(飲水を汲んでおけばよかったなぁ)
朝食を済ませ、呑気にそんなことを考えていた。
約束の時間までは1時間を切っていたし、また扉が開かない、なんてことになってしまうかもしれない。
(大人しく時間までここにいよう)
部屋を見回し、昨晩放り投げた衣類に目が止まる。
手に取り、広げてみると、長めの丈のバスローブのような形状であることが分かった。
ホテルに備え付けられているルームウェアのような服が3着と大小のタオルが2枚ずつ。
今の扱いと、妙に気の利いた用意のアンバランスさがなんだかおかしかった。
綺麗にそれらを畳み直して、どう時間を潰そうかと思案しようとした時だった。
ドンドンドン!!!
慌ただしく扉を叩く音に、心臓が飛び出るほど驚かされた。
開けて大丈夫なのか、不安な気持ちになっていると今度は
『おーい!いないんすかー!?』
扉を叩く音と共に、女性の声が聞こえてきた。
サグレナさんが言っていた、迎えの方だろうか?
恐る恐る扉を開けてみると
「いるじゃないっすか!」
サグレナさんと同じようなメイド服を着た女の子が、無邪気な笑顔でそこにいた。
僕よりひとまわり背が小さく、その背丈にあった控えめな悪魔の翼。
可愛らしい容姿ではあったけれど、やはりこの子も悪魔なのだ。
「喋れないんすか?」
「あ、あぁ…すみません。急だったのでビックリしちゃって」
「あれ?聞いてないんすか?」
「講習の案内をしてくれる方ですよね?まだ時間があったので」
8時の約束だったけれど、今はまだ7時を少し回った時刻だった。
「暇だったんで、早めにきたっす!」
「そうなんですか……」
(随分人懐っこい悪魔だな……)
悪魔と言っても、色んな性格がいるんだなぁ…と、良い意味で思わされた。
「ほらほら、早く行くっすよ!」
僕の手を掴み、ぐいぐいと引っ張る悪魔。
鋭い爪をしていても、手のサイズは僕よりずいぶん小さい。
こんな状況でも、異性との接触を変に意識してしまう自分が情けなくなる……
「ちょ、ちょっと!まだ早いんじゃ……」
「何言ってるんすか!せっかく就業時間中に街に出れるんすから、早く行った方が得っすよ!」
嫌に聞き慣れた堅苦しい単語が、やたらと引っかかった。
この世界に来て間もないけれど、生きていた日のことがやたらと遠く感じる。
(僕の死体はどうなってるんだろうか、バイト先になんの連絡もできてないし、困らせてしまっているだろうか)
(……)
(詩乃さんは、元気だろうか)
現世に思いを馳せると、思い出さないようにしていた名前に行きあたってしまった。
結婚なんてめでたいことだし、きっと元気にしてるだろう。
自分の中でそう結論付け、これ以上は考えないようにした。
「なにぼーっとしてるんすか!はーやーく!」
「うわっ!」
思いがけず強い、強すぎる力で引っ張られ、僕の体は少し宙に浮き、小屋の外へ放り出された。
「あはははっ!やっぱ弱いんすね、人間って!」
地面に倒れこんだ僕を覗きこみながら、悪魔が言った。
「あなた達が強すぎるんですよ……」
敗北感のようなものをごまかそうと、僕は少し強がった。
「いやいや、弱いっすよ。だって、ゾンビやゴブリンより弱そうっすもん」
「ゾンビやゴブリンって……」
そんな生き物が実際にいたなんて。
いや、天使や悪魔がいたんだから、今更不思議でもないか……
どこか諦めの境地に至っていると
「もしかして、まだ見たことないんすか?町にうじゃうじゃいるっすから!だから早く~」
地団駄を踏むという可愛らしい仕草であったが、不穏すぎるセリフがそれを打ち消して余りあった。
「え?そんなにたくさん生息しているんですか?」
「お!興味津々っすね!」
「いや、そうじゃなくて……」
むしろ、その町に向かう気は減退していた。
興味がないと言えば嘘になるが、襲われる未来しか見えなかった僕は、ひとまず落ち着いてもらおうと思ったが
「もーめんどくさいっす!こうなったら担いででも……」
「わ、分かりましたよ!」
浅知恵ではどうにもならなそうだった。
そんな拉致みたいな真似はごめんだったので、慌てて立ち上がる。
「やっとその気になったんすね!」
「その…ゾンビやゴブリンは襲ってきたり……」
「するに決まってるじゃないっすか」
「そ、そりゃそうですよね……」
(嫌な予感だけはいつも当たるんだよな……)
講習とやらを乗り切れる気が途端になくなった。
というより、無事そこまでたどり着けるかどうかも怪しくなってきた。
「さ!急ぐっすよ!」
そんな僕の心配をよそに、鼻息を荒くする悪魔。
この世界は、僕にはあまりにもスケールが大きすぎるようだった。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・木 21時)更新を予定しております。