落ち着いた女性の声だった。
その声の主はきっと、料理長と呼ばれている方だと直感的に分かった。
僕はまさにその料理長に会いに来たはずなのに、振り返るにはほんの少しだけ勇気がいった。
「あの……」
背中を向けたままの僕に、追い打ちをかけるように声が届く。
意を決して、というのは大げさかもしれないけど、確かな緊張感を持ちながら、僕は振り返った。
その料理長と目を合わせたとき、強張っていた僕の身体から、無駄な力がふっと抜けた。
そこにいたのは、柔和な雰囲気の、僕より少し年上に見える女性だった。
若くは見えるけど、醸し出す安心感のようなものに、なんとなく年上なんだろうと感じさせられた。
(まぁ、年齢だけで言うなら、ムニさんやお嬢様も年上なんだけど……)
人間なら、30代中盤くらいだろうか。
「どうされました……?」
「あ、すみません……!」
悪気はなかったけど、値踏みでもするように、女性の年齢を詮索するような行いは無粋だった。
「いえ、謝ってもらいたいわけじゃなくて……」
「すみま、あっ……えっと、そうです。……奴隷の田中順です」
奴隷の~なんて自己紹介、コンプレックスなのかもわからないなにかが刺激される。
「これはこれは、初めまして。私はこの城でドナ家に給仕係として仕えております、モーロンと申します」
ぺこりと頭を下げられ、僕も慌てて頭を下げた。
「ええと、申し上げにくいのですが、調理場は奴隷の立ち入りを禁止されていまして……」
「えぇ、それは知っているんですが、緊急事態だと思いまして」
「緊急事態?そういえば、お嬢様とサグレナさんが慌てて出かけていきましたが、それと関係が?」
「はい……実は、旦那様と奥様が亡くなられたらしくて……」
「えっ!?嘘でしょう!?」
口を手で覆い、目を大きく見開き驚きとショックを隠せない様子のモーロンさん。
悲しい知らせを、何の配慮もなしに伝えてしまったことを後悔したけど、グアンやムニさんとは違い、訃報を受け、悲しんでいるモーロンさんの反応に、不謹慎だけどホッとした。
この方までもが、大喜びで城を出ていくなんてことになっていたら、ここに僕一人がポツンと取り残されていたし、それに、亡くなられた奥様や旦那様に僕は会ったことはないけど、死が喜ばれる状況は、それが仕方のない境遇だったとしても、なんだかすごく寂しいことだと思うから。
僕の感じた場違いな安堵をよそに、モーロンさんの目にはみるみる涙がたまり、やがて一つ、二つと地面にしずくを垂らした。
かける言葉が見つからず、小さく肩を震わせ、嗚咽を漏らすモーロンさんを、僕はただ見つめることしかできなかった。
「……すみません」
やがて、モーロンさんは小さく僕にそう呟いた。
「いえ……その、モーロンさんは、旦那様や奥様と仲がよろしかったんですか?」
「そうですね……特にドナ家の奥様……ディリアとは、幼いころからの友人でした」
「そ、そうだったんですか」
「元々体の弱い子でしたし、そう遠くない未来、こういう日がくるとは思っていましたが……そうですか」
震える声を必死につなげるモーロンさんを見ていると、いたたまれないような気持ちと、やはり無配慮にそれを告げた後悔が押し寄せてくる。
「しかし、旦那様までもが亡くなられるなんて……」
「偶然と片づけるのは、やはりおかしいですよね?」
「はい。旦那様はご病気も滅多にされない方ですし、先の戦争でも、たくさんの武功を挙げた方ですから、正直まだ信じ切れていません。……すみませんが、私も一度現地に向かい、確認してきます。それでは」
そう言うと、モーロンさんの背中に大きな翼が現れ、ふわりと宙に浮かんだかと思うと、あっという間に姿は見えなくなってしまった。
(すごいスピードだ……)
穏やかな雰囲気からは想像もできない、派手な退場の仕方に、少し呆然とした後
(僕よりもいろいろな事情を知っているであろうモーロンさんの目から見ても、お二方が同時に亡くなるのは、やっぱり異様なんだ……)
誰かに殺された。
僕の想像していた仮説が、徐々にはっきりと輪郭を帯びていくような気がした。
読んでいただきありがとうございます。
週二回(火・金 21時)更新を予定しております。