「よかったんですか……?」
少しの静寂を破るように、西山さんが尋ねた。
「…よくは、ありませんね……。しかし、私としても講義をする以上の干渉はできません」
表情こそ読み取れないものの、落胆のような、諦めのような感情がその声色に乗っていた。
「ああして取り乱したり、講義を放棄される方は、実は珍しくないのです」
そう言い終わり、また訪れた沈黙に、先ほど生まれた疑念がどんどん恐怖心に変わっていくのを感じる。
「あ、あの…!どうして離脱者がそんなにでちゃうんですか?」
答えを知るのは怖かったけど、聞かない方がもっと怖かった。
「そうですね…まずは山下さんのように、奴隷として迎え入れられた家による部分が大多数を占めます。折檻と言いますか、虐待と言いますか……先ほどと似た質問になりますが、お二人は悪魔というものに、どういうイメージを持っていますか?」
「神に背くもの、ですよね?文字通り悪の象徴、残虐性が高かったり、私利私欲にのみ動く。あと…契約には忠実って話も……」
ふんわりとしたイメージで話そうとした僕を遮り、西山さんが早口でまくし立てる。
「えぇ、えぇ。おおむねですが、正解です。西山さんは生前、そういったお話が好きだったんですか?」
「えへへ、少し」
暴走気味になってしまった自覚があったのか、少し恥ずかしそうに西山さんは答えた。
「奴隷に奴隷としての利用価値があると判断すれば、私が冒頭に言ったような扱いを受けられることは本当です。しかし、山下さんが受けたような扱いをする家は、少なくありません。なぜなら、奴隷をそこまで必要としていない、というのもですが、それが楽しくて仕方ない…といった理由、西山さんが今仰ってくれた悪魔らしい悪魔、とでも言いましょうか」
「それ…っていうのは……」
ゾワリと全身に鳥肌が立つのを感じる。
僕の想像する【それ】を否定してほしいという気持ちは、重々しく頷く先生の様子によって否定された。
「ですが、お二人を迎え入れた家の悪魔は、きちんと奴隷としての働きを求めていたはずですよ。少なくとも、ガンドンさんよりは」
含みを持たせた言い方をする先生に
「そのガンドンさんってのは、どんな悪魔なんですか?」
と、問いかけた。
聞かない方がいいような気もしたけど、考えるより先に、好奇心が勝ってしまった。
「私の立場もありますので、滅多なことは言えませんが…」
と、声のボリュームを少し落とし、前置きをすると
「とにかく気性が荒く、好戦的で、同じ悪魔に対しても、何かにつけて因縁をつけ、喧嘩の相手を探しているような…一言で言えば暴れん坊です。現に私も、こちらに配属された山下さんについて、一向に講習の手続きの連絡がないものですから、家まで様子を見に行ったのですが、とても荒々しい方で、粗相をしないようにえらく気を使ったものです」
「チンピラみたいな人ですね……」
ガンドンさんの特徴を、ばっさり簡単な言葉で評する西山さん。
しかし
「チンピラ、と一言で片づけられないのも、今となっては厄介なのかもしれません」
と、先生がその評価に待ったをかけた。
「どういうことですか?」
「200年ほど前に戦争があったと言いましたよね?ガンドンさんは、その戦争の功労者ですから」
「えっ!?確かその戦争って、20年ほど続いたんですよね?だとしたら、180年前には終わってるはずじゃ……」
疑問を投げた僕の横で、西山さんも、うんうんと頷きながら、少し前のめりになっている。
「えぇ、その通りです。その前に前提を一つ。悪魔は基本的に、人間の寿命の約10倍です。種族によって差はありますけど」
「なるほど!」
なぜだか興奮気味に、西山さんが少し大きな声で答えた。
「ですので、18年前に終わった戦争と考えれば、違和感もなくなるかと」
つまり、20年前に起こった戦争が、2年ほど続いたってことか。
確かにそれならすんなり頭に入ってくる。
「彼はその戦争で前線に立ち、沢山の天使を殺したそうですよ。街の皆さんもそれを知っていますから、その横暴を止められません。功労者としてもですし、とてもお強いでしょうから」
「じゃあ、そんな人のところに配属された山下さんは」
「あの生傷が答えでしょうね……実際、あの家の奴隷となった方を、私は何度もここでお会いしていますから」
「つまりそれって……」
「はい。配属されては殺され、新たに配属された奴隷が講習を受け…その繰り返しなんです」
魔界で奴隷なんて、それだけでも逃げ出してしまいたい境遇なのに、その中にも当たり外れがあったなんて。
気の毒に思う反面、少しホッとする自分がいることに気が付き、改めて弱い存在であることを認識させられた。
「で、でも!一応ペナルティはあるんですよね?確か、クールタイムが発生するって」
「はい。ですがそれも、功労者という立場が悪さをしているというか…明らかに基準より短いスパンで奴隷が雇用されていますし、ガンドンさん自身も、この天魔法そのものに納得されていない方ですから、あてつけのような怒りが奴隷に向いているのかと……」
「納得してないって、どうしてですか?」
「白黒はっきりつけたかったそうですよ。それこそ、どちらかが滅びるまで」
「どちらかが、滅びるまで……」
確かに、チンピラなんて言葉で片づけられるような人ではなさそうだった。
いや、人ではなく、悪魔。
今聞いた話は、まさに悪魔と呼ぶにふさわしいような、スケールの大きな暴力だった。
「じゃあ、今のうちに逃げ出した山下さんは正解だったんだ」
西山さんがそんなことを言っているのを聞いて、僕もあの人の立場なら、同じように逃げ出していただろうな、と思った。
「それがそうとも言えないんですよね……」
「ど、どうしてですか?」
そんな悪魔の元で奴隷を続けられるはずがない。
なのに、逃げ出すことも正解じゃないなんて。
まともに会話を交わしたわけでもないし、むしろ山下さんに感じた印象はいいものではなかった。
それでも、同じような境遇の人間に、救いがないなんて思いたくなくて、僕は少し食い入るように尋ねた。
「確かにあのままガンドン家で従事し続ければ、遅かれ早かれ殺されてしまうでしょう。しかし、この世界で人間が一人で生きていけるはずはないですし、なにより皆さんには使命があります」
「使命?奴隷として従事することがですか?」
奴隷の立場でこき使われることを、まるで神聖なことのような言い方をする先生に、引っかかりを覚えてしまった。
「いいえ、もっと根本的なことです。自ら命を捨て、この世界に来た人間は、生きた証を残さないといけないのです」
「生きた証…?」
「少し抽象的でしたね。つまり、これは命を無駄にした方たちへの罰のような制度です」
確か、グアンも似たようなことを言っていた気がする……
『生きた証が少ない奴ほど、苦しむことになるって聞いたことがあるな。醜悪で弱い化け物になったり、怨念となって誰にも気づかれず彷徨ったり』
『真面目に生きなかった奴への罰らしいから、自我はちゃんと残ってるらしいぜ』
グアンの言っていたことを思い出し、あの時あいつが言っていたことはこのことだったのかと、したくなかった裏付けがされてしまった。
「私も詳しくは分からないのですが、この世界でまた命を無駄にするようなことがあれば、もう二度と戻ってくることのできない場所に閉じ込められるとか。そうならないために、皆さんは奴隷としてもですし、二度目の人生を全力で生きていかなければならないのです。大きなことを成し遂げるとかそういうことではなく、愚直でもいいので、全力で」
途端に、自ら命を絶つことを選んだ自分が恥ずかしくて仕方ないような、後悔の念が僕を襲った。
本当は生きているうちに、そうしなくてはならなかったのだろう……
「でも先生。山下さんはあのままガンドン家にいたら殺されてしまっていたんですよね?逃げ出すことも全力で生きるってことになりませんか?」
そんな気持ちから目を背けるように、屁理屈のような質問をした。
「そうですね、私たちから見ればそうなります。しかし、やがて山下さんが亡くなった際に残るのは、奴隷という役割を放棄して逃げ出した魂。ということだけです」
「そんな……」
「奴隷として、雇い主に虐待され命を落とした魂となれば、また違う未来を迎えられたはずなのです。とにかく、私が講師として今日一番伝えなくてはならないことは、どんなに過酷でも、逃げ出したり、放棄したりすることだけはしてはならない。ということです」
八方ふさがりだ。
もちろん、今朝は腹をくくって奴隷として頑張ろうって思っていた。
でも、ここにくるまでに生きたコウモリを食べさせられそうになったり、山下さんの境遇を聞いたりと、ここにはやはり希望も何もないような気がしてならなかった。
「じゃあ、やることは決まってるってことですね!」
気落ちした僕とは対照的に、明るい声色で西山さんが言った。
「え?」
そんな様子にあっけにとられている僕に
「だってそうじゃない?逃げちゃダメなら、奴隷を頑張るしかないじゃん!」
「おぉ、素晴らしい。ここに来る人はハッキリ申し上げて、暗い人が多いですから、西山さんみたいな人は本当に珍しい」
(そうだ、嫌なこともたくさんあったけど、西山さんと再会できたじゃないか)
希望も何もない、そう思っていたけど、そんなことはないのかもしれない。
気休めかもしれないけど、今後過酷な毎日を送ることになっても、同じように西山さんも頑張ってるって思えたら、気休めにもなるかもしれない。
少なくとも、こうして再会できたことは、希望…というのは言い過ぎかもしれないけど、良いことのはずだ。
西山さんが自殺したってこと自体はもちろん悲しいけど、こうして前向きでいる彼女の表情に、確かに元気づけられている僕がいた。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・木 21時)更新を予定しております。