「本日より正式にドナ家の持ち物となりましたので、早速働いていただきましょう」
「えっ?今日からですか?」
刺青なんて、今までいれてみたいとすら思ったことのないカルチャーだった。
そんな僕の手の甲に刻まれた【ドナ】という文字が、今の境遇も手助けして、不本意ながらも身体に、そして気持ち的にも馴染んでいくような感覚になった。
「その、具体的には何をさせられるんですか?」
「ふむ…その【させられる】というのはよくないですね。あなたは滅私奉公の精神で、この家に従事することこそが幸せであると感じていなければ」
「そう言われても、まだ実感も湧いてないですし……奴隷と聞くと、そういうイメージが」
「よろしいですか?あなたはお嬢様に養われる立場なんです。例えば、人間界で上の立場の人間に対しても同じような言葉が言えますか?」
「いえ、それは……」
(言われてみれば、今の僕は拾ってもらったとも捉えられるのか)
考えてみると、僕はこの家に来ていなかったらどうなっていたんだろう。
あのまま、あの天使に連れて行かれてたとしたら。
グアンが言っていたように、天界とやらは、低い身分の者には生きづらい世界なんだろうか。
確かめる術もなかったし、そういう事にしておいた方が、精神衛生上いいのかもしれないけど、切り替えが得意な方ではないのは自分が一番わかっていた。
「すみません、では、僕はなにをさせてもらえるんですか?」
なるようになれ、じゃないけど、忠実な奴隷をロールプレイでもしていれば、気持ちもついてくるかもしれないと思った。
「主な業務は雑用ですよ」
それを聞いて、心の底からほっとした。
(雑用なら、危険なこともないだろう。きっと)
少しだけ緊張がほぐれた僕は、ニヤニヤしているムニさんと目が合った。
すると、ニィっとはにかんだムニさん。
その口元には、牙が。
悪魔の笑みに、また僕の中の緊張の糸がピンと張るのを感じる。
「…ど、どうしたんですか?」
靴ひもが切れたり、黒猫が横切ったり。
不吉な前触れというものはいくつかあるけど、そのどれよりも、嫌な予感を感じさせられた。
しかし、返ってきた言葉は肩透かしを食らうようなもので
「いや~、これでムニの負担も減るなぁって思ってただけっすよ!ふふっ」
といったものだった。
「それだけですか?」
「へ?」
「笑ってた理由です」
拭いきれない予感が、そのまま疑問になって口から飛び出していく。
聞きたくない言葉が返ってくるかもしれないのに。
「強いて言うなら……」
やっぱりな、という気持ちと、当然そんなに簡単に割り切れない恐怖感がこみ上げる。
「さっきのビビってた顔、マジで面白かったっすよ!あははっ」
……
もしかしたら、僕は少し空回りしているのかもしれない。
慣れない環境、恐ろしいとされている悪魔の巣窟に送り込まれて、不安定になっていたのかもしれない。
いや、恐ろしいのはきっと間違いじゃない。
少なくとも僕の価値観では。
けど、きっとここでは、僕の価値観なんて何の意味も持たないのだろう。
「さぁ、無駄口を叩いてないで行きますよ」
そんな僕たちのやり取りを、表情を変えずに見ていたサグレナさんが遮った。
「は、はい。わかりました」
この部屋に来た時に比べると、幾分か楽になった気持ちと共に、サグレナさんの後ろをついて歩く。
「あの……」
「なんですか?」
「さっき、雑用などって仰ってましたけど、ほかにはどんな?」
「そうですね、グアン様と共に、人間界に向かうことも少なくないかと」
「えっ!?」
思いがけない返答が返ってきた。
こちらに来て、元居た場所が恋しくなっていたのは否定できなかった。
生きる意味なんてないと思っていたけど、後悔がないわけじゃなかった。
それは、ただ今の境遇から逃げ出したい気持ちからくる感情なのかもしれないけど、確かに芽生えていたものだった。
だから、再び人間界に帰れるのは、純粋にうれしく思った。
「でも、なにしに行くんですか?」
「お嬢様の趣味嗜好にあった作品を探しに行く、といった目的が主になるでしょう。お嬢様は人間界の文学などがお好きなようで」
「そういえば、さっきそんなことを聞いたような」
その趣向のせいで、僕の悲惨な過去を話す羽目になり、大笑いされた。
しかし、一時でも帰れるきっかけになるなら、今は感謝したいくらいだ。
「でも、どうして僕なんですか?」
「私たちは人間の書くものについて明るくないですからね。私やムニは、メイドとしての日々の業務もありますから、大抵はグアン様が人間界に向かうのですが……」
「ですが?」
「彼は、特にそういったものに疎いようですので」
「あぁ、なるほど」
そういえば、審問所、だっけか……
たしか、あそこでグアンはなぜ人間界に来たかを問われ
【お嬢様の喜びそうな作品を探してまして……】
って言っていたっけ。
「持って帰ってきた作品を、何度も投げ返されている光景は、日常茶飯事ですから、出番はそう遠くないかもしれませんね」
「と言っても、別に僕も読書家では……」
「私たち悪魔よりはマシでしょう。ここでは読書を好む者なんてほとんどいませんから」
なんだか意外だった。
特に、サグレナさんの落ち着いた雰囲気には、読書がよく似合いそうだったし、悪魔が契約に縛られるのであれば、文章のようなものは常にそばにありそうだと感じた。
「ですが、本分は雑用ですからね」
「わかりました」
僕のいなくなった世界がどうなっているのか、それをこの目で見るのは怖かった。
僕の死体がどうなっているのか。
(もう発見されてるのかな)
季節は春だったし、まだ腐乱してはないと思うけど、時間の進みがこちらとあちらで同じとは限らないし、腐っていなくたって、自分の死体なんて見たくなかった。
見たくないけど、気になるのも確かで。
怖いものなどここでたくさん見たはずなのに、怖いもの見たさという欲求は満足することは無さそうだった。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・金 21時)更新を予定しております。