先ほど川への階段を降りるときに感じた、術とやらを通り抜ける感触。
まがまがしい紫の空が、清々しい青空へと変わっていた。
(すごい技術だなぁ)
種明かしをしてもらったことで、この不思議な現象が生き物によってなされていたのだと知り、のんきに感動していると
「もー!遅いっすよ!!!」
少し前を歩いていた悪魔が、大きな声で僕を急かす。
感動といえば聞こえは良いけど、結局のところただの現実逃避で。
「やっぱり行かなきゃダメですか?」
「もちろん!じゃないとムニが怒られちゃうっす」
「ムニ?」
「あたしの名前っす!って、そんなことはどうでもいいから、早く行きましょうよ~」
「どうでもよくはないのでは……」
ゾンビやゴブリンがうじゃうじゃいるらしい場所に行くのは、人間の僕には自殺行為のように思えた。
実際、そんなモンスターに襲われたら、ひとたまりもないだろう。
そんな考えが、僕の足取りを遅くする。
「そもそも…なんでそんなに急ぐんですか?」
「だから、お仕事中に街に出られるなんてあんまりないんすよ」
「街にはなにがあるんですか?」
「なんでもあるっすよ!ご飯屋さんもあるし、服屋さんとか、雑貨屋さんもいろいろ揃えてあって、見てるだけでワクワクするっす!」
なんだ、随分驚かされたけど、僕の知ってる街と大きくは変わらないようだ。
でも……
「そんな空間にゾンビやゴブリンみたいなモンスターがいて大丈夫なんですか?」
「街外れにしかいないっすよ、賢いゴブリンなんかはちゃんとコミュニケーションもとれるっす」
街の中心部から離れれば、治安が悪くなるところも人間界によく似ていた。
「でも、栄えてる場所に入ってきちゃったりしないんですか?」
「たまにっすね、近くのお店の店員にすぐに駆除されるっすけど」
「えっ…お店の人たちも、結構強いんですね」
「というより、そいつらが弱すぎるっすね。子供の悪魔でも余裕で殺せるし、ムニも小さいころはよく魔法の実験台とかにしてたっす」
「ずいぶんわんぱくだったんですね……」
ひとまず街中にうごめいてるわけではなさそうで安心した。
少なくとも、このムニという悪魔が一緒にいる間は大丈夫そうだった。
「もー!思ったより時間かかっちゃったじゃないっすか!」
そうこうしているうちに、街へとたどり着けたけど、ムニさんは不満げだった。
「すみません……」
「せっかく街を案内してあげようと思ったのに、あと30分くらいしか残されてないっす」
懐中時計のようなものを確認しながら、ムニさんは言った。
「でも、随分早い時間からやってるんですね。お店」
「やってないっすよ?」
「え?」
噛み合っていないような返事に困惑していると、そんな僕をよそにすたすたと歩き出したかと思えば
「おーい!開けるっす!!!」
一つの家の前で立ち止まったと思うと、荒々しく戸を叩き始めた。
「ちょ、ちょっと!ダメなんじゃ……」
こっちの世界の勝手は分からなかったけど、あまりにも非常識な行動に肝を冷やしていると、ゆっくりと開かれた扉から、強面な鬼のような容姿の魔物が姿を現した。
(終わった……)
蛇に睨まれた蛙のように、呆然と立ち尽くしていると、悪魔の不機嫌そうな表情が急に柔らかくなり
「あっ、ムニさんでしたか。いらっしゃいませ」
と、歓迎してくれていた。
「……そちらは人間ですか?」
怪訝な表情をこちらに向けた店員と思しき悪魔の視線に、ギクリとさせられる。
「今度うちで飼うことになった奴隷っす」
「あぁ、新しいのが入ったんですね」
そんな不穏な会話に、居心地の悪さを覚える。
先ほどまでフレンドリーに感じていたムニさんとの間に、とても厚い壁があるのを感じた。
「そんなことより、朝ごはん食べにきたっす!」
「いつものでいいですか?」
「オッケーっす!」
そんな会話から、ここはお食事処だったのかと気づいた。
ムニさんに続いて店内に入ってみると、いくつかのテーブルが並んでおり、壁にはメニューが貼られていた。
しかし、そこに書かれている文字を読むことはできなかった。
「あの…ここに書かれているのって、ここの世界の言語であってますか?」
「そうっすよ。ドナ家と正式に契約したら読めるようになるっす」
(そういうものなのか……)
こちらの世界への疑問を、【そういうもの】として処理するのにも慣れてきていた。
適当なテーブルへ向かうムニさん。
ムニさんの腰掛けた椅子の向かいに、僕も座った。
「じゃあ、ムニと同じものでいいっすか?」
朝ごはんは既に食べていたけど、こちらの世界の干し肉やパンが美味しかったことを思い出し
「じゃあ、それでお願いします」
ほかの食材も食べてみたいといった、好奇心が生まれてきた。
「お待たせしました」
そう言いながら、差し出された皿の上には
「うっ!」
人間界にもいるようなコウモリが、雑に並べられていた。
それに、弱々しくピクピクと動いている。
そんなショッキングな光景を前に固まっていると、ムニさんはそのうちの一匹をつまみ上げ、そのまま口に運んだ。
「んん〜」
随分美味しそうに食べていたが、咀嚼の度に聞こえてくるパキッという骨の折れる音がやたらと耳についた。
「あっそうだ。あのー!もうひと皿ほしいっす!」
ムニさんの大きな声で我に返り、今のは僕の分の注文だということに、少し遅れて気がついた。
「いや!すみません、今のなしで!」
「えっ?食べないんすか?」
「人間にこれは厳しいです……」
「えー…食わず嫌いはよくないっすよ」
「コウモリですよね?」
「そうっす!ほら、騙されたと思って!」
そう言われ、もう一度皿の上に目をやる。
キィキィと力なく鳴いているコウモリを、恐る恐る摘んでみる。
生き物の温かさを感じ、ますます食欲を無くす。
「やっぱり無理です……」
コウモリを皿の上に戻すと
「好き嫌いは良くないっすよ!」
言うやいなや、ムニさんが僕の顔をガシッと掴む。
「ムニが食べさせてあげるっす!」
両頬を押すように力づくで僕の口を開け、無理やりコウモリを押し込んでくるムニさん。
僕の唇に嫌な毛の感触が伝わり、次にそれを舌に感じる。
「ほら、美味いっすか?」
僕の脳はそれを咀嚼することを明確に拒み、たまらず床にコウモリを吐き出した。
「あー!食べ物を粗末にしちゃダメっすよ!」
「そう言われたって……」
そう言いながら、口内に残ったコウモリの毛を不快に感じていると
「せっかく食べさせてあげたのに」
冷たく呟いたかと思えば、急に僕の首をガッチリ掴むムニさん。
「えっ?」
その手が徐々に力を強めていく。
両手で思いっきり引き剥がそうとするけど、ビクともしない。
喋ろうにも、声にならない呻き声が漏れ出るだけで。
「ちゃんと食うっすか?」
冷たい声色でムニさんが言った。
僕は必死に、首を縦に何度も振った。
途端にムニさんの腕から力がフッと抜け、解放された。
「ゲホッゲホッ……」
「ほら、早く食べるっす」
呼吸を整える間もくれず、急かすようにムニさんが言う。
涙目になりながら、再び皿の上に手を伸ばそうとすると
「何やってんすか。あっちっすよ」
そう言いながら、僕が床に吐き出したコウモリを指さした。
豹変したムニさんの態度。
逆らったことが悪かったのか、食べ物を粗末にしたことが悪かったのか。
地雷はまだハッキリしていなかったが、従わなければいけないことだけは確かなようだった。
恐怖に突き動かされるように、コウモリを拾い上げた。
チラリとムニさんの様子を確認するけど、無表情で僕をじっと見つめているだけで。
やっぱり無理です、なんてとても言えるような雰囲気ではなかった。
口の前までコウモリを持ってきたけど、もう一歩が踏み出せない。
しかし、逃げ道はないのだろう。
意を決して、目をぎゅっと閉じ、それを口に入れようとしたその時
「ムニさん、人間に生のコウモリは無理ですよ。病気になっちゃいます」
ハッと目を開くと、店員の悪魔が席の近くに来ており、そんなことを言っていた。
「え?そうなんすか?」
「基本的に生はダメですね、場合によっては死んでしまうことも」
「へー、知らなかったっす!」
のんきにそんなやり取りをする二匹を見て、救われたような、救いはないような、そんな複雑な気持ちになった。
「そうならそうと、早く言ってくれないと……死んじゃったらムニが怒られるんすよ!」
理不尽な説教に対し
「すみません……」
と、情けなく謝ることしかできなくなっていた。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・木 21時)更新を予定しております。