2019年編#5-3
早朝の街は、まだ夜明けの柔らかい光に包まれ、通勤や買い物の人通りも少なく、一日の始まりを告げる静けさに満ちていた。空気には朝露の冷たさと、街路樹の若葉のさわやかな香りが漂い、まるでこれから始まる穏やかな一日を予感させるような、平和な時間が流れていた。
悠真が運転する白い箱バンは、市場での花の仕入れを終え、ゆっくりと街中へと向かっていた。車内には色とりどりの切り花の甘く優しい香りが満ち、助手席に座る遥は、後部スペースに高く積まれた新鮮な花々を眺めては、目をきらきらと輝かせている。
「土曜日なのに悪いね、遥ちゃん。いつも一緒に仕入れに行くパートの人が、親戚の急用でどうしても出られなくなっちゃって」
ハンドルを握りながら、悠真が申し訳なさそうに眉を下げて言う。朝5時からの出発は、慣れない人にとってはかなりの負担になるはずだった。だが遥はまったく気にした様子もなく、両手を合わせて明るく笑い返した。
「全然大丈夫ですよ! むしろあんなに広い市場に、これでもかってくらいたくさんのお花が並んでるところ、初めて見ました! 色も形も香りも全部違って、見てるだけでワクワクしました! 私でよかったら、また手伝いに行きますよ!」
「そう言ってくれると、本当に助かるな。」
悠真もつられて柔らかい笑みを浮かべる。こんなふうに前向きで明るい彼女がいるだけで、忙しい日々も随分と楽になる。美穂が言っていた通り、確かにちひろに似た、太陽のような輝きを持っているのかもしれない——そんなことをぼんやりと思いながら、彼はアクセルを緩め、交差点へと進入しようとした。
「私、このバイト、すごく楽しいし、大好きですから」
遥がそう言って、胸いっぱいに花の香りを吸い込もうとした、その瞬間だった。
突然、車体全体が大きく横に揺れ、エンジンの振動とはまったく違う、地面そのものがうねるような重い衝撃が襲ってきた。ガタガタとガラスが鳴り、荷台の花の束が崩れ落ちる音が響く。窓の外を見ると、周囲の電柱や街路樹が不自然に大きく揺れ、遠くの建物の窓ガラスが一斉に細かく震えているのが見えた。それだけではない。空気が急に濁り、何か巨大な力が上空から圧し掛かるような、重苦しい気配が生まれていく。
「きゃっ!」
遥が思わず小さな悲鳴を上げ、両手でシートベルトを強く握り締める。悠真は慌ててハンドルをしっかりと掴み、急いで路肩へと車を寄せながら、背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。これは彼がこの数年で何度も耳にし、肌で感じたこともある、あの忌まわしい「重加速」だ。
「これは……まさか、ロイミュードか……!」
彼の低い呟きが終わらないうちに、前方の交差点の舗装道路が、まるで何かに下から突き上げられるように盛り上がり、亀裂が走り、次の瞬間にはコンクリートの破片が四方に飛び散った。地中から、金属の軋むような低い咆哮が響き渡る。
煙と砂塵が晴れると、そこには無機質な鋼鉄の体躯を持つ人型の怪物たちが、次々と這い出るように姿を現していた。鈍く暗い光沢を放つその体は朝の光を拒み、赤く光る眼窩だけが、生き物のような意思を持って周囲を見渡している。一歩踏み出すごとにアスファルトが砕け、通行人たちの悲鳴が、一瞬にして街の静けさを打ち砕いた。
平和だった早朝の街は、その瞬間からたちまち戦場へと変わり果てた。
同じ頃、S.H.I.F.T.本部の管制室では、けたたましい緊急警告音が鳴り響いていた。壁一面に並ぶ大型モニターには、現地から送られる生体反応データと、上空からの監視カメラが捉えた映像が次々と切り替わる。赤く点滅する警戒ランプが、室内の空気をさらに張り詰めたものにしている。
「報告! 東区の桜町地区でロイミュードの出現を確認! 数は十体以上、生体エネルギー値も通常より高い! 周辺は住宅地と商店街が密集しており、市民の避難誘導が急務です!」
オペレーターの緊迫した声が響くと、指揮を執る三原は無駄のない動きでディスプレイを確認し、すぐに明確な指示を飛ばす。
「第2、第3機動部隊を現地へ急行させろ。一般市民の安全確保を最優先に、建物の損壊を最小限に抑えつつ制圧作戦を開始する。——紫苑、蒼、お前たちは先行して現場に入り、突破口を開け」
管制室の入口に立っていた紫苑は、無表情ながらも鋭い瞳で画面を見つめ、短く力強く頷く。隣にいる蒼も、すでに装備の確認を済ませ、腰に装着した機器のチェックを終えて静かに応じた。
「行くぞ、蒼」
「ああ。遅れは取らせない」
二人は必要以上の言葉を交わさず、本部の地下ガレージへと向かう。重い金属製の扉が電子音と共に開くと、そこには待機していた二台のバイクが、エンジンの低い唸り声を上げて彼らの到着を待っていた。紫苑は白銀の車体に跨り、蒼も深青のフレームに乗り込む。タイヤが冷たいアスファルトを掴む音と共に、二人のバイクは本部の出口へと一気に飛び出していった。
一方、別の準備エリアでは、朔也が指揮する部隊も出動態勢を整えていた。黒塗りの装甲ワゴン車が数台、エンジンを始動させて並び、特殊装備を身に着けた隊員たちが手早く最終確認を行っている。
「各員、現地は市街地だ。混乱が予想される上、市民の避難路が狭くなっている可能性が高い。ロイミュードの動きを封じることに集中し、建物への二次被害を出さないように攻撃を制御しろ! 決して無闇に撃ち合うな!」
朔也の落ち着いていながらも鋭い指示が響くと、隊員たちは一斉に応答し、車内へと乗り込む。扉が閉まり、サイレンを鳴らすことなく、周囲の警戒を高めながら、ワゴン車は速やかに現場へと向かって走り出した。
事件現場に到着すると、そこはすでに混乱の渦に包まれていた。崩れた塀や電柱、割れたガラスの破片が道に散乱し、逃げ惑う人々の悲鳴が冷たい朝の空気を引き裂いている。鋼鉄の肌を持つロイミュードたちは、周囲の街灯や駐車車両を簡単になぎ倒しながら、ゆっくりとだが確実に前進を続けている。
悠真の車は路肩に停めたまま、彼は遥の手を引いて安全な建物の陰に身を隠し、目の前の光景に息を呑んでいた。
「あれが……ロイミュード……?」
遥が震える声で囁く。悠真は彼女を自分の後ろにかばうように立ち、固く拳を握り締める。
「大丈夫だ。すぐにS.H.I.F.T.の連中が来る。絶対に安全な場所に案内してくれる」
彼の言葉が終わらないうちに、最初の装甲車が現場に到着し、続いて朔也の部隊が展開を始めた。一部の隊員が大声で指示を出し、市民を近くの地下駐車場や堅牢な建物へと誘導する。残りの隊員は、特殊弾を装填したライフルを構え、ロイミュードの足元や関節部といった装甲の薄い箇所を狙って射撃を開始する。
火花が激しく散り、金属が削れるような音が響くが、弾丸は表面の装甲を傷つけるに留まり、完全に動きを止めるまでには至らない。咆哮を上げたロイミュードの一体が、近くのガードレールを振り回して周囲を薙ぎ払う。
「まだ効かないのか! もっと集中して撃て!」
朔也が指示を出しながら、戦況全体を見渡す。数が多い上に、一体一体の装甲も想定以上に固い。このままでは時間がかかり、被害が拡大する一方だ。
その時、遠くの道からエンジンの鋭い轟音が、風を切るように近づいてきた。紫苑と蒼のバイクが、狭い路地を縫うように高速で走り、わずか数秒で現場の中心へと滑り込む。タイヤが地面を強く掴み、砂煙を上げて急停止すると、二人は一瞬にして車体から飛び降りた。
彼らはまず、眼前の状況を把握する。十体を超えるロイミュードが、広い範囲に散らばって暴れ、一部はまだ地下から上がってくる気配さえ見せている。
「数が多い上に、反応が鋭い。通常の部隊だけでは手に負えない」
紫苑が低く冷静に呟く。だがその声には焦りはなく、これまでの戦いで培われた判断と覚悟が宿っている。彼は内ポケットから、シフトカーを一本取り出し、左手に装着したシフトブレスへと装填する。カチリという重いロック音が鳴る。
隣の蒼も同じように、シフトカーをシフトグリップに差し込み、カチッと音がするまで押し込んでロックする。
『MACHINE SET』
機械的な合成音声が、喧騒の中でもはっきりと響き渡る。
「変身!」
紫苑がバックルのグリップを力強く捻り、蒼は手に持ったシフトグリップを、バックルの差し込み口へと勢いよく押し込んだ。
『TYPE TURISMO!』
『INFERNUS BURN UP!』
二つの異なる起動音が重なり合い、紫苑の全身を銀の光が包み込む。次の瞬間、高強度の装甲が瞬時に形成され、彼は仮面ライダーGT-Xへと変身を遂げる。一方、蒼の体には青い熱を帯びた炎のようなエネルギーが吹き上がり、頑丈な装甲がまとわりつき、仮面ライダーインフェルナスへと姿を変えた。
「行くぞ!」
蒼が叫ぶと、シフトグリップを引き伸ばすように操作し、シフトブレードへと変形させる。彼は勢いよく駆け出すと、剣を大きく一閃させ、最も近くにいたロイミュードの腕を狙って斬り込んだ。激しい火花が飛び散り、鋼鉄の体に深い傷が刻まれると、悲鳴にも似た咆哮が上がる。
紫苑はそれに続くように、上空から飛来してきたファントムカリバーを片手でキャッチする。光の刃が伸び、周囲の空気を切り裂くような風圧が生まれる。彼は素早く身を翻し、次々と迫ってくるロイミュードの間合いを縫いながら、一太刀ごとに確実に装甲を削り、動きを封じていく。
二人の連携は息が合っていた。蒼が正面から攻撃を受け止め、敵の注意を引きつけ、紫苑が側面や背後から致命的な一撃を加える。ロイミュードたちの咆哮が次第に弱まり、次々と機能停止して崩れ落ちていく。部隊の隊員たちもその隙を突いて射撃を加える。
戦線が少しずつ安定し、崩れかけた街にようやくわずかな希望が差し込もうとしたその瞬間——
地面が再び、先ほどまでとは比較にならないほど大きくうねり、轟音と共に周囲の瓦礫が一斉に宙を舞った。まるで大地そのものが怒りを吐き出すかのような衝撃波が拡がり、建物の窓ガラスは残らず砕け散り、避難中の市民たちの悲鳴がさらに高く響き渡る。
紫苑の正面、崩れた商業ビルの残骸の陰から、他の個体とは明らかに異なる圧倒的な巨体がゆっくりと姿を現した。身長は2メートルを優に超え、全身を何重にも重ねたような分厚い鋼鉄装甲で覆われ、その表面には溶けた鉄のような熱を帯びた朱色の筋が、脈打つように明滅を繰り返している。一歩踏み出すごとにアスファルトが陥没し、重圧だけで周囲のコンクリート片が粉々に砕けていく。
重厚な装甲を持つ、通常の個体よりランクが一段上の上級ロイミュード——その存在感だけで、周囲の空気が凍りつくように張り詰めた。
「なんだ、あいつは……!」
蒼がシフトブレードを強く握り直し、声を上げる。センサーが捉える生体反応値は、今まで対峙してきたどの敵よりも遥かに高く、警報ランプが赤く点滅し続けている。
紫苑もファントムカリバーの刃先を低く構え、仮面の奥の瞳を鋭く凝らす。だが次の瞬間、上空からさらに重く、憎しみを凝縮したような声が降り注いだ。
「この間のつづきだ! 今度こそ、決着を着けてやる!」
鋭い風切り音と共に、黒い外套を翻しながら一人の男がゆっくりと降り立つ。荒々しく上げた髪に、剥き出しの筋肉。全身から放たれるエネルギーの波動は、先ほどの上級種さえも凌駕するほどに濃密だ。
「レイジ……!」
紫苑の声が低く、鋭く響く。
管制室から送られてくる通信回線の向こうで、三原の焦りの混じった声が割り込んでくる。
『くそっ……レイジまで出てくるとは……! 』
レイジは薄く唇を歪め、嘲るような笑みを浮かべると、両手をゆっくりと広げる。その体の表面から黒い靄のような変異エネルギーが吹き上がり、皮膚が金属質に変質し、骨格が膨張していく。
低く響く咆哮と共に、彼の姿は人間態から一変。レイジロイミュードへと変貌を遂げる。全身には赤い稲妻のようなエネルギーが走り、その力場だけで周囲の瓦礫が浮き上がる。
「まずい……このままでは市民だけでなく、街全体が壊滅する!」
朔也が隊員たちに指示を飛ばす。「一部は避難誘導を続けろ! 残りは遮蔽陣を張り、集中射撃だ!」
だが、部隊の放つ弾丸は、火花を散らすだけで傷一つ付けることができない。
レイジと上級ロイミュードが紫苑の前に立ちはだかる。
街は崩壊の危機に瀕し、空気は殺意と絶望で満ちていた。だがその中で、紫苑は再び剣を構え、自分の道を進む覚悟を固めていた。
この戦いが、長い闘いの序章に過ぎないことを、誰もが感じ取っていた。
(続)