自分のいとかわゆき赤ん坊時代の姿形を自分自身が直接見ることになろうとは、月で彩葉の”あの歌“が聴こえてきた時には思いもよらなかった。てかうるさ。壁ドン。まぁうるさくしてるのはそこの赤ん坊なんだけど。でも隣人さん。少しは赤子の泣き声に対する慈悲とかあっても良いと思うんだヤッチョは。
そんなことを考えていたら彩葉と視線がかち合う。私に助けを求めてるのかな。アクスタの私は応えるように、誰にも聴こえない歌を唄う。何もできない私から贈る、ヤチヨパワーだよ。続けて彩葉も唄い出す。彩葉の優しい歌声。赤ん坊と一緒に私まで眠くなってきちゃった。ヤチヨにスリープをねだるけど断られる。そんなことあるの。
私は最初から彩葉に愛されていた。丁寧に育ててくれていたんだ。私が彩葉を好きになるのも当然の帰結なんだね。彩葉はとても優しい。彩葉は子育てでわからないことをなぁなぁにせずちゃんと調べてくれる。明日にはがっつり成長してしまう赤ん坊のために大量の子育てグッズを買ってきてくれる。
1万円強……かかったお金分のウォレットのデータを書き換えて出費0円ってことにしたい気分だけどまた彩葉に怒られちゃうからやめとこう。それにかぐやが帰るときにちゃんと、かぐやのために使われたお金とかぐやが使ったお金、かぐやが得たお金全てを全部彩葉のふじゅ〜Payに振り込んどいたから、だから、もう少しだけ待っててね。そうこう言ってる間に、ほら赤ん坊が一瞬で女の子に。
「594円……5食分……」
え、待って?今なんて??1食119円??自販機の水も買えないよ彩葉!なんでヤッチョに言ってくれなかったの??せっかく買ったけど段ボールに詰めちゃった子育て用品、あれ全部払い戻しできないかな?!無理かなぁ?!神のお告げと思って!私のそんなお告げは届くはずもなく。それどころではない彩葉は女の子との言葉のドッジボールに夢中みたい。成立してたのかも分からない話を切り上げ、歯ブラシを取った彩葉は決然と言い放つ。
「受け入れて覚悟するしか、ない」
やっぱり私、彩葉、好きだな。女の子と一緒に口内炎を心配する彩葉の後ろ姿にしばらく見惚れていた。そしてすぐに私はこの女の子のようにはなれないと思い知る。
「自分でハッピーエンドにする!そんでハッピーエンドまで彩葉も連れてく!一緒に!」
昔のヤチヨはこんなことを考えていたの。やはり彩葉と一緒にいるべきはこの子。小さい頃から今までの彩葉をずっと支えてきた私でも、そう思ってしまった。
時刻は4時を回る。いい加減疲れ切ったらしい彩葉が泥のように眠る中、女の子は部屋中をくまなく探索して回る。たまに屈んでハイハイをしながら。赤ちゃんの頃の記憶と合致させようとしてるのかもしれない。ちょっとお風呂のドアバンバンしないで。彩葉起きちゃう。するとのそのそと歩き回る女の子が私に近づく。これ……まさか気づかれた!?すぐに意識をパソコンに戻す。この女の子は結局のところ月から来た月人で、私と同じだし、私。でも互いに感知できる可能性はあまりないはず。互いに感知できてたら、かぐやが月人に腕を掴まれた時も避けられたはずだ。もし存在が感知できても、少なくとも相手の思考は読めない。はず。
バレないようこっそりと意識をアクスタに移す。女の子は冷蔵庫を物色するも中には何もなく、ただ煌々と青白い灯りが照ってるだけ。彩葉、食材すら買ってないの?全部バイトの賄いとエナドリだけで済ませてたの……?明日からはかぐやが料理全部作ってあげるから、もうそんなことしなくて大丈夫だからね……
あらゆる扉を開けたくて仕方ない年頃……をもう過ぎたはずの女の子は、シンク下の棚をもがっつりと開ける。私の目線からは空っぽに見える。女の子がその棚にゴソゴソと侵入していくため実際に空っぽだったのかもしれない。棚から物を出すこともなく扉を閉める。ね、寝る場所が欲しかったんだね。でも多分あなた直近だともう一段階急成長するからその中だと……
「うわ痛ぇ」
ほらやっぱり。
彩葉がヤチヨのことを他人に話すところを初めて聞いて、今のヤッチョはホクホクしてるの。当の昔の私は「ヴェー」とか言ってる。彩葉は今日は早めに学校行くんだね。いや、この間が遅かったのかな。私、彩葉のこと何にも知らないんだなぁ。彩葉の作ったパンケーキを与えられた女の子は青い顔して「くそまじぃ」とか言ってる。こら。失礼でしょう?でも1枚全部食べたのは偉いね。あのパンケーキレベルの食べ物すら無くって餓死していった人たちを、私は何万人もみてきたんだから。どんなに不味くても、このパンケーキがあれば数日生き延びられた人も少しはいたかもしれないな。
感傷に浸っているうちに彩葉は学校に出かけ、女の子はブーたれる。いろはぁ〜いろはぁ〜と唄いながらブラウザで何かを調べている。死角になってて画面がよく見えないので意識をパソコンに戻して画面解析をしてみる。料理の仕方と道具の購入場所を調べてるっぽい。私は画面にそれとなくスマコンの広告を表示させる。この子には今日の正午までにスマコンを買ってもらわなきゃ。案の上すぐに引っかかり、今日の午後2時半にこの部屋にかぐやのスマコンが届く。運命があの通りに回り始めた。ここまでの道のりは正しかった。ここからが正念場だよ、ヤチヨ。空っぽの冷蔵庫をジロジロ物色し、「よし!」と突然叫んだ女の子は即着替え、鍵もかけずに家を飛び出す。スマホもないのに何をどうやって買うつもりだろ。
大量の食材と道具を持って帰ってきた女の子は、まず”たべもの どこいれる”とか検索して、それらを冷蔵庫にぶち込む。腐ったら全部台無しだもんね。そのあと一つ一つ調べながら料理の下準備をしている。外に出て買ったはずの諸々を本当はどうやって入手したのか、もう私は覚えていない。でもふじゅ〜Payの履歴には確かに一通りの値段が市場価格との過不足なくきっちり記載してある。万引きじゃないならそれでもういっか。ネチョネチョのミンチをモチモチしてはしゃいではいるけど、包丁さばきに迷いや失敗がないのが流石だね。
あとは火を入れるだけという段階でインターホンが鳴る。ついに届くのね。女の子は目を輝かせて段ボールの包装を解き、初めてスマコンと対面する。ここは衝動より理性が勝ったようで、ケースを大切そうにポケットにしまい込む。そうだよ。大切にしてね。君の人生を本当に大きく変えるキーアイテムだからね。ホワホワのお料理を新品のお皿に丁寧に盛り付け、ラップをかけてクソマジパンケーキの残りを一気に口に詰め込み、また外へ飛び出す。向かう先はきっと彩葉の学校。そしてあのカフェで初めて、”かぐや”という名前を彩葉から貰うの。
幸せそうな彩葉の顔をみてるとこっちまで嬉しくなる。かぐやの料理は泣くほど美味しかったらしい。いいなぁ。ヤッチョも食べたいなぁ。ヤッチョも食べられたら...…な。”叶わない願い”は胸に押し込み、こっちもこっちで楽しそうなかぐやを見つめる。
「これで犬DOGEといつも一緒だって〜!」
ほら、ご覧?FUSHI。たった今、君が生まれたよ。あの子はどんな反応をするだろう。あいつらには厳しくいくんだと息巻いていたけど、本当にできるか不安になるなぁ。そしてそろそろだね。かぐやが初めてツクヨミにログインする。かぐやにとっての、そしてヤチヨ本人にとっても運命の2ヶ月。それを超えたらば、8000年を締めくくる最期の刻を迎える覚悟を、ヤチヨはしていたの。
「kgヤチヨォ……」
今、ヤチヨは新曲を披露し終えた。彩葉は涙を流しこう呟くの。”かぐやちよ”に聞こえて一瞬ビビったけど、たまたま言葉が詰まっただけと自分を納得させる。その反応を見て改めて思う。本当にヤチヨが大好きなんだね。ヤチヨのことが好きなのか、はたまた私のことが……何考えてるの私。私はヤチヨでヤチヨはヤチヨなのに。そして昔のヤチヨであるところのかぐやはこう声を張り上げるの。
「ンヤぁぁぁぁーーーーーチぃぃぃぃーーーーーーヨぉおぉおおおーーーーーー!!!!」
この声量。きっとヤチヨにも届いてるよ。私の中で勝手にヤチヨのゲシュタルト崩壊が起きそうになってると、叫んだ当のかぐやがログアウトしてきた。パソコンで何かを調べている。流石に二度覗き見るのはいくら相手が自分といえど気が引けてきたのでこれからはあまりしないよう自制しておこう。もちろん彩葉の端末ブラウザに対して画面解析をかけたことは誓って一度もない。私は意外と、自分自身に対してすこぶる甘えているのかもしれない。