2014年編#8-5
通信機器のノイズが混じりながらも、三原の声が紫苑の鼓膜を突き破るように響いてくる。その声はいつものように状況を的確に分析し、指示を下す冷静な指揮官のものではなく、ただひたすらに教え子の無事を願う、一人の人間の叫びだった。
『まずい、フレアフェイズだ……! 紫苑、すぐに変身を解け! 早くしろ!』
言葉の意味はすぐに理解できた。だが、それを実行に移すことがどれほど不可能なことか、今この状況に立たされている紫苑自身が誰よりも痛感していた。
視界いっぱいに広がるHUDは、既に正常な情報伝達の役割を完全に失っていた。画面の至る所で細かいノイズが走り、まるで目の前の世界そのものが崩壊していくかのような不安感を煽る。そして視界の中心には、血の色をした警告文字が点滅し、その下には紫苑の命の残り時間を刻むかのように、残酷なまでに正確な数値がカウントダウンを続けていた。
00.00.08.54
「解けって……今そんな余裕、ないですよ……っ!」
紫苑は口の中に広がる鉄のような血の味を強く嚙みしめながら、絞り出すように応答した。歯を食いしばるたびに頭の芯まで痛みが響き、体の奥底から込み上げてくる熱が、まるで内臓一つ一つを直接焼かれているかのような感覚をもたらす。
三原の警告は、何よりも的確で正しいものだった。GTシステムの心臓部とも言える基幹駆動領域が、眼前に立つ敵・レイジの放つ超高温のエネルギーフィールドと干渉し合い、通常ならば外部からの攻撃を防ぐための防御機構へと流れるはずの出力が、予測不能な経路を辿って暴走を始めていたのだ。
紫苑の身を守るはずのオレンジ色の重厚な装甲は、今や逆に紫苑自身を閉じ込めるための鉄壁の檻へと変わり果てていた。装甲の継ぎ目、関節部の隙間、表面の細かい凹凸部分――その全てから、制御回路の許容量を遥かに超えた力が、禍々しくも目を見張るほどに美しい金色の光の帯となって溢れ出し、周囲の空気を激しく電撃させながら弾け飛んでいる。バチバチという鋭い音が絶え間なく鳴り響き、その光に触れたコンクリートの破片や金属片は瞬く間に蒸発し、煙となって消えていった。
「熱い……体が、内側から焼けるみたいだ……!」
皮膚の感覚は既に麻痺しかけていたが、それでも体の芯から骨を伝って熱が浸透してくるのが分かる。まるで自分の体が一つの炉となり、その中で高熱の炎が燃え盛っているような、生きた心地のしない状態が続いていた。タイプイージスと名付けられたこの装甲の堅牢さと防御力は、今となっては紫苑の逃れる道を完全に塞ぎ込み、この灼熱の苦痛から一歩も動けないようにするためだけに存在しているかのようだった。
00.00.04.62
『限界だ! それ以上はシステムが自壊する! お前自身が焼き切れるぞ、死にたいのか!』
通信機器から流れる三原の叫び声が、紫苑の頭の中で何重にも反響する。分かっている、そんなことは痛いほど分かっている。このまま力を使い続ければ、システムと共に自分の肉体も原子レベルまで分解されて消え去るだろう。だが、紫苑の視界の先端には、そんな紫苑の苦しみを見下すように、勝ち誇った笑みを浮かべるレイジの姿がはっきりと映っていた。
レイジは両手をゆっくりと構え、その掌の間にさらに巨大で濃密な炎の塊を練り上げていく。空気が歪み、熱風が紫苑の顔を焼くように襲ってくる。ここで仮面を脱ぎ、変身を解けばどうなるか。装甲に守られていない生身の体では、レイジが放つ炎の熱波に触れた瞬間、灰となって消える他ない。進むことも退くこともできない、絶望的な状況だった。
00.00.02.05
「オオオオオオッ!!」
レイジの野獣のような咆哮が空気を震わせる。次の瞬間、彼の身長の数倍はあろうかという巨大な炎の拳が、天を衝く勢いで振り上げられた。周囲の建物の残骸が熱で変形し、地面が細かく振動する。必殺の一撃が、紫苑の頭上目がけて、今まさに振り下ろされようとした――その刹那だった。
紫苑の全身から噴き出し続けていた金色の光が、ついに臨界点を突破した。制御装置が完全に機能を停止し、流れ続ける膨大なエネルギーの行き場が完全に失われた瞬間、全てが弾け飛んだのだ。
「うあああああああああッ!!」
紫苑の絶叫が戦場に木霊する。その声に呼応するかのように、金色の光が紫苑を中心として爆発的な勢いで膨れ上がった。それは単なるエネルギーの爆発現象とは異なり、空間そのものが強い光によって押し広げられ、あらゆる干渉を拒絶するかのような、異質な現象だった。
――ドォォォォォンッ!!
重く、鈍い衝撃音が大地を伝わって響き渡る。紫苑の足元を中心に描かれるように、目も眩む閃光と巨大な衝撃波が同心円状に広がり、ショッピングモール跡地に残されていた建造物の残骸、瓦礫の山、放置された車両の類、その全てを一瞬で呑み込み、粉砕し、吹き飛ばしていった。
最も至近距離にいたレイジは、この想像を絶するエネルギーの奔流をまともに受けることになった。彼の体を覆い、周囲に渦巻いていた高温の炎が、金色の光に触れた途端、まるで水をかけられたロウソクのように音を立てて掻き消され、跡形もなく消滅していく。
「な……にっ!? ガアアアアアッ!」
予想だにしなかった反撃に、レイジは驚愕の声を上げる。防御の術も反撃の余裕もなく、彼は数十メートルも後方へと弾き飛ばされ、地面を転がった。周囲に展開していた下級種族ロイミュードたちは、この衝撃波の余波に巻き込まれただけで、体を構成する物質が分子レベルまで分解され、悲鳴を上げる間もなく塵となって夜の闇へと消え去っていった。
凄まじい光と音の嵐が過ぎ去り、辺りには土煙と焦げた匂い、そして静電気のようなものが漂い始める。静寂がゆっくりと戦場を覆い始めたその時、崩れ落ちた天井の残骸やコンクリートの塊を押しのけるようにして、レイジが片膝をついた姿で這い出してきた。
彼の屈強な体を覆う装甲の至る所には、金色の光によって焼き爛れた痕が残り、黒く変色した部分からは絶え間なく不吉な火花が散っている。先ほどまでの余裕に満ちた態度は完全に消え失せ、彼の瞳にはこれほどまでの力を秘めていた相手への憤りと、僅かながらの警戒心が浮かんでいた。
「……チッ、興醒めだぜ。まさか自爆紛いの力で押し返してくるとはな。……だが、これ以上この場にいても損をするだけだ。今日はここまでにしておいてやる」
レイジは自分の傷ついた右腕を忌々しそうに睨みつけると、体の周囲に再び炎を纏わせ、その姿をゆっくりと闇の中へと溶け込ませるようにして消していった。彼の存在そのものが放っていた重圧感、空気を焼くような熱気が霧散していき、ようやく戦場に本来の冷たい夜の空気が戻ってくる。残されたのは、無数の破壊の痕跡と、立つこともままならない一人の戦士だけだった。
『紫苑! 応答しろ紫苑! 今すぐ変身を解け! 早くしろ! システムが完全に機能停止する! このままではお前まで……!』
通信機器の彼方から、三原の必死の声が再び響いてくる。その声が遠くに感じられるのは、距離のせいだけではないのかもしれない。
00.00.01.39
カウントダウンの数字がついに最後の一秒台へと突入しようとしていた。視界がぼやけ、意識が遠のいていく中で、紫苑は自分の指先に残された最後の力を絞り出し、震える手をブレスへと伸ばした。爪が割れ、皮膚が裂けて血が滲むのも構わず、彼はそこに深く差し込まれていたシフトカーの端を掴み、力任せに引き抜いた。
「解除……っ」
乾いた、何かが弾けるような音が鳴る。パキンッ
次の瞬間、オレンジ色の装甲は光の粒子となって宙に舞い、霧散していく。己を守り、己を苦しめた鎧が消え去った途端、支えを完全に失った紫苑の体は、まるで操り人形の糸が切れたかのように、その場にどっと力なく崩れ落ち、コンクリートの地面に倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……っ……げほっ……!」
荒い呼吸をするたびに、肺の奥深くを刃物で抉られるような鋭い痛みが胸元を駆け巡り、紫苑は思わず咳き込む。口からは再び血が溢れ出し、コンクリートの地面に赤い染みを作った。全身の筋肉は過度な負荷によって完全に損傷し、骨も軋み、指一本動かすことさえ、まばたきをすることさえもが激痛を伴う重労働となっていた。
変身が解けた後も、紫苑の体の表面からは絶え間なく薄い白煙のような蒸気が立ち上り続けていた。まだ体に残る熱は尋常ではなく、皮膚に触れれば火傷を負うことは間違いない。外気との温度差によって生まれるこの蒸気は、紫苑が先ほどまでどれほどの高熱に身を晒していたかを無言のうちに物語っていた。
これこそが、かつて三原が危惧し、理論上の問題点として挙げていた「課題」の真の姿だった。仮面ライダーGTシステムが、その圧倒的な戦闘能力と引き換えに内包する、致命的とも言える欠陥。人間の身に余るほどの大きな力を無理やり引き出し、操ることの代償は、あまりにも重く、あまりにも残酷なものだったのだ。
建物の崩れた壁や天井が空を遮る中、わずかに開いた隙間から、一筋の冷たい月光が差し込み、その光が動けないまま地面に横たわり、虚空を見つめる紫苑の体を照らし出す。
周囲にはもう何の物音もなく、さっきまでの激しい戦いが嘘のような静寂が辺りを包んでいた。その静けさの中で、紫苑自身の心臓だけが激しく、うるさいほどに脈打つ音を響かせている。
仲間を守り、街を守るために手に入れたはずの力が、同時に自分自身の体を、命を、内側から蝕み、破壊していく。
誰もが称え、誰もが望んだ「戦士の力」の裏側にある、孤独で暗い深淵。紫苑は今、全身を焼き尽くすような熱さと、体中を駆け巡る耐え難い痛みの中で、その深淵の冷たさを骨の髄まで静かに、そしてしっかりと噛み締めていた。
(続)