2014年編#7-2
秋の気配が深まり、街路樹が赤や黄色に鮮やかに色づき始めた、風が心地よい休日――。
紫苑は、隣を歩く大悟の笑い声を聞きながら、ふわりと吹いてきた風に木々の葉がそっと舞い落ちる様子を眺めていた。
紫苑の日常にはもうすっかり大悟の存在が溶け込んでおり、元々仲の良かった悠真、ちひろ、美穂、朔也を加えた六人は、まるで昔からの仲間同士のように、どこへ行くにも一緒だった。今日も皆で約束をして、賑やかな駅前の大通りへと繰り出していたのだ。
「お腹空いたなあ。どこかでお昼にしようよ」
ちひろがポケットからハンカチを取り出しながら、少し甘えるような口調で言うと、
「それなら絶対ここがおすすめなんだ!」と悠真が先頭を切って走り出す。
彼が案内したのは、駅前にある人気のハンバーガーショップ。店内は休日ということもあって席はほぼ満員だったが、六人がかろうじて座れるテーブル席を見つけて腰を下ろす。
「ここのトリプルチーズバーガーはマジで絶品なんだ! チーズのとろけ具合が他とは全然違うんだぜ?」
悠真が目を輝かせながらメニューを指差してまくし立てる様子を見て、大悟が肩を震わせながら笑う。
「お前、さっきから道を歩いてる時から食べ物の話しかしてないぞ。まったく、食いしん坊な奴だな」
「だって美味いもんが一番の楽しみじゃないか!」
そんな何気ないやり取りが続く中、紫苑はハンバーガーを一口かじりながら、皆の笑い声に耳を傾けていた。特別に何かが起こるわけでもない、こんな普通の時間が、今の自分にとってどれほどかけがえのないものか――紫苑は心の底から噛みしめていた。この平和な日常こそ、自分が戦う理由なのだと、改めて強く感じていた。
食事を終え、お腹も心も満たされた一行は、再び繁華街をゆっくりと歩き始める。
道沿いには色とりどりの店が並び、休日を楽しむ家族連れやカップル、友人同士のグループなどで溢れかえっている。どこを見ても笑顔が絶えず、街全体が温かな空気に包まれているように感じられた。
「あっ、見て見て! あそこに大きなゲームセンターがあるよ!」
ちひろが弾んだ声を上げ、道の向こう側を指差す。
見ると、そこには色鮮やかなネオンサインがきらめく、何階建てもある大きなゲームセンターが建っていた。休日の遊び場としてはまさにうってつけの場所だ。
「せっかくだし、ちょっと寄っていこうよ! ね、いいでしょ?」
上目遣いで皆に問いかけるちひろの様子に、誰もが笑顔で頷く。紫苑ももちろん異論はなく、皆と一緒にゲームセンターの自動ドアをくぐった。
店内に一歩足を踏み入れると、様々なゲーム機の電子音や、リズミカルな重低音のBGMが一気に耳に飛び込んできて、わずかな振動と共に熱気が肌に伝わってくる。壁際には格闘ゲームやリズムゲームの筐体が並び、中央にはメダルゲームのコーナーが広がっている。
六人はそれぞれ興味のあるゲームの方へと散らばろうとしたが、ちひろが足を止めた場所に皆も自然と集まった。そこはクレーンゲームのコーナーだった。
透明なガラスケースの向こう側には、今若い女性を中心に大人気だという、柔らかな手触りが想像できる大きな猫のぬいぐるみが、山のように積み上げられていた。丸い目にふわふわの毛並み、抱き心地が良さそうな大きさ――見るからに可愛らしいぬいぐるみだ。
「……わあ、すっごく可愛い。こんなのがお部屋にあったら、毎日眺めてるだけで絶対癒やされるだろうなあ」
ちひろはガラスケースにぴったりと顔を近づけ、まるで吸い寄せられるようにぬいぐるみを見つめる。その口調はのんびりとしていたが、瞳の奥には「どうしても欲しい」という強い憧れと、抑えきれない物欲がきらきらと輝いているのを、紫苑は横からはっきりと見て取った。
ちひろはクレーンゲームの操作レバーに手を伸ばしかけたが、ふと自分の腕前を思い出したようで、すぐに寂しそうに手を引っ込めてしまう。彼女はいつもこうして欲しいものを見つけては、自分には取れないと諦めてしまうのだ。
そんなちひろの様子を見ていた大悟が、にやりと笑いながら隣に立つ紫苑の肩をポンと力強く叩いた。
「おい、紫苑。ここは男を見せる時だぞ。あんなに欲しそうな顔をしている女の子を前にしたら、黙って見ているわけにはいかないだろ?」
「えっ? 俺が?」
突然話を振られた紫苑は、思わず大悟の顔を見返す。
クレーンゲームか……。普段の戦いで培った反射神経や動体視力には自信があるが、ゲーム特有のテクニックやコツとなると、まったく別の話だ。正直なところ、自分に取れるかどうかは分からない。
だが、ちひろが期待に満ちたまなざしを自分に向けて、にっこりと笑いながら言う。
「えへへ、紫苑くんがもし取ってくれたら、私一生大事にするね。……なんて」
冗談めかしてはいるものの、その瞳は真剣で、紫苑にとってそれは何よりも強い後押しとなった。
「……わかったよ。正直あまり自信はないけど、やってみるよ」
紫苑がゆっくりと財布を取り出し、中から百円玉を一枚取り出そうと指を伸ばした、まさにその瞬間のことだった。
――ゾクリ。
背筋を氷の刃でゆっくりとなぞられたような、身も凍るようなおぞましい感覚が全身を駆け抜ける。
ゲームセンターの喧騒、周囲の客の話し声、ゲーム機の音――そんな雑多なノイズの隙間を縫うようにして、微かではあるが確かな「重加速」の残り香と、ロイミュード特有の、人間の神経を逆なでするような不快な波動が、紫苑の鋭敏な感覚を強く打った。
(……この近くに、奴らがいるのか?)
紫苑の表情が、その一瞬でまったく別のものへと変わった。
先ほどまで柔らかかった瞳は、瞬く間に鋭い光を宿し、戦士としての冷たい色に変わる。無意識のうちに右手が腰のあたり――普段GTドライバーを装着し、変身するための場所へと動き、指先がわずかに緊張で震える。
周囲の音が一気に遠のき、まるで自分だけが別の空間にいるかのような感覚に包まれる。紫苑の全神経が、ただひたすらに敵の気配を探知し、その正確な位置を突き止めようと研ぎ澄まされていく。この瞬間、紫苑の全身から放たれた空気は、平和なゲームセンターの雰囲気にはあまりにも不釣り合いな、幾多の戦いを潜り抜けた者だけが持つ凄絶な殺気を含んでいた。
だがその時――
「紫苑くん、頑張って! もし取れなくても全然気にしないから、挑戦してくれるその気持ちだけで、私すっごく嬉しいからね!」
ちひろの屈託のない、明るい声が紫苑の心に響き渡り、凍てついていた意識が一気に現実へと引き戻された。
紫苑ははっと我に返り、いつの間にか強く握りしめていた拳を、ゆっくりと開いて力を抜く。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。まだロイミュードが実体化し、この街で暴れ始めたわけではない。今ここで警戒心を露わにしたり、不審な動きを見せたりすれば、自分自身の手で、この何も変わらない日常を壊してしまうことになる。
紫苑は心の中に浮かんだ緊張感を無理やり押し込み、顔にはいつものような穏やかな笑顔を作ると、手に持った百円玉をクレーンゲームのコイン投入口へと滑り込ませた。
「……ああ、見ててくれ、ちひろ。絶対に、あのぬいぐるみを取ってみせるよ」
紫苑がレバーに両手をかけ、深く息を吸って集中し始める様子を、大悟は一歩後ろに下がった場所から、じっと黙って見つめていた。
紫苑が先ほど一瞬だけ見せた、あの鋭い目つきと空気の変化――。
普通の大学生であるはずの紫苑が、日常の何でもない瞬間に見せるにはあまりにもかけ離れた、まさに「死線を越えた者」だけが持つ反応と雰囲気。大悟の鋭い観察眼は、紫苑が普段は隠し持っている戦士としての本能と、その奥に秘められた力を、確かに捉えて見逃さなかったのだ。
大悟の瞳の奥で、微かに何かがゆらりと揺れ動く。それは純粋な驚きなのか、それとも紫苑の正体に対する何らかの確信のようなものなのか……。
だが、紫苑がふとこちらを振り返った瞬間、大悟の表情はすぐにいつものように穏やかで、どこか頼りがいのある兄のような笑みへと戻っていた。
「いい目つきだ、紫苑。その素晴らしい集中力があれば、きっと一発で仕留められるに違いないな」
大悟の声には、紫苑に対する確かな信頼と、温かな励ましが込められていた。
その言葉が心の支えとなり、紫苑は再びレバーに意識を集中させる。
――ロイミュードの気配は、今もなお街のどこかに潜み続けているのが分かる。いつ出現してもおかしくはない緊迫した状況だ。だが、今の自分が最優先にすべきことは、目の前で自分を信じて待ってくれているちひろの笑顔を守り、彼女の願いを叶えてあげることだ。
クレーンのアームを操作し、的確な位置へと動かすこと。今この瞬間、これこそが紫苑に許された、そして与えられた、最も大切でかけがえのない「戦い」なのだ。
紫苑はレバーを慎重に操作し、アームをゆっくりと降下させていく。
そして――アームの先端が狙い通りにぬいぐるみの首筋の部分をしっかりと捉えた。
周りで見守っていた皆の視線が一気にその一点に集中し、次の瞬間、ぬいぐるみがアームにしっかりと抱えられて持ち上げられ、ゆっくりと景品落とし口へと運ばれていくのが見えた。
「わああっ! 取れた、取れたよ紫苑くん!」
ちひろが嬉しさのあまり声を上げ、周りの悠真たちも「すごい!」「さすがだな!」と口々に歓声を上げる。
ゲームセンターの喧騒の中に、六人の嬉しそうな歓喜の声が高らかに響き渡った。
紫苑は落ちてきたぬいぐるみを手に取り、満面の笑みで駆け寄ってきたちひろにそっと手渡す。
「はい、どうぞ。ちゃんと取れただろ?」
「ありがとう、紫苑くん! 大事にするね、本当にありがとう!」
ぬいぐるみを抱きしめて飛び跳ねるちひろの笑顔を見つめながら、紫苑は胸の奥から込み上げてくる温かな感情を感じていた。
ロイミュードの気配はまだ消えてはいない。だが、こうして守るべきものがここにある限り、自分は何度でも立ち上がり、戦い続けることができる――そう強く心に誓いながら、紫苑もまた、皆と一緒になって笑い合っていた。
(続)