2019年編#1-1
2019年編 #1-1
あの悪夢のような事件――「グローバルフリーズ」が世界の時間を凍結させ、人々の心に深い傷を刻んでから、丸五年の歳月が流れていた。
かつて災厄の中心地となったエリア0は、今ではすっかりその姿を変えている。廃墟と化した高層ビルの残骸は撤去され、代わりにガラス張りの近代的な高層ビルが建ち並び、整備された歩道には多くの人々が行き交っていた。ショッピングモールの看板は明るく輝き、道路には車の流れが絶えることなく続き、まるで何もなかったかのような平穏な日常がそこには存在していた。
そして五年前、この空全体を黄金に染め上げ、すべての災厄を焼き尽くしたあの光の出来事も、人々の記憶からは徐々に薄れつつあった。一部の間で語り継がれる「都市伝説」や「未確認現象」として扱われることはあっても、それが何を意味し、何を犠牲にして成し遂げられた平和であるかを、具体的に知る者はほとんどいなくなっていた。
だが、忘れ去られたかに見えた脅威は、確かにこの世界に存在し続けていた。
ロイミュード。人知を超えた力を持ち、人間の存在そのものを否定するかのような存在。かつてはその存在すらも政府や一部の組織によって隠蔽され、不可解な怪事件、自然災害の一種として処理されてきた。しかし五年の歳月は状況を変え、今では「ロイミュード」という名前、そして彼らが引き起こす「重加速」という時間と空間の異常現象は、ニュースや新聞でも普通に使われる言葉となり、人々の危機感と共に社会に定着していた。
そして今日も、悲劇は何の前触れもなく、日常の中に突如として姿を現した。
「――重加速を確認! 範囲は半径五百メートル、急速に拡大中!」
緊迫した無線の声が、指令室の空気を震わせる。
都心の商業地域。昼下がりのにぎやかな通りが、次の瞬間、奇妙な重みに包まれた。
まるで空気が水の中にでも変わったかのように、すべての動きがスローモーションになる。風の流れも、人々の足取りも、車の走行音も、すべてがゆっくりと、そして重苦しく変質していく。
「なんだ? この感じ……」
「まさか……逃げろ! また怪物が出たぞ!」
人々の顔に恐怖が浮かび、叫び声を上げて一斉に逃げ出そうとする。だが重加速の影響下では体が思うように動かず、その動きはひどく緩慢でもどかしい。
空間のあちこちにひび割れのような歪みが生まれ、その裂け目の中から、一つの黒い影がゆっくりと姿を現した。
それはかつて人々が目撃してきたロイミュードとは、いくつかの点で異なっていた。全体的なシルエットはより洗練され、無駄な凹凸が削ぎ落とされた流線型の装甲は、まるで高度な技術で作り上げられた工業製品のようでありながら、内側には冷たく凶悪な殺意が渦巻いているのが見えるようだ。赤く輝く複眼が、逃げ遅れた人々を無感情に見下ろす。
ロイミュードはゆっくりと両腕を構え、その手のひらに禍々しいエネルギーの塊を生成し始めた。それが放たれれば、この周辺一帯は大爆発に包まれ、多くの死傷者が出るだろう。逃げ場のない市民たちの間から、絶望的な悲鳴が上がる。
――その時。
重く、どっしりとしたエンジン音が、重加速によって重圧された空気を切り裂き、鳴り響いた。
アスファルトを強く掴む太いタイヤの音。それは緊急走行するパトカーのサイレンではなく、より重厚で、そして明らかに「戦い」のために鍛え上げられた車両の走行音だった。
現場に急行してきたのは、数台の大型ワゴン車であった。車体はすべて艶消しの漆黒に塗りつぶされ、窓部分はスモークがかかっており、内部の様子をうかがい知ることはできない。車体の側面には、盾の形をしたエンブレムが描かれており、それはかつて三原が所属していた組織のマークをより洗練させ、近代化したようなデザインであった。
――対ロイミュード特殊部隊。
政府と警察、そしてかつての関係者たちの手によって設立され、五年の歳月をかけて組織化・強化された、ロイミュード専門の対処部隊である。
先頭の車両が急ブレーキをかけ、タイヤが悲鳴を上げると同時に、車体後部のハッチが一斉に跳ね上がる。
中から飛び出してきたのは、黒を基調とした最新鋭の強化繊維製戦闘服に身を包み、同色のヘルメットをかぶった兵士たちであった。ヘルメットのバイザーは状況に応じて色を変え、常に周囲の状況と敵の情報を分析し続けている。彼らの動きは無駄がなく、一糸乱れず、まさに精鋭と呼ぶにふさわしいものだった。
「各員、散開せよ! フォーメーションΔ(デルタ)を展開! 一般人の避難誘導を最優先に、速やかに敵を制圧する!」
低く、しかし一点の曇りもない、よく通る声が無線を通じて部隊員たちに伝わる。それがこの場の指揮官であることは、彼の立ち位置と、他の隊員たちが彼を中心に動いていることからすぐにわかった。
部隊員たちは瞬く間にロイミュードを取り囲むように配置につき、手にした銃口を標的へと向ける。彼らが装備しているのは、五年前にはまだ実用化されていなかった対ロイミュード用の特殊アサルトライフルであり、通常の銃弾のほか、ロイミュードの装甲に効果的な特殊エネルギー弾を発射することができる。
「撃てッ!」
指揮官の号令と同時に、一斉射撃が開始された。
ドドドドドドッ!
連続して轟く銃声。放たれた光の弾丸は、次々とロイミュードの体へと吸い込まれ、硬質な装甲の上で次々と火花を散らしていく。
かつてロイミュードは、人間の銃器程度では傷一つつけることができず、対抗できるのは仮面ライダーと呼ばれる存在だけであると思われていた。だが五年の間に状況は変わり、生身の人間でもロイミュードに対抗できる術を手に入れていた。
部隊員たちはただ撃つだけでなく、互いの位置関係を絶えず確認しながら、敵の動きを封じ、弱点となる部位を的確に攻撃していく。組織的かつ計算されつくした戦術の前に、ロイミュードはただ暴れ回ることしかできず、徐々にその動きを鈍らせていく。
「まだだ! 防御フィールドの生成が始まるぞ! 手を緩めるな、叩き潰せ!」
指揮官の的確な指示が飛ぶ。隊員たちはそれに応え、さらに射撃の精度と速度を上げる。ついにロイミュードは断末魔の叫びを上げ、その体を青白い粒子へと変換させながら、跡形もなく消滅した。
同時に、周囲を覆っていた重加速の影響も徐々に薄れ、空気の重みが消え、世界は再び本来の動きと時間を取り戻していく。
「重加速、完全に収束。敵目標、消滅を確認」
「周辺の負傷者状況、及び物的損害の調査を開始。応急処置班を現場に配置せよ」
指揮官の指示のもと、部隊員たちは速やかに行動を開始する。一般の人々への誘導、警察や消防との連携、現場に残されたロイミュードのエネルギー痕跡の回収など、やるべき仕事は山積みであった。
やがて現場の整理が一段落し、部隊員たちは指揮官のもとへ整列し、一斉に敬礼を行う。
「任務完了。被害状況は軽微に抑えられました」
報告を受け、指揮官は無言で頷くと、ゆっくりと右手をヘルメットの側面にあてた。
プシュウ……
わずかな排気音と共にヘルメットのロックが解除され、顔の部分が上に跳ね上がる。
そこに現れたのは、精悍な顔つきの若い男だった。すっきりと整えられた眉の下には鋭い眼光が宿り、五年前と比べて一回りも二回りも大きく、そして強くなった雰囲気を漂わせている。
神崎朔也。
それが彼の名前であった。
五年前、彼はごく普通の大学生であり、親友である紫苑と共に平穏な日々を送っていた。だが世界の秘密、ロイミュードの存在、そして親友が命を賭して戦う姿を目の当たりにし、すべてが変わった。紫苑が最後の戦いで黄金の光となって消えたあの日から、彼はただ守られるだけの立場でいることをやめ、自らが戦う側へと回ることを決意したのだ。
「……周囲の重加速反応、完全に消失。残存エネルギーの回収作業を速やかに完了させ、現場の復旧に協力するように」
朔也は感情を抑えた平坦な口調で部下たちに指示を出す。その瞳には、かつての青臭さや迷いはもはやなく、いつ再び現れるかもしれない脅威に対し、常に備え続ける冷徹な戦士としての意志が宿っていた。
「朔也さん、お疲れ様でした。今回も見事な連携でしたね」
部下の一人が笑顔で声をかける。だが朔也はわずかに頷いただけでそれに応じ、何かを求めるような眼差しで空を見上げた。
事件のあった空には、もう何の曇りもなく、青空が広がっている。
五年前、紫苑がこの空全体を黄金に染め、すべてを懸けて戦い、そして消えていったあの日、彼が命と引き換えに守り抜いたのは、この何気ない街の景色であり、人々の笑顔であり、平和な日常そのものだった。
だが現実は、その「日常」がいかに脆く、壊れやすいものであるかを、朔也はこの五年間で嫌というほど思い知らされてきた。
ロイミュードは滅んでいない。あの王、フィアロイミュードは確かに消滅したはずだが、その残滓は世界中に残り、今もなお人々に牙を剥き続けている。そしていつか、再びあるべきでない者たちが力を取り戻し、この世界に君臨しようとするかもしれない。
だからこそ、自分たちが立ち続けなければならない。
もう英雄はいない。奇跡を起こす力を持った仮面ライダーは、この世界には存在しないのだ。ならば残された人間たちが、自らの手でこの平和を守り、戦い続けるしかない。
「紫苑……見てるか」
朔也は声にならない声で、そっと呟いた。
「お前が最後の力を振り絞って繋いでくれたこの世界を、俺たちは今も守り続けている。まだ完全な平和なんて程遠いけれど、俺たちは止まっていない。お前がいなくなったあの日から、俺たちはずっと前を向いて戦い続けているんだ」
風が吹き、彼の髪をなびかせる。
まだ見ぬ強大な敵、再び訪れるかもしれない災厄。それらに対する不安は常に胸の底にあるが、それでも彼は目を逸らすことなく前を見据える。
「行くぞ。次の任務が待っている」
朔也は再びヘルメットを被り、視界を暗くする。その下で、彼の瞳は再び戦士のそれへと変わる。
漆黒のワゴン車がエンジンを吹かし、静かに現場を離れていく。周囲には先ほどの騒ぎが嘘のように、いつもの日常が戻りつつあった。
英雄が去った世界で、今、人間たち自身の手による新たなる守護の物語が、始まろうとしていた。戦いはまだ終わっていない。いや、これからが本当の戦いなのかもしれなかった。
(続)