研修を終えた私は、心の底からワクワクとした気持ちを味わっていた。
生前私を虜にしていたような世界が、本当にあったなんて!
順くんが死んじゃってたのはもちろん悲しいことだけど、こうして再会できたのだって、奇跡のような、運命的なものを感じてしまう。
彼に特別な感情を向けているわけではなかったけど、これから先、長い付き合いになればいいなって思う。
彼らの背中を見送った私は、新生活に思いを馳せる。
奴隷という身分にはなるものの、ラゴルン家の方々は本当に優しくて、まるでお客さんのように私を迎え入れてくれた。
ラゴルン家の一人息子、ベッサくんも
『新しい家族が増えた!』
なんて風に言ってくれたっけ。
ご飯も美味しいし、正式に契約が結ばれるまでは、随分ゆっくりさせてもらったし、帰ったらバリバリに働かなくちゃ。
そうして意気込む私の目に、遠くから手を振る三つの影が見えた。
大きな体躯をしているおかげで、この距離からでも、ラゴルン家の方たちだと分かったので、私も大きく手を振り返し、駆け足で近づいていった。
「すみません、わざわざありがとうございます。それに、一家総出で」
「なに、大したことじゃないよ。まだまだ一人でこの辺を歩くのは心細いでしょう」
「おねーちゃん、これで家族になったの?」
「あと少しよ、うちで正式に契約を交わさなくちゃ」
「けーやく?」
「ベッサには、まだ難しいかな?」
目の前で繰り広げられる一家の団欒に、お役に立ちたいという気持ちが強くなる。
奴隷なんて、なにをさせられるか分かったものではないと思っていたから、こうしてフレンドリーに接してもらえて、ホッとしたのを覚えている。
私もその団欒に混ぜてもらい、他愛もない話をしながら帰路に着く。
契約というものが、どんなものなのかは少し不安だったけど、魔法陣のようなものの中に、血を少し垂らせばよいだけで、絵に描いたような契約の流れに、自傷行為ですら、楽しいと感じられた。
契約を交わしたその日なんて、ご馳走でラゴルン家に歓迎して頂いた。
どうして奴隷である私に、こんなによくしてくださるのかと尋ねると
「私達もこうして奴隷を迎え入れるのは初めてでね。それに、誰彼構わず、奴隷を雇えるわけではないんだ。ある程度の権力がないと、その権利はいただけないんだ。変な言い方になるが、我が家に奴隷を迎え入れるのは、私たちの一つの目標だったんだよ。だから、来てもらったという気持ちが強くてね」
野心家とでも言うのだろうか。
貴族や、権力者はもっと、横暴な方々ばかりだと思っていた。
そうじゃなかったこともだし、こんな方々の家に仕えられるのは、きっとラッキーなんだと感じた。
楽しい夕食をとらせていただき、翌日からは元気に働いた。
掃除や洗濯、食事の支度にお買い物。
自由な時間もそれなりに与えていただき、大変ではあったけど、とても有意義に過ごせていた。
そんなある日、私は、学校がお休みだというベッサくんの、遊び相手を任された。
任せてください!と、意気込んだのはよいものの、悪魔の子供というのは、なにをして遊ぶのだろう?
「かくれんぼしよう!」
なぁんだ、悪魔と言ってもやっぱり子供、それに、魔界にもかくれんぼがあったんだ。
肩透かしのような気持ちを少し感じながら、ベッサくんと家中を使い、かくれんぼ。
簡単に見つけられるような場所に隠れているベッサくんを
「どこにいるのかな~?」
なんて、小芝居を挟みながら探しているふりをしたり、少し探せば見つけられるような場所に隠れたり、人間の子供と遊んでいるのと、何ら変わらない時を過ごした。
「次は、鬼ごっこ!」
鬼ごっこ……う~ん、本物の鬼が魔界にはいるんじゃないかなぁ。
そんなことが頭をよぎったけど、深く考えないことにした。
まずは私が鬼になって、追いかける。
もともと運動は得意ではなかったけど、ベッサくんにはまるで追いつけない。
悪魔、というより、オークの身体能力だろうか。
びっくりするくらい走りが速いベッサくんとの距離は、どんどん遠ざかっていくばかり。
見かねたベッサくんは逃げるのをやめて
「おねーちゃん、足がすっごく遅いんだね!」
と、ケタケタ笑った。
「ベッサくんが速すぎるんだよ」
息を切らしながら、そう答える私。
「じゃあ今度は、僕が鬼をやってあげるね!」
「逃げ切れる自信ないなぁ……」
「手加減してあげるから!」
子供に気を使われるなんて、情けない。
ほんの少しだけそう思ったけど、所詮私は何の能力もない人間だし、魔物に負けるのは当然だという気持ちの方が強かった。
予想通り、鬼ごっこを再開したけど、私はすぐに追いつかれてしまった。
なかなかタッチしてくれず、すぐ近くを走り続けるベッサくん。
「もう、無理……」
全力疾走なんていつぶりだろう。
私の体はすぐに悲鳴を上げ、これ以上は走り続けられなかった。
ヘロヘロになった私に、ご機嫌なベッサくんが
「ターッチ!」
と、無邪気に言いながら、私の腰を叩いた。
「っ!」
想像していた感触とはまるで違う、激痛が私を襲った。
嫌な音が脳に直接響いた。
それは、私の骨が折れた音だとはっきり分かった。
その場に倒れこんだ私を、味わったことのない痛みが襲い続ける。
「おねーちゃん、どうしたの?」
キョトンとした顔で、ベッサくんが尋ねる。
私はうまく返事ができず、うめき声をあげるばかりだった。
少し経った後、ベッサくんが母親を連れてきた。
「あらまぁ、怪我をしてしまったのね」
そう言いながら、私の患部に触れる奥様。
「痛っ!」
「ちょっと我慢してね」
そう言うと、私に触れていた奥様の手が、淡い緑色に光った。
すると、みるみるうちに、痛みは引いていった。
回復魔法だろうか。
この世界に魔法があるとは聞いていたけど、こうして実際に体験すると、その凄さが分かる。
「はい、これで大丈夫よ」
驚くことに、折れたはずの腰の骨は、すでにくっついているようで、すんなりと立ち上がることができた。
「あ、ありがとうございます!」
「よかったー!これでまだ遊べるね!」
そのベッサくんのセリフに、少しゾクリとした。
「あんまり楓ちゃんを困らせちゃだめよ?」
「はーい!……じゃあ、今度は僕と相撲をとろう?怪我しても大丈夫なように、家の庭で!」
相撲?相撲なんてとったら、さらにひどい怪我をするかもしれない。
「ベッサくん、相撲はちょっと……」
「えーなんで?やりたいやりたい!」
「また怪我しちゃうかもしれないし……」
「そしたら、お母さんに治してもらえばいいじゃん!」
「でも、痛いのは嫌だなぁ」
「やだやだ!」
駄々をこねるベッサくんを、上手く説得できない。
助けを求めて、奥様の方に視線をやると
「いつでも治してあげるから、ベッサに付き合ってあげて」
この時私は痛感した。
なんて自分は楽観的だったんだろう。
悪魔という生き物を、それなりに知っていたはずだ。
その知識とは少し違っても、人間の常識が通じる相手ではないことは、分かっていたはずだった。
「ちゃんと手加減するから、ほら!」
その言葉を信じ切れたわけじゃないけど、そうするほかなかった。
組み合った瞬間こそ、たしかに手加減はしてくれていた。
しかし、投げ飛ばすともなれば、それなりの力が加わる。
恐らく、全力をまだ出してはおらず、宣言通り手加減をしてくれてはいたのかもしれない。
しかし、手で押されたり、握られでもしたら、ちょっとの拍子で耐えがたい痛みが走る。
投げ飛ばされれば、なすすべもなく地面にたたきつけられる。
その度に痣ができ、場合によっては、再び骨折。
そして、それを治癒してもらう。
そうすれば、また相撲は再開される。
思うように投げられるのがよっぽど楽しいのか
「もう一回!もう一回!」
と、再戦をせがまれる。
もう無理だよと言っても、無防備な私に、ベッサくんは襲い掛かってくる。
「婦奥様からも、やめるように言っていただけませんか……」
私はそう懇願した。
しかし、返ってきた返事は
「一応奴隷なんだから、これくらいは働いてもらわないと……」
そんな言葉だった。
怪我の度に、確かに治療はしてもらえた。
しかし、私の心はボロボロになり、回復魔法でもそれは治せそうになかった。
いつか殺されてしまうかもしれない。
その日は、命が尽きるより早く、ベッサくんが満足してくれた。
しかし、学校が休みの日の度に、こんなことを繰り返していては、その時が訪れるのは、そう遠くはないはずだ。
死なないにしても、耐えがたいことであるのは間違いない。
それになにより、親しみやすいと感じていたラゴルン家もやはり悪魔であり、とても恐ろしいものなのだと、私は痛感させられたのだった。
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