神の霧が去る時に ~幕末化学兵器異聞~   作:公家麻呂

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2-3 杏の「感激」と、狂気の萌芽

「お姉様……すごい……すごいよお姉様……っ!」

 

本殿の隅でこの一部始終を見ていた妹・杏は、ボロボロと大粒の涙を流し、胸を高鳴らせて純粋に感激していた。

 

傷つき、もぎ取られ、死にかけていた健気な子供たちが、お姉様の優しい光一つで、みんな笑顔になって救われた。こんなに美しく、正しい奇跡がこの世にあるだろうか。

 

「みんな、良かったね……! 私が、私がもっともっと強くなって、あなたたちもお姉様も、絶対に守ってあげるからね……!」

 

杏は笑顔の子供たちの手を握り、涙を拭って強く誓った。

 

治癒を終えた子供たちが、境内へとぱらぱらと歩み出ていく。再生した足で石畳を踏みしめ、「歩ける、歩けるよ!」と笑い合う少年たち。桃の花の前で手を取り合い、泣きながら笑う少女たち。さっきまで死の淵にいた子供たちが、今は眩しいほどの笑顔でそこにいる。

 

杏はその光景を、境内の柱に寄りかかってじっと見つめていた。涙が、止まらなかった。

 

(薩長のバケモノども……! こんなに綺麗で優しいお姉様を、こんなに健気で良い子たちを、大砲で焼き殺そうとしたなんて絶対に許さない……!)

 

そして、長次の言葉が杏の胸に刺さって抜けなかった。

 

(会津も……会津も同じだ。善意を踏み躙った。信じていたのに。この子たちをこんな目に遭わせた……)

 

味方も敵も関係ない。この聖域を脅かす者は、全て敵だ。その確信が、静かに、しかし確実に根を張っていく。

 

――縁側では、鷹山が一人、茶も飲まずに黙って座っていた。

 

長次の狂信的な平伏を、子供たちのトランス状態を、そして杏の瞳の奥で静かに燃え始めた何かを、この老軍師はすべて見ていた。

 

(……守るための盾が、いつの間にか刃に変わる)

 

河井継之助に言い聞かせたあの言葉が、今度は自分の胸に、じくりと返ってきた。桃華の奇跡は本物だ。その優しさも、本物だ。だからこそ、人はあの光に焼かれる。救われた者が盲目になる。その熱が、いつか取り返しのつかない方向へ向かった時――老いた自分に、果たして何ができるのか。

 

鷹山は答えの出ない問いを胸に抱えたまま、遠く、笑い合う子供たちを見つめていた。

 

その笑顔は、今はまだ美しかった。

 

――しかし、この時の杏はまだ気付いていなかった。

 

この「お姉様と子供たちを純粋に守りたい」というあまりにも純粋で強すぎる想いが、新政府軍の圧倒的な進軍を前に「ただの銃や刀では守りきれない」という絶望に直面した時、底知れぬ悪意を持つ者が差し出す「悪魔の力」という最悪の劇薬に手を伸ばさせ、彼女の誓いを怪物へと狂わせる最大の引き金になってしまうということを。

 

美しい聖女の光と、守るための純粋な誓い。

 

それこそが、のちに日本全土をドロドロに溶かす『二本松少年少女親衛隊』と『黒巫女服の魔王・杏』が産声をあげた、あまりにも綺麗で悲しい原点であった。

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