神の霧が去る時に ~幕末化学兵器異聞~   作:公家麻呂

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1-2 常連の見学者、帳をめくる

昼過ぎの境内は、うとうとするほど平和だった。

 

鷹山が縁側に腰を下ろし、湯気の立つ茶碗を両手で包んでいる。その隣では杏が大の字に寝転がり、雲を眺めながら足をぶらぶらさせていた。

 

「老先生、暇?」

 

「暇ではない。考え事をしておる」

 

「どうせ薩長がどうとかでしょ。お茶飲んでる時くらい忘れなさいよ」

 

「……お前こそ、宝刀を枕にして昼寝するのはやめなさい」

 

「いざという時すぐ抜けるじゃない」

 

鷹山が深いため息をつく。杏はけらけらと笑った。

 

石畳の向こうでは、桃華が近在の村から訪れた老婆の手を取り、膝を折って話を聞いている。老婆の曲がった腰が、桃華の光を受けてゆっくりと伸びていくのを、鷹山は静かに目で追った。

 

――守るべきものは、ここにある。

 

茶を一口すすり、老武士は目を細めた。

 

その時だった。

 

「失礼つかまつる。……桃園神宮の奇跡、本日も確かに拝見いたしました」

 

縁側の端に、泥に汚れた袴の男が静かに佇んでいた。長岡藩家老、河井継之助である。彼は神宮の闇金融としての財力と、桃華の起こす本物の奇跡に目をつけ、藩の極秘任務として、数ヶ月前から一般の参拝客に紛れて「常連の見学者」としてこの神事を観察し続けていた。

 

「またあなたね、長岡の家老様。お姉様の綺麗な光を見て、まだ何か疑っているの?」

 

杏が宝刀の柄に手をかけ、赤目で継之助を睨みつける。継之助は動じず、泥に汚れた袴のまま、ゆっくりと本殿の畳の上へと膝行で進み出た。その目は、一人の大藩の軍師としての、底冷えするような決意を宿している。

 

「情勢が変わりました。新政府軍の東下はもはや避けられぬ。薩長は我が長岡の武装中立の訴えを鼻で嗤い、一方的な恭順と減封を突きつけてきた。……正攻法では、我が藩の領民も、伝統も、すべて薩長の軍靴に踏みつぶされ、歴史のゴミ屑にされます」

 

継之助は床に両手を突き、深く、深く頭を下げた。

 

「桃華様、杏様。そして上杉の老先生。……長岡は、人間を辞めてでも、新政府を討つ盾となる覚悟を完了いたしました。ルトルースというフランス人から買い付けた近代兵器のルート、そして我が長岡の近代科学の知恵……これを、神宮の潤沢な富と、桃華様の【身体強化】の奇跡と合体させたい。どうか、我が長岡藩を、桃園神宮の最初の『牙』としてお使いくだされ」

 

しばらくの間、本殿に沈黙が落ちた。

 

桃華は静かに目を伏せ、それから継之助を真っ直ぐに見据えた。

 

「河井殿。……人を傷つける力には、使わないと約束してください」

 

「約束いたします」

 

継之助の声は、揺らぎひとつなかった。

 

「もちろんよ、お姉様」

 

杏も笑いながら答える。けれど鷹山だけは、その場で一人、険しい顔のまま微動だにしなかった

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