2019年編 #3-2
戦闘の余韻がまだ街の空気に澱んでいた。
崩れ落ちたビルのコンクリート片が至る所に転がり、アスファルトの地面は無数の亀裂が走り、ところどころに黒い焦げ跡が残っている。風が吹くたびに砂塵が舞い上がり、瓦礫の隙間からは微かな煙が立ち昇っていた。この破壊された街並みの中心で、蒼は一人の男と向き合い、身動きもできずに立ち尽くしていた。
鷹宮紫苑。突如として戦場に現れ、圧倒的な実力で敵を蹴散らした謎の男。その姿は人間とは思えないほど冷徹で、まるで感情というものを一切持ち合わせていない機械のようだった。整った顔立ちではあるが、その瞳には光がなく、見つめられた者はまるで氷の塊を突きつけられたような感覚に襲われる。彼の右腕は皮膚の代わりに銀色の金属が覆い、生身の部分と機械の部分が奇妙な調和を成していた。
二人の間には言葉にできない緊張感が張り詰め、周囲の熱気さえもがこの空気に押しつぶされるように冷めていくようだった。
紫苑は口を開く。その声は予想通り、平坦で抑揚がなく、まるで録音された音声を再生しているかのようだった。
「話がある。S.H.I.F.T.本部に案内しろ」
蒼は無意識のうちに、手の中にあるシフトカーを強く握りしめた。手のひらはいつの間にか汗ばみ、金属の感触が生々しく伝わってくる。彼は警戒心を隠すことなく、鋭い眼差しで紫苑を睨みつける。この男が何者なのか、なぜ自分の名前を知っているのか、そしてあの戦い方――まるで敵の行動パターンを熟知し、自分自身の力を完全に制御し尽くしたような戦い方は、一体どこから来るものなのか。疑問が次から次へと湧き上がり、蒼の心の中は混乱と不信感でいっぱいになっていた。
「何者だ……あんたは?」
蒼は一歩も引かず、声には明らかな挑発と警戒が込められていた。
「なぜ俺の名前を知ってる? それにあの戦い方……まるで正体を隠す気がないくせに、肝心なことは何も言わない。こんな状況で、信用できるわけがないだろ」
紫苑は蒼の問いかけに対しても、まったく動じた様子を見せない。視線を逸らすこともなく、ただじっと蒼を見つめ続け、淡々と答える。その態度がかえって蒼の神経を逆なでする。
「今は、それより案内しろ。」
言葉と同時に紫苑が一歩前に踏み出すと、蒼は思わず身構えた。迫るような圧力を感じ、さらに強い不審感が胸に満ちていく。このまま言うことを聞くわけにはいかない――そう決意して動こうとしたその時、蒼の耳元に装着された小型通信機から、冷静でよく通る声が割り込んできた。
『蒼、案内しろ。……そいつは問題ない。』
三原の声だった。部隊の指揮官であり、蒼たちにとって最も信頼できる存在の一人である彼が、こう言うのであれば話は別だ。蒼は緊張を解き、口を曲げて不満そうな表情を浮かべた。まだ納得できない部分は多いが、三原の判断に従うしかない。
「……三原さんが、言うなら」
蒼は渋々といった様子で踵を返し、自分の愛車であるライドストライカーへと向かう。深い青色の車体が陽の光を反射し、瓦礫の中で鮮やかな色を放っていた。
その時――
「紫苑……!」
後方から、震えるような声が響いた。それは押し殺された感情が溢れ出すような、苦しくも切ない呼び声だった。
紫苑の足がピタリと止まる。まるで古い歯車が軋むようなゆっくりとした動作で、彼は振り返った。
そこに立っていたのは、現場で部隊の指揮を執っていた朔也だった。彼は目を大きく見開き、信じられないものを見るような視線で紫苑を凝視している。手はわずかに震え、呼吸も浅くなっていた。
「本当に……本当にお前なのか、紫苑!?」
朔也は一歩前に進み出し、声を上げた。その声には抑えきれない驚きと、それ以上の深い悲しみが混ざり合っていた。
「どうして今まで……何の連絡もなく、生きていたのか!? 俺たちは、お前はもうこの世にいないと思って……ずっと、ずっと諦めていたんだ! それに……その体は一体……!」
朔也の視線は紫苑の右腕、そして衣服の隙間から見える機械の部品や、無数に刻まれた傷跡に注がれていた。かつての親友が、これほどまでに痛ましい姿に変わり果てていることが、朔也の心を鋭く刺した。死んだと思って忘れようとさえしていた存在が生きていた喜びよりも、その姿を目の当たりにした衝撃と悲しみの方がはるかに大きかった。
だが紫苑は、そんな朔也の心情を慮る様子もなく、ただ微かに目を細めただけだった。そして、まるで昔のことなど遠い彼方に捨て去ってしまったかのように、短く乾いた言葉を返す。
「久しぶりだな、朔也」
それだけだった。再会を喜ぶ言葉も、自分の身に起きたことを説明する言葉も、何一つない。紫苑は再び背中を向け、自分のバイクへと歩いていく。
そのバイクは蒼のものとはまったく異なり、白銀の車体が太陽の光を浴びてきらめきながらも、どこか不穏で異質な雰囲気を放っていた。ライドストライダー・改――そう呼ぶにふさわしい、改造を重ねた痕跡が至る所に見て取れる。紫苑はそのまま跨がると、エンジンに火を入れる。低く唸るような重厚なエンジン音が響き渡り、彼は蒼に続くようにして発進した。
朔也はただその場に立ち尽くし、遠ざかっていく白銀のバイクの背中を見つめていた。かつては同じ時を過ごし、笑い合い、未来を語り合った親友が、今ではあまりにも冷徹で、遠い存在へと変わり果ててしまった。時間というものは、これほどまでに人を変えてしまうものなのか。朔也は胸の奥に重いものが詰まったような感覚を覚え、ただ無言で風の中に佇んでいた。
S.H.I.F.T.本部は、街の中心部から少し離れた、小高い丘の上に建てられていた。堅固なコンクリート造りの建物は、外部からの攻撃にも耐えられるように設計され、内部には最新鋭の設備が整っている。
紫苑は本部に到着すると、案内のスタッフが声をかける前に、自らの足で迷いなく建物の奥へと進んでいった。まるで自分が何度もこの場所を訪れ、内部の構造を熟知しているかのような、確信に満ちた歩調だった。彼はエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押す。扉が閉まり、機械音と共にゆっくりと上昇していく。
最上階は本部の中枢機能が集約された場所であり、特にモニター室と会議室は重要な情報のやり取りが行われる場所だ。エレベーターの扉が左右に開くと、そこにはすでに一人の男が待っていた。
三原彰だった。彼は紫苑の姿を目にすると、普段は冷静で表情の変化の少ない顔に、わずかながら感慨深い色を浮かべ、ゆっくりと近づいてくる。
「紫苑……2年ぶりか? まさか、お前の方から現れるとはな。」
紫苑もまた、三原の姿を見てわずかに眉を上げた。機械のような無表情の奥に、かすかな昔馴染みの者同士だけが感じ取れる空気が流れていた。
「三原さん。変わらないようだな。」
二人はしばらく無言で見つめ合っていた。その眼差しの中には、5年という長い年月の重み、そして互いがそれぞれの場所で困難を乗り越え、生き抜いてきたという確かな証が込められていた。言葉にしなくても、通じ合うものがある。そんな不思議な感覚が、二人の間に流れていた。
だが、そんな感傷に浸っている時間は彼らには存在しなかった。紫苑はわずかに頷くと、すぐに背筋を正し、先ほどまでの柔らかな空気を一掃するように、鋭い眼差しを前方に向けた。
「話がある。」
紫苑は迷いのない足取りで、モニター室の隣にある会議室の扉を開ける。三原もすぐにその後に続いた。
会議室の中は必要最低限の明かりしか灯されておらず、重苦しい空気が漂っていた。部屋の中央には大きな円卓が置かれ、すでに蒼が不安げな表情で席に着いていた。彼は紫苑と三原が入ってくると、弾かれたように顔を上げ、二人の様子を注視する。
それから数分後、扉が再び開き、朔也が重い足取りで入室してきた。彼はまだ紫苑との再会の衝撃から立ち直れていないようで、表情は暗く、瞳には悲しみの色が濃く残っていた。彼は無言で席につき、テーブルの上に視線を落としたまま動かなくなった。
室内には四人だけの空気が流れ、緊張感がピンと張りつめている。誰もが口を開かず、ただ紫苑が話し始めるのを待っていた。
紫苑は席に着くと、機械の右腕をゆっくりとテーブルの上に置いた。金属製の指が表面に触れ、カタリと小さな音が響く。彼はまっすぐに三原を見据え、そして蒼と朔也にも視線を送り、一切の前置きも、挨拶もなく、いきなり核心を突く言葉を切り出した。
「刈谷の手がかりが見つかった」
その言葉が会議室の空気を震わせ、響き渡った瞬間――
「っ……!」
蒼は驚きのあまり椅子から腰を浮かせ、思わず身を乗り出した。目を丸くし、紫苑を見つめる。刈谷とは、彼の父親の名前であり、蒼が幼少の頃、忽然と姿を消し、行方不明となっている男だ。蒼は父の行方を探し続け、いつか必ず再会することを願って戦い続けてきた。その父の手がかりが見つかったというのだ。信じられないような、それでいて期待に満ちた言葉だった。
「そしてついに、断片的ではあるが、確かな情報を掴んだ。刈谷が生きている可能性……それは極めて高い。そして彼が今、何のために、どこにいるのか……その場所と、目的の一端に触れる情報を得た」
「親父が……生きている……!?」
蒼は胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。五年間抱え続けた空虚な穴が、今にも満たされようとしているような感覚。だが、紫苑の次の言葉が、その期待を受け止めつつも、さらなる衝撃を与える。
「ああ、生きている。だが状況は最悪だ」
紫苑の瞳が、わずかに険しさを増す。
「おそらく彼は、我々が想像もしていなかった、ある重大な計画の中心にいる。いや……中心にいるだけではない。もしかすると、計画そのものを彼自身が動かしているのかもしれない」
「なんだって……?」
三原が低い声で呟き、朔也も息を呑む。
「俺が集めた情報を繋ぎ合わせると、すべての線が刈谷へと集約される。これまで我々が対処してきた事件、ロイミュードの行動パターン、そして世界中で進行している異変……それらの根幹に、彼の存在が深く関わっている可能性が高い。」
紫苑の口から語られる衝撃の事実。それはS.H.I.F.T.の存在意義を揺るがし、蒼にとっては父への想いと現実との間で激しい葛藤を生み出す、あまりにも重い真実だった。
「俺たちは、これからその計画の全容を暴き、刈谷と対峙しなければならない。場合によっては……敵として相対することになるかもしれない」
重い沈黙が部屋を支配した。
蒼は自分の拳を強く握りしめる。父が生きている。それは確かに希望であり、待ち望んでいた朗報だった。だが同時に、彼が何か大きな悪事の中心にいる可能性があるということは、蒼にとってあまりにも苦しく、受け入れがたい現実だった。
紫苑は三人のそれぞれの心の動きを見届けるように見渡した後、さらに続けた。
「これは、S.H.I.F.T.の運命を決める戦いであると同時に、蒼……お前自身の、そしてこの世界の未来を左右する戦いになる。覚悟はいいか?」
紫苑の言葉は、冷たくも鋭く、しかしどこか彼自身の決意も込められていた。
こうして、鷹宮紫苑の帰還によって、S.H.I.F.T.は新たな局面へと踏み出すことになった。それは長い間隠されていた真実の幕が、ようやく少しずつ上がり始めた瞬間でもあったのだ。
(続)