ!」

 

 ユニは、帽子のつばへそっと触れる。

 

「でも……それでも、ここで何かが始まるのは確かです」

 

 断定ではない。予知の断片を、今見えている現実と照らし合わせた結果の、静かな確信だった。

 

 それを否定する時間は、ほとんど残っていなかった。

 

 境内の外、石段の下から、乾いた擦過音のようなものがいくつも重なって聞こえる。

 

 誰かが走る足音ではない。もっと軽く、もっと空洞で、中身のない音。さっき町中で見た黒い炎の化け物たちが移動するときの、あの不快な擦れ方だ。

 

 エミヤが最初に顔を上げた。

 

「来るぞ」

 

 その一言で、全員の空気が変わる。

 

 石段の下。

 

 鳥居の柱の影。

 

 木立の隙間。

 

 塀の向こう側。

 

 黒い炎の化け物たちが増えていた。一体二体ではない。位置を変えながら、境内を囲うようにじわじわと距離を詰めてくる。さっきまでは町の中を徘徊していたそれらが、今は明確にこの神社を目指して集まっていた。

 

 ジャンヌ・オルタが口元を歪める。

 

「最悪。考える暇もくれないわけ?」

 

 マンドリカルドはまだ顔色が悪いままだったが、それでも剣の柄へ手をかけた。

 

「いや、ほんと勘弁してほしいっすけど……来るならやるしかないっすよね……!」

 

 リボーンが即座に言う。

 

「散るぞ」

 

 短い指示だった。

 

「ここで固まってたら、まとめて飲まれる。どうせ向こうは最初から分断するつもりだ。なら、こっちも先に動く」

 

 それで十分だった。

 

 コロネロが頷く。三つ編みの赤ん坊も静かに位置を変える。理屈の赤ん坊は境内の出口と遮蔽物の位置を見ていた。黒いフードの赤ん坊はいつの間にか鳥居の影へ半歩寄り、フルフェイスヘルメットの赤ん坊は文句を言いながらも構えだけは取る。

 

 ユニは帽子のつばへ指先を添え、それから静かに顔を上げた。

 

「……まだ全部は見えていません。でも、このままここへ留まるのは、よくないと思います」

 

 綱吉は、藤丸を抱えたまま周囲を見る。黒い炎の化け物たちが増え、境内全体へ圧をかけ始めている。役割を巻きつけられた腕が、もう次の行動を強制してくるみたいだった。

 

 そして綱吉は、一つだけ理解する。

 

 ――この戦いは、もう始まっている。

 

 宣言や合図を待つまでもなく、盤面は動いている。役割を巻きつけられた時点で終わりではなく、そこから先へ押し流されるのがこの仕組みなのだ。

 

 獄寺が綱吉の横へ出る。

 

「十代目、どうします」

 

 問いは短い。だが内容は重い。ここでの返答一つで、誰がどこへ動くかが決まる。

 

 綱吉は、自分の腕の時計ではなく、抱えている藤丸を見た。それから背後の三騎の輪郭へ視線を流す。エミヤ、ジャンヌ・オルタ、マンドリカルド。今はまだ、ツナの近くにいるぶんだけ保っていられる存在たちだ。

 

 そこまで見てから、顔を上げる。

 

「まずは、コイツらを倒して安全を確保しよう」

 

 静かな声だった。死ぬ気丸で切り替わった状態ではない。今の綱吉自身の声だ。けれど、その静けさの奥にはちゃんと芯がある。

 

「そのために、一回ばらける」

 

 境内の空気が、ぴんと張る。

 

 外では黒い炎の化け物たちが、ついに石段の下まで迫っていた。

 

 役割を巻きつけられた者たちが、次の一歩を踏み出すまで、もうほとんど時間は残っていなかった。

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