「はい、お水」
「ありがとうリーちゃん」
走り込みが終わり座り込んでいたニーチェに水を渡して隣に座る。初めの頃に比べだいぶ体力も付いてきたおかげで息を整えながらも会話する余裕が出来てきていた。
他愛もない会話をしていると不意にニーチェから質問された。
「なんでリーちゃんはそんなに頑張って訓練するの?」
唐突ではあったがとても簡単な質問。故に私の回答もシンプルだ。
異世界なのに強くならないのは損だから。命の危険がそこらに蔓延っていて、分かりやすく超常の力が存在するから。
それに前世で親友を助ける成功体験を得てから、命懸けで人を助けるというのがどうも良いイメージとして残ってしまっている。だからこそ人を救えるだけの力が欲しい、というのもある。
既に私は手遅れなほど前世に考えが引っ張られているのかもしれない。
「魔物を倒せるようになるため。魔物から人を守るため。そのために頑張ってるわね」
前世の成功体験なんてものをバカ正直に言える訳もない。丁寧に上辺を取り繕った回答だ。
いや、本当に前世からの憧れだとか承認欲求が主な理由なのだけれど、さすがにそんなこと話したら引かれるし信じないだろう。
まあ半分くらい内容を削っただけで嘘はついてないからセーフだと思いたい。
倒したい理由が異世界に憧れてるからだとか、人を守るため、と言うよりはニーチェを守るためなんて本人に向かっては口が裂けても言えないけれど誤差の範疇だろう。
そんな軽い気持ちだったのだがニーチェはどこか悲しい表情をしていた。
でもすぐにニコニコした表情に戻って言う。
「私も一緒。大切な人を守りたいから頑張る!」
ぎゅっと胸の前で握りこぶしを作ったニーチェにさっきまでの表情はもうない。
私は一瞬曇った表情について気になったが、それほど気にするものでも無いか、とすぐにニーチェの出した次の話題の方に考えを切り替えていた。
走り込みが終わったあとの貴重な休憩時間、早朝の極わずかな時間を除けば、ニーチェと話せる唯一の時間にニーチェの話題よりも大切なものは無かったからだ。
一日を耐え抜くためには、唯一の癒しであるニーチェに心を癒して貰うことは必須だった。
だからかすぐに悲しい表情をしていたことを忘れてしまった。その表情の裏側には考えもしない重たい感情が隠れているとは知らずに。
◆
sideニーチェ
今日もリーちゃんは訓練に励んでる。
体調不良で休む前も頑張っていたけど、今はそれとは比較にならないほどに、それこそ毎日倒れてしまうくらいに頑張ってる。
私はそれが怖い。
死に急いでる気がして、自棄になってるんじゃないかって。
唐突に死んじゃったらどうしよう、なんて考えがずっと頭の中でぐるぐる巡って…………大丈夫だって、信じようとしても、また倒れるくらい必死に頑張ってる姿を見たらどうしても思い浮かんできて。
だから思わず聞いちゃったのかな。
「なんでリーちゃんはそんなに頑張って訓練するの?」って。
訓練の間の、束の間の休憩時間にまで訓練のことは考えたくないだろうから、言ってしまったなって思った。
でも知らなきゃいけないとも思う。
それほどまでに今のリーちゃんは危なっかしいから。
「魔物を倒せるようになるため。魔物から人を守るため。そのために頑張ってるわね」
普通の回答。多分戦士の人に聞いたとしても何人かは同じ回答をするんじゃないかな。でもリーちゃんのそれは重く感じる。
だってリーちゃんの両親は生まれてすぐ魔物に殺されてるから。
両親の仇だからなのか、自分のような子が生まれないようにするためか、その無表情の裏側にはどんな感情が隠されているのか私には分からないし、想像もできない。
でもこの質問のお陰で一つ決心できた。
「私も一緒。大切な人(リーちゃん)を守りたいから頑張る!」
リーちゃんがみんなを守るために戦うなら、私がリーちゃんを守る。
家族もいないリーちゃんを守れるのは、私しか居ないんだから。
きっとリーちゃんはもっと強くなる。周りの人達を置き去りにするくらい速く。だから、私もそれに負けないくらい強くならないといけない。
私だけはリーちゃんを守れるようになるんだ。絶対に一人じゃ戦わせないから。
▽
エルフにとって家族、血の繋がりは重たい。寿命が長いから、子供が生まれてからの時間が長い。その長さは血の繋がりが神聖視されるようになるほどで、それほど家族は特別な関係だ。
そんなエルフで親が居ないのは困るなんてものじゃない。
愛情もそうだしコミュニケーションに知識、生きるのに必要な要素のほとんどは家族から教えられる。それを受け取れずに育つ、というのは集団の中で生きていく上で過酷としか言えない。
一応養子制度はあるけれど、養子にしたら血の繋がりを持つ家族と同じように接することが条件で、それは家族を重要視、神聖視すらしているエルフには難しい話だった。
だから産まれてすぐに家族を失ったリーちゃんはずっと孤独だったって聞いてる。
集落のみんなが別に養子にしないから心が無いとかそういう訳じゃ無い。養子とは言っても家族は家族、その重みがあってよっぽどの事がない限りは取らない。
それに集落のみんなはリーちゃんを見捨てたりはしなかった。集落の人達皆で話し合ってちゃんと生きられるように、なるべく辛い思いをしないような配慮をするように決めたらしい。家族にはなれなくてもできる範囲でサポートはすると。
それは住む場所を与えたり、基本的な知識を教えたり、やりたいことがあれば大人たちは親の代わりに力になることだったり。
でも愛情は教えなかった。
私はそれが嫌だって思った。
孤独だって知ってるのに。大切なはずのそこだけを放置するのが。
一回お父さんに聞いたことがある。「なんでその子と話したりしないの?」って。その時のお父さんは苦い顔をして「僕じゃ家族の代わりにはなれないからね」って言ってたっけ。
大人たちは家族の代わりになれないと。いや、なってはいけないと考えてるから動けないんだ。
って気づいてしまった。
だから私が色々教えようと思った。
子供の私なら色んなしがらみを無視して、リーちゃんと話せると思った。
それに愛情云々は抜きにしても仲良くなりたかったしね。
そう考えたのが十一歳の終わりの方。子供は決まって十二歳から三十歳までの間、族長の元で訓練するしきたりがあるから、そこからリーちゃんに会うのはすぐだった。
◆
sideニーチェ(十二歳〜)
まだ日も上り始めたばかりで辺り一面は霧がかかったまんま、そんな集落の中で唯一明かりが灯っている家があった。
明かりに照らされる大小二つの影は慌ただしく動いている。
「ニーチェ、いくら今日から訓練とは言ってもはやくない?太陽も出てきたばっかなんだよ?」
「起きちゃったのはしょうがないじゃん!それにあの子も来るんでしょ?」
「そうだけどね...親としてはニーチェには健康を気づかって欲しくて.....それにこんな時間に出ようとするとは思わなくて.........」
「私結構楽しみにしてるんだからね、その、リファちゃん?に会えるの」
その明かりの中からは朝早くで疲れているような眠たいような声と、反対にが早朝とは思えないほど活発で活気に溢れた声が聞こえてきた。
ニーチェの父、テイラムとニーチェの声だ。
ニーチェの父は二十歳ほどに見える好青年で、濃いベージュ色の肩ほどまで伸びた髪、男らしい肩幅、柔らかい表情に適度に鍛えられた身体には安定感があり、流石はエルフと言えるイケメンだ。
エルフなので実年齢は430歳、エルフの中ではかなり若いがそれでも人の人生何周分も生きている。
「だからってそんな……いつもの家族で食べるご飯が嫌になっちゃったの?僕はすごく楽しみにしてるのに...」
そんな父、テイラムの顔はかなり寂しそうに、困り眉にして問いかけていた。
敢えてもう一度言うが、エルフの血の繋がりは本当に大切なのだ。
そんな家族の、可愛い一人娘が初めて訓練に出ていく日で、しかも初めて出会う同世代の子を優先するというのは悲しいものである。とても。
とはいえこうなった原因はテイラムにあったためあまり強くは言えなかった。
「パパが言ったんだよ?『あの子はずっと一人だったから私が友達になってくれると嬉しいな』って。私だって今まで友達居なかったのにそんなの言われたらすぐ会いたくなるに決まってるじゃん!」
「それは……そうだけど.........こんな時間に出ても長い時間待つだけだよ?」
「それでも良いの!」
自分に近い年齢のエルフが居なかったニーチェにとっても初めての友達、テンションが上がっているのも仕方の無いことだった。そしてそれを言われてしまってはいよいよ言い返すことが待ち時間しか無くなるが止めることはできず結局───
「じゃあ!行ってきまーす!」
準備が終わるとニーチェはすぐに家の外へと向かいドアを開き、族長の家へ駆け出してしまった。同じく家の外へと出たテイラムに少し振り返って手を振っているニーチェに対して、テイラムは寂しさと優しさ、慈しみの混じった表情で手を振って見送ると、家陰でニーチェの姿が見えなくなった頃にポツリと呟いた。
「いい友人になってくれたら嬉しいな...ニーチェにとっても、リファちゃんにとっても。僕ら大人は無力で、勇気も無かった。だから...寂しくなるかもなぁ」
微笑みを混じらせながらニーチェのいる方に背を向けドアを閉める。その後ろ姿には少しの寂しさと、確かな優しさを感じられる穏やかなものだった。
▽
「はぁ〜さむっ……うわ〜朝早くってこんなに寒かったんだ...失敗したなぁ...」
私は家から出た後、族長の家の前について少ししてから早く出てきたことを後悔し始めていた。
それもそのはず、季節は春の初め、そんな時期の太陽が上がり始めたばかりの気温はめちゃくちゃ低く、普通の訓練用の服でやって来たニーチェには厳しい気温だった。
既に体は冷えきってしまってガタガタ震えてしまって背中を丸めている。すこしでも温まるように辺りをウロウロしていると後ろから声をかけられた。
「大丈夫?」
透き通った声がしてドキリと心臓が跳ねた。
その声の持ち主の方へ振り返ってみると、そこには凄く綺麗な女の子がいた。
その子が持つ別世界にいるような美しさに少しの間私は魅入ってしまっていた。
長いまつ毛、高い頭身、スラッとした身体、美しい銀髪。無表情なのも相まって尚更神秘さを増している。
話に聞いていたリファだってことはすぐに分かった。
そんな彼女は、無表情のまま私を心配してずっと見ている………のかな?
多分心配してくれてるんだろうけど、無表情から感情を読み取る力はまだ私にはなかった。
ハッとして慌てて「だっ、大丈夫!」と盛大にどもりながら反応してしまい、第一印象に失敗したのは明らか。
今私の頭は恥ずかしさと後悔が混ざりあって情緒がぐちゃぐちゃだ。
こんな空気に耐えられず私は無理やり話題を振って今の空気から逃げ出そうとする。
「私ってそんなに寒そうにしてた?」
「ええ」
「「………………」」
「……まだ朝早いけど、早起きなんだね」
「たまたま早く起きただけよ」
「…………」
会話のキャッチボールが上手くいかず、元々何故か焦っていた私はさらに気が動転していた。
心の準備もせずに待っていた相手が急に現れたからだ。
そしてそれは自分自身ですら制御出来ないまま肥大化していき最終的に───
「ねぇ、リファちゃんのこと、リーちゃんって呼んでもいい?!」
気が動転しすぎて元々ある程度仲良くなってからと思ってたあだ名で呼ぶことを、幾つものステップを消し飛ばして実行してしまっていた。
絶対に嫌われなくない相手、唯一の同世代、なるべく仲良くなりたい相手に対してこんなことをしでかした私の脳内はもうパニックすぎた。
(あ!待って!やらかした!!!違う違う...あぁもう最悪だ〜……こんなつもりじゃなかったのに.......)
ちゃんと慎重に動くつもりだったのに既に私のメンタルはボロボロに崩れかけていた。
今まで孤独だったリファの空間にこんな一気に入り込むつもりは全くなく、もっと人となりを理解してから……とか考えていた私の計画はおじゃんだ。
(こんな綺麗な子に嫌われたくないよ〜.......仲良くしたいよ〜.....)
嫌われてしまう。頭の中がそれ一色に染まっていたがリファちゃんは表情を変えずに、というか私が焦っていることに多分気づいてないからだろうけどパッと一言。
「いいわよ」
それ以上は何も言わなかったけど、それまでの後悔とかの思考諸々を吹き飛ばしてくれた。
呆気なくあだ名呼びを許可された私は、それはいい笑顔になっていたと思う。
ひとまず初めての交流は結果だけ見れば大成功だ。愛称で呼ぶことが許されたしね。その過程にさえ目を瞑れば何も問題は無い。
そのままリーちゃんと訓練していっぱい話して……一週間くらい経った。
同年代のリーちゃんと一緒に居るだけでも楽しいし、適当なことを話していてもリーちゃんは静かに聞いているだけだけど、嫌な感じとか気まずさは無くて不思議だ。
この一週間でリーちゃんについて色んなことを知れた。
表情が変わらないこと
口調とか話すペースとかも変わらないこと
あと一言が短いこと
無表情なのに意外と雰囲気で感情は分かること
優しいこと
周りのことをよく見てること
結構意外だった。周りのみんなのこと恨んでるんじゃないかなとか思ってたから。話してみたら思ったよりもずっと優しいし穏やかだった。噂から推測するのは良くないね。
走り終わったらお水持ってきてくれるし、転んだ時は駆け寄って心配してくれるし、ずっとそばに居てくれるし。
最初っから友達になるつもりだったけど、もっと友達になりたくなっちゃった。
てか一週間も話してるんだし友達判定でいいよね?
後日確認したら友達じゃないのに抱きついて来るの?ってちょっと引かれちゃった。
確かにそうかも。
それから毎日のようにリーちゃんと話して過ごした。表情が変わらなくてどうしても不安になっちゃうこともよくあった。
けど前に話したお花の冠を作って私にくれたり、変なポーズしてたら意外と乗っかってくれたりしてその度に嬉しくなるし楽しかった。
気が付けば私の隣にリーちゃんが居るのが当たり前になっていた。居ないと物足りなくて、寂しくて、私の心に占めるリーちゃんの割合が徐々に増えていくのを確かに感じた。
私にとってリーちゃんはもうすごく大切な存在だ。じゃあリーちゃんにとって私はどうなんだろう?
未だに変化を見せないあの表情が、いつか笑顔に、出来れば私の力で変わったなら、嬉しいな。