神の霧が去る時に ~幕末化学兵器異聞~   作:公家麻呂

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5-1 木漏れ日の庭と、迫る鉄火

黒川藩の森は、この日ばかりは戦の匂いを忘れていた。

 

木漏れ日が柔らかく落ち、遠くで小鳥が鳴き、風が桃の花びらを運んでくる。光昭が放った鷹が、青空を切るように舞い上がった瞬間、杏が普通の巫女服の袖を揺らして飛び跳ねた。

 

「わあ、光昭、見て! あの鳥、すごく速い!」

 

「ははは、気に入ってくれたか。黒川の鷹匠が丹精込めて育てた自慢の一羽なんだ」

 

光昭が安堵の笑みを浮かべる。最近の杏は、神宮に持ち帰ったあの小瓶のことが頭を離れないのか、難しい顔をしていることが増えていた。だからこそ今日この日、何も考えずに笑っていてほしかった。

 

光昭の斜め後ろでは、招待された天童藩主・織田信敏と上山藩主・松平信庸、そして黒川藩の重臣たちが、のどかな宴の酒杯を傾けている。お供の側近巫女たち――千代、おりん、さくらをはじめとする数人も、まだこの時は年相応の可憐な笑顔で、主人の後ろで楽しげに声を弾ませていた。

 

「ねえ光昭、次はあっちの木の上に止まれるかな?」

 

「難しいけど、やってみようか」

 

杏が光昭の袖をきゅっと掴み、二人で鷹の行方を目で追う。光昭の胸が、うっすらと高鳴っていた。

 

――その平穏が、一瞬で引き裂かれる。

 

 

 

 

森の茂みを踏み越え、ぎらついた目で現れたのは、十数名の男たちだった。衣服に薩長の結び紐を汚らしく残した、新政府軍崩れの流れの野盗どもだ。近代的な銃を手に、口の端を歪めて笑っている。

 

「おいおい、上等な着物を着たガキどもと、上玉の巫女姉ちゃんじゃねえか」

 

首領格の大男が、腐った歯を見せて嗤った。

 

「身ぐるみ全部置いていきな。逆らうんだったら……分かるよな?」

 

首領が顎で合図すると、子分の一人が近くにいた黒川藩の重臣に歩み寄り、いきなりその顔を銃の台尻で殴りつけた。重臣が「ぐっ……!」と声を漏らして膝をつく。別の子分が倒れた重臣の腹を靴で蹴り上げた。「金はどこだ。蔵の場所を言え」と耳元で怒鳴りながら、髪を掴んで顔を持ち上げる。重臣が血の混じった唾を吐いた。

 

「ひっ……!」

 

織田信敏が腰を抜かした。松平信庸が酒杯を取り落とし、ガタガタと震えている。

 

「大名様よお、偉そうな羽織なんか着てんじゃねえよ」

 

野盗の一人が松平信庸の襟首を掴み、引きずり倒した。松平が泥の上に転がり、「た、頼む、命だけは……!」と両手を合わせる。野盗がその手を踏みつけ、「うるせえ」と吐き捨てた。

 

「金目のものは全部出せ。女どもは売り払ってやる。逆らったら次は頭をぶち抜くぞ」

 

別の子分が側近巫女たちに近づき、おりんの腕を乱暴に掴んだ。おりんが「やめて……っ!」と悲鳴を上げる。千代が庇おうとして突き飛ばされ、地面に倒れた。さくらが歯を食いしばって立ち上がろうとするところを、別の野盗が足で踏みつけ、「大人しくしてろ」と銃口を頭に押しつけた。さくらが、声も出せずに目を閉じる。

 

「光昭……っ!」

 

杏が叫ぶ。

 

名門の末裔である織田信敏も松平信庸も、近代兵器の脅威を前に完全に腰を抜かしていた。黒川藩の重臣たちも、銃口を突きつけられて動けない。

 

その中で、光昭だけは恐怖で膝を震わせながらも、必死に杏の前に立ちはだかり、腰の刀を抜いた。

 

「杏、私の後ろへ……っ! 私が君の盾に……!」

 

「坊主、いい度胸じゃねえか」

 

首領が面白そうに笑い、引き金を引いた。

 

銃弾が光昭の肩を掠め、鮮血が飛んだ。光昭が呻きながら地面に転がる。

 

「光昭……!!」

 

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