『……私のミスでした』
見覚えのない電車に揺られていた。
向かいの座席には、一人の少女が座っている。
彼女は頭から血を流していた。頬を伝った血は顎先からぽたり、ぽたりと落ち、座席を赤く染め、やがて床に小さな血溜まりを作っていく。
それほどの出血だというのに、少女は苦しむ様子もなく、静かにこちらを見つめていた。
そして、何事もないかのように口を開き、穏やかな声で語りかけてくる。
『私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況。
結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったこをと悟るだなんて……。
……今更図々しいですが、お願いします。』
『先生』
……私は、この子を知らない。
それなのに、目の前の少女は、まるで昔から私を知っているかのように、親しげに話しかけてくる。何か返そうと口を開く。けれど、声は掠れることすらなく、喉に張りついたままだった。
席を立ち、少女のもとへ行こうとする。しかし、体はぴくりとも動かない。指一本、動かすことすらできなかった。私だけが、この見覚えのない電車の中で、声も身体も奪われたまま、少女の言葉を聞き続けるしかなかった。
『きっと私の話は忘れてしまうでしょうが、それでも構いません。
何も思い出せなくても、おそらくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから……』
『ですから……大事なのは経験ではなく、選択。あなたにしかできない選択の数々』
『責任を負うものについて、話したことがありましたね。
あの時の私には分かりませんでしたが……今なら理解できます。
大人としての、責任と義務。そして、その延長線上にあった、あなたの選択。
それが意味する心延えも。』
『……』
彼女は一度言葉を切り、痛みを堪えるように呼吸を整えた。
そして、わずかな間を置いて再び口を開く。
『ですから、先生。私が信じられる大人である、あなたなら。
この捻じれて歪んだ先の終着点とは、また別の結果を……。
そこへ繋がる選択肢は……きっと見つかるはずです。だから先生……どうか』
景色が溶けるように滲み、視界は静かに暗闇へと沈んでいく。
世界から光が消えていくように、視界はゆっくりと闇に覆われていった。
「…い」
先ほどの落ち着いた声音は消え、代わりに鋭い声が飛んできた。
「…生」
「先生、起きてください!」
“……?“
誰かに肩を揺さぶられ、ゆっくりと意識が浮上する。
何か大切な夢を見ていた気がした。胸の奥に妙な余韻だけが残っている。しかし、その内容は砂が指の隙間からこぼれ落ちるように、もう思い出せなかった。
まだ重い瞼を擦りながら、声のする方へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、白い制服に身を包んだ、黒髪で眼鏡をかけた少女だった。
「少々待っていてくださいと言いましたのに、お疲れだったみたいですね。なかなか起きないほど
熟睡されるとは」
……見たことのない、初めて会う少女だ。
周りを見渡してみても、そこは見知らぬオフィスのような場所だった。
なぜ自分がここにいるのか、何一つ分からない。
「……夢でも見られていたようですね。ちゃんと目を覚まして、集中してください」
「もう一度、あらためて今の状況をお伝えします」
そう言うと、目の前の少女は居住まいを正し、改めて私に向き直った。
「私は七神リン、学園都市「
そしてあなたはおそらく、私たちがここに呼び出した先生……のようですが」
確信のない口調で話す彼女に、私は聞き返した。
“えっと…私がここにいる理由はリンちゃんも知らない?“
距離を縮めるつもりで「ちゃん」付けしてみたが、彼女はあからさまに不満そうな顔をした。
「えぇ、私も先生がここに来た経緯を詳しく知りません」
“それと…キヴォトスって何?“
「説明していませんでしたね」
「キヴォトスは数千の学園が集まってできている巨大な学園都市です。これから先生が働く場所で
もあります。きっと先生がいらっしゃったところとは色々な事が違っていて、最初は慣れるのは
苦労するかもしれませんが」
彼女は一拍置いて、再び口を開いた。
「でも先生ならそれほど心配しなくても良いでしょう。あの連邦生徒会長が、お選びになった方で
すからね」
「とりあえず、私に着いてきてください」
先ほどまで腰を下ろしていたソファから立ち上がり、軽く伸びをする。
それから彼女の後を追うように歩き出した。彼女が向かった先は、一基のエレベーターだった。
エレベーターに入るとガラス張りのところから外の景色が見えた。見えた景色は、東京を思わせるような大都市であった。交差点には制服姿の生徒たちが溢れ、買い物袋を提げた者、談笑しながら歩く者、任務へ向かうのか銃を肩にした者までいる。
さらに視線を遠くへ向ければ、近代的な高層建築が並ぶ一角。緑豊かな公園や広場。工業地区から立ち上る白い蒸気が見える。
その向こうには、薄く霞む山並みと、空の青さが地平線まで続いていた。
見慣れない景色に目を奪われ、私はしばらく窓の外を眺めていた。
物珍しさに惹かれ、周囲の景色へと視線を巡らせると。
チンッ
丁度その時、エレベーターが電子音を立てて止まる。どうやら下の階に着いたようだ。
彼女の後を続くように出ていくと、奥の方にガヤガヤと話している4人の子がいた。その4人はリンに気がつくとすぐにこちらに向かってきた。
「ちょっと待って!代行!見つけた、待ってたわよ!連邦生徒会長を呼んできて!」
「首席行政官、お待ちしておりました」
「連邦生徒会長に会いに来ました。風紀委員長と副委員長が、今の状況について納得のいく回答を
要求されています」
三者三様の言葉が一斉に飛び交う。それを受けたリンちゃんは、心底面倒そうな表情で深くため息をついた。
「はぁ……面倒な人たちに捕まってしまいましたね」
リンちゃんは一歩前に出ると、営業用とでも言うべき笑みを浮かべて口を開いた。
しかし、その笑顔はどこか硬い。隠し切れない疲労と心労が、その表情の端々から滲み出ていた。
「こんにちは、各学園からわざわざここまで訪問してくださった生徒会、風紀委員会、その他時間を持て余している皆さん、こんな暇そ……大事な方々がここを訪ねて来た理由は、よく分かっています」
リンちゃんは、さらりと「暇そうな方々」と口にしかけた。
慌てて言い直したものの、隠しきれていない本音に思わず苦笑する。
…かなり苦労をしているようだ。
「今、学園都市に起きている混乱の責任を問うために……でしょう?」
彼女がそう問いかけた途端、青髪の少女が前に進み出て、苛立ちを隠そうともせず声を張り上げた。
「そこまで分かってるなら何とかしなさいよ!連邦生徒会なんでしょ!
数千もの学園自治区が混乱に陥ってるのよ!この前なんか、うちの学園の風力発電所がシャット
ダウンしたんだから!」
「連邦矯正局で停学中の生徒たちについて、一部が脱出したという情報もありました」
「スケバンのような不良たちが、登校中のうちの生徒たちを襲う頻度も、最近急激に高くなりました。治安の維持が難しくなってます」
「戦車やヘリコプターなど、出所の分からない武器の不法流通も2000%以上増加しました。これでは正常な学園生活に支障が生じてしまいます」
……今、最後にとんでもなく物騒な単語が聞こえた気がした。
戦車? ヘリコプター?
そんなに治安が悪いのだろうか。
「こんな状況で連邦生徒会長は何をしているの?昨日クロノスから失踪したってニュースが流れて
たけどどうせデマなんでしょう?今すぐ会わせて!」
彼女がそう言うと、それまで黙って話を聞いていたリンちゃんが静かに口を開いた。
「いえ、そのニュースは本当です。連邦生徒会長は、行方不明になりました」
「……え!?」
「……!!」
「あのニュースは本当だったのですね……」
……そんなに信用がないものなのだろうか、クロノスのニュースは。
あまりの扱いに、少しだけ同情してしまった。
「結論から言うと「サンクトゥムタワー」の最終管理者がいなくなったため、今の連邦生徒会は行
政制御権を失った状態です」
「認証を迂回できる方法を探していましたが……先程まで、そのような方法は見つかっていません
でした」
リンちゃんの言葉を受け、黒い制服を纏った背の高い少女が静かに口を開く。
「それでは、今は方法があるということですか、首席行政官?」
「はい、この先生こそが、フィクサーになってくれるはずです」
「「「「!」」」」
“え、私?”
リンちゃんがこちらを振り返りながらそう言うと、その場にいた全員が一斉に固まった。
当然、私もその一人だ。だって、そんな話は事前にまったく聞いていないのだから。
「ちょっと待って。そういえばこの先生はいったいどなた?どうしてここにいるの?」
「キヴォトスではないところから来たようですが……先生だったのですね」
「はい。こちらの先生は、これからキヴォトスの先生として働く方であり、連邦生徒会長が特別に
指名した人物です」
「行方不明になった連邦生徒会長が指名……?ますますこんがらがってきたじゃないの……」
青髪の少女が頭を押さえ、何やら「うぅん」と唸り始めた。……大丈夫だろうか。
少し心配になったものの、こういう場では第一印象が何より大切だと聞いたことがある。
よし、まずは元気よく挨拶だ。
“初めまして! これからよろしくね!“
にっこり笑ってそう言うと、青髪の少女は驚いたように目を瞬かせ、それから慌てて挨拶を返してくれた。
「こ、こんにちは、先生。私はミレニアムサイエンススクールの──」
「そのうるさい方は気にしなくていいです。続けますと……」
青髪の少女の挨拶を遮るように、リンちゃんが口を挟む。ついでと言わんばかりに、一言余計な煽りまで添えて。当の青髪の少女は、案の定、怒りの表情を浮かべていた。
「誰がうるさいって!?わ、私は早瀬ユウカ!覚えておいてください、先生!」
青髪の少女――早瀬ユウカの挨拶を皮切りに、その場にいた他の生徒たちも順番に自己紹介を始めた。眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の少女は、ゲヘナ学園所属の風紀委員、火宮チナツ。
黒い制服を纏った長身の少女は、トリニティ総合学園・正義実現委員会の羽川ハスミ。
そして、白い髪の小柄な少女は、同じくトリニティ総合学園の守月スズミだという。
「よろしくお願いします、先生」
三人がそれぞれ挨拶をしてくれる。
(“みんな可愛いし、スタイルもいいなぁ……“)
名前を覚えようと頷きながら、そんな呑気なことを考えていた。
みんなに挨拶を返し終えると、その間待っていたリンちゃんの咳払いで意識がそっちに向く。
「……先生は元々、連邦生徒会長が立ち上げた、ある部活の担当顧問としてこちらに来ることにな
りました」
“ある部活って?”
「
「単なる部活ではなく、一種の超法的機関。連邦組織のため、キヴォトスに存在するすべての学園
の生徒たちを制限なく加入させることすら可能で、各学園の自治区で、制約無しに戦闘活動を行
うことも可能です。シャーレの部室はここから約30km離れた外郭地区にあります。今はほとん
ど何も無い建物ですが、連邦生徒会長の命令で、そこの地下に「とある物」を持ち込んでます。
先生を、そこにお連れしなければなりません」
リンちゃんはスマホを取り出すと誰かに電話をかける。
「モモカ、シャーレの部室に直行するヘリが必要なんだけど……」
『シャーレの部室?……ああ、外郭地区の?そこ、今大騒ぎだけど?』
「大騒ぎ……?」
そう聞き返すと、モモカと言われた子はポテチの袋を置き、どこかグタッとしたような感じで話し始める。
『矯正局を脱出した停学中の生徒が騒ぎを起こしたの。そこは今戦場になってるよ』
「……?」
『連邦生徒会に恨みを抱いて、地域の不良たちを先頭に、周りを焼け野原にしてるみたいなの。
巡航戦車までどっかから手に入れてきたみたいだよ?それで、どうやら連邦生徒会所有のシャー
レの建物を占領しようとしてるらしいの。まるでそこに何か大事なものでもあるみたいな動きだ
けど?』
『まあでも、もうとっくにめちゃくちゃな場所なんだから、別に大した事な……あっ、先輩、お昼
ごはんのデリバリーが来たから、また連絡するね!』
言いたいことだけ言うと、モモカは「じゃあね」とでも言うような気軽さで通信を切った。
残されたこちらには、しばし気まずい沈黙だけが流れる。
“だ、大丈夫?”
「……大丈夫です。少々問題が発生しましたが、大したことではありません」
先生からの心配を軽く流したリンちゃんは、ゆっくりとユウカたちへ向き直った。
にこり、と微笑む。……いや、笑っているのは口元だけだ。
その視線を受けたユウカたちは、みるみるうちに居心地が悪そうな表情になっていく。
「な、何? どうして私たちを見つめてるの?」
「ちょうどここに各学園を代表する、立派で暇そうな方々がいるので、私は心強いです」
「……えっ?」
「キヴォトスの正常化のために、暇を持て余した皆さんの力が切実に必要です。さあ、早く行きましょう」
「えっ!?ど、どこに行くのよ!?」
「もちろん、シャーレです」
「もちろんって……!」
ユウカは目を丸くし、思わず声を上げた。
「今の話、聞いてましたよね!? そこは戦場になってるんですよ!? しかも巡航戦車まで出てるって!」
「聞いていました」
リンは平然と頷いた。
「だからこそです」
「だからこそって、何がよ!」
「シャーレを失えば、先生を迎え入れることもできません。そして、先生がいなければ、連邦生徒
会長が残した最後の手段も失われます」
その言葉に、その場の空気が少しだけ重くなった。
「……つまり」
ハスミが静かに口を開く。
「私たちに、そのシャーレを奪還すると?」
「はい」
リンは迷いなく答えた。
「各学園を代表する優秀な皆さんなら、きっと可能でしょう」
「今、上手く乗せようとしませんでした?」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃないわよ!」
ユウカが頭を抱える。
その様子を見て、思わず口を開いた。
“……みんな、大変そうだね“
一瞬の沈黙、そして。
「先生だけは他人事みたいに言わないでください!」
ユウカのツッコミが見事に決まった。
“えっ、私も行くの?“
「当然です」
リンが即答する。
「先生をシャーレまで無事に送り届けることが、現在の最優先任務です」
「でも、戦場なんだよね?」
「戦場です」
「危なくない?」
「危険ですね」
リンは小さく咳払いをすると、全員を見回した。
「それでは、移動を開始します」
「本当に行くのね……」
「仕方ありません」
「まったく、これだから連邦生徒会は…」
「……頑張りましょう」
四人は、それぞれため息をつきながらも歩き始めた。私も、その後を追う。
連邦生徒会の廊下を歩きながら、ふと窓の外を見る。
青く澄み渡った空。そして、一筋の
(“流れ星かな……?”)
思わず足を止める。
子供の頃、流れ星を見つけたら願い事を三回唱えると叶う、なんて話を聞いたことがあった。
少しだけ考えて、胸の中でそっと願う。
(“みんなが、笑って過ごせる毎日になりますように”)
何か大切なものを託されたような。何か、忘れてはいけない約束を交わしたような。
そんな気がしていた。
これから出会う人たちが、そして今こうして隣を歩くみんなが。
少しでも幸せであってほしい。ただ、それだけを願った。
「先生?」
リンに呼ばれ、我に返る。
「どうしました?」
“いや、何でもないよ”
私は小さく笑って答えた。
“行こうか”
その言葉に、リンちゃんはわずかに目を丸くし――。
「ええ、お願いします」
そう言って歩き出した。
こうして私は、何も知らないまま、学園都市キヴォトスで一人の大人としての、最初の一歩を踏み出したのだった。
先生登場〜
ちなみに先生はアニメ先生をイメージしてます。