その日、世界はまだ普通だった。
朝のニュースは変わらず流れ、通勤電車は時間通りに動き、誰もがいつもと同じ一日を疑わなかった。
異変は、あまりにも静かに始まる。
最初に気づいたのは沿岸部の観測所だった。
海面の動きが妙だった。風もないのに波が立ち、規則性のない振動が続いている。
地震ではない。
だが確実に、“何か”が下から動いている。
報告は上がる。
しかしすぐには重要視されなかった。
計測ミス。
海流の影響。
機器の誤差。
説明はいくらでもつく。
誰もそこに意思ある存在を想定していない。
だが数時間後、その認識は覆される。
一隻の漁船がレーダーから消えた。
救難信号はない。
通信もない。
ただ、そこにあったものが消えた。
そして――
海が割れた。
巨大な影がゆっくりと浮上する。
水面を押し上げるその姿は、既存のどんな生物とも一致しない。
長大な胴体。
蛇のようにうねる巨躯。
ただ姿を現しただけで周囲の海流が変化し、港湾施設の警報が一斉に鳴り響いた。
観測センターは混乱に包まれる。
「生物データベースに一致なし!」
「全長推定三百メートル以上!」
「未確認巨大生物です!」
怒号が飛び交う。
誰もこんな存在を想定していなかった。
責任者がモニターを睨みつける。
「識別名を付けろ」
一瞬だけ室内が静まり返る。
巨大な海蛇。
伝承の海龍。
その姿を見た若い研究員が呟いた。
「……マンダ」
責任者が頷く。
「対象をコードネーム“マンダ”とする」
その瞬間。
データベースに最初の名前が刻まれた。
人類が初めて確認した怪獣。
マンダ。
長大な体がうねり、海流そのものを変えていく。
ただ存在しているだけで周囲の環境が歪む。
港は一瞬で崩壊した。
船は巻き込まれ、建造物は押し潰され、人は逃げることしかできない。
その映像はすぐに世界中へ拡散する。
最初はフェイクだと思われた。
だが別の地域。
別の映像。
別の角度。
同じような巨大生物が次々と確認され始める。
山岳地帯では地面が割れる。
ゴモラ。
巨大な体が姿を現し、ただ歩くだけで地形が変わる。
都市部では地下構造が崩壊し、そのまま地上へ突き破る影。
ガボラ。
回転する装甲を展開しながら無差別に進行する。
空では衝撃が走った。
ラドン。
その通過だけで建造物が崩れ、衝撃波が都市を揺らす。
共通していることが一つだけあった。
どの怪獣も人類を狙っていない。
ただ動いている。
ただそこにいる。
そしてその結果として、人類の生活圏が破壊されている。
政府は緊急事態を宣言する。
だが言葉が追いつかない。
未確認巨大生物。
それが限界だった。
しかし一部の研究者は既に別の結論へ辿り着いていた。
「……縄張りだ」
怪獣同士が互いの領域を奪い合っている。
その過程に人類の都市が含まれているだけ。
つまりこれは侵略ではない。
生存競争だ。
やがてその仮説を裏付ける出来事が起きる。
山岳地帯。
ゴモラの進路上に別の巨大な影が現れた。
レッドキング。
両者は止まらない。
威嚇もない。
警告もない。
ただ一直線に接近し、そのまま衝突した。
轟音が山々を揺らす。
大地が裂ける。
純粋な力と力のぶつかり合い。
人類の兵器は、その戦いに干渉できない。
砲撃も。
ミサイルも。
意味を持たない。
やがてレッドキングが押し切った。
ゴモラが地面へ叩き伏せられる。
巨体が崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
勝者は振り返らない。
敗者を確認することもない。
ただ自らの縄張りへ向かって歩き去っていく。
人類はその戦いをただ見ていることしかできなかった。
その頃。
軍は動き始めていた。
避難。
封鎖。
防衛線の構築。
だがそれだけでは足りない。
誰もが理解し始めていた。
今までの常識が通用しないことを。
「……迎撃手段が必要だ」
軍上層部の結論は一つだった。
既存兵器では通用しない。
それは既に証明されている。
ならば新しく作るしかない。
対怪獣兵器。
まだ名前もない計画。
だがそれこそが、人類の次の一手になる。
そして深海。
観測の届かない領域。
暗黒の海底で、何かが動いていた。
小さい。
だが確実に増えている。
群れ。
あるいは繁殖。
まだ誰もその存在を知らない。
人類はまだ知らない。
この戦いが長く続くことを。
そして――
これが、ただの始まりに過ぎないことを。
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