平和と言って差し支えない毎日が続いていた。
と言っても、僕がドナ家と契約し、正式に奴隷になって、まだ三日しか経っていなかったけど、事件と呼べるようなことは起こっておらず、僕は毎日いそいそと庭いじりに勤しんでいた。
食事への飽きは、幸いなことにまだ感じておらず、ぽかぽかとした陽気の中、空は相変わらず紫色ではあったけど、そういうものだと認識してしまえば、そんなに悪くないものだったし、川に向かえば、見慣れた青空が広がっていて、その対比もなんだか新鮮で楽しいものだった。
城壁にはさして異常は見つからず、手の届く範囲を軽く清掃し、景観を損なっている草を抜いては、まとめる。
単純な作業ではあったけど、苦痛ではなかった。
むしろ、こういう作業の方が、僕にはあっているのかもしれない。
想像していた死後の世界とはまるで違ったし、今僕がこんな風に思うのはおかしいのかもしれないけど、土いじりをしていると、生きている心地がした。
しかし、脳を使わないような作業を続けていると、ふと自分の思考の世界に入り込んでしまうタイミングが訪れる。
考えないようにブンブンと頭を振ってみても、簡単には離れていってくれない。
悩みの種は、ふたつ。
僕の頭の中で芽を出し、どんどんと大きくなっていく。
ひとつはやはり、僕の死体についてだ。
こうして日が経てば経つほど、死体の状態が変化し、腐敗が進行しているのだろうと、どうしても考えてしまう。
もちろん、まだ僕の死体が発見されていなければ、の話だが。
そしてもうひとつ。
高宮詩乃さんのことだ。
結婚を機に芸能界を退いた、声優で、アーティストで、僕の生きる意味だった人。
(幸せな結婚生活を送れているのだろうか)
(バッシングなどは受けていないだろうか)
(本当にあれっきり、なんの声明も出していないのだろうか)
こちらの世界に来て、頭をよぎったことは何度もあるけど、考えないように閉じ込めていたことだった。
しかし、もう一度人間界に行けるならと思うと、もう思考を止められなくなってしまっていた。
そして、ふとしたタイミングで、頭を悩ませていたそれは、どこかへ消えていく。
そんな毎日を繰り返していた。
「お疲れ様です、お昼です」
ふと振り向くと、いつものようにサグレナさんがお昼ご飯をのせたトレイを持って、そこに立っていた。
「ありがとうございます」
僕は額に浮かべた汗をぬぐい、汚れた手がご飯につかないように、慎重に受け取った。
「作業の進捗が芳しくありませんね」
辺りを見渡したサグレナさんがそう言った。
「そ、そうですか?一生懸命やってはいるんですけど……」
「えぇ、それは分かっていますし、期限があるわけではないので、このペースでも問題ありません」
僕にプレッシャーを与えようとか、嫌味を言ったわけではなく、ただ単に、サグレナさんにとって、僕の作業が遅く感じたというだけの話なのだろう。
しかし、もちろんいい気はしないし、どうしても焦りを感じてしまう。
「すみません、もっと頑張ります」
「頑張るのは大事ですね、えぇ、あなたは特に」
今までのやり取りとは明確に違う、含みを持った言い方だった。
「……どういう意味ですか?」
「おや?聞いていませんか?」
「生きた証だとか、全力で生きなきゃいけないとか、そういう話ですか?」
「知っていましたか。その通りです。単純な作業ですが、手は抜かない方がいいですよ。ドナ家のためにも、あなたのためにも」
感情を表に出さないサグレナさんの言葉には、重みがある。
意味のないことなんて、きっと言わないんだろうな、といった、説得力のようなものを感じざるを得なかった。
「それと、今日の昼食はなるべく早く済ませてください。お嬢様からのお声が今日あたりにかかると思うので」
「えっ?それって……」
「恐らくあなたが想像しているのは、人間界へ行ける、ということでしょうが、違います」
僕はそんなにわかりやすいだろうか。
うん、たしかにこっちの世界に来てからは、感情のまま反応を表に出すことばっかりだった気がする。
「だったら、一体?」
「お嬢様が本を読まれています」
「はぁ……」
「人間であるあなたに、感想を伝えたり、質問をする運びになるはずです」
僕なんかに質問したところで、大した返答はできないし、気の利いた相槌を打てる自信もなく、不安になった。
「なに、専門的なことを聞こうという訳ではないはずですので、そう思いつめなくても大丈夫ですよ」
「しかし……」
「あなたがまだ、人間としての心を持っていれば、お嬢様は満足してくださるはずですから」
また、意味深な言葉を残すサグレナさん。
しかし、常々感じている彼女の言葉の説得力のおかげで、なんとかなるのではないか、という気持ちになれた。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・金 21時)更新を予定しております。