2014年編 #6-2
潮の香りをたっぷりと含んだ熱風が、白い砂浜を吹き抜けていく。
「着いたぞー! 俺の最高のドライビングテクニック、どうだった!?」
悠真が自身満々に自慢のスポーツカーを駐車場へ滑り込ませると、車内にいた全員が一斉に歓声を上げた。窓の外には青空と水平線が溶け合うような絶景が広がり、降り立った瞬間から、肌にまとわりつくような夏の日差しと潮風が五感を刺激してくる。
「やっぱり海は違うな。空気まで輝いているみたいだ」
朔也が大きく伸びをしながら深呼吸をする。紫苑も頷き、眩しさに目を細めながら遠くの海を眺めた。先ほどまでの緊迫した日々や、戦いの痛みなど、今この場には存在しないかのようだ。
「おいおい、感動に浸ってる場合じゃないぞ! さっさと準備するぞ!」
悠真は既にトランクを開け、パラソルにビーチチェア、大きなクーラーボックス、そして両手で抱えるのも大変そうなほど大きなスイカを次から次へと取り出していく。その荷物の多さに苦笑いしながらも、紫苑と朔也も手伝って、手早く更衣室へと向かった。
男性陣が水着に着替えて砂浜に戻ると、悠真は鮮やかな赤と白のストライプ柄の海パン姿で、まるで自分が海の主役にでもなったかのように砂浜を闊歩している。
「おおお、この開放感! 最高だな! それにしても……こうして見ると、周りにはキレイな女の人がいっぱいだなあ。目の保養になるぜ……って、俺ばっかり浮かれすぎか?」
「全くだ。少しは落ち着け」
朔也が呆れたように言いながらも、彼もまた水慣れした体に日焼け止めを塗り、これから始まる遊びに心を躍らせている様子がわかる。紫苑も上半身裸になり、自分の体を見下ろした。その肩や脇腹には、つい先日の戦いで負った青黒い痣がわずかに残っていた。だが、白い砂浜の眩しさと、照りつける太陽の光の中では、その痛ましい痕跡さえも、まるでこれまで生きてきた証のように、不思議と力強いものに見えた。
紫苑が日焼け止めを手に取ると、悠真が思い出したように声を上げた。
「そうだ! せっかく大きなスイカも持ってきたんだ、最初はスイカ割りで盛り上がろうぜ!」
「いいな、それ。みんなでできるし、丁度良い」
朔也が賛成し、三人は手分けして準備を始めた。ブルーシートを広げ、真ん中にスイカを据え付け、目隠し用のタオルと、適度な太さの木の棒を用意する。
「よし、これで準備万端だな! あとは……主役たちの登場を待つだけだ」
悠真がニヤニヤと笑いながら、更衣室の方向を指さす。その視線の先には、こちらに向かって歩いてくる二つの人影があった。
紫苑も顔を上げ、その姿を捉えた瞬間、思わず呼吸が止まるような感覚に襲われた。
「……来た、な」
いつもの大学で見慣れた私服姿とはまるで別人。二人は太陽の光そのものを身にまとったように、輝いて見えた。
ちひろは、明るいイエローを基調としたビキニの上に、シースルー素材の白いラッシュガードを羽織っている。白い肌が太陽に照らされてきらめき、いつも明るく元気な彼女の性格が、その服装にも表れているようだ。潮風になびく髪が、まるで海の波のように涼しげで、見る者の心まで弾ませる。
一方の美穂は、淡い水色のワンピースタイプの水着に、ネイビーのラッシュガードを合わせ、大きな麦わら帽子を少し深めにかぶっている。華奢な体つきと、控えめな色使いが彼女の繊細で優しい雰囲気によく似合っており、まるで絵本から抜け出してきたお姫様のようだ。慣れない水着姿で人目に晒されることが恥ずかしいのか、少しうつむき加減で、ラッシュガードの襟元をきゅっと掴みながらゆっくりと歩いてくる。
「おーい! こっち、こっち!」
悠真が大きく手を振ると、二人は笑顔を浮かべて小走りに近づいてくる。
「はあ……はあ……待たせてごめんなさい。着替えるのに、思ったより時間がかかっちゃって……」
美穂は頬を少し赤らめ、もじもじとしながら足元の砂を指先でいじる。その仕草さえも愛らしく、悠真は「ああ、なんて眩しいんだ……」と手で目を覆い、朔也も普段の無表情を少しだけ崩し、柔らかな視線を送っていた。
「何言ってるの、美穂ちゃん! 全然遅れてないし、それより超カワイイから! ほら、私が選んだ水着、大正解だったでしょ?」
ちひろが美穂の背中をポンと叩き、自分のことのように嬉しそうに胸を張る。
「うん……ありがとう、ちひろ。私なんかのために、こんなに一生懸命選んでくれて……」
美穂がはにかむように笑うと、周りの空気まで柔らかくなるようだ。
「本当によく似合っている。とても……綺麗だよ」
朔也が珍しく言葉を選んで賞賛すると、美穂はさらに顔を赤くして「ありがとう、朔也」と小さく応えた。
そんな和やかな雰囲気の中、ちひろがふと何かに気づいて視線を感じる方向を見た。
そこには、まっすぐに自分を見つめる紫苑の姿があった。
紫苑は、いつものように軽口を叩くでもなく、慌てて視線を逸らすでもなく、ただじっと、ちひろの姿を見つめていた。普段は元気一杯に笑い、時には少し強気な発言もする彼女だが、水越しに見える体のラインは想像以上に女性らしく、ラッシュガードの生地越しでもわかる柔らかな曲線、そして太陽の光を受けてきらめく瞳は、彼の心を強く打った。
日常の中で見せる明るい笑顔も好きだった。だが今、目の前にいるちひろは、いつもよりずっと大人びて見え、これまでとは違った魅力に溢れており、紫苑はその姿から目を離すことができなかった。
「……紫苑くん? あの、どうかしたの?」
ちひろは紫苑のあまりにも真剣な視線に、何か自分に問題があるのかと思い、少しだけ不安そうに首を傾げる。
紫苑はハッと我に返り、自分が見つめすぎていたことに気づくと、急に頬に熱が上がるのを感じた。だが、ごまかしたり嘘をついたりすることはできなかった。彼は真っ直ぐにちひろの目を見つめ直すと、心からの言葉を紡ぎ出した。
「……ごめん。……すごく似合ってる。その、とても……綺麗だよ。俺は、そう思う」
紫苑の言葉は飾り気がなく、ただ真実だけを語っていた。
その言葉を聞いた瞬間、さっきまで美穂を励ましていた時の活気に満ちたちひろの姿はどこへやら、彼女の耳元から頬、首筋にかけて、みるみるうちに真っ赤に染まっていくのがわかった。
「も、もう! 紫苑くんったら、突然真剣な顔で言うんだもん……! ジロジロ見ないでよ、恥ずかしいじゃん……!」
ちひろは慌ててラッシュガードの裾を両手でぎゅっと引っ張り、視線を泳がせる。いつもは誰に対しても明るく振る舞える彼女が、こんなにも動揺し、乙女のような態度を見せるのは珍しい。
「おいおい、二人とも良い雰囲気だなー。ここで俺が何か言ってあげ……」
悠真がニヤニヤと笑いながら茶化そうと一歩踏み出すが、その肩を横から伸びてきた手がポンと叩いた。見れば朔也が「この空気を壊すんじゃない」とでも言うように、少しだけ目元を和らげて悠真を制している。
「よし! 全員揃ったな! じゃあ約束通り、最初のゲームはスイカ割りだ! 最初に挑戦するのは……もちろん、言い出しっぺの悠真、お前からだ!」
朔也が場を仕切るように声を上げ、照れくさい空気を一気に晴らすように、皆を誘導する。
「よっしゃー! 任せとけ! 俺の『心眼』があれば、スイカの位置など一瞬でわかっている! 見てろよ、一撃で真っ二つにしてやるからな!」
悠真は意気揚々として目隠しのタオルを頭に巻き、木の棒を力強く握りしめる。
そんな彼の姿を見て、紫苑とちひろは顔を見合わせ、まだ少しだけ熱の残る頬を感じながらも、自然と笑みがこぼれた。
「ねえ、紫苑くん。後で一緒に海に入ろうね」
「ああ。勿論だ。俺、ちひろの泳ぐ姿も見てみたいし」
また少しだけ頬を染め合いながらも、二人は手を取り合うようにして悠真の周りに集まった。
打ち寄せる波の音が、まるで祝福するかのようにリズムを刻み、遠くではカモメの鳴き声が響いている。
数日前まで感じていた死闘の記憶も、自分たちが背負っている重い宿命も、この瞬間だけは波にさらわれて遠く彼方へと流されていくようだった。
太陽は燦然と輝き、青い空はどこまでも続いている。
紫苑は、この上なく平和で、何ものにも代えがたいこの瞬間を胸いっぱいに吸い込み、隣にいる大切な仲間たちの笑顔を心に焼き付けた。
これが自分の守るべきものなのだ、と改めて心に刻みながら、彼らの最高の夏は、今、始まったばかりだった。
(続)