オーバーロード シャルティアになった一般人、洗脳ルートだけは全力で回避する   作:グロはNG

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支配者を演じる者たち

 

 

扉の向こうへ出る前に、俺はもう一度だけ鏡を見た。

 

そこに映っているのは、どう見てもシャルティア・ブラッドフォールンだった。銀髪、赤い瞳、小柄な身体、血を思わせる衣装。第一から第三階層を任された守護者として、何一つ不足のない姿をしている。

 

問題は、中身だけである。

 

「外部の確認……同行者……」

 

口に出した瞬間、自分の声が甘く響いて、俺は反射的に黙った。駄目だ。独り言を言う癖が抜けない。今のところ誰も聞いていないはずだが、ナザリックで「誰も聞いていないはず」ほど信用できないものはない。

 

外に出る。

 

その言葉の重さが、じわじわと全身に染みてくる。ナザリックの中にいるだけでも精神的には十分すぎるほど怖いが、少なくともここは原作知識の範囲内で安全地帯に近い。問題は外だ。外には、知らない人間がいる。血が流れる。戦闘がある。日光もある。

 

そして、最初の事件がある。

 

カルネ村。

 

その名前を思い出しただけで、胃の辺りが重くなる。アインズ様――いや、今はモモンガ様が最初に現地人と関わる場所。物語の始まりであり、俺にとっては最初の現実だ。

 

「……行きたくない」

 

正直な本音が漏れた。

 

慌てて口を押さえる。違う。シャルティアはそんなことを言わない。モモンガ様の命とあらば、喜んで血の海に飛び込むくらいのことを言うはずだ。いや、本物のシャルティアなら多分本当に喜ぶ。俺は絶対に喜べない。

 

外に出たくない。日光も嫌だ。血も嫌だ。戦闘なんてもってのほかだ。だが、断れるはずがない。

 

俺は深く息を吸った。吸血鬼に呼吸がどこまで必要なのかは知らない。ただ、人間だった頃の癖でそうしなければ落ち着かなかった。

 

「モモンガ様の御命とあらば、どこへなりとも……」

 

鏡の中のシャルティアが、優雅にそう言った。

 

俺はその顔を見ながら、内心で思った。

 

どこへなりともじゃない。できれば自室から一歩も出たくない。

 

けれど、その本音を抱えたまま、俺は扉を開けた。

 

廊下に出ると、先ほどよりも空気が冷たく感じた。いや、実際に温度が変わったわけではない。俺の気持ちの問題だ。これから呼ばれる場所で、何かが決まる。その予感があった。

 

案内に従って進んだ先には、モモンガ様がいた。

 

先ほどのように守護者全員が居並ぶ場ではない。完全に二人きりというほどではないが、控えている者の気配は遠く、言葉を交わす中心は俺とモモンガ様だけだった。つまり、逃げ場がない。

 

俺はすぐに膝をつき、頭を垂れた。

 

「お呼びと伺い、まいりんした」

 

「うむ。顔を上げよ、シャルティア」

 

短い言葉だった。だが、それだけで背筋が伸びる。声には威厳があった。ナザリックの絶対者としての重さがある。目の前にいるのは、まさしく至高の御方だった。

 

けれど、俺は知っている。

 

その威厳の奥で、この人もきっと迷っている。

 

突然、ゲームだったはずの世界が現実になった。NPCたちは意思を持ち、絶対の忠誠を向けてくる。誰も疑わない。誰も迷わない。だからこそ、主であるモモンガ様だけが、迷うわけにはいかない。

 

その状況を、俺は知識として知っていた。

 

そして今は、少しだけ実感としてわかる。

 

俺も同じだからだ。シャルティアの顔で笑い、シャルティアの声で話し、シャルティアらしい言葉を必死に探している。中身が違うとバレれば終わり。だから演じるしかない。

 

もちろん、同じなどと言うのはおこがましい。

 

背負っているものが違う。立場も違う。力も違う。モモンガ様はナザリックすべてを背負う主で、俺はその前で必死に吸血鬼を演じているだけの異物だ。

 

それでも、仮面を被っているという一点だけは、どこか似ていた。

 

「外部の確認についてだ」

 

モモンガ様が言った。

 

「この世界の情報はあまりに少ない。ナザリックの安全を確保するためにも、周辺の状況を知る必要がある」

 

「仰せの通りでありんす」

 

反射的にそう返しながら、俺は心の中で頷いた。そこはわかる。むしろ慎重すぎるくらいでちょうどいい。この世界には、油断したら終わる要素が本当にある。特に俺にとっては、後々の洗脳ルートが直撃する。

 

「先ほど、お前は単独行動への警戒を口にしたな」

 

来た。

 

俺は表情を動かさないようにしながら、内心だけで身構えた。あれは本音が漏れた末の苦し紛れだ。だが、モモンガ様の中では何か意味のある進言として処理されているらしい。

 

「未知である以上、警戒は必要かと。わらわ如きが口を挟むことではござりんせんが、万が一にもモモンガ様のお身に障るものがあってはなりんせん」

 

言いながら、自分で少し不安になる。

 

わらわ如き。

 

これ、シャルティアなら言うのか。言う気もする。いや、モモンガ様相手なら過剰にへりくだることもあるはずだ。たぶん。頼むから合っていてくれ。

 

モモンガ様は少し沈黙した。

 

その沈黙が怖い。怒っているのか、考えているのか、見極められない。骸骨の顔は表情が読めない。だが、その分、声や間がやたらと重く感じる。

 

「お前の警戒はもっともだ。そこで、外部確認の同行者について考えていた」

 

嫌な予感が、確信に変わっていく。

 

「シャルティア。お前に同行を命じようと思う」

 

終わった。

 

心の中で膝から崩れ落ちた。

 

顔には出さない。出したら死ぬ。けれど内心は完全に終わっていた。評価された。評価されてしまった。俺はただ単独行動が怖かっただけなのに、その発言がなぜか外部同行につながっている。

 

「わらわを、外へ……でありんすか?」

 

一瞬だけ、声に本音が混ざりかけた。

 

しまった。

 

俺はすぐに顔を伏せ、取り繕う。

 

「光栄の極みにござりんす。モモンガ様の御身に近侍できるなど、これ以上の喜びはありんせん」

 

言った。

 

言ってしまった。

 

喜びではない。危険手当が欲しい。いや、この世界に給料という概念が今の俺に適用されるのかも知らない。そもそもナザリックの階層守護者に労働基準法はない。あるわけがない。

 

「無理をさせるつもりはない」

 

モモンガ様の声が少しだけ柔らかくなった気がした。

 

俺は思わず顔を上げそうになり、ぎりぎりで堪えた。無理をさせるつもりはない。その言葉が、今の俺には妙に刺さった。支配者としての言葉なのか、それとも彼自身の気遣いなのかはわからない。

 

「お前は吸血鬼だ。日中の行動に支障はあるか?」

 

正直に言えば、全力で「あります」と言いたかった。

 

だが、シャルティアは吸血鬼の中でも最強格だ。太陽を浴びた瞬間に灰になるような弱さではない。日中に外を歩けないと言えば不自然だし、何より戦力としての評価に疑問を持たれるかもしれない。

 

だから俺は、言葉を選んだ。

 

「行動は可能でありんす。ただ、日光の下ではいささか不快で、本調子とは申し難いかと」

 

これは、たぶん嘘ではない。

 

実際、外に出ることを想像しただけで嫌な感じがある。肉体的な不快感なのか、精神的な拒否感なのかはわからない。多分どちらもだ。

 

「そうか。ならば、外套や魔法的な補助を用意するべきだな」

 

モモンガ様は即座にそう言った。

 

その反応に、俺は少しだけ驚いた。

 

もっと「支障があるなら別の者にする」と言われるかもしれないと、ほんの少し期待していた。だが違った。補助を用意して、同行は続行。逃げ道は塞がれた。

 

しかし同時に、気遣われてもいる。

 

この人は、支配者を演じながらも、ちゃんと部下の状態を確認している。少なくとも、俺にはそう見えた。

 

「過分なお心遣い、痛み入りんす」

 

俺は頭を下げた。

 

内心では泣いていた。

 

ありがたい。ありがたいけど、できれば「では同行は不要だ」と言ってほしかった。

 

「それと、外見の問題もある」

 

モモンガ様は続ける。

 

「現地の者と接触する可能性がある。お前の姿は……目立つだろう」

 

それはそう。

 

ものすごくそう。

 

俺は内心で全力で同意した。銀髪赤目のゴシック吸血鬼少女が、骸骨の魔法使いと一緒に村へ現れたら、どう考えても怖い。俺が村人なら逃げる。泣く子がいたら多分もっと泣く。

 

「顔を隠すか、姿を変えるか。何らかの偽装が必要だ」

 

仮面。

 

その単語が一瞬頭をよぎったが、俺はすぐに打ち消した。

 

仮面は駄目だ。目立つ。怪しい。あと、似た印象の魔法詠唱者がいる。今後のことを考えても、仮面キャラとして印象を残すのは避けたい。

 

「恐れながら、顔を隠しすぎるのは、かえって警戒を招くかと」

 

言ってから、俺は自分の言葉に少しだけ驚いた。

 

これはシャルティアの思考というより、完全に一般人の感覚だった。だが、引っ込めるわけにはいかない。続けるしかない。

 

「髪と瞳の色を変える程度ならば、現地の者にも受け入れられやすいかと。あとは、日除けを兼ねた外套を纏えばよろしいでありんしょう」

 

モモンガ様は沈黙した。

 

俺は一瞬、言いすぎたかと焦る。だが、モモンガ様は低く頷いた。

 

「なるほど。威圧よりも、不要な警戒を避けることを優先するわけか」

 

違う。

 

怖がられたくないだけです。

 

村人に怯えられるのが普通に嫌なだけです。

 

「現地民との接触において、心理的な抵抗を減らすのは有効だろう」

 

モモンガ様がそう続けた。

 

また深読みされた。

 

いや、これは悪くない。むしろ助かる。俺の一般人感覚が、勝手に戦略っぽく変換されている。問題は、そのせいでまた評価されていそうなことだ。

 

「お前は……思ったよりも慎重にものを見るのだな」

 

その言葉に、俺は動きを止めた。

 

疑われたのか。

 

そう思った瞬間、喉の奥が冷える。

 

だが、モモンガ様の声には責める響きがなかった。むしろ、ほんの少しだけ感心しているようにも聞こえた。いや、骸骨の声から感情を読み取るのは難しい。俺の願望かもしれない。

 

「恐れ入りんす。わらわはただ、モモンガ様の御業が最も美しく映えるよう、下々の反応を整えたいだけでありんす」

 

今のはどうだ。

 

うまく誤魔化せただろうか。

 

モモンガ様はしばらく黙ったあと、静かに言った。

 

「そうか」

 

それだけだった。

 

けれど、その短い言葉が妙に優しかった気がして、俺は少しだけ困った。

 

この人も、演じている。

 

俺は改めてそう思った。

 

ナザリックの絶対支配者として振る舞いながら、本当は一つひとつ判断に迷い、考え、間違えないようにしている。部下の前では弱さを見せられない。だから短く、重く、威厳を保つ。

 

俺はその姿を前にして、胸の奥が少し苦しくなった。

 

俺はシャルティアを演じている。

 

モモンガ様は、モモンガ様を演じている。

 

どちらも仮面を被っている。けれど、俺の仮面は偽物だ。向こうは本物の主で、こちらは入り込んだ異物でしかない。そう考えると、親近感を抱くことすら図々しい気がした。

 

「では、同行を任せる」

 

その言葉で、俺の思考は現実に引き戻された。

 

反射的に口が動きかける。

 

いや、それは――。

 

そこまで出かけて、俺は強引に飲み込んだ。

 

危ない。

 

シャルティアが、モモンガ様の命令を拒むわけがない。ここで少しでも躊躇を見せれば怪しまれる。俺はすぐに膝をつき、頭を垂れた。

 

「わらわのすべては、モモンガ様の御心のままに」

 

声だけは、完璧に近かったと思う。

 

内心は終わっていた。

 

断れなかった。

 

そりゃそうだ。断れるわけがない。わかっていた。わかっていたが、改めて決定されると逃げ場のなさがすごい。

 

「期待している」

 

追撃が来た。

 

やめてください。

 

期待しないでください。

 

俺はただの一般人です。

 

もちろん、そんなことは言えない。俺は頭を下げたまま、口元にシャルティアらしい笑みを浮かべる。

 

「必ずや、御期待に添えてみせんす」

 

言ってから、また自分で少し不安になる。みせんす。合っているのか。合っていない気もする。ただ、もう今さら引き返せない。

 

呼び出しが終わり、俺は部屋を出た。

 

廊下を歩きながら、思考がぐるぐる回る。日光対策。変装。外套。髪色と瞳色。カルネ村。戦闘。現地人。血。どれもこれも、俺の心の準備を無視して迫ってくる。

 

その途中で、最も避けたい相手に出くわした。

 

アルベドだ。

 

彼女は廊下の先で、まるで待っていたかのように立っていた。美しい。恐ろしいほど美しい。だが、その笑顔には温度がない。いや、正確には温度がある。燃えている。嫉妬という名前の炎で。

 

「シャルティア」

 

呼ばれただけで、精神が削られた。

 

「モモンガ様の外出に、あなたが同行するそうね」

 

情報が早い。

 

さすが守護者統括。いや、今は感心している場合ではない。

 

俺はシャルティアらしく笑った。ここで怯えたら終わる。アルベドとシャルティアは恋敵だ。張り合うのが自然。張り合いたくはないが、自然に見せるためにはやるしかない。

 

「モモンガ様より賜った御役目でありんす。羨ましいのでありんすかえ?」

 

言った瞬間、自分の心が冷えた。

 

煽りすぎたか?

 

アルベドの笑みが深くなる。

 

「羨ましい?」

 

声は優しい。優しいのに、背後に黒い何かが見える気がする。

 

「ええ、そうね。モモンガ様の御傍に侍る栄誉を賜るなど、羨ましくないはずがないわ」

 

正直で怖い。

 

アルベドは一歩近づいた。

 

「けれど、忘れないことね。あなたはあくまで護衛として選ばれたのです。モモンガ様に余計なご負担をおかけするような真似は、許されません」

 

それは本当にその通りだ。

 

俺は内心で全力で頷いた。余計な負担はかけたくない。むしろ俺の存在そのものが負担になりそうで怖い。ただ、ここで素直に頷きすぎるとシャルティアではない。

 

「言われずともわかっておりんす。わらわはモモンガ様の御身をお守りするために選ばれたのでありんすから」

 

「あなたが?」

 

アルベドの目が細くなる。

 

「日中の外で、本調子ではないあなたが?」

 

刺さった。

 

ものすごく刺さった。

 

どうしてそこを知っている。いや、モモンガ様に話したことだから共有されてもおかしくない。むしろ当然だ。問題は、弱点を突かれていることだ。

 

俺は笑みを崩さないようにした。

 

「多少不快なだけでありんす。モモンガ様の御前で、日光ごときに膝を折るわらわではありんせん」

 

言いながら、内心では思う。

 

日光ごときではない。

 

普通に嫌だ。

 

できれば屋内にいたい。

 

アルベドはしばらく俺を見ていたが、やがて優雅に微笑んだ。

 

「ならば、よろしいわ。モモンガ様の御名に傷をつけぬよう、努めなさい」

 

「もちろんでありんす」

 

俺は返した。

 

笑顔で。

 

内心では、早くこの場から逃げたかった。

 

アルベドはそれ以上何も言わず、静かに俺の横を通り過ぎていった。通り過ぎる瞬間、かすかに甘い香りがした。美しい。怖い。近くにいるだけで神経が削れる。

 

彼女の気配が遠ざかってから、俺はようやく息を吐いた。

 

「……寿命が縮む」

 

小さく呟いてから、また口を押さえる。

 

いや、吸血鬼に寿命があるのかは知らない。だが精神的には確実に縮んだ。

 

自室へ戻ると、俺はすぐに変装について考え始めた。

 

銀髪と赤い瞳は目立つ。ゴシック調の衣装も目立つ。幼い少女のような姿でありながら、明らかに人間離れした雰囲気があるのもまずい。村人に余計な恐怖を与えないためには、少なくとも色味を変える必要がある。

 

髪は灰茶色か、淡い栗色。

 

瞳は青灰色か薄茶。

 

服装はフード付きの外套。日光対策にもなる。顔を完全に隠すのではなく、日除けとして自然に見える程度に留める。仮面は却下だ。怪しい。絶対に怪しい。というか、今後別の仮面の魔法詠唱者と印象が被る可能性がある。

 

俺は鏡の中のシャルティアを見つめた。

 

この顔で村人に優しくする。

 

この身体で外へ出る。

 

この立場で、モモンガ様の隣に立つ。

 

どれも自信がない。何一つ大丈夫な気がしない。

 

それでも、準備だけは進んでいく。ナザリックの備品か魔法か、何を使うにせよ、外見を変える手段はあるだろう。問題は、俺の心の方だ。

 

シャルティアとして振る舞うこと。

 

モモンガ様の近くにいること。

 

現地人を怖がらせないこと。

 

そして、知っている流れを変えすぎず、必要なところだけ変えること。

 

考えるほど難易度が上がっていく。

 

「……無理じゃないかえ、これ」

 

言ってから、俺は鏡の中の自分を見た。

 

シャルティアの顔が、ほんの少しだけ情けなく見えた気がした。

 

外へ出る準備は整っていく。

 

けれど、俺の心の準備だけは、最後まで整わなかった。

 

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