2014年編#11-1
あの日、深夜の公園で日常が音を立てて断絶してから、ちょうど一週間が経過した。
キャンパスを包む冬の午後の光は、まるで時間がゆっくりと流れているかのように穏やかで、木々の隙間から零れる陽光が、白いコンクリートの地面に細かい影を作り出している。学生たちの笑い声や、講義室へ向かう足音が中庭に響き渡り、一見すれば、そこには以前と何ら変わらない、平和で暖かな光景が広がっているように見えた。
しかし、いつも講義の空き時間になると決まって集まる、中庭の一番奥にあるベンチのグループだけは、どこか重たい空気に包まれていた。
そこにいるのは、いつものメンバー——悠真、美穂、ちひろ、朔也、そして紫苑。だが、ベンチには明らかな隙間が空いており、いつもなら真ん中で一番大きな声で笑い、周りを明るく照らす太陽のような存在だったはずの「彼」——星川大悟の姿だけが、そこにはなかった。
「……なあ、大悟のやつ、もう一週間も大学に来てないよな。いくらなんでもサボりすぎだろ。あいつ、単位とかそういうの、意外とちゃんと気にするタイプだったのに」
悠真が半分ほど飲みかけのスポーツドリンクのペットボトルをベンチの淵に置きながら、少し眉をひそめて怪訝そうに呟いた。普段なら何を言っても軽口で返してくる彼の声には、いつもの軽薄な明るさは微塵もなく、親友の行方を案じる、確かな不安の色が濃く混じっていた。
「そうなの。私も何度も連絡してるんだけど……グループチャットに送ったメッセージも、トーク履歴も、全然既読にならないままなのよ。電話をかけても、いつも決まって『電波の届かない場所にいるか、電源が切られています』ってアナウンスが流れるだけで……」
美穂がスマートフォンの画面を何度も何度も上から下へとスクロールしながら、ため息交じりに言った。彼女の指先は、いつまでも返信のないままになっているトーク画面の文字の上を、寂しげにゆっくりとなぞっている。画面には、一週間前までのにぎやかなやり取りが鮮明に残っており、その対比が余計に今の状況を物悲しくさせていた。
「急に何か重い病気にでもなって、寝込んでるのかな……? でも、あんなにいつも元気いっぱいで、少しも体調を崩すような様子なんてなかったのに。大悟くん、一人暮らしだったよね? もし本当に倒れたりしていたら、誰も気づかないままでいたら、本当に心配だよ……」
ちひろが両手を胸元で強く組み合わせ、青空の方を見上げながら不安げな声で言った。そして、ふと思い出したように視線を動かし、隣に座る紫苑の方をちらりと見る。
彼女は大悟の本当の正体も、あの夜に何が起こったのかも知らない。だが、「あの日」を境にして、紫苑と大悟の間にあった何かが決定的に変わってしまい、そして紫苑自身もまた、見えない重圧に押しつぶされそうな様子であることを、彼女は言葉にはできないまでも、本能的に、肌で感じ取っているようだった。
「そういえば俺たち、あいつの家、一回も行ったことないよな。大悟は自分の私生活のこととか、家族のこととか、全然話そうとしなかったし……。紫苑、お前はあいつと一番仲が良かったじゃないか。何か聞いてないのか? 突然引っ越すことになったとか、実家の方に帰らなきゃいけなくなったとか、そういう話」
朔也が前のめりになって問いかける。その言葉は、紫苑の胸の奥深くに、鋭い杭となってまっすぐに突き刺さった。
「え? あ、いや……。俺も、何も……何も聞いてないんだ。本当に、急にいなくなっちゃったから……」
紫苑は慌てて視線を泳がせ、乾いた唇を何度か舐めながら、やっとのことでそれだけ答えるのが精一杯だった。嘘をつくたびに、胸の奥がかっと熱くなり、焼けつくように痛む。この痛みは、いつまで自分を責め続けるのだろう。
(あいつは、もうここには戻ってこない)
紫苑は心の中でそう繰り返す。
(大悟は、最初から俺たちと同じ「星川大悟」なんていう人間じゃなかったんだ。俺たちが知っていたあの笑顔も、明るい声も、全部……偽りの姿だったんだ)
喉元まで込み上げてきたその言葉を、紫苑は必死になって飲み込んだ。今ここで真実を口にしたところで、彼らは何も知らない。ただ混乱させ、絶望させるだけだとわかっていた。
ロイミュードの王、フィア。
一週間前のあの夜、公園で自分に牙を剥き、圧倒的で絶望的な力の差を見せつけてきた漆黒の魔神。その正体が、つい先日まで一緒に講義を受け、一緒に学食で飯を食べ、くだらないことで笑い合い、時には真剣な悩み事を相談し合っていた、たった一人の親友だったのだ。
その事実を、何も知らずに大悟の帰りを待っている彼らに、一体どう説明すれば良かったのだろうか。
「なんだよ、紫苑まで何も知らないのかよ。あいつ、普段はあんなに明るくて誰とでも仲良くするくせに、意外と水臭いところがあるんだな……」
悠真は少し不満げに頷きながら首を振ったが、その瞳の奥はどこか寂しげで、言葉とは裏腹に力なく細められていた。
「……ねえ、紫苑くん。本当に、何も心当たりがないの? 大丈夫、なのかな?」
ちひろがそっと身を乗り出し、潤んだような瞳を真っ直ぐに紫苑に向ける。あの夜、紫苑が変身する瞬間を目撃し、そして同じ秘密を共有することになった彼女だからこそ、紫苑が今、嘘をついていることも、そして言葉にできない大きな何かに苦しめられていることも、すべてを見抜いているようだった。
紫苑はそのまっすぐな視線に耐えられず、逃げるようにして勢いよく顔を上げ、冬の青空を見上げた。
雲一つない、どこまでも澄み切った空。だがその空の向こう、遥か高い場所では、大悟……いや、フィアが冷たく笑うその表情で、この何も知らない平和な「偽りの日常」を、まるで演劇でも見るかのように見下ろしているのかもしれない。
「俺たちがこの世界を浄化する」
あの夜、闇の中で彼が告げた言葉が、今も耳の奥で低く、呪いのようにリフレインし続ける。
(大悟、お前は今、どこで何を見て、何を考えているんだ……。お前がいなくなってしまったこの場所で、俺はこれから何を守ればいい? どうやってこの世界を、そして目の前にいる大事な仲間たちを守ればいいんだ?)
背中にかけたリュックサックの中には、誰にも知られないように隠し持ったドライバーが入っている。その硬い重みが、いつもよりも何倍も重く、まるで鉄の塊のように肩に食い込んでくるように感じられた。
親友がいなくなったことによる心の大きな欠落感と、そしていつか必ず、人類の敵となった彼をこの手で討たなければならない——その避けることのできない、残酷な宿命。二つの思いが絡み合い、紫苑の心を締め付け、ゆっくりと切り裂いていく。
紫苑はぎゅっと目を閉じ、心の中で渦巻く感情を無理矢理に押し殺すと、ゆっくりと目を開き、顔を戻して精一杯の作り笑いを浮かべた。今の自分にできることは、これくらいのことしかなかった。この場に平穏を取り戻すことが、今は唯一の自分の役割であり、防衛本能でもあった。
「……大丈夫だよ。あいつ、案外どっかでバカなことやってるだけかもしれない。そのうちひょっこり戻ってくるよ。『ごめん、コンビニで限定プリン買うのに夢中になりすぎて、道に迷って一週間山の中をさまよってた』とか言ってさ」
紫苑の言葉に、一瞬の沈黙の後、悠真が吹き出すように笑った。
「ははは、ありえる! あいつなら本当にやりかねないな! 前も新発売のアイス求めて隣町まで自転車走らせてたことあったしな」
その笑い声につられるように、美穂もちひろも朔也も、わずかに表情を緩め、場に束の間の安堵と和やかな空気が戻ってくる。
だが、紫苑だけははっきりと知っていた。心の底では何も解決などしていないことを。
あの日までの、何の憂いもなく、ただ笑い合っていられた「6人の日常」は、もう二度と戻ってはこないのだということを。
欠けてしまったパズルのピースは、もはや元の場所に収まることはなく、それどころか巨大な闇となって、ゆっくりと、だが確実に彼らの未来を飲み込もうと迫ってきているのだ。
ピュー、と冷たい冬の風がキャンパスの木々の間を吹き抜けていく。
枯れ葉が何枚か、乾いた音を立てながら紫苑の足元を舞い、地面に落ちて転がった。
その音は、これから自分が身を投じていくことになる、凄惨で血生臭い決戦への、静かな序曲のように、紫苑の耳には聞こえてならなかった。
(続)