仮面ライダーGT   作:カッティングカマター

65 / 96
2014年編#11-5

2014年編#11-5

雨が、世界を凍らせるように降り続けていた。

鉛色の雲が空全体を覆い尽くし、街の景色は色を失い、まるで白黒の古い写真のように湿っぽく沈んでいる。窓ガラスを伝う雫は、外の風景を歪ませ、まるでこの世界そのものが今にも崩れ落ちそうに見せていた。

紫苑はベッドの上で、重いまぶたを開けることもままならないまま、ただ時間が過ぎるのを待っていた。熱は3日前から一向に下がる気配がなく、体の節々は岩のように重く、動かすたびに鈍い痛みが走る。そして何よりも――眠るたびに、あの悪夢が彼を襲うのだ。

『もし。もしも俺がロイミュードだとしても、同じことが言えるか?』

脳裏に響き渡る声。それはかつて、いつも隣にいた親友の声であり、同時にロイミュードの王・フィアとしての、冷たく荘厳な響きを持っていた。

『紫苑。お前は、この世界の「表側」しか見ていない。光の当たる場所で、絆だの日常だのと、ままごとを演じていただけだ。だが……裏側には、俺たちがいる。』

あの日、変貌した大悟――いや、フィアはそう言って紫苑に宣戦布告した。ロイミュードという新人類が人類に取って代わり、世界を統治する。それが正しい進化の道だと、彼は信じて疑わなかった。そして紫苑こそが、その世界を共に作るための「鍵」なのだと。

『俺の名はフィア。ロイミュードの王だ。』

『ロイミュードという新人類による統治。紫苑……お前と俺なら、それができる。お前の中には、そのための「鍵」が眠っている。』

「嘘だ……嘘だろ……!」

紫苑はうわ言のようにそう呟き、汗ばんだ手でシーツを強く握りしめる。

大悟が。いつも笑顔で隣にいて、バカなことを言っては笑い合い、困った時には必ず手を差し伸べてくれたあの大悟が、敵になるはずがない。だが、現実に彼は変わってしまった。人間を捨て、ロイミュードとしての道を選んだのだ。

「大悟……お前が……ずっと、俺の隣にいたお前が……!」

心の奥底に空いた穴は、冷たい風が吹き込み、いつまでも凍てついたまま癒えることがない。戦いの記憶が蘇るたび、フィアが放つ重加速の感覚が蘇る。空気が重く圧迫され、まるで水の中にいるように身動きが取れなくなる、あの感覚。今、熱にうなされている体の重さは、まるであの時の感覚が再現されているかのようだった。

「はっ!」

紫苑は突然、体を跳ね上げるようにして目を覚ました。荒い息を繰り返し、胸元を押さえる。心臓が激しく鼓動し、まだ夢の中にいるかのように現実感が薄い。

「はぁ……はぁ……っ、またこの夢か……」

喉はカラカラに乾ききり、焼けるように熱い。視界は熱のせいで滲み、部屋の中の家具も輪郭が定まらない。額から流れ落ちる汗が、首筋を伝ってシーツを濡らし、冷たく肌に張り付く。

窓の外を見ると、やはり雨は降り続いている。まるで世界が自分と同じように泣き続けているか、あるいは悲しみを洗い流そうとしているかのように、絶え間なく雨粒が地面を叩いていた。

熱は引くどころか、むしろ上がっているようにすら感じる。眠ればあの悪夢が来る。だが眠らなければ体力が回復しない。まるで出口のない袋小路に閉じ込められたようなものだ。紫苑は自分の指先をじっと見つめる。指の感覚は遠く、自分の体なのにまるで他人の体のようで、自分がこの場所に存在しているのかどうかすら曖昧に思える。半透明な幽霊にでもなって、この世界から消えてしまうのではないか――そんな不安が、ゆっくりと心を蝕んでいく。

その時だった。

ピンポーン。

静まり返った部屋に、インターホンの音が響いた。それは控えめながらも、はっきりとした意志を持った音で、暗い部屋に一筋の光が差し込むような感覚だった。

「誰だろう……こんな時に……」

この三日間、大学を休んでいるから、誰かが様子を見に来てくれたのだろうか。三原だろうか、それとも……。紫苑はベッドから這い出るようにして立ち上がる。足元はおぼつかず、まっすぐに歩くこともままならない。何度も壁に手をつき、体を支えながら、一歩一歩玄関へと向かう。

長い廊下が果てしなく遠くに感じられ、やっとの思いで玄関に辿り着いた時には、体中から汗が吹き出していた。重いドアノブを回し、鍵を外して、紫苑はゆっくりとドアを開けた。

そこに立っていたのは、思いもよらない人物だった。

「……ちひろ……!」

「大丈夫? しばらく大学休んでたから、お見舞いに来たよ。……わぁ、すごい顔。熱、かなりあるでしょ」

傘を差していたようだが、雨風が強かったのか、彼女の肩は雨粒でしっとりと濡れ、着ていたコートの色が濃く変わっている。両手にはコンビニの袋やスーパーの袋をいくつも抱え、中身が溢れそうなほどだ。

紫苑がぼんやりと彼女を見つめていると、ちひろは心配そうに眉を下げ、その瞳を紫苑に向ける。その瞬間、紫苑の心の奥底で、フィアとの戦いで凍てつき、悪夢で荒れ果てていた場所に、まるで春の日差しが差し込むように、柔らかな温もりが広がっていくのをはっきりと感じた。

「ちひろ……わざわざ……ごめん……」

「いいのいいの。遠慮なんてしないの。はい、とりあえず早くベッドに戻って寝てて。病人なんだから!」

ちひろはずかずかと部屋の中に入ってくると、まるで自分の家のように手慣れた様子でキッチンへと向かう。濡れた傘を丁寧に立てかけ、買ってきたものを次々とテーブルの上に並べていく。

「まずは水分補給ね」

そう言って彼女はスポーツドリンクのボトルを開け、コップに注いで紫苑に手渡し、さらにゼリー飲料を取り出してベッドの枕元に置いた。彼女が動くたびに、石鹸のような清潔で柔らかな香りが部屋に漂い、そして何よりも、紫苑の周りには久しく感じていなかった「生きた人間の温もり」が満ちていく。冷たい雨と悪夢に包囲されていた世界が、たった今、彼女の登場によって色と温度を取り戻し始めていた。

紫苑は渡されたコップの水を一気に飲み干す。乾ききった喉に冷たい液体が流れ込み、体の芯まで染み渡っていくのが分かる。

「今日、大学はどうだった……?」

掠れた声で紫苑が尋ねると、ちひろは丸椅子をベッドの側まで引き寄せ、座り直した。そして子供に絵本でも読んで聞かせるような、優しくて弾むような声で話し始める。

「相変わらずだよ。悠真くんは今日も講義中に堂々と机に突っ伏して寝ちゃって、教授にすっごく怒られてたの。でも全然懲りてないの、見てて面白かったな」

ちひろはクスクスと笑いながら続ける。

「それから朔也くんが、悠真くんが怒られてる瞬間をベストタイミングでスマホで動画撮影してて、周りのみんなが大爆笑だったの。もう、おかしくて授業どころじゃなかったくらい」

彼女の話す言葉の一つ一つが、紫苑の心の凝り固まった部分を解きほぐしていく。

「美穂ちゃんはね、『紫苑がいないと、私の高度な愚痴を聞いてくれる人がいない』って、大げさに嘆いてたよ。みんなね、紫苑くんがいないと、なんだか締まらないっていうか、調子が狂っちゃうみたい」

悠真、朔也、美穂……それぞれの名前が出るたびに、彼らの笑顔や声が脳裏に鮮やかに蘇る。そうだ、自分にはこんなにも大切な日常があったのだ。ロイミュードとの戦い、フィアとしての大悟の存在、そんな重圧に押しつぶされそうになって忘れかけていた、温かな時間。

だが、そこにはかつて、大悟も確かに存在していたのだ。あの輪の中で、一緒に笑い、語り合っていた。今ではもう戻らない時間。その事実が胸の奥を鈍く痛ませるが、ちひろが語ってくれる「変わらない日常」の断片は、その痛みさえも包み込むように、紫苑の心に深く染み込んでくる。

「突然押しかけちゃってごめんね……」

ちひろが少しだけ申し訳なさそうに眉を下げて言った。

「駅前まで来たとき、やっぱり迷惑かなって、ずっと迷ってたの。家に誰もいなかったらどうしようとか、具合が悪い時に人に会いたくない場合もあるよねって。でも……やっぱり心配で、来ちゃった」

その言葉を聞いて、紫苑はかすかに笑みを浮かべた。

「迷惑だなんて……そんなこと、あるわけないだろ。ちひろが来てくれて、ちょっと元気出た。ありがとう」

「紫苑くん……」

会話がそこで途切れ、部屋の中には再び雨音だけが戻ってくる。しとしとと降り続ける雨の音が、逆に二人の間の空気をより濃密に、静かなものにしていく。

ちひろはじっと紫苑の顔を見つめていた。いつもの明るくにぎやかな表情は消え、その瞳には、大切な宝物を眺めるような、あるいは神聖な祈りを捧げるような、深く穏やかな色が浮かんでいる。

「熱、どんな感じ……?」

そう問うが早いか、ちひろはゆっくりと身を乗り出してきた。突然のことに紫苑が息を呑む間もなく、彼女の冷たくて滑らかな額が、火照って熱くなった紫苑の額にそっと重ねられた。

「ちょ、ちひろ……っ!?」

「じっとしてて、動かないで……」

柔らかな彼女の声が耳元で囁く。額同士が触れ合い、互いの体温が伝わり合う。ちひろの額は冷たくて、熱に浮かされた紫苑の肌にはとても心地よい。

「……うん、まだかなり熱いね。すごく熱い。体、しんどいでしょ?」

「ああ、ちょっとね……。体中が石でも詰まってるみたいに痛いし、重いんだ……」

「そっか……」

ちひろは小さく呟くと、ゆっくりと体を離し、ベッドの端に腰を下ろした。そして次の瞬間、彼女はベッドの上に体を横たえ、紫苑の隣に滑り込むようにして身を寄せ、そのまま両腕で紫苑の体を優しく、だがしっかりと抱きしめた。

「ちょっと、ちひろ!? いきなり……! 風邪がうつったら大変だから、離れて……!」

紫苑が慌てて体を離そうとするのに対し、ちひろは首を横に振り、逆に腕に力を込めて紫苑を引き寄せる。

「いいよ、うつっても。私が紫苑くんの風邪、全部もらってあげる。」

「ちひろ……」

「いいから、ちゃんと寝て? ずっと一緒にいてあげるから」

彼女の手が紫苑の背中に回り、規則的に、トントン、トントンと優しく叩き始める。子供をあやすようなそのリズム。そして彼女の体から伝わってくる温かな体温、雨に濡れた洋服からわずかに伝わる冷たい湿り気、それらが混ざり合って、紫苑を完全に安心させる。

普段は明るくておしゃべりで、周りを笑わせることが大好きなちひろが、今は凪いだ海のように穏やかで、大きな包容力で紫苑を包み込んでいる。まるで嵐の海で遭難しかかっていた船が、安全な港にたどり着いたかのような、絶対的な安心感がそこにはあった。

自分がここに存在していることを確認させてくれる、確かな重み。自分がただの幽霊などではなく、この世界に生きる一人の人間なのだと、強く意識させてくれる温もり。紫苑は抵抗することをやめ、その身を委ねた。

悪夢に落ちるのではない、穏やかで深い眠りが、ゆっくりと紫苑を包み込んでいく。

それから数十分が経っただろうか。

いつの間にか外の雨はすっかり上がり、分厚かった雲の切れ間から、冬の低い太陽の光が部屋の中へと差し込んできていた。夕暮れ前の柔らかな西日が、部屋の中の様々なものを鮮やかなオレンジ色に染め上げ、長い影を作り出している。

紫苑はゆっくりと目を覚ました。

するとどうだろう。先ほどまで体中に重くのしかかっていた痛みや熱が嘘のように引き、体が驚くほど軽くなっていることに気がついた。まるで泥沼から抜け出して、澄んだ空気の中に立ったような感覚だ。

そして胸元には、心地よく、確かな重みがあった。

視線を下げると、自分の胸に頬を埋めるようにして、ちひろがすやすやと眠っている姿が目に入る。彼女の長い髪が紫苑の胸元に散らばり、規則的で小さな寝息が聞こえてくる。

「ちひろ……ごめん……ありがとう」

紫苑の囁きに反応するように、ちひろはゆっくりとまぶたを持ち上げた。眠たげでぼんやりとしながらも、その瞳は一点の曇りもなく、まっすぐに紫苑を捉える。

「……あ、ごめん。寝ちゃってた……」

 

ちひろは慌てて体を起こし、寝ぼけ眼のまま紫苑の顔を覗き込む。

「気分はどう? 熱、少しは下がったみたいだけど……」

「うん、すごく楽になったよ。嘘みたいに体が軽い。全部、ちひろのおかげだ。本当にありがとう」

紫苑が柔らかく微笑むと、ちひろもやっと安心したように笑みを返す。

「そっか、よかった……」

「俺はもう大丈夫だから、暗くならないうちに帰りな。送ってあげられなくて悪いけど……」

紫苑がそう言うと、ちひろは「うん」と素直に頷いたが、その場から立ち上がろうとはしなかった。

部屋の中には、夕陽の黄金色の光が満ち、二人の周りだけが時間が止まったかのような、濃密で静かな空気が流れている。

「ねえ、紫苑くん……」

ちひろが少しだけ緊張した面持ちで、紫苑の名前を呼ぶ。

「ん?」

不意に、ちひろが紫苑の右腕を掴んだ。そして震える手で紫苑の手首を引き寄せ、紫苑の手のひらを、自分の左胸の上に、強く押し当てた。

「っ……! ち、ちひろ……!?」

紫苑は驚き、思わず体を硬直させる。

手のひらに、彼女の心臓の鼓動が鮮明に伝わってくる。ドクン、ドクン、と速く、そして力強く、懸命に生きている証を刻み続ける音。薄い布越しからでも伝わる、柔らかで温かな彼女の乳房の感触。それはあまりにも生々しく、あまりにも鮮烈な「生」の感覚だった。

ロイミュードという、命の鼓動を持たない存在と戦い、大悟という存在を失いかけ、自分自身も凍てついていた紫苑にとって、この鼓動は何よりも強いメッセージのように感じられた。

ちひろは唇をきつく噛み締め、瞳にいっぱいの涙を溜めて、紫苑を真っ直ぐに見上げていた。

「紫苑くん……寂しいでしょ?」

震える声で、ちひろが語り始める。

「私、紫苑くんのことを見てると、時々すごく怖くなるの。紫苑くんが、どこか遠くの、私たちの知らない場所に行っちゃいそうで……。このまま透明になって、風船みたいに空高く昇っていって、私たちがどんなに手を伸ばしても触れられない場所に消えちゃいそうで……」

大粒の涙が、彼女の瞳から溢れ出し、頬を伝っていく。

「私、紫苑くんの寂しさを埋めたい。でも私には、特別な力も何もないから……だから……ごめんね。私、こんなことしか……してあげられないよ……っ」

彼女は自分の無力さを嘆くように、声を震わせながら謝り続ける。

紫苑には痛いほど分かった。自分を何とかして癒やしたい、支えたいと、彼女なりに必死に考えた結果が、この行動なのだ。なんて不器用で、なんて純粋で、なんて愛おしいのだろう。

紫苑は手のひらに伝わる鼓動を、決して離すまいとするように、そっと力を込めた。そして空いているもう一方の腕を伸ばし、ちひろの華奢な体を、今度は自分の力強い腕の中に包み込む。壊れ物を扱うように、だが決して離さないように、強く、強く抱きしめた。

「いいんだよ、ちひろ……それで十分だよ……いや、それ以上に俺は救われてるんだ」

紫苑はちひろの耳元で囁く。

「俺はずっとずっと寂しかった。一人で闇の中にいるような気分だった。でも……こうして側にいてくれて、温もりをくれて、心臓の音を聞かせてくれるだけで……俺はここにいてもいいんだって、思えるんだ」

涙で濡れたちひろの頬に、紫苑はそっと手を伸ばし、指で涙を拭う。

「だから謝らないでくれ。……ただ、これからもずっと俺の側にいてほしい。俺を一人にしないでくれ……」

「紫苑くん……!」

ちひろは紫苑の胸に顔を押しつけ、堪えていた感情を堰を切ったように溢れさせ、声を殺して泣き始めた。

夕暮れの黄金色の光が、二人の体を柔らかく包み込み、部屋の中の空気さえもがゆっくりと揺らいでいるように見えた。

やがて、泣きじゃくるちひろの髪を優しく撫でながら、紫苑はゆっくりと彼女の顔を上げさせる。涙で潤み、赤くなった瞳が紫苑を見つめ返す。

言葉はもう必要なかった。

紫苑はそっと顔を近づけ、ちひろの柔らかな唇に自分の唇を重ねた。ちひろもそれに応えるように、目を閉じて紫苑の首に腕を回す。

口づけの間、紫苑の舌先には、ちひろが流した涙の少し塩辛い味がわずかに混ざっていた。それはどんな甘い言葉よりも真実で、二人の魂を強く結びつける、神聖な儀式のように感じられた。

たとえ明日、再び過酷な戦いが紫苑を待っていたとしても。たとえフィアとの闘いが避けられないものだったとしても。

今この瞬間だけは、世界の全てがこの小さな部屋の中に凝縮され、二人の温もりと光に満たされていた。凍てついていた心には、確かに新しい命の火が灯されたのだった。

 

(続)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。