2019年編#1-4
活気に満ちた商店街の通りには、行き交う人々の笑い声や店先から響く呼び込みの声が溢れ、時間がゆっくりと流れているかのように感じられる。その一角に、季節ごとの色とりどりの花々がぎっしりと並べられた小さな店が佇んでいる。木製の看板には「かげやまフラワー」と書かれ、風になびくリボンが店の存在を柔らかく知らせていた。
店の中では、エプロンを身につけた青年が忙しなく動き回っていた。影山悠真。大学を卒業後、両親の後を継いでこの花屋の店主となってから、すでに数年の月日が流れている。彼の腕には花を切るためのハサミが握られ、手元には鮮やかなチューリップや可憐なスイートピー、そして深い青色のデルフィニウムが山積みになっていた。
「はい、お待たせ!門出にぴったりの、明るい色でまとめておいたよ!」
注文を受けて作り上げた花束を客に手渡す悠真の声は、昔と変わらずに実に威勢が良く、聞いているだけで心が弾むような響きがある。大雑把で細かいことは気にしない、だけど根はとても優しくて、どこか憎めない性格。それは5年前、まだ皆が同じ場所に集まり、何も恐れるもののない日常を送っていた頃のままだ。
花束を受け取った客が「ありがとう、悠真くん。いつも素敵な花を作ってくれるね」と笑顔で言うと、悠真もまた、目尻にしわを寄せて屈託のない笑顔を返す。その笑顔は、近所の人々にとってすっかり馴染みのものとなり、この商店街の安心できる風景の一部になっていた。道行く人が困っていればすぐに駆けつけ、子供たちには花の名前を教え、年配の人には世間話を交えながら丁寧に接客する。そんな彼の姿を見て、「この店があってよかった」と思う人は少なくない。
だが、その太陽のように明るい笑顔の奥底には、悠真自身も決して忘れることのできない重い記憶が、まるで澱のように静かに沈み続けていた。時折、ふとした瞬間にその記憶が浮かび上がり、彼の心を締めつけることがある。
5年前の2月、まだ寒さが厳しく、街の木々もまだ芽吹く気配を見せない朝のことだった。
突然届いた訃報――親しかった友人、ちひろがこの世を去ったという知らせ。信じられなかった。昨日まで笑い合い、同じ時間を過ごしていた存在が、突然いなくなってしまうなんて。悠真は現実を受け入れることができず、ただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
それだけでは終わらなかった。同じく親友だと信じていた大悟が、突如として禍々しい姿の怪物へと変貌し、自分たちの目の前で正体を現したのだ。今まで見たこともない恐ろしい姿、そしてその口から放たれた言葉は、悠真たちの信じていた世界を根本から打ち砕いた。混乱と恐怖の中、皆がどうすることもできずにいた時、いつも静かに皆の輪の中心にいた紫苑が動いた。
紫苑は自分の身に青い光を纏い、皆を守るようにして大悟と対峙した。それは悠真が知っている紫苑ではなく、圧倒的な力を持った「青い戦士」の姿だった。戦いの後、紫苑は何も言わず、振り返ることもなく、そのまま闇の中へと消えていった。
その夜、悠真たちが不安と悲しみに包まれつつ、誰もが寝静まった頃、遠くの空に向かって巨大な光柱がまっすぐに立ち上るのが見えた。周囲の人々が驚き、何が起きたのかと騒ぎ立てる中、悠真は直感的に理解していた。あれは紫苑が起こしたものだ。そして彼は、自分たちを守るために自らを犠牲にして、あの光の中へと消えていったのだ、と。
あの日まで、悠真にとっての日常は、これからもずっと続いていくものだと信じて疑わなかった。大学に通い、仲間たちと集まってはくだらない話をして笑い、時には悩みを打ち明け合い、同じ時間を分かち合う。そんな当たり前の日々が永遠に続くと思っていた。
だが、その「当たり前」は一瞬にして、無慈悲なまでに突然現れた「非日常」によって引き裂かれ、跡形もなく崩れ去ってしまった。
あの事件を境に、皆はそれぞれに深い傷を負い、バラバラになってしまった。
美穂はちひろの死と、突然の出来事によるショックからPTSDを発症し、人と接することを恐れるようになり、自分の殻に閉じこもってしまった。悠真が時折連絡を取っても、返事は少なく、会うこともままならない状態が続いていた。彼女の細い肩が震えている姿を思い浮かべるたび、悠真は自分の無力さを噛みしめずにはいられなかった。
朔也はその後、自ら「処刑人」となる道を選んだ。世界に現れるロイミュードと呼ばれる存在を狩るため、銃を手に戦い続ける戦士となったのだ。久しぶりに会う朔也の姿は、以前の柔らかい雰囲気は消え、鋭い眼光と緊張感に満ちたものに変わっており、彼もまた何か大きなものを背負って生きていることが明らかだった。その背中には孤独が漂い、悠真は何も言葉をかけることができなかった。
かつて共に笑い、共に悩み、同じ未来を夢見ていた仲間たちが、それぞれに違う道を歩み、それぞれの痛みを抱えて生きている。その姿を見るたび、悠真の心は千々に乱れ、何もできない自分に歯がゆさを感じ続けていた。
「……俺にできることは、何なんだろうな」
店の手が空いた隙に、悠真はふと呟き、店の奥の棚に目を向ける。そこには木製の額縁に入れられた一枚の写真が飾られていた。
大学の学食で撮られた写真だ。テーブルを囲むようにして座る5人の姿。真ん中では悠真が大きな口を開けてカレーライスを頬張り、その隣では朔也が呆れたような、だけどどこか温かい目で悠真を見ている。向かい側ではちひろと美穂が楽しそうに笑い合い、そしてその隣には紫苑が、少し控えめながらも柔らかい表情で笑っている。
あの頃は何もかもが輝いていて、これから先の未来には無限の可能性が広がっているように感じていた。誰もが同じ場所にいて、当たり前のように顔を合わせることができた。
朔也のように戦う力は自分にはない。美穂のように他人の繊細な痛みを受け止め、共に泣くことのできる強さもない。自分には何も特別なものはない、そう悠真は何度も自分に言い聞かせたことがある。
だが、それでも悠真には、彼なりの決意があった。
いつか皆が傷つき、疲れ果て、「帰りたい」と思った時に、変わらずにそこに在り続ける場所を守ること。それこそが、自分にできる唯一のことなのだと。
悠真が実家の花屋を継ぐと決めたのは、まさにその理由からだった。
花というものは、どんなに激しい嵐が吹き荒れ、どんなに寒い冬が訪れようとも、時が来れば再び地面から芽吹き、太陽に向かってまっすぐに伸び、美しい花を咲かせる。その強さと儚さ、そして何よりも「生きる」ということの象徴のような存在が、悠真は心から好きだった。
ちひろが生前好きだったのは、明るいヒマワリや可憐なガーベラだった。美穂が落ち込んだ時には、淡いピンク色の花や優しい香りのする花を選んで渡したものだ。そして、いつか紫苑がどんな姿で戻ってきたとしても、その傷ついた心と魂をそっと癒すことのできるような、穏やかで温かな風景をこの店に作りたい。
悠真は願っていた。かつての仲間たちが、いつの日か再びこの場所に集い、以前のように笑い合うことのできる「平和な日常」のかけらを、この小さな花屋の店先にしっかりと繋ぎ止めておきたい、と。
「悠真くん、今日はカーネーションあるかしら? 母の日のプレゼントにしようと思って」
店先に現れた常連の奥さんの声に、悠真ははっと我に返り、すぐにいつもの明るい表情を取り戻す。
「もちろんです、奥さん! 今日仕入れたばかりの、最高に綺麗なのが入ってますよ! 赤もピンクも、どっちも色が鮮やかで長持ちしますよ」
彼は慣れた手つきで店先から最も状態の良いカーネーションを数本選び出し、丁寧にラッピングを始める。一輪一輪の花の形や色合いを確かめながら、葉や茎の不要な部分を取り除き、整えていくその姿は、昔の大雑把な性格だった彼からは想像もつかないほどに繊細で、指先までが優しさに満ちていた。
命がいかに儚く、失われやすいものであるかを、悠真は身をもって知っている。だからこそ、今目の前にある一つ一つの生を慈しみ、少しでも長く美しい姿を保ってあげたいと願う。それは彼にとって、花を扱うという単なる仕事ではなく、自分自身の心と向き合い、前を向いて生きていくための、彼なりの戦いでもあった。
日が傾き、商店街の明かりが灯り始める夕暮れ時。一日の営業を終え、店の片付けと掃除を済ませた悠真は、店先に木製の椅子を一脚出して腰を下ろした。
5年前、紫苑が静かに去っていったあの日とよく似た、少しだけ冷たい風が頬を撫でていく。空には薄い雲が流れ、遠くの方からは人々のざわめきがかすかに聞こえてくる。
悠真はゆっくりと顔を上げ、夜空の彼方――5年前に巨大な光柱が立ち上った方向を、じっと見つめた。
(なあ、紫苑……。俺はここで、まだ待ってるぞ)
声には出さず、心の中でそっと語りかける。
誰一人欠けることなく、五人であるべきだった絆。たとえ今はそれぞれが遠く離れ、バラバラの道を歩んでいたとしても、自分だけはこの「日常」という名の灯を決して消さない。
いつか朔也が長い戦いを終えてこの場所に帰ってきた時、美穂の心の傷が癒えて再び明るい笑顔を取り戻した時、そしてどこかの地で、もしかしたら苦しみながらも生きているかもしれない紫苑が戻ってきたその時。悠真はいつものように「よお、久しぶり。待ってたぜ」と、何もなかったかのようないつもの調子で彼らを迎え入れたいと願っていた。
立ち上がった悠真は店の中へと戻り、棚に飾られた写真の前に歩み寄る。そして、店に並ぶ花の中から、その日一番美しく鮮やかに咲いたオレンジ色のガーベラを一輪、そっと写真の前に供えた。
「今日もお疲れ様、ちひろ。皆、元気でやってるよ」
その声は、まだ少し冷たさの残る春の夜の静寂の中に、柔らかく、そしてゆっくりと溶けていった。
影山悠真。
彼は失われた過去と、決して癒えることのない心の傷を背負いながら、それでも確かに「明日」が来ることを信じて、今日も花に水をやり、店先に新しい花を並べ続ける。
戦士でもなく、特別な力もなく、予言者でもない。ただ一人の「友人」として、彼が選んだ生き方。この小さな花屋こそが、いつか訪れるかもしれない再会のために、彼が守り続ける聖域なのだ。
2019年、春。
木々は芽吹き、街には色とりどりの花が咲き誇り、生命の息吹が満ち溢れている。それぞれの歩んだ5年という月日を経て、世界の裏側では運命の歯車が再び、静かに、そしてゆっくりと、噛み合い始めようとしていた
(続)