「相変わらずのんびりしてるっすね」
僕の中の少ない勇気をかき集めて、やっとの思いで扉を開けた僕に、ムニさんは呆れた様子でそう言った。
「えっと……」
出来るだけ自然に振舞おうとしても、さっき見た怨嗟の声が、僕の喉に絡みついているようで、うまく言葉が出てこない。
何か失言をしたら殺される。
いや、楽に殺されるならまだマシなのかもしれない。
あの痕跡は、酷い苦痛を受け続ける環境の中で生まれたものに違いない。
根拠なんてなかったけど、なぜだか確信できた。できてしまった。
「あれ?」
僕から視線を外し、室内を覗き込んだムニさん。
(あれを見られたらまずい)
僕が書いたわけじゃないし、やましいことなど何もしていないけど、見られちゃダメなもののような気がして、ギクリとさせられた。
「…ダメじゃないっすか」
内心ビクビクとしていた僕に、ムニさんがポツリとつぶやいた。
(そうか……)
きっとあれは、僕の前にここに住まされていた奴隷が書いたもので、きっとこのドナ家でも、面白半分に奴隷をいたぶったりして、おもちゃにしているんだ。
先生は、ドナ家は評判がいいなんてことを言っていたけど、きっと表に出ていないだけで、ガンドン家で山下さんが受けたような待遇と、きっと変わらないんだ。
少なくとも、僕が今その秘密を知ってしまうのは、ここの奴らにとってはイレギュラーで、見ちゃいけないものだったんだ。
一つ一つが確かなつながりを持って、僕の思考を支配した。
(終わった……)
次にムニさんから出る言葉を聞くのが恐ろしくてたまらなかった。
しかし、それはビクビクと身構える僕の肩を透かすような
「パン、残ってるじゃないっすか。もったいないっす」
といった、いたって平和なものだった。
「人間って小食なんすね」
「い、いや…今日はちょっと食欲が……」
「ふ~ん、じゃあムニがもらっていいっすか?」
それで彼女の機嫌を取れるなら安いものだけど……
「あ、後で食べるので……!」
「ちぇ~」
とにかく今は、ムニさんをなるべく早くここから遠ざけなければ、という気持ちでいっぱいだった。
小屋の外に出て、扉をしっかり閉めた僕は
「えっと、今から、契約?ってのをやるんですよね?」
と、尋ねた。
「そうっす!準備は済ませてあるから、早くお城に向かうっす!お嬢様も待ってるっすから」
(お嬢様……)
僕がここにきてすぐに、お嬢様…フェリムさんに会った時のことを思い出した。
誇れるものも何もなく、不幸せだった頃の人間界での僕の話をさせられ、大笑いされたんだよな。
それに、ナイフを投げつけられ、殺されかけた。
向こうが本当に殺すつもりがあったのかは分からないけど、お嬢様と呼ばれているあの子が、僕は一番恐ろしい悪魔のような気がしてならなかった。
なにより、グアンやサグレナさん、このムニさんを従えているわけだし、この大きなお城の持ち主なのだから、きっとなにか、大きな力を持っているはず。
あの子自身に力がなかったとしても、ご両親はきっと恐ろしい悪魔に違いない。
踊り場に飾ってあった肖像画に描かれた、三匹の悪魔。
いずれ、その全員と会うこともあるのかもしれない。
(できれば、ごめんこうむりたいけど)
それはきっと叶わない願いなんだろうと、思えて仕方なかった。
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