三秒先の未来
11月7日、午前11時すぎ。
晩秋の冷たい風が吹き抜ける品川区の高層タワーマンション周辺は、無数のパトカーの赤色灯と、防護服に身を包んだ機動隊員たちの足音で騒然としていた。
「――状況はどうなっている、松田」
正面玄関に滑り込ませたSIT(特殊犯捜査係)の
指揮車両から飛び出すなり、榊凱(さかき がい)は
機動隊の防弾ベストを掴んで叫んだ。
煤で汚れた顔を歪め、鋭い目で榊を振り返ったのは、爆発物処理班の松田陣平だった。
「榊か……! クソ、最悪だ。爆弾のカウントダウンが突然再開しやがった。犯人が遠隔で操作してやがる!」
「萩原はどこだ」
「20階の解体現場だ。あいつ、タイマーが止まって油断してやがった……! 防護服も着てねぇんだよ!」
松田の言葉に、榊の背筋に冷たい戦慄が走った。
高層マンションの20階。
エレベーターは非常停止している。
階段を駆け上がっていては間に合わない。犯人の遠隔操作ということは、いつ起爆スイッチを押されてもおかしくないということだ。
「これよりSIT突入班は、無線妨害装置(ジャマー)を携行し、20階へ強制突入する!」
榊は無線機に向かって怒号を飛ばした。
「おい榊! 無茶言うな、爆発に巻き込まれるぞ!」
背後で他の捜査員たちの制止する声が響いたが、榊はそれを完全に無視した。
規律など知るか。ここで待っていれば、警察学校時代の同期であり、バカみたいに軽いノリでいつも自分を笑わせていたあの男が、確実に木っ端微塵になる。
「行くぞッ!!」榊はSITの部隊を率い、マンションの非常階段を獣のような速度で駆け上がった。
心臓が破裂しそうなほどの痛みを無視し、重い装備を付けたまま、2階飛ばし、3階飛ばしで階段を貪るように登る。
携帯型の電波妨害装置が、犯人の遠隔起爆の電波をわずかでも阻害してくれることを祈るしかなかった。
15階、18階、20階――。
「萩原ァ!!! 走れッッッ!!!」
廊下の曲がり角を曲がった瞬間、榊の視界に、開け放たれた一室の奥で、信じられないほど呆然とした顔で爆弾を見つめている萩原研二の姿が映った。
爆弾のデジタルタイマーは、
無慈悲にも『残り00:03』を示している。
「凱ちゃん……っ!?」驚愕に目を見開く萩原。その胸ぐらを、突っ込んできた榊の無骨な手が、肉を引きちぎらんばかりの強さで掴み取った。
理屈も交渉も、そこにはなかった。
榊は萩原の身体を己の巨体で引きずるようにして、爆発区域の部屋から廊下へと、全力でラグビーのタックルのように飛び込んだ。その刹那、タイマーが『00:00』を刻む。
――ドオオオオオオオオオオオオッッッ!!!
鼓膜を完全に引き裂くほどの、凄まじい大爆音。
一瞬遅れて、さっきまで萩原が立っていた部屋が、狂ったようなオレンジ色の火炎とコンクリートの破片に呑み込まれて消滅した。
爆風の直撃を受け、榊と萩原の身体は廊下の壁に激しく叩きつけられる。崩落した天井の破片が雨のように降り注ぎ、視界は一瞬で真っ黒な煙と灰に覆われた。
「ガハッ……! ゲホッ、ゴホッ……!」
肺の空気をすべて絞り出され、激しく咳き込む萩原の横で、榊は肩で息をしながら、ヘルメットの割れたシールドを毟り取った。自分の右腕からは血が流れており、防弾ベストは熱風で溶けて皮膚を焼いていたが、そんな痛みはどうでもよかった。榊は、隣で頭から血を流して倒れている萩原の胸に手を当てた。ドクン、ドクン、と。
微かだが、確かに、鼓膜の奥で生きて鼓動を刻む音が聞こえた。
「……生き、てるな、萩原」
「……痛ぇなぁ、もう……。凱ちゃん、突入が、手荒すぎるんだよ……」
萩原は薄く目を開け、いつもの軽薄な笑みを浮かべようとしたが、すぐに痛みに顔を歪めて意識を失った。
「萩原!! 榊!!」
煙の向こうから、顔を涙と煤でぐちゃぐちゃにした松田が、無線機を放り出して駆け込んできた。
松田は萩原の脈を確かめ、生きていることを知ると、その場にへたり込んでガタガタと震え出した。
「榊……お前、よく、間に合ったな……。あと3秒……あと3秒遅けりゃ、あいつは……」
松田の声が、嗚咽に変わる。
榊は崩れ落ちた壁に背を預けたまま、静かに目を閉じた。(3秒、か)
ネゴシエーター(交渉人)として、数多の凶悪犯と命がけの心理戦を繰り広げてきた。
だが、この日榊が交渉(ネゴシエーション)を仕掛けた相手は、犯人ではなく「死神」そのものだった。
そして榊は、己の肉体と執念を賭けて、死神から萩原研二の未来を毟り取ることに成功したのだ
主人公:榊凱(さかき がい)
警視庁SIT所属
原作では爆発まで3秒しかありませんでしたが、
今回は爆発まで数分あり無線妨害を行なっていたため
その3秒で間に合ったということにしています。