2014年編#5-1
8月が始まり、照りつける太陽がキャンパスのコンクリートを白く焼き焦がしていた。蝉の鳴き声が降り注ぐ中、大学の重厚な正門をくぐる学生たちの足取りは、数日前までの悲壮感に満ちたものとは打って変わり、どこか軽やかで解放感に満ちている。
学食の中も、エアコンの冷気とともに、試験という名の巨大な嵐をやり過ごした安堵の雰囲気が隅々まで流れていた。ペンを走らせる音やページをめくる神経質な音は消え、代わりに聞こえてくるのは、これから始まる長い休暇への期待に満ちた賑やかな談笑の声だ。
紫苑たちは、いつもの窓際の席に集まっていた。テーブルの上には、食べ終えたカレーの皿や飲みかけの冷たい紙コップが並んでいる。
「……終わった。やっと終わったんだな、俺たちの地獄が……!」
悠真が椅子の背もたれに深く体を預け、天井を仰ぎながら魂が抜けたような声を上げた。額の傷跡はすっかり消え、今ではあの惨劇などなかったかのような、いつもの能天気な彼に戻っている。
「大げさなんだよ、お前は。悠真、単位の方は本当に大丈夫そうなのか? 最後の方、白目剥いて解答用紙埋めてただろ」
朔也が眼鏡をクイッと押し上げながら、呆れたように、しかし口元には微かな笑みを浮かべて問いかけた。
「まあ、今はそれを考えないようにしようや、朔也。名前さえ書き忘れてなきゃ、奇跡は起きるって信じてるんだよ」
悠真がニカッと笑って答えると、隣でちひろが
「それは奇跡じゃなくて管理ミスだよ」
と容赦なく突っ込みを入れる。
「うっ……! ちひろってさ、時々容赦ないよな」
テーブルはワッと笑いに包まれた。
紫苑はその笑い声の渦の中で、手の中の冷えた麦茶を見つめていた。つい数日前まで、彼はこの平和な光景を守るために、文字通り血を流して戦っていた。クライの冷徹な一撃、ビルから突き落とされた瞬間の死の予感、そしてタイプイージスの重厚な手応え。それらすべてが、今のこの穏やかな日常と同じ時間軸で起きていることだとは、到底信じられない思いだった。
「紫苑くん、どうしたの? ぼーっとして。もしかして、試験のミスでも思い出した?」
ちひろが心配そうに覗き込んでくる。その瞳の輝きに、紫苑はハッとして顔を上げた。
「あ、いや……なんでもない。ただ、本当に夏休みが来るんだなと思って」
「そうだぜ! 明日からはもう、海にBBQに花火大会だ。紫苑、約束したもんな? 絶対に海に行くって。俺、もう宿の予約の最終確認、済ませたんだからな!」
悠真がスマートフォンを振りかざして宣言する。美穂が隣で小さく頷きながら、
「楽しみだね」
とはにかんだ。
「ああ、そうだな。……楽しみにしてる。絶対に行こう」
紫苑は心からそう答えた。
三原から聞いた四幹部の脅威、そして自分が「力」に飲み込まれていくのではないかという恐怖は、依然として彼の心の隅に影を落としている。ロイミュードとの戦争は、おそらくこの夏休みの間も、彼を休ませてはくれないだろう。
だが、このテーブルを囲む仲間たちの笑顔が、今の紫苑にとっての「正解」だった。彼らが明日何を食べるか、どこへ遊びに行くか、そんな些細なことで悩み、笑い合える世界。それこそが、父が託し、三原が支え、そして自分が選び取った、命を懸ける価値のある「日常」なのだ。
窓の外に広がる空は、吸い込まれるほどに青く、高く、どこまでも続いていた。
「よし! じゃあ、景気付けに購買でアイスでも買ってこようぜ! 俺の奢りだ。……ただし、一番安いやつな!」
悠真の掛け声に、みんなが「えー!」「ケチ!」と笑いながら席を立つ。紫苑もまた、その賑やかな足音に混じって、光の溢れる廊下へと歩き出した。
購買へと向かう途中、紫苑はふとポケットの中のシフトカーに触れた。硬く冷たい感触。それは彼が背負う戦士の証だ。しかし、隣を歩くちひろが「何味のアイスにしようかな」と楽しげに話しかけてくる声を聞くと、その冷たささえも自分を現実へと繋ぎ止める大切な一部のように思えた。
「紫苑くんは? ソーダ? それともバニラ?」
「そうだな……。今日は、少し甘いやつがいいかな」
太陽の光が廊下の窓から差し込み、五人の影を長く伸ばす。
戦士としての宿命は、まだ始まったばかりかもしれない。けれど、今はただ、この仲間たちと過ごす熱い夏の風を感じていたかった。守り抜いたこの平和な放課後が、これから始まる長い夏休みの、最高で静かなプロローグになることを確信しながら。
(続)