朝別れてから少しした後、族長の家の前に私とニーチェは集まっていた。
族長の家と言っても大きい訳じゃなく、集落の中央に近い家が族長のものになっているらしい。
ニーチェと雑談しながら、手持ち無沙汰で体を温めていると家の方から声がしてきた。
「うん、今日も早いね君たち2人は。まったく、関心関心」
家の扉を開けて、頷きながらゆっくりとした足取りでやってきたのは、壮年と思える渋めの顔立ちをした一見40代くらいに見えるだろう男性、族長だ。
筋肉質で整った体に、艶のある茶髪に茶色い瞳、よく通る声。1500歳を超えていると言われても誰も信じないだろう。
ハイヴィリオ・ベンフォーサー
この集落で数少ない剣を扱うエルフにして、最強のエルフ。集落が魔物によって滅ぼされていない理由。
戦闘技術を認められた村の戦士達も3人がかりで挑まないと戦いにならないほど卓越した実力を持っていて、魔法も扱える近接戦闘の達人。私が目標にすべき人だ。
もっとも、使っている剣が2m近い大剣なせいで剣の立ち回りは参考に出来ないが、それでも今最も学ぶところの多い人だろう。
「それじゃあ、訓練を始めようか。さ、一緒に走ろう。」
そう言うとすぐに走り出して行った。これもいつも通りではあるが相変わらず急なので慌てて出発するも既に結構な差が開いてしまった。
訓練は走り込みから始まる。基礎の体力がないと戦いに興じることはできないからだ。
ただこの走り込みが訓練で1番きつい。
いつも族長と一緒に集落の外周を走るのだが、族長が終わりにするまで止まれないのだ。
終わるタイミングも不明で先が見えないまま走り続けないといけない。
このいつ終わるかも分からない地獄で走り続けるのがマジで苦しい。
今日ももれなくそうなるだろうと気が滅入っていた時に、族長が急激にペースを落として距離が近づく。
いつもと違う様相に、凄く嫌な予感を感じたが、その予感は見事に的中した……
「そうそう、今日から訓練キツくなるからよろしくね」
たった一言、短い文言だったが私とニーチェが絶望するのには十分すぎた.....
「っ……はあっ…………はっ……ぅ…………」
どれだけの時間走っていたのだろうか。族長の家の前を5回通ったあたりから記憶が定かではない。少なくとも今までとは桁の違う運動量だ。
既に死にかけで膝が笑っており、身体から湯気がたっているのではと錯覚するほどに汗と熱気にまみれていた。このまま地面に倒れこみたいが、呼吸出来ずに死ぬ確信があったため気合いで体を動かす。
族長から渡された水を飲む時も覚悟をしないとむせ返ってしまう。
真横には同じく死にかけで座っているニーチェがおり、こちらも言葉を発する余裕が無いほどに息を切らしていた。
(これを毎回繰り返すの...?これを...?)
あまりのキツさに逃げたいなんて思ってしまうが、これはエルフが魔物と遭遇せずに生涯を生きるなんて天文学的な確率だから組まれた訓練であり、魔物と戦う上で必要なことだから逃げる訳にはいかなかった。
何より剣と魔法を使いこなせるようになりたいとおもうと、ギリギリ何とか持ちこたえることができた。
(いつから私はこんな単純になったのかしら...考えるまでもなかったわね)
チラリとニーチェを覗き見るがその顔は死にかけでもやる気があることは見て取れた。走り終わってからもそんな表情ができるのかと、もはや尊敬までしてしまう。
そんな私達の様子を見て、満足気に笑っている元凶がいる。
「いいね。結構飛ばしたんだけどまだまだやれそうで良かった」
果たして目は付いているのだろうか。
死にかけ2人を見ながら出るセリフとは思えない。
少し抗議してやろうと口を開きかけたが、続く族長の言葉にすぐ口は閉じることになった。
「じゃ、次は魔法の練習にしよう」
待ちに待った魔法の時間。それだけで私は口を噤んだ。我ながら単純な頭をしている。
魔法の練習とはいえまだ私は魔力操作しかやれない。でもそれはあくまで私の話。族長はもちろん、ニーチェだって魔法を使える。魔法は見るだけでも面白い。
それに私は元々魔法が好きだ。
訓練が始まった時からずっと、練習中に族長は色んな魔法を見せてくれていた。様々な属性の魔法で動物や花を形作り、目の前で自由に操っていた。
その光景は幼き私にはあまりにも眩しくて、綺麗で、私が心動くほどに感動した数少ない思い出だ。
だからずっとこの時間が好きなんだ。
前言を撤回する。好きではない。
魔法ももれなく訓練内容が変わっていた。
やることはシンプル。走りながら魔力操作をするだけ。
どうやらまだ走らされるらしい。
ふふ……ははは……まぢ無理…………
苦しすぎて白目を剥きそうだ。
エルフの体は1日にそう何時間も走れるように出来てはいない。
昼食休憩を挟めるようになったのは太陽が傾き始めた頃だった。まぁ走りの間に挟まれたら十中八九吐き出すことになるからそれは良かった。
少し休憩を挟んで私とニーチェはそれぞれの訓練に別れる。私には族長、ニーチェには集落一の弓の戦士が付いた。
育成にかけるコストが高くないかと思うが腕の良い者が教えた方が最終的にいい結果になるらしい。ここで言う最終的に、はエルフ基準での最終的だ。100年単位のそれはそれは長い時間が込められている。前世は序盤で退場した私には分からない長さだ。
最後に剣の時間だ。さすがにもう走らないらしい。ただ素振りをするだけだ。
私が素振りをする前に、族長が手本となる素振りを見せてくれた。
人の背丈よりも大きな木剣を構え振り下ろす。一つ一つの動作が美しいなと思った。素早く振っているのにその木剣は空気を押し出さず、切る。大きな木剣であるにも関わらず、切れていた。
近くで見ている私に届くのは鋭い音だけだ。
20回か30回か、長いようで短い族長の素振りが終わった時、私は高揚感で体温が上がるのを感じていた。
素振りをする。
族長が違和感を言う。
意識してまた素振りをする。
また違和感を言う。
また素振りをする。
単純作業で内容自体の退屈さは走り込みと同じようなものだろう。それでも楽しかった。
酸欠で腕がキツくても、膝が安定しなくても、時々目の焦点が定まらなくなっても、それでも今までにない心の高まりを感じた。
無我夢中で素振りをすると身体が変な感覚に包まれていった。
視界がぼんやりとかすみ、背景の木々が光で滲み、消し去られていく。遠くの音は完全に消え去り自分の呼吸と素振りの風切り音しか聞こえなくなる。
徐々に世界から情報が消えていき自分だけになる感覚。それは歪な安定感を持ち、子供の秘密基地のような心地良さを感じる。
木剣を振るう。
ただ真っ直ぐに振り下ろす。ひたすらに、真っ直ぐと。
その軌跡を見逃さないように、目を見開いて凝視してみるが、族長の素振りに比べれば歪んでいて、軽い。
だが今までの10年間分の訓練を感じる軌跡。前世を思い出してから見るそれは、自らが生み出していながらも美しく見えた。
15回ほど繰り返して戻ってくると族長は面白そうに口角を上げていた。
小指の力の抜き方、振り下ろしの力を込めるタイミング、刃の向きと振り下ろす向きのズレ、体の力を込める順番。
すぐには修正できない、それでも強くなるために意識する。心に刻む。
気が付けば日が暮れていて、族長から今日の訓練の終わりを告げられた。
家に帰る道中も頭の中には素振りがあった。族長の素振りと自分の素振り。2つを交互に思い返すだけ。たったそれだけでも今までに無い充実感があった。異世界を生きる実感をしたような気がする。
身体はずっと苦しいままだが、この苦しさに自身の能力が上がっている裏付けをされているようで、少しだけ心地良さを感じた。
まあそれはそれとして週に1度しか休みがないのはいただけないけど……
ちなみに帰った直後に汗だくすぎるからシャワーを浴びたら溺れかけたことに結構頭を悩ませている。
訓練の度にシャワーで溺れるのはシャレになんないよね……
◆
sideハイヴィリオ
周囲の物音もしなくなる夜中。ランプによる柔い明かりに照らされてハイヴィリオは2mもある自分の愛剣を丁寧に手入れしていた。
よく磨かれた剣身は薄明かりの中でも鋭く光を反射している。
1人黙々と作業を進めていると、不意に後ろのドアが開かれた。
「相変わらず丁寧な手入れだな親父」
「長年付き添っている相棒だからね。雑には扱えないさ」
僕は愛剣を鞘に戻し壁に立てかけた後ゆっくりと振り返った。そこにはドアの枠にもたれかかっている息子の姿があった。
ルーカス・ベンフォーサー
若々しい顔つきに鍛え抜かれた身体、センターパート、長い後ろ髪は1つ結びでポニーテールになっている。ハイヴィリオと同じく艶のある茶髪で同系色の茶色い瞳。200歳を超えていながら見た目は20代前半に見えるのはさすがエルフと言ったところか。
そして集落一の弓の戦士でニーチェに弓を教えている者だ。
そんなルーカスは片手にお酒を持っていた。
「1杯どう?親父」
「ルーカス。明日も彼女達の訓練に付き合うんだよ。次の日が休みでないと…………はぁ.....1杯だけだよ。」
「ありがとな親父。分かってる、飲み過ぎないようにするって」
僕もルーカスには甘いというのは分かっているが、1杯だけならとどうしても許してしまうね。
ルーカスが対面に椅子を持ってきて2つの木製のコップに果実酒を注ぐ。
「「乾杯」」
コンッと軽い音を立ててコップを交わす。1口飲みコップを机に置くと、音が響き少しの間静寂の時間が流れる。
ルーカスは基本的に真面目で優秀だ。明日も訓練で教える立場にも関わらず酒を飲むことは普通提案しない。
しかしこの日は気分が乗っていたからか、父親と会話する少しの気恥しさを紛らわせるためか、はたまたその両方か、お酒を交えての会話をしに来ていた。
「それで、ただ晩酌をしに来た訳じゃないんだろう?訓練で何かあったかな」
「ああ。つっても重大な訳じゃないが。ひとつ聞きたいことがあってな……親父、今日から訓練内容重くしたんだよな?」
その質問は予想外なもので、というか僕のしたことに対して疑問を抱く何かがあったことに驚きを隠せない。
「もちろん。今までの倍以上は負荷がかかってるはずだよ。何か問題があった?」
「逆だよ逆。問題が無さすぎたんだ。今までのガキ共で初日から完遂した奴らは初めてだったからな。あまりに普通だったから親父がまだ重くしてないんじゃねえかと思ってな」
ルーカスは一度果実酒を口に含んでニヤリと笑みを浮かべながら言う。
「ニーチェは強くなるぞ。戦士長である俺よりも、もしかしたら次期族長かもな」
「それほど、ね」
「極限状態で集中できるってだけでも十分期待できる。魔法の才能もあるんだろ?なら間違いなく強くなるぞ」
ルーカスが楽しそうに語ってるのを見るとこっちも嬉しくなってくる。まあ向こうは子供扱いすんなとか言ってきそうだけど、それもいいだろう。
だけど
「次期族長はニーチェじゃなくてリファになるよ」
「へぇ...」
僕が反対意見を言うのは、自分で言うのもなんだけどかなり珍しい。ルーカスも目を細めて僕の真意を探っている。
「リファは天才だよ、間違いなくね。彼女は既に剣と一心同体の所に1歩踏み入れてる。戦いもまだなのに、ね」
「ふーん、親父がそこまで言うか」
どうにか隠そうとしてるようだけどルーカスの顔には驚きと好奇心が溢れ出している。
僕だってそうだ。思わず笑みが浮かんでくる。彼女達がこの先強くなることを楽しみにしている。どれだけ強くなるのか、いずれ僕すらも超えていくだろう未来に期待して。
「じゃあ訓練計画は前倒しだな。長く燻らせることはねえし、こっちは万年人手不足なんだしな」
「そうだね…………半分、半分にしようか。3年で実戦レベルに押し上げる」
本来は訓練を強化してから、6年間ゆっくり時間をかけいくつかのステップを踏んで強くしていく。それら全てを半分にするというのは普通じゃない。
しかし僕には彼女達がやり遂げると、それも予想を遥かに超えてくるという確信があった。
「半分?!親父さすがにそれは.....いや、親父が行けると思ってるんならもちろん乗るが.....」
「問題ないと思うよ。リファもニーチェも訓練はやりきったからね」
「ははっ大変だなあいつら。俺だったら絶対やりたくねぇ」
昔の訓練を思い出したのか少し乾いた笑いをあげたルーカス。想いを馳せるのは族長が親だったせいで無理やり走らされていた日々だった。
訓練が悪化の一途を辿るリファ達に同情しつつ、どれほど強くなるのかの期待も膨らんでいった。
当人の預かり知らぬところで地獄が確定した夜。
コップの中の果実酒が無くなるまで続いた雑談だったが、内容の大半がリファ達の訓練だったことは言うまでもない。
既に限界まで悪化していたはずの訓練内容が、さらに悪い方に傾いて行ったのも言うまでもない。哀れ、リファ達。
このままだと曇るまで10万文字コースなのでタイトルを変えたいです……案がないです……