高度育成高等学校に入学してから、早いもので一週間が経過した。
この一週間の間に、俺は学校という組織、そしてクラスメイトたちの生態をじっくりと観察してきた。
我が1年Dクラスは、お世辞にも優秀とは言えない混沌とした状況だった。池や山内といった女子生徒たちは、授業中にもかかわらずスマホをいじって大声で騒いでいるし、中には悪びれもせず遅刻や欠席を繰り返すものもいた。須藤もいびきをかいてよく寝ている。
10万ポイントという大金が手に入り、段々学校生活にも慣れてきて完全に気が緩んでいるのだろう。
一方俺は真面目に授業を受けていた。
授業内容はホワイトルームで以前履修したものだったが、だからといって授業を聞かないで会話をしたりスマホをしたりする気にはなれなかったからだ。
ある日の放課後。
いつものように最後列の窓際でカバンをまとめていると、俺の席の前に華やかな影がいくつも落ちた。
「ねえねえ、綾小路くん! 今日はカラオケ一緒に行ける?」
声をかけてきたのは、クラスのギャル層のリーダーである軽井沢恵だった。期待するような一方で少し不安そうな様子だった。彼女の後ろには、同じグループの佐藤麻耶、篠原さつき、松下千秋、そしてクラスのまとめ役である平田洋介まで揃っている。
入学初日にカラオケを断ってしまったあの時の罪悪感が、俺の脳裏をよぎった。
今日は放課後も予定はなかったし、初めてのカラオケに行ってみるか。
「ああ、今日は日用品の買い出しもないし、空いてるぞ。喜んで同行させてもらう」
俺がそう答えた瞬間、女子たちの顔がパァッと輝いた。
「やったぁ! 綾小路くん、神!」
「マジで!? 超嬉しいんだけど!」
佐藤や松下がハイタッチをして喜んでいる。
ただの放課後のカラオケでここまで歓迎されるとは。
男の希少価値ってやっぱり凄いんだな。
ふと、隣の席に視線を向けると、堀北鈴音が静かに教科書をカバンにしまっていた。どこか寂しそうで耳が心なしか少しシュンと垂れ下がっている子犬に見えた
俺は少し考えてから、彼女に声をかけた。
「なぁ、堀北。もしよかったら、お前も一緒にどうだ?」
「っ……!」
堀北はビクッと肩を跳ね上げた。その瞳の奥には明らかな動揺と、ほんの少しの期待が混ざっている。
しかし、彼女はチラリと軽井沢たちのグループを見て、すぐにフイッと顔を逸らした。
「……ごめんなさい。私は人と群れるのが好きではないの。今日は家に帰って勉強でもしているわ」
歯切れ悪くそう言った。カバンを握る手は微かに震えていて、どこか寂しそうな雰囲気が隠しきれていない。クラスの女子たちと馴染むのが苦手なだけで、俺とカラオケに行きたかったのだろう。
俺自身も堀北の歌声は気になるところだ。
「そうか。じゃあ、今度は二人で行くか」
「な、ななな、何を言っているのよ……!」
他の生徒に聞かれても面倒なことになりそうなので、堀北の耳元の近くで小声で言った。
堀北の白い頬が一瞬で真っ赤に染まった。
「あ、綾小路君と二人で……!? そ、それって……」
「はやくいこうよ、綾小路君!」
「綾小路君の声、早く聞かせて―」
軽井沢達にカラオケに行くように催促される。
堀北にまた明日と言って、軽井沢達と一緒にカラオケへと向かった。
ケヤキモール内にあるカラオケボックス。
最新の機材が揃った広い部屋に通され、俺はソファの端に腰を下ろした。
「じゃあ、順番に歌っていこ! 綾小路くんは、何番目がいい?」
平田が電子端末を手に、俺に優しく微笑みかけてきた。
「俺はカラオケが初めてで。後ろの方にして欲しい。みんなの歌を聴いて勉強したい」
「え~、綾小路くんの歌、早く聴きたいのに!」
「でも、初めてなら緊張するよね。分かった、じゃあ後ろの方にセットしておくね!」
軽井沢たちがブーブーと言いつつも、俺の意見を尊重してくれた。
そこからは、女子たちのオンステージだった。
軽井沢が今流行りのポップスをノリノリで歌い、佐藤や篠原がタンバリンを叩いて盛り上げる。平田が綺麗なバラードを披露すれば、みんなでうっとりと聞き惚れる。俺はというと、手拍子のリズムがズレないように最新の注意を払いながら、彼女たちの歌唱を観察していた。なるほど、ビブラートやしゃくりといった技法は、こうして実践で使うものなのか。
そして、楽しい時間はあっという間に過ぎ、ついに俺の番がやってきた。
「お待たせしました! ついに、綾小路くんの番だよ!」
松下がテンション高くマイクを俺に手渡してきた。
室内の全ての視線が俺に集中する。女子たちの目が、まるで獲物を狙う肉食獣のようにキラキラと、ギラギラと輝いていた。
そんなに見られるとちょっと歌い辛いな。
男ってこともあるから仕方ないことなんだろうが。
(何を歌うべきか……)
デンモクの画面を見つめながら、ホワイトルームでの「音楽・発声カリキュラム」を思い出していた。
あそこでは、絶対音感の習得はもちろん、あらゆる音域の発声法、呼吸管理、さらには現代日本の主要なポップスの音階データまで網羅させられていた。歌えと言われれば、機械のように正確なピッチと完璧な声量で歌い上げる技術は骨の髄まで叩き込まれている。
俺は適当に、ランキングの上位にあった無難なJ-POPの曲を選択した。
イントロが流れ、マイクを口元に近づける。
「――♪」
第一声を出した瞬間、室内の空気が一変した。
自分で言うのもなんだが、ホワイトルーム仕込みの発声法は伊達ではない。変声期を終えた俺の声は、自分でコントロールしているとはいえ、かなり響きの良い、魅力的な低音に仕上がっていた。とはいえ完璧に歌い過ぎて高い点数を取って目立つもの嫌なので、軽井沢達を真似して所々音程を外した。
曲が終了し、採点が出る。
87点だった。
思ったより高かったが、悪くはないだろう。
とても上手という訳ではないが、下手でもない。
「……っっっ!!!」
女子たちが、全員口を手で押さえて硬直していた。
「ちょ、ちょっと……」
軽井沢が震える声で呟く。
「上手すぎる……! 声が良すぎて、脳が溶けるかと思った……!」
「嘘でしょ綾小路くん!? 歌慣れてないって言ったよね!? プロじゃん! 歌手なの!?」
佐藤と篠原が立ち上がり、身を乗り出して叫んだ。
「もう、完璧……。顔も良くて、性格も優しくて、歌まで上手いなんて……っ!」
松下に至っては、両手を合わせて天を仰いでいる。
パチパチパチパチパチパチ!!!
部屋が割れんばかりの大喝采。平田も「綾小路くん、本当に凄かったよ!」と、目をハートにして拍手を送ってくれた。
俺はマイクを戻しながら、内心で首を傾げた。
今の歌唱は、俺の計算ではちょっと歌が上手いくらい人のレベルに抑えたはずだ。
それなのに、ここまでの絶賛を受けるとは。
そういえば、男の歌手は殆どいない。
男の歌声を聞いた経験が少ないせいで、俺の歌が特別に聞こえたのだろうか。
だが――こうして、満面の笑みで自分を褒めちぎってくれる女子たちの姿を見るのは、決して悪い気分ではなかった。ホワイトルームでは、完璧にこなしても「当然だ」と切り捨てられるだけだったからだろうか。
褒められるのは何だか新鮮だ。
思いっきり目立ってしまったが、そう悪く思えない程には。
それから数曲を歌い、カラオケの時間は終了した。
「じゃあ、そろそろ時間だし、お会計しよっか!」
平田の合図で、俺たちは部屋を出て伝票をレジに持っていった。
俺は自分のポケットから、学生証を取り出そうとした。
「あ、綾小路くん、学生証しまって!」
すかさず、軽井沢が俺の前に立ち塞がり、両手を広げて俺の手元を隠した。
「……どうしたんだ? 会計をするんだろ」
「何言ってるの! 綾小路くんの分は、私たちが全部奢るに決まってるじゃん!」
佐藤も横から小走りでやってきて、自分のスマホをレジの端末にかざそうとする。
「いや、それは困る。俺も同じクラスの仲間だし、自分の分は自分で払うのが対等というものだろう」
俺が真面目にそう言うと、軽井沢たちは一瞬だけ動きを止め、それから何とも言えない、愛おしそうな、そして少し呆れたような溜息を吐いた。
「あのね、綾小路くん。そういう風に『対等でいたい』って思ってくれるところ、本当にカッコいいと思う」
軽井沢が、少し真剣な、しかし頬を赤らめた表情で俺を見つめてきた。
「でもね……一緒に遊びに来てくれた男子に、お金を払わせるわけにはいかないの。これは、私たちの『女としての意地』なんだから、カッコつけさせてよ」
「そうだよ、綾小路くん! ここは大人しく、私たちに貢がれちゃいなさい!」
佐藤もウィンクをしながら、ピッ、とレジの決済を終わらせてしまった。
「女としての意地」か。
ホワイトルームには存在しなかった概念だな。彼女たちがここまで強硬に、かつ嬉しそうに主張してくる以上、これ以上拒絶するのは逆に空気を壊すことになるかもしれない。
特権階級としての優遇には慣れないし、奢られることには少しのモヤモヤを覚える。
しかし、ここは彼女たちの「好意」を素直に受け取るのが、平凡な男子としての正しい処世術だろうな。
俺はスマホをポケットにしまうと、軽井沢たちの目を真っ直ぐに見つめた。
「……分かった。そこまで言ってくれるなら、今回は甘えさせてもらう。……ありがとな」
俺が「ありがとな」と言った、その瞬間。
「――――っっッ!!!」
軽井沢、佐藤、篠原、松下、そして平田までもが、一斉に息を呑んで硬直した。
次の瞬間、彼女たちの顔は、まるで信号機が一斉に赤になったかのように、耳の裏まで真っ赤に染まった。
「あ、う……ううん! どういたしまして……っ!」
軽井沢が慌ててそっぽを向いたが、完全に平常心を失って足元がふらついている。
「やばい……今の『ありがとう』は反則……心臓止まる……」
佐藤は胸を押さえてしゃがみ込みそうになっているし、松下も「ごちそうさまでした……」と意味不明な供述を始めている。カラオケを奢られたのは俺の筈だ。平田洋介でさえも、顔を真っ赤にしてモジモジとしていた。
ケヤキモールを出ると、外は綺麗な夕焼け空が広がっていた。
奢られたことへの奇妙なもやもやは完全に消えたわけではないが、カバンを肩に担ぎ、騒がしく笑い合う女子たちの中心を歩きながら、俺は静かに心地よい充実感を味わっていた。
カラオケ、悪くないな。
次は堀北と行こう。
そんな些細な計画を頭の中に描きながら、寮へと足を進めた。
平凡な生活を送るという目標は失敗してるものの、原作よりは青春出来てて機械化が進まなそうな綾小路君。