2014年編#11-2
冬の夕暮れは、まるで空そのものが燃え尽きるかのような光景だった。西の空は鮮やかな朱色から茜色へと変わり、やがて紺青を経て深い藍色へと溶け込んでいく。街の灯りがぽつぽつと点き始める時間帯、紫苑は凍てついた空気の中を、重たい足取りで歩いていた。
心の中も、外の寒さと同じように凍りつき、そして暗く澱んでいた。1週間前、深夜の公園で起きた出来事が、何度も何度も脳裏をよぎる。親友だと思っていた大悟が、自分に向けて放った冷たい瞳、そして告げられた言葉の数々。まさか、彼がロイミュードの王たるフィアそのものだったなど――いや、正確には人間に擬態し、長きにわたって自分の側に潜み続けていたなど、一体誰が想像できただろう。
紫苑が向かっているのは、三原の自宅だった。今や紫苑にとって最も信頼できる協力者だが、今回ばかりは、彼に会うことにも一種の緊張感が走る。自分の知らないところで、この世界の構造が根本から揺らいでいるような、そんな予感があったからだ。
玄関の扉の前に立ち、紫苑は一度大きく息を吐く。白い息が闇に消えていくのを見届けてから、彼は指先で軽く扉を叩いた。
「……入れ」
少し間を置いて、低く落ち着いた声が返ってくる。紫苑は扉を開け、中へと足を踏み入れた。
室内には、暖房の温もりはほとんど感じられなかった。その代わりに、壁一面に設置された多数のモニターが放つ、青白い冷徹な光が空間を満たしている。その光の中で、三原はデスクに向かい、キーボードを叩く指を滑らせていた。彼の横顔はいつも無表情に近いが、今日は特に険しく、まるで彫刻のように無機質な印象を受けた。
紫苑は静かに扉を閉め、三原の背中に向かって口を開く。
「三原さん……話したいことがあります。」
三原は指の動きを止めず、画面から視線を外さないまま応じた。
「公園での出来事のことだろう。警報システムが反応したのは把握していたが、詳細は不明だった。話してくれ」
紫苑は頷き、デスクの前まで歩み出る。そして、自分の身に起きたことを、一つ残らず語り始めた。暗闇の中で現れた大悟の姿、それが徐々に変貌していく様、そして彼が自分に向けて語った言葉――自分が世界を浄化するための「鍵」であること、二人が揃えば世界をリセットできるということ。紫苑は言葉を絞り出すように、一語一語を確かめながら伝えた。
話し終えたとき、室内にはしばらく沈黙が流れた。モニターの光が三原の顔を照らし続け、彼の心のうちは読み取れない。やがて、彼はようやくキーボードから手を離し、ゆっくりと椅子を回転させて紫苑の方を向いた。その瞳の奥には、明らかな驚きと、それ以上に何かを悟ったような確信の色が浮かんでいた。
「……まさか、そこまで近くに奴らの王、フィアが潜んでいたとはな。完全に我々の予想を超えている」
「ええ……。まるで、最初からそこにいるのが当然だったかのように。俺はあいつと何か月もの間、同じ講義を受け、同じ食堂で飯を食い、バカな話をして笑い合っていたんです。そのすべての時間、あいつは俺を見ていた。俺が変身し、GTとして戦う姿を、一番近い場所から観察し続けていたんです」
紫苑の声には、抑えきれない震えが混ざっていた。信じていた者からの裏切り、自分の無知さへの怒り、そして親友だった存在が敵の中枢であったという事実――それらが渾然一体となって、彼の心を締め付ける。
三原は紫苑の心情を察しているようだったが、彼はあえて感情的な言葉をかけることなく、目の前のモニターに映し出されたデータへと視線を戻した。画面には、これまでに記録されたロイミュードの活動履歴や、関連する事件の一覧が並んでいる。
「これまでのデータを改めて見直してみても、奇妙な点が多かった。ロイミュードが出現しても、直接的な死者がほとんど出ていないケースが目立つ。重加速による被害はあっても、命まで奪われることは少なかった。」
三原は一つのデータを指し示し、低い声で続ける。
「だが今回のフィアの行動、そしてお前への言葉を聞く限り、奴らの真の目的は、単なる物理的な殺戮ではない。あるいは4年前のような大規模なグローバルフリーズを、ただ再び引き起こすことでもないのかもしれない」
「……では、奴らは何を狙っているんです?」
「フィアが狙っているのは、もっと根深い部分だ」
三原はそこで言葉を区切り、紫苑の目を真っ直ぐに見つめた。
「人間社会を内側から崩すことだ。力で制圧し支配するのではなく、自らが人間社会に溶け込み、システムそのものの根幹を掌握し、蝕んでいく。大悟がお前の隣にいたように、奴らは政治の中枢、経済界、はたまた我々が気づかないような身近なコミュニティにまで、人間になりすまして潜伏し始めている可能性が高い」
紫苑は息を呑んだ。それはあまりにも恐ろしい仮説だった。いつ、どこで、誰が敵になるのか分からない。信じていた隣人が、友人が、あるいは家族が、実は人間ではない可能性がある――そんな疑心暗鬼が社会全体に広がれば、人間同士の信頼関係は簡単に崩壊する。それこそが、ロイミュードの目指す「浄化」の形なのだろうか。
「内側から……社会を蝕む。そんなことが……」
「十分にあり得る。そしてその方が、単に戦争を仕掛けるよりも、遥かに効率的に人間の世界を変質させることができる。我々は今、目に見えない敵と戦っているのかもしれない」
重苦しい沈黙が再び二人を包む。紫苑は胸の内に渦巻く疑問を、そっと口にする決意を固めた。この疑問は、1週間前、大悟に会ってからずっと、彼の心の一番深い場所に突き刺さったままになっていた。
「……三原さん」
紫苑は声を張り、正面にいる男に問いかける。
「大悟は、俺が世界の浄化の『鍵』だと言いました。俺とあいつが揃えば、世界は新しく生まれ変われるのだと。そんなこと、俺には全然見当もつかない話です。だけど……三原さん、あなたは何かを知っているんじゃないですか?」
紫苑は詰め寄るように、身を乗り出した。
「あなたは俺の父さんとは古くからの友人で、研究パートナーでもあった。GTシステムがどうして開発されたのか、父さんがその背後で何を研究し、何を恐れていたのか、誰よりも知っているはずです。そして俺自身のことも……俺の体に流れる血の中に、俺の生まれに、何か特別な秘密が隠されているんじゃないですか? ロイミュードと関わるような、そんな『何か』が……」
その瞬間、三原の動きがぴたりと止まった。
まるで時が止まったかのように、彼は身動き一つしない。ラボの中には、機械類を冷やすためのファンの回転音だけが、虚しく部屋の壁に反響している。紫苑は息を詰めて三原の答えを待った。やがて、三原はゆっくりと首を巡らせ、再びモニターの方へと顔を背けるようにして口を開いた。
「……いや、そこまでは俺も把握していない。矢切は、いつも何でも一人で背負い込もうとするところがあった。自分の研究の核心部分や、家族のことに関わるような事柄は、特に俺にも話してくれなかった」
その返事は、あまりにも曖昧で、歯切れの悪いものだった。この三原という男が、不明瞭な言葉で答えることは非常に珍しい。彼はいつも、得られた情報を整理し、理路整然と語る人物だったからだ。紫苑には、三原が確かに何かを知っており、そしてそれを自分に話すことを何らかの理由で拒んでいるようにしか見えなかった。
まだ問いただせば、何かが引き出せるかもしれない。紫苑がさらに言葉を重ねようとしたその時――
けたたましい警報音が、ラボ全体を震わせるように鳴り響いた。
赤い警告ランプが点滅し、青白かった室内の光が、不吉な赤い色へと変わっていく。緊迫した空気が一気に高まり、紫苑も身構える。
「この反応は……」
三原が素早くコンソールを操作すると、スピーカーから部下の焦った声が飛び込んできた。
「三原さん! 緊急入電です! 第13地区周辺で、強いロイミュードの反応を感知しました! すでに現地では重加速が発生し、周辺一帯が影響圏内に入っています!」
「了解、直ちに状況を把握する」
三原は即座に複数の画面を切り替え、現地の監視カメラからの映像を呼び出した。
そこに映し出されていたのは、まさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい光景だった。通りを行き交う人々が、まるで時間から切り離されたかのように、その場で硬直している。走っていた者は走った姿のまま、笑っていた者は笑った表情のまま、一挙手一投足が凍りつき、まるで精巧な彫刻かマネキンのようになっている。空間さえも歪み、重い霧のようなものが辺りを覆い、生きた人間の気配はどこにも感じられない。
紫苑はその画面を食い入るように見つめ、すぐに立ち上がった。
「第13地区……ここからならそう遠くないですね」
三原は紫苑の方を向き、鋭い視線を送る。
「紫苑、行けるか? お前の心の整理がついていないのは分かっている。だが、奴らは我々が感傷に浸っている時間など、一秒たりとも与えてはくれないぞ」
その言葉は冷たく厳しいものだったが、紫苑にはその背後にある信頼を感じ取ることができた。何があっても、この男は自分を戦士として認め、任せてくれているのだ。
紫苑は迷いを振り払うように一度強く目を閉じ、そして力強く頷いた。
「……ええ、行きます。あいつ、フィアが何を企んでいるのか、これから何をしようとしているのか。そのすべてを暴き出すまで、俺は立ち止まりません。俺がやるべきことは、最初から決まっているはずです」
彼はデスクの上に置かれていたGTドライバーを手に取り、しっかりと握りしめる。
失った親友の存在、自分の出生にまつわる謎、そしてこれから戦わなければならない宿命――それらすべてが胸の中で重く渦巻いていたが、今はそれらを心の奥底に押し込み、前へ進むしかない。
紫苑は「行ってきます」と短く告げ、扉を開けた。外はすっかり闇に包まれ、街の空は夕暮れの名残もなく、漆黒へと変わっている。彼は階段を駆け下り、暗い街路へと飛び出していった。
紫苑の姿が完全に見えなくなるまで、三原は開かれたままの扉をじっと見つめていた。やがて彼は椅子に深く腰を下ろし、誰に聞かせるでもない独り言を、静かに呟いた。
「矢切……お前の息子は、お前が最も恐れていた真実に確実に近づきつつあるぞ。この先に待っているものが何であれ、今の彼にはもう、止まることも逃げることもできないのかもしれない」
モニターの青い光が、三原の顔に浮かんだ隠しきれない悲哀の色を照らし出していた。
一方、街の中心部に広がる第13地区では、重加速の靄が建物の間を漂い、すべての動きを封じ込めていた。その不気味な静寂の中を、一筋の蒼い閃光が空気を切り裂くように走り抜ける。
紫苑は走る。自分の日常の裏側に隠されていた巨大な真実と、そしてこの世界の命運をかけた戦いが、今まさに幕を開けようとしていることを感じながら。
大切なものを守るため、そして自らの存在意義をかけて、彼は闇の中へと飛び込んでいくのだった。
(続)