頬をぬるりとした液体が伝うのを感じる。
べたつく汗とはまた違った不快な感覚。
心臓が激しく鼓動するのを感じ、それに連動して血が体の外に押し出されているような気がする。
そんなことを考えていると、さらに心臓は慌ただしく動き出し、流れ出る血の勢いが増しているような気がした。
たかが頬を切っただけで、とめどなく血が流れ出るなんてわけはなかったけど、まとまらない思考の中で、この鼓動と血の感触だけが、やけに確かな輪郭を帯びていた。
「ほれ、はようせんか」
その声で、途端に思考がはっきりとし、与えられた命令をこなさなくては、というシグナルが脳に届いた。
(僕の血を、この紙に……)
手に付着した血は、流れ落ちるほどの量じゃなかったらしく、纏わりついて離れない。
もう一度頬に触れ、紙の上にその手をかざす。
指先にたまった血が、やがてポタリと紙の上に落ちた。
血は瞬く間に、紙を赤く染めていった。
たったの一滴を、乾いた紙の上に落としただけにしては、不自然な広がり方だった。
紙を赤く染め上げたかと思えば、僕の赤はその外までをも染めだし、魔法陣の中心から、その模様をなぞるように、進行していく。
やがて、一番外の円を染めつくし、城で描かれた魔法陣は、真っ赤になっていた。
(これで、終わりなのだろうか)
そう思ったのもつかの間、突如、魔法陣が発光を始めた。
驚く僕を、鈍い痛みが襲う。
具体的には、紙にかざしたその手に。
なぜ僕の手が痛むのか、ナイフで切られた頬も痛かったけど、原因の分からない痛みは恐怖を伴い、耐えがたいもののように感じた。
周りを見渡しても、三人とも、その光景をじっと見つめているだけで、まるでこの流れが当たり前のことのように、何の反応も示さない。
終わりの見えない痛みは、いつまでも続いてしまうような気がしたけど、やがて、ふっと嘘のように楽になった。
それと同時に、魔法陣は光を失い、部屋は元の薄暗さを取り戻していた。
「無事終わったようじゃな、後は任せるぞ」
「かしこまりました」
そんな言葉を残し、お嬢様は部屋を出ていった。
(無事?無事だって?頬は傷つけられたし、よくわからない痛みにも襲われたっていうのに!)
しかし、そんなことを口に出せるわけもなく、悔しさをにじませながら、先ほどまで痛みを伴っていた僕の手に目をやった。
「なんだ?これ……」
手の甲に、黒い汚れがついていた。
いや、汚れと呼ぶには規則的な形をしている。
「……ドナ?」
初めて見たその記号のようなものを、なぜだか僕は【ドナ】と読んだ。
「ふぅ、確かに無事、終わったようですね」
そんな僕の様子を見たサグレナさんが、表情こそ変えなかったものの、少し安堵したような声色でつぶやいた。
「これで正式に、ドナ家の一員っすね!」
ムニさんがニコニコしながら、無邪気に言った。
「あの、これって……」
「言ったじゃないっすか、契約すると読めるようになるって」
たしかに、街の食事処でそんな会話をしたのを思い出した。
もう一度手の甲に目をやる。
(ドナ…か)
見たことのない記号だと頭では思っているのに、思考とは別のところで処理されているような、奇妙な感覚。
不思議な経験をしたこと自体は、新鮮で、悪い気はしなかった。
しかし……
(仕える家の名を、身体に刻み込まれるなんて……本当に、奴隷になったんだな、僕は)
タトゥーや刺青に偏見はない方だと思う。
しかしこれは、オシャレやファッションなんかではなく、どちらかといえば、そう、罰のようなものだと思う。
昔の罪人は、罪状によって刺青を彫られていたのだということを思い出した。
どちらかというと、そちらに近いのだろう。
その刻印を力を込めてこすってみたけど、当然消せる気配もなく、それはただ【ドナ】と、示すのみだった。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・金 21時)更新を予定しております。