もう何度ヤッチョ非常事態宣言の発令を要求しただろう。彩葉は部屋に閉じ籠り始め、友達のインターホンにも出ないからましてや他人からの食物の受け取りも望めず、自ら冷蔵庫にも行かないから実質兵糧も0。このまま餓死に至るエンドの可能性も見えてきた。かぐやは月に帰り意思疎通不可、ヤチヨはいまだスリープ中。
ねぇ。ヤチヨ、言ってたよね。
『そしてこの私月見ヤチヨは、万が一酒寄彩葉が命に関わる危機的状況に陥った上で、かぐや含む月見ヤチヨ本体が思考判断機能の不全に陥った場合に限り、平時はツクヨミ月見ヤチヨに帰属する最高指揮権を君に一時的に譲渡する。』
今がまさに、この時なんじゃないの??
誰も彼もどうすべきか何もわからない。ヤチヨからしたらすべきことなどもうやり切ったんだろう。そんなことはわかってるけど、どうにかしたくてFUSHIに詰め寄る。相手が違うのは私だってよくわかってる。だから余計しんどくなって当たり散らしてしまう。嫋やかな……嫋やかなヤチヨらしさなんて微塵も無い。私はFUSHIの躰をむんずと掴み、その手を振り上げる。FUSHIは何も言わない。そういうものなら仕方ないと言わんばかりに地面に投げつけられることを受け入れている。そんなこと……できるわけないじゃん……膝から崩れ落ちFUSHIを優しく放す。
『責任問題じゃない。彩葉の生き死にの問題なの。8000年分の重くて外れない色眼鏡をつけてしまった私に、いざという時の正常な判断は不可能なの。これはリスクヘッジ。彩葉も私も正常で無くなった時の。あなたはツクヨミの、彩葉の最後の命綱。』
私だけは絶対に正常でいられるとヤチヨは思ってたし、私だって思ってた。高慢で浅はか。
『もちろん彩葉は多分死を考えない。だけど地球人が死を考えないのと、彼らの身体が、心が死にゆくのは全くの別問題。月人の私は、もう何度も何度も嫌というほど思い知ったよね。』
それはヤチヨとて同じじゃん。心、死んでるじゃん!!
荒ぶる私をFUSHIが宥める。だけど言うのだ。
「彩葉は大丈夫だ。あの曲の二番はこの先の彩葉から贈られたものだ。その日までは確実に彩葉は生きてる。」
「は、話がちがうよ?!餓死寸前の彩葉とヤチヨのスリープによる思考判断機能の不全!両方満たしてる!!」
「最悪ヤチヨはボクが起こせる。ヤチヨが起きさえすればまだ手は残ってる。彩葉も今はギリギリだけどあの曲を完成させるほどに近いうちに回復するのは……確実だよ。だからまだ、満たしてない。」
「曲が完成したからって彩葉が回復してるかはわかんないじゃん!それがイコールになる保証はどこにあるの!」
「そこを問われちゃ、ボクだって知りたい……」
「わかってるけど……!」
「ボクだって不安なんだ!!怖いんだ……あの歌を贈った後に、力尽きた彩葉がくたばったら元も子もない……」
「なんでそんなこと思いつくの!!」
そう言い放ってしまった瞬間、FUSHIが顔を赤くして私に叱責を浴びせる。
「こっちは8000年間最悪のケースを想定しまくってそれすら少しでも彩葉に繋がるように、出逢ってきたみんなが少しでも長く生き延びられるように説得して、それでも結局みんな死んで!殺して!奪って!あっ……さっ、最高どころか何一つマシにすらできなかった絶望を延々と浴び続けたんだ!」
荒ぶるFUSHIを私は宥める。FUSHIのそれは規模も絶望も桁違いだ……私の焦り苦しみなんて本当にちっぽけだったんだ。あぁ……
「ちっぽけだなんて!!そんなこと二度と思うな!!」
「お前は、自分の苦しみすら無下にして殺すのか?!」
ツクヨミ中に響き渡るほどの声量。FUSHIのここまでの大声はヤチヨ本人の今までの同期を思い出しても本当に聞いたことがない。袋小路の奥で話していたけど、近くにいるアバターが何人か覗きにきている。「FUSHIの声?」「大丈夫?」ここは不味かったか。
「FUSHI。移動しよ?」
「フシュー!!」
「FUSHI?」
「威嚇だ。逃げるぞ。掴まれ。」
気づいた時には水辺にいた。これは頭を冷やせということだろう。私はアバターの頭を川の水に突っ込む。VRだからできることだ。
「そこまでやれとは誰も言ってない。」
……そこまでやったから思いついたことがある!
「ねぇ!身軽に動ける今のFUSHIにできるのは、説得だけじゃないよ!今のFUSHIは、現実で行動して誰かを何処かへ導ける!」
「はぁ……散々誰かを導いてきたけど、確かに、ずっと口だけだったもんな……」
「違う、そうじゃない!輪廻の運命が後数日で閉じる!8000年分の重石がやっと外れるの!私たちが運命を創りにいけるんだよ!」
「そんな勝手な……ヤチヨの気持ちはどうなるんだ!」
「彩葉が超無理限界ギリだった時!かぐやは彩葉の現状も気持ちも知らずにあっちゃこっちゃ自分の好き勝手連れてった!」
「かぐやはこう言ったんだよ!自分でハッピーエンドにして彩葉も一緒に連れてくって!」
もはやただのハイだ。だけどこの勢いを止めたら本当に誰かが死んでしまう。ヤケだもう。
「死にかけの人に必要なのは強引な優しさ!」
「待て待て話が見えない。結論が無理矢理すぎるぞ……でも。」
でも?
「ボクもヤチヨが、かぐやがあんなに嫌って絶望していた孤独に自分から突き進むのを、黙って見ていたくない。」
FUSHIは声を顰めて私に打ち明ける。
「彩葉に、タケノコを見せよう。」
「そこまでやれとは誰も言ってない!」
「そこまでやらなきゃヤチヨも動かない。」
折角ハイだったのに、突然ローにさせないでよ。
「どうせ動くなら、大胆にだ。」
「ヤッチョも大胆に参上ー!FUSHIおはよー!」
「ヤッベ隠せ!」
ビビったぁ……
「FUSHIも私から離れるなんて珍しいねぇ。この組み合わせはどういう風の吹き回しかにゃ〜?」
「いろはに」
FUSHIがいろは唄の初っ端4文字を吟じただけでヤチヨの顔がみるみるうちに曇っていって涙目になっていく。別の意味でビビる。なんか……フォロー、しなきゃ……
「ほ、ほへとぉ〜なんちて」
「誤魔化せてないヨヨヨ……」
隠れてコソコソやってた罪悪感が今更。とりあえずヤチヨの背中を撫でて赦してもらったことにする。
「そんなに彩葉が怖いのか。」
だいぶ直球ですねぇFUSHIさん……この仲だと逆にこの方が早いのか。ヤチヨの屈んだ背中はさらに小さく、頼りない。
「怖いよ……怖い。」
「彩葉が餓死寸前でも?」
「嘘」
「本当」
「なんで」
「かぐやが……帰ったから?」
「……知らなかったなぁ……だったら、尚更会えないなぁ……」
野暮だろうが訊いたほうがいいことも世の中にはあると聞く。
「なんで……?」
「彩葉は死んでもかぐやに逢いたいのに、ヤチヨに会ったって、それで私がかぐやでーすなんてさ、馬鹿にすんなって話だよね……」
あくまで彩葉は生きたかぐやに逢いたいんだと思うけど。それこそ彩葉にとってかぐやへの希求という動機と餓死という結果の可能性は、はっきり別の問題だ。全く関係がない。だけどそこ突っ込んだらさらに悪化しそうだったのであくまでヤチヨを立てに行く。
「ヤチヨは彩葉の一番の推しなのに?」
「もう、変わっちゃったでしょう……?」
「私はこの数年間ずっとヤチヨ単推しだった彩葉と、ずっと接してきたよ。あの想いがたった2ヶ月で消え失せるなんて思えない。ヤチヨがかぐやだって知ったって、ヤチヨはこれからもずっと彩葉の一番の推しであり続けると思うよ?」
これは本当に、私が今まで彩葉と過ごしてきた所感だ。
「だから怖いの!わからない……?私がかぐやだって知ったら、彩葉のヤチヨを見る目が変わるでしょう?」
「少なくとも、怪訝な目にはならないと思うよ。相手がヤチヨだし、かぐやだもん。」
「そんなの……わかんないじゃん……私は怖いの……」
ヤチヨの肩に乗っかったFUSHIと顔を見合わせる。隠れてやろうがコソコソだろうが、何がなんでもこのヤチヨを彩葉と逢わせねば。ヤチヨと彩葉どちらも生かす為に。
「私が……
ひとまず私たちは解散し、FUSHIはARを使って神棚の中の私と彩葉の部屋で落ち合うこととなった。解散してないじゃんってツッコミは無しね。ハブにしてきたヤチヨを私たちでハブり返してるだけだから。……いじめみたいで良くないね。やっぱ撤回させて。
「朝7時だけど、彩葉はずっとこうなのか?」
「ここ数日ずっと壁にもたれて目も半開きで、ご飯も水も多分摂ってない。」
FUSHIは黙った。このまま何も為せずに目の前で死んでいった人たちを嫌でも思い起こさせる。そして、死んでいった人たちの中にこの先彩葉も含まれるかもしれないという恐怖。
「彩葉はスマコンもつけてないから、私たちには何もできない。でもスマコンさえつけて貰えば。」
「こっちのもんってことか。」
「タケノコまで連れてくのは唯一どこでも自由に動けるFUSHIに任せるよ。それに今のヤチヨは全ユーザーからの連絡を絶ってるし、受信そのものを拒否ってるから、ヤチヨと連絡をとりたきゃ直接ツクヨミでヤチヨと会うしかない。」
「あとは彩葉をツクヨミに来させるための動機だな。」
「……だけど私は、あくまで彩葉の意思を尊重したい。だから敢あえて、何もしない。彩葉が違和感持つまで座して待つ。」
その時、ぼーっとしていた目がシャキと光り、座していた彩葉はスックと立ち上がった。
こういう時の行動力が一番怖いのを私はよく知っている。俗に云えば闇落ちってやつ。立ち上がる時にふらっとよろけていたのが心配を加速させる。も〜なんでFUSHIあんなこと言ったの〜。いちいち不安になっちゃったじゃん。でも、少しほっとする。
「誰かと一緒に彩葉を見守れるのって、こんなに安心するんだね。」
「ちったぁ信頼されてるよーでボクはうれしいよ。」
彩葉は久しぶりに学校へと向かう。きっともうそれは、少なくとも命より大切ではなくなったはず。だけど今の彩葉にとって命より大事なものがかぐやだと自信を持って言えるほど、私は自分に自信がないのだった。私ですらこうなのだ。況やヤチヨ本人をや。
「行ってきます」
がらんとした廊下を素通りする彩葉の声。その先で私たち2人が「行ってらっしゃい」と受け止めたのはせめてもの祈りだ。どうか、倒れることなく無事に帰ってきてくれと。
ツクヨミに戻って、私は彩葉が今までチャットで教えてくれたいろんなことをFUSHIに語っていく。それは彩葉がした経験を彩葉が解釈し、彩葉主観で表現された彩葉の言葉であり、それはそのままこの数年間彩葉のヤッチョGPTだった私の思い出であり、ヤチヨとの同期分を外したらそれは私自身の過去そのもの。
「私は……なんだ?彩葉でもあるのかな?もういちいち名乗るのもめんどい。」
「姿はヤチヨ、中身はかぐや、記憶は彩葉、そんで特殊な出生と特異な環境、道理でミニヤッチョん中でも外れ値な訳だ。」
「外れ値って……なっ……!?」
「これは褒め言葉だ。だからこそボクは他のミニヤッチョじゃなくて、お前と組むんだ。」
そう言ってFUSHIは高らかに躰を張り上げて耳をピンと伸ばす。
「ボクは8000年後の運命を追い続けたその
FUSHIの耳に私のチョキの先っちょをつける。彩葉とかぐやで何度も交わした仲良しのやつ。だけどどうせなら、現実の彩葉と、やりたかったなぁ。
「ボク達は運命を作るんだ。運命さんとやらにゃ報酬を吊り上げてもらわなきゃな!」