技術試験隊斯ク戦ヘリ 作:ザクスキー2世
ララァとミア、そしてアスカの絡みをちゃんと書きたかったので、そんな感じの内容になっています。
宇宙世紀0079年4月28日
車が宿舎の前へ止まると、私は先に降りて玄関へ回った。
受付で名を告げ、用意してもらった部屋の鍵を受け取る。ララァは少し後ろで鞄を持ち、壁に掛かった構内図を眺めていた。廊下の奥から兵士が出てくるたびに、一歩ずつ私へ近づいてくる。
案内された部屋には寝台と小さな机、衣類を入れる戸棚があった。窓を開けると、風に押されたカーテンが机の角へ引っ掛かる。館の応接室とは随分と違うが、シーツは新しく、洗面所も廊下のすぐ先だ。
ララァは戸口から部屋の中を見渡したまま、なかなか入ろうとしない。
「どうかしましたか?」
「私が、1人で使ってよいのですか」
「ええ、今夜はここで休んでください」
ララァが部屋へ入り、鞄を寝台の脇へ下ろした。その小さな鞄と空の戸棚を見比べると、揃えなければならないものが幾つも思い浮かぶ。いつまでも同じ服で過ごさせるわけにもいかない。
私は机の椅子を引き、彼女へ勧めた。
「少し休んだら、必要なものを教えて貰えますか?私では気づかないものもありますから」
「ありがとうございます。その…何から何まで」
「気にしなくて大丈夫ですよ。連れ出したのは私ですからね。それより、少し寝過ぎましたか」
ララァが小さく笑ったところで、廊下から急ぐ足音が聞こえた。
開けてあった扉の向こうに、見覚えのある顔が覗く。端末と書類を抱えたミアだった。私を見つけるなり明るくなった顔が、その隣で止まる。
「アスカさん、お帰りなさ……」
残りの言葉が出てこない。
ララァが椅子から立ち上がると、ミアは書類を抱え直し、改めて私へ向き直った。
「お帰りなさい。戻られたと聞いたので」
「ただいま戻りました。留守の間、変わりはありませんでしたか?」
「はい。あの、調べていたことで、見ていただきたいものがあって…」
「それは楽しみですね。まず、先に紹介しましょう。こちらがララァです。インドで会ってきた子ですよ」
ララァがミアへ会釈する。
「ララァ・スンと申します。よろしくお願いします」
「ミア・ブリンクマンです。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ミアには、試験や機体の調査を手伝って貰っています。私が向こうへ誘っても、調べたいことがあるからと残ったくらい、熱心なのですよ」
「そんな、私、まだ教えてもらってばかりで」
ミアはそう言いながらも、書類を抱く腕に少し力を込める。褒められて悪い気はしないのだろう。私も急いで中身を聞きたくなったが、立ったままではララァが落ち着けない。
廊下の向こうに談話室があったことを思い出し、そちらへ移ることにした。部屋へ戻ればすぐ横になれる場所で、少し話せばよい。
ララァが鞄へ手を伸ばしかけたので、そのまま置いておくよう伝える。彼女は取っ手から指を離し、一度振り返ってから私たちについてきた。
談話室には誰もいなかった。窓に近い卓へララァを座らせ、私は隣の椅子を引く。ミアは向かいへ資料を置いてから、備え付けの水差しを取りに行った。
礼を言って受け取ったコップをララァへ渡すと、ミアの手元で残りのコップが触れ合う。
割れるほどの音ではない。だが、その時、私の胸の辺りを妙に落ち着かないものが掠めた。
ミアを見る。水差しを置いた彼女は、私と目が合うとすぐに笑った。その笑顔を疑う理由はないのに、伝わってくる気配がどうも噛み合わない。
嬉しさはある。それに、誰かに先を越されそうな、急いで何かをしなければならないような焦りが混じっている。
技師たちに、面倒な仕事でも押し付けられたのだろうか。
「何か、急いで確認しなければならないことがありますか?」
「えっ。いえ、そういうわけでは」
ミアは首を振り、端末を手に取った。画面を開く指が少し忙しい。私が待っているのに気づくと、今度は紙の方をこちらへ向けようとする。
私はコップを卓へ置き、彼女が話し始めるのを待った。
何をそんなに焦っているのだろう。
ミア・ブリンクマンは焦っていた。
帰ってきたと聞いた時には、ただ嬉しかった。途中まで揃えてあった資料を慌てて束ね、端末も持って宿舎へ向かった。見つけたことを話したら、アスカは何と言ってくれるだろう。格納庫を出る時から、そればかり考えていたのである。
だから、部屋の中にいた少女を見て、最初に浮かんだこともひどく単純だった。
なんて綺麗な子なのだろう。
黒いワンピースから覗く褐色の肌と、こちらへ向けられた緑の瞳。長旅の後だというのに、挨拶の仕方まで落ち着いている。まじまじと見ていたことに気づいて目を逸らすと、その先には、少女のすぐ隣に立つアスカがいた。
ララァ、と、アスカは呼んだ。
聞き慣れない名前なのに、呼び方にはためらいがない。椅子を勧める時も、廊下へ出る時も、相手が動くのを待っている。その様子を見ているうちに、ミアは自分の返事が遅れたことより、2人の間へどう入ればよいのかが気になり始めた。
ほんの何日か前までは、自分がそうしてもらっていた。
歩くのが遅れればアスカは足を止め、分からないことにも丁寧に答えてくれる。時にはこちらが聞く前に気づいて、わざわざ振り返ってくれることさえある。訓練中には容赦がない人なのに、日々の細かなことには不思議なくらい目が届いた。
自分が妹だったら、こんなふうに世話を焼いてくれるのかもしれない。
もちろん口には出したことがない。それでも、そう思って嬉しくなることはあった。
向かいでは、ララァが両手でコップを持っている。アスカが何か尋ねると、小さく頷いてから水を飲んだ。
ミアは、端末に開いていた画面をもう一度確かめた。順番に見せようと揃えたはずなのに、肝心の記録が見つからない。先に別のものを開いてしまっていた。
落ち着けばよい。それだけのことだ。
この子は、今日ここへ来たばかりなのだから。アスカが気に掛けるのも当然ではないか。
「帰りは、ずっと輸送機だったのですか?」
ようやく画面を呼び出してから、ミアは尋ねた。研究の話より先に、それが口をつく。
「ええ、あちこちで乗り継ぎながらでした。2人で帰るとなると、行きと同じようにはいきませんからね」
「…大変だったのですね」
「待ち時間には参りましたが、ドップの中で身体を縮めているよりは楽でしたよ。隣で眠ってしまっても、操縦を代わって貰う必要はありませんし」
ララァが口元を緩める。
ミアも笑ったが、2人が機内で並んで座っていたところを、つい思い浮かべてしまう。知らない基地で一緒に食事をし、次の便を待ち、起きた時にも隣にいる。自分が格納庫で記録を追っている間に、そういう時間が幾つもあったのだ。
インドへ一緒に行っていれば。
そこまで考えてから、ミアは視線を端末へ落とした。断ったのは自分である。アスカは誘ってくれたし、ここに残ると答えた時にも、嫌な顔など少しもしなかった。
調べたかったことは、実際に調べられた。技師たちに質問するうちに、分からなかった記録も、今では少しずつ読めるようになっている。
そのことまで、惜しかったと思いたくはない。
「それで、こちらなのですが」
ミアは画面をアスカへ向けた。
声が少し大きかったかもしれない。そう思うより先に、説明を始めていた。
映っているのは、アリゾナでの08Bの記録だった。
斜面を下りながら向きを変える直前、機体がほんの僅かに速度を落としている。ミアはそこに印をつけ、通常の旋回動作と並べておいた。動きだけを見ていた時には気づかなかったが、操縦入力を重ねてみると、思っていたよりも早く操作を始めていたのである。
「最初は、斜面で滑ったのを直しているのだと思ったんです。でも、その前から入力が変わっていて。ここで減速を始めておかないと、曲がり終わる場所がずれてしまうんですよね」
アスカは卓へ身を寄せ、ミアが指した箇所を見た。
「もう少し前から見せて貰えますか」
「はい。こちらです」
記録を戻すと、アスカは黙って画面を追い、曲がり始める手前で止めるよう求めた。ミアはすぐに指を動かす。
彼女が画面へ近づいた分だけ、声も近くなる。今はララァへ向いていない。それだけで、先ほどまで呼び出せなかった説明の順序が、すんなり頭へ戻ってきた。
「この先で、射線を通したかったのです。速度を保ったままでも曲がれますが、それでは少し行きすぎてしまいますから」
「曲がるためだけではないのですね?」
「はい。曲がった後で、どこにいる必要があるかも考えます。操作の記録から、そこまで遡ったのはよい見方ですね」
すぐ返事をすると、声が弾んでしまいそうで、ミアはまず頷いた。
紙へ書いておいた推測の半分は、直さなければならない。けれど、最初から全部見当違いだったわけでもない。アスカは画面とミアのメモを交互に眺め、どの地点を基準にしていたかを説明してくれた。
もう1つ、聞きたかったことがある。
ミアは別の紙を抜き出そうとして、重ねてあった数枚を卓へ広げてしまった。ララァのコップの近くまで滑った1枚を拾う。その拍子に顔を上げると、緑の瞳と目が合った。
ララァは話が終わるのを、ずっと待っていたのだ。
「あ……すみません。分からない話ばかりしてしまって」
「いいえ、ずっと調べていらしたのですね」
差し出された紙の端を受け取りながら、ミアは曖昧に頷いた。
相手は退屈そうにも、不機嫌そうにもしていない。だからといって、自分ばかり話してよいことにはならないだろう。久しぶりにアスカと話せるのが嬉しくて、つい、では済まないものが自分の中にあった気がする。
2人でなければ通じない話をしている間、少し得意になっていた。
そう気づくと、広げた紙を急いで揃えたくなる。
「そちらの続きも、後で聞かせてください。今夜、私も記録を見直しておきます」
アスカが言った。
「全部でなくて構いませんから、今聞きたいところに印をつけておいて貰えますか?」
「はい」
後で聞いてもらえる。そのことに安心してしまった自分にも、少し困った。
別に、これから話す機会がなくなると決まったわけでもないのに。
ミアは端末を閉じ、卓の上を空けた。水を飲もうとすると、コップが空になっている。自分がいつ飲んだのかもよく覚えていなかった。
宿舎の係が訪ねてくると、アスカは立ち上がって扉の方へ歩いていった。
ミアは何となく背筋を伸ばす。卓の向こうにはララァが残っている。さっきまであれほど話していたのに、2人になると何を尋ねればよいのか分からない。
何処から来たのかは、もう紹介された。長旅だったことも聞いている。
ララァの方が先に口を開いた。
「こちらには、何かを買える場所もあるのでしょうか」
「基地の中に売店ならあります。必要なものがあるんですか?」
「着替えを少し。アスカさんが用意してくださると仰るのですけれど、私でも買えるものならと思って」
「でしたら、案内できます。私も使っていますから」
答えてから、ミアは扉の方を見た。
アスカは係の者が持ってきた用紙に目を通している。話はすぐには終わらないらしい。
ララァが服の袖口へ目を落とした。よく見れば、黒いワンピースには長く座っていた跡の皺がある。持っていた鞄も小さかった。綺麗な顔にばかり気を取られて、そんなことには気づかなかった。
「置いてあるものは、日によって違うんですけど。宿舎で借りられるものもありますし、足りなければ聞いてみます」
「ありがとうございます。まだ、何処へ行けばよいのかも分からなくて」
「最初はそうですよ。どこの建物も似ていますし。私も、食堂へ行くつもりで別の棟へ入ったことがあります」
口にしてから、これは別に話すつもりではなかったと思う。だが、ララァが微笑んだので、ミアも少し笑った。
あの時は、行き止まりの廊下から引き返すところをアスカに見つかった。今思えば、隠そうとした方が恥ずかしかったかもしれない。彼女はただ、食事へ行くのでしたら一緒に行きましょう、と言ってくれたのだが。
また、アスカのことを考えている。
ミアはコップへ水を注ぎ、ララァの分も確かめた。
「お疲れでしたら、私だけで買ってきてもいいです。部屋へ戻って、必要なものを教えてもらえれば」
「少しでしたら、一緒に行けると思います」
「では、アスカさんに聞いてみますね」
ミアが立ち上がろうとすると、ララァも椅子を引いた。
その目が、ミアの顔から扉の方へ動く。何を見たのかと思って振り返る前に、クスッと、小さく笑う声が聞こえた。
ララァが手を伸ばす。
卓の縁に置いていたミアの手を、温かな指がそっと包んだ。
「安心なさって…あなたの少佐は取らないわ」
声は、ミアにだけ届くほどに低かった。
「な、何のことですか!?」
こちらの返事は、そうはいかなかった。
扉の方で、アスカが顔を上げる。ミアは慌てて首を振ったが、何を否定しているのか、自分でも分からない。
自分の少佐だなんて。
そんなことは、一言も口にしていない。思ってもいない、と続けようとして、そちらはすぐに出てこなかった。
ララァは微笑んだまま、言い直すことも、問い詰めることもしない。その手を振りほどく理由もなく、ミアは立ちかけの姿勢で固まってしまった。
どうして分かったのだろう。
そんなに顔に出ていたのだろうか。それとも、さっきの話し方があまりにも露骨だったのか。
どちらにしても、綺麗だと思って見惚れていた相手に、こんなところまで見られてしまった。
「売店、ご一緒していただけますか?」
ララァが改めて尋ねた。
ミアは一度口を閉じ、それから頷く。
「……はい。案内します」
握られた手をそっと抜き、端末を抱え直す。紙の端を揃えるふりをしても、熱くなった頬はどうにもならなかった。
係の者を見送って卓へ戻ると、ミアは資料を胸へ抱いたまま立っていた。
ララァはその隣で、何事もなかったようにコップを片づけている。
先ほど何のことかと大きな声を出したのはミアだ。私が見た途端、今は何でもないという顔をしようとしている。その割に、ララァと目が合うのは避けたいらしい。
私は自分の頬に片手を当て、2人を見比べた。
ミアの視線が、こちらとララァの間を忙しく往復する。
なるほど、そういうことだったのか。
留守を預けられて困ったのでも、研究が進まずに焦っていたのでもない。私がミアの知らない少女を連れて帰り、何かと世話を焼くものだから、面白くなかったのである。
これなら、感応などに頼るまでもない。
士官学校で相談に乗っていた同期達にも、似たような顔をする者がいた。話している相手そのものより、相手が誰へ目を向けたかの方が気になる。あれこれ理屈をつけても、視線まではなかなか隠せないものだ。
もっとも、ミアの場合は、慕っている相手の隣へ急にもう1人来たのだから、自分の扱いが変わるのではないかと気になったのだろう。
こちらとしては、そんなつもりは少しもなかったのだが。
私は頬から手を下ろした。笑ってしまえば、今度こそミアが顔を上げられなくなる。
「ミア、明後日の帰還便が取れました。こちらで片づけておきたい仕事はありますか?」
「明後日、ですか?一応記録の複製と、預かっている器材を返すくらいですが…」
「では、後で一緒に格納庫へ行きましょう。私も主任技師へ挨拶しなければなりませんから」
「はい」
返事の声が、いつもの調子に戻る。
ララァが横から顔を向けると、ミアは今度は目を逸らさず、小さく頷き返した。
その前に、ララァの買い物へ付き合うことになった。
売店へ案内すると言い出したのはミアだという。必要なものを尋ねる時には、先ほどのぎこちなさも幾らか薄れていた。ララァの方も、分からないことを1つずつ聞いている。
私は2人について歩き、会計の時だけ口を出した。
ララァは自分の持ち金で払おうとしたが、今日は私に任せて貰う。仕送りのために取っておいた分まで、ここで使わせるつもりはない。ミアが選ぶのを手伝ってくれたおかげで、私1人では長引いたであろう買い物も、さほど時間は掛からなかった。
部屋へ戻って包みを開く頃には、ララァにも疲れが見え始めた。椅子へ腰を下ろした後、すぐには立とうとしない。夕食の時にまた迎えに来ると伝え、私たちは部屋を出る。
廊下を歩き始めると、ミアが少し声を落とした。
「アスカさん。ララァさんも、明後日一緒に?」
「ええ。マイ中尉とモニク大尉の仕事も明日には終わるそうですから、5人で上がる手配をして貰いました」
「そうですか」
「宇宙へ行くのは初めてだそうです。乗る前に、教えておいた方がよいこともあるでしょうね」
ミアは自分の端末を見下ろし、少し考えてから顔を上げた。
「ノーマルスーツは、先に合わせておいた方がいいですよね。出発の朝、急に着ろと言われても困るでしょうし」
「そうですね。そちらも今日のうちに済ませておきましょう」
ようやく、いつものミアと話している気がした。
もう大丈夫だろう。そう思いながら、私は格納庫へ向かう車を頼んだ。
格納庫で主任技師へ帰還の日程を伝えると、出発までに確認してほしい記録が幾つも出てきた。ミアがまとめていた資料と照らし合わせ、明日、担当の技師たちへ引き継ぐことにする。
挨拶だけで済むとは思っていなかったが、残り1日も、どうやら暇にはならないらしい。
帰還の予定と民間人1名を伴うことは、宇宙側へも伝えておいた。ララァの受け入れに必要な確認を済ませ、出発時刻を聞き直してから宿舎へ戻る。
夕食の後には、借りるノーマルスーツを合わせてもらった。
担当者が留め具や接続部を説明する間、ララァは真剣な顔で手元を見ている。一度に全部を覚える必要はないと伝えても、教わった順序を自分の指で確かめていた。ミアが隣から、明日も一緒にやってみましょう、と声を掛ける。
私の出る幕は、あまりなさそうだった。
宇宙世紀0079年4月29日
翌日は、朝からミアと格納庫へ詰めていた。
私が操縦記録を見ながら所見をまとめる隣で、ミアは計測値と映像の時刻を揃えている。担当の技師が来るたびに作業を止め、どの試験で取った記録なのか、まだ確認の済んでいない箇所はどこかを説明した。
画面の中の08Bは、こちらが何度見直しても同じところを走る。その時、私が何を考えていたかまでは残してくれていない。ミアに操作の理由を尋ねられ、一度で答えられずに映像を戻すこともあった。
昼食を挟んで戻ってきても、作業台にはまだ資料が並んでいる。引き継ぎを終えたものから脇へ寄せ、残った印を1つずつ消していった。
08Bは、引き続きツィマットの格納庫へ置いていくことになった。
ようやく使い慣れた機体を残すのはいくらか寂しいものの、地上用の試験機を宇宙へ持っていっても仕方がない。私がいなくなれば、それはそれで技師たちには調べたい箇所があるらしい。開かれた外装の下へ何人も頭を入れ、こちらへは工具を持った手だけが上がった。
夕方になって、ようやく主任技師と記録の受け渡しを確かめる。
「これだけあれば、必要なデータは揃ったと考えてよいですね?」
「ええ、十分です。少佐には実によく動かして貰いましたから。あとは我々が持ち帰って、設計へ反映させる番ですよ」
「では、今回の試験任務はこれで終わりということで」
「ええ!ご協力感謝しております」
主任技師が差し出した手を握る。いつも何かを思いついては私を呼び止める男だが、今日はそのまま離してくれた。
ミアも借りていた器材を返し、複製した記録を端末で確かめている。最後に作業台を片づけ、整備架台に収まった08Bを見上げた。
私はその隣へ立つ。
「調べ足りませんか?」
「……少し。でも、持って帰れる記録もこんなにありますから」
「私への質問も、確かまだ残っていましたね」
「はい。印、つけておきます」
私は頷き、ミアと共に格納庫を後にした。
宿舎へ戻る前に、マイ中尉たちの方もヒルドルブに関する作業を終えたと連絡が入る。明朝、搭乗前に合流すればよい。ソンネン少佐は地上に残留するので、宇宙へ戻る顔ぶれは予定通りの5人である。
夕食を済ませると、ミアはララァの部屋へ向かった。昨日約束した通り、ノーマルスーツの着方をもう一度確かめておくのだという。
夜になって、ようやく椅子へ腰を落ち着けた。
ミアが印をつけた箇所を順に見ていくと、昼間は気づかなかった書き込みが幾つもある。答えをすぐに書けるものもあれば、私自身、どうしてその操作をしたのか考え込むものもあった。身体が先に動いた、とだけ返しても、あの子には何の参考にもなるまい。
幾つか覚えていることを手帳へ書き留め、端末を閉じる。
廊下へ出ると、窓の近くにララァが立っていた。買ったばかりの上着を羽織り、ガラスの向こうを見ている。
「眠れませんか?」
声を掛けると、ララァが振り向いた。
「少し、目が冴えてしまって。帰りに眠りすぎたのかもしれません」
「私も似たようなものです。少しだけ、外へ出てみましょうか」
玄関の灯りが届くところにベンチがあった。
並んで腰を下ろすと、上着の袖へ夜の風が入る。日中に車で通った道は暗く、遠い格納庫の明かりと、構内を走る車の灯りが見えた。頭の上には、建物の軒に切り取られていた時より多くの星がある。
ララァは膝に手を揃え、その先を眺めていた。
私はしばらく同じように空を見てから、彼女へ顔を向ける。
「宇宙へ行くのは怖くありませんか?」
「いいえ、怖くはありません」
返事は静かだったが、ためらいはなかった。
私は頷き、視線を空へ戻した。
初めて地球へ降りた時、この頭の上にあるものをどう捉えればよいのか、随分持て余した覚えがある。見上げても、馴染みのある街並みは反対側に続いていない。空を眺めているつもりが、いつの間にか、その向こうに何があるのかを探してしまうのである。
「私は、地球の空に慣れる方が大変でした」
「アスカさんが?」
「ええ、コロニーに比べるとこちらの空はずっと広くて、そして高いでしょう?見上げても、何処にも終わりが見えませんから」
ララァが顎を上げた。私もその視線を追う。
暗い空を横切って、小さな光が動いている。飛行機なのか、軌道上の何かなのか、裸眼では確かめようもなかった。
「コロニーでは、空の向こうに別の街が見えるのですよ。*1上を向けば道路や建物があって、その明かりが夜にも残ります。私は生まれてからずっとそれを見て育ちましたからね。何もない空というものが、初めは妙に落ち着きませんでした」
「頭上にも、街があるのですね」
「そうですよ。望遠鏡を使って、頭の上を走っている車を窓から眺めたりもしました。こちらへ来てからも、時々見えるはずがないのに探してしまいます」
ララァが笑った。
この空の何処に街があるのか、見つけようとするように目を動かしている。今度コロニーへ行く機会があれば、彼女は逆に、街の向こうへ続く空を探すのだろうか。
「それでもこちらの空は綺麗ですね。明るいうちも、こうして暗くなってからも」
ララァは頷いた。その横顔からは、今は何も流れ込んでこない。
七色の光に包まれた時には、彼女の懐かしさまで自分のもののように感じた。それなのに、こうして肩の近くに座っていても、何を考えているのかは聞かなければ分からない。風に動いた髪を指で押さえる仕草を見ながら、私は次の言葉を選んだ。
「宇宙は、この空よりもっと広いですよ」
「もっと……」
「ええ、地面がありませんから足元にもずっと続いています。初めは上も下も分からなくなるかもしれませんが、慣れてしまうとそれも気にならなくなります」
ララァの視線が、一度足元へ落ちる。
ベンチから伸ばした私の靴の先に、舗装の継ぎ目があった。私は踵を少し引き、その固い感触を確かめる。
宇宙へ戻れば、機体を傾けた先が、そのまま自分の進む方角になる。目の前にあった艦を背へ送り、地球を横へ置いて飛ぶ。地上ではうるさく重さを主張していた身体も、手摺を離せば、何処へでも動かせる。
話しているうちに、その感覚が少し恋しくなり、私はララァへ顔を向けた。
「宇宙はとても自由ですよ」
彼女はすぐには返事をしなかった。
膝に揃えていた手を解き、掌を少し上へ向ける。そこへ風を受けてから、指をゆっくり閉じた。
「……私も窓から見られますか?」
「ええ、見える席をお願いしておきました」
ララァはもう一度、空を見上げた。
今度は、私が話し終えるのを待っている顔ではなかった。星と星の間へ目を凝らし、何かを確かめようとしている。その邪魔をする気にはならず、私も黙って座っていた。
風が強まったので、長くは留まらずに宿舎へ戻った。
ララァの部屋の前で明日の集合時刻を伝えると、彼女は頷き、鍵を取り出す。
「おやすみなさい、アスカさん」
「おやすみなさい。良い夢を」
扉が閉まるのを見届け、私は自分の部屋へ戻った。
宇宙世紀0079年4月30日
翌朝、迎えの車が来る頃には、3人とも玄関へ集まっていた。
ミアの荷物は、行き先の違う器材を返した分だけ減っている。一方、ララァの旅行鞄にはこちらで買ったものが増え、取っ手の下へ小さな包みが結ばれていた。私は自分の荷を車へ預け、乗り込む2人の後へ続く。
朝の構内は既に動き始めていた。牽引車とすれ違い、格納庫の前を通る。ミアにつられて窓の外へ目を向けても、08Bの姿は建物に隠れて見えない。
搭乗待合室には、マイ中尉とモニク大尉が先に来ていた。
足元には荷物がまとまり、中尉は手にしていた書類を鞄へ収めている。こちらに気づくと立ち上がり、挨拶をしてから私の隣へ目を向けた。
「こちらがララァです。宇宙へ連れて行くとお伝えしていたのは、この娘ですよ」
2人の名を教えると、ララァは鞄を持つ手を揃え、丁寧に頭を下げた。
「ララァ・スンと申します。よろしくお願いします」
「ナカノミヤ少佐は物好きねぇ。アースノイドの子供を連れて行くなんて」
モニク大尉は私へそう言ったが、ララァを見る目は少し冷たい。
マイ中尉は特に気にした様子もなく、にこやかに手を差し出している。
「オリヴァー・マイ技術中尉だ。君は宇宙へ行くのは初めてだそうだね」
「はい、分からないことばかりで」
「私でよければ、何でも聞いてもらって大丈夫だよ」
中尉はララァと握手を交わした。初めて会う子供を相手にする、ごく普通の柔らかな笑顔だった。
私は周囲にほかの搭乗者がいないことを確かめ、少し声を落とした。
「幼い頃から、娼館で占いや給仕をしていたそうです。そこから家族へ仕送りも。この先は客を取らせるつもりだったようなので、無理矢理身請けして連れてきました」
ミアが、はっとララァを見た。
そういえば、ミアにはまだ詳しい事情を話していない。一緒に買い物をしていた時にも、どこで暮らしていたかまでは尋ねていなかったはずだ。
何か言いかけた唇が、そのまま止まる。ララァがそちらへ顔を向けても、ミアはすぐには言葉を返せずにいた。
モニク大尉は顔を顰めた。ララァを見る目からは、先ほどの冷たさが薄れている。
「なるほど、大変だったのね」
その声は低く、先ほど私へ向けたものとは違っていた。
ララァは小さく頭を下げる。マイ中尉の笑顔も消え、口を開きかけては閉じていた。手元の鞄へ一度目を落とし、何か言葉を探すように顔を上げる。その様子がいかにも気まずそうで、こちらまで次に何を言うべきか迷ってしまう。
搭乗の案内が入り、私は荷物を持ち直した。
「では、参りましょうか」
ララァが頷くと、ミアも慌てて自分の鞄を取った。マイ中尉とモニク大尉が先に立ち、私たちもその後へ続く。
宇宙へ向かうシャトルの周囲では、最後の積み込みが続いていた。
搭乗を待つ間、ララァは機体の下から胴体を見上げている。輸送機にはもう乗り慣れたはずだが、これから行く先が空の上となると、また違って見えるのだろう。
係の者に呼ばれ、身支度を整えて乗り込む。
ノーマルスーツを着たララァは、昨日確かめた手順を思い出すように手首の留め具を触っていた。ミアが手元を覗き、そこは留まっていますよ、と知らせる。ララァが礼を言うと、ミアは少し照れたように、隣の留め具も指で示した。
私は2人の後ろから座席番号を確かめた。
「ララァ、貴女はこちらですよ。窓のそばへ座りなさい」
「はい」
荷物を所定の場所へ収め、彼女を窓側へ座らせる。私が隣へ腰を下ろすと、通路を挟んだ席にミアが座った。端末を取り出しかけ、乗員に促されてまた仕舞っている。
1列前では、マイ中尉が荷物を押し込み、モニク大尉が既に固定帯を締めていた。
私はララァへ固定帯の通し方を示し、自分のものも締めた。
「苦しくありませんか?」
「大丈夫です」
「身体が動かないくらいにしておきなさい。上がる時には、しばらく座席へ押しつけられますから」
ララァは頷き、帯をもう少し引いた。
乗員が順に確認して回り、最後にヘルメットを着けるよう告げる。互いの声が聞こえることを確かめると、ミアが通路の向こうから小さく手を上げた。ララァも同じように手を上げ、それから掌を膝へ戻した。
私は背もたれに身体を収める。
窓の外を走っていく作業員の姿が見えなくなり、離床の案内が入った。
初めは床の下から伝わる振動だけだった。
やがて音が大きくなり、背中を座席へ押しつける力が増していく。ララァは両手を握り、顎を少し引いた。唇が動いたように見えたが、声は聞こえない。
私の手はすぐ隣にある。けれど、今は勝手に握ってやるよりも、本人がどうするかを見ていたかった。
ララァは窓へ顔を向けようとして、途中でやめた。力に逆らわず頭を戻し、一度ゆっくりと息を吐く。その呼吸がこちらにも聞こえたので、私は目が合ったところで頷いた。
「そのままで大丈夫ですよ」
彼女も小さく頷き返す。
短かった息が、次には少し長く吐き出された。怖くはないと言っていても、初めて受ける力に身体が驚くことはある。私自身、最初からこの重さを平気で受け止められたわけではない。
ミアの方を見ると、こちらは視線だけを窓へ向けている。私に気づいて何か言おうとしたが、やめて口を閉じた。今、無理に話す必要はない。そう伝わるよう、私も軽く頷いた。
窓に映る青が、いつの間にか濃くなっていた。
上昇を知らせる声が幾度か入り、その間にも景色は変わっていく。白く見えていたものが窓の下へ遠ざかり、上の方から深い暗さが広がった。
背中へ掛かっていた力が変わる。身体を支える場所を探すように肩が動き、固定帯へ軽く引き留められた。
私は息を吐いた。
この感覚だ。
軌道へ入ったという案内を聞きながら、私は手を少し持ち上げてみた。力を抜いても、その手は膝へ落ちない。ララァも私の手を見て、同じように指を持ち上げた。
そのまま、じっと見つめている。
「もう、宇宙なのですか?」
「ええそうです。着きましたよ」
私が窓の方へ目を向けると、ララァもそちらを見た。
青い地球が、窓いっぱいに広がっている。白い雲の切れ目から濃い海が覗き、その縁には細い光が沿っていた。昨夜、2人で見上げていた空は、あの明るい縁の内側にある。
ララァが窓へ手を伸ばす。
身体も一緒に動きかけ、固定帯に止められると、少し驚いた顔をした。それから座席に収まったまま、指先だけを窓枠へ添える。
「……あんなに地球は丸いのですね」
「まあ、地上にいる間はなかなか分かりませんね」
ララァは頷くだけで、窓から顔を離そうとしない。
私も、それ以上は話しかけずにおいた。雲の形を追っているのか、海岸を探しているのか、その目は忙しく動いている。やがて地球の縁を辿り、その外へ続く暗い方へ止まった。
窓に近づこうとしていた肩が、ゆっくりと緩む。
通路の向こうから、ミアが身を傾けた。
「そちらよく見えますか?」
ララァは振り返り、窓を指す。
「ええ、とても。ミアさんもこちらへ」
「2人とも、まだ席を立ってはいけませんよ」
私が告げると、2人は同時に固定帯を見下ろした。ミアが先に笑い、ララァもつられて口元を緩める。
動いてよいという案内があれば、私が席を替われば済む。今はそのままで眺めていてもらおう。
私は背もたれへ身体を預け、首元へ浮いてきた髪を指で払った。
ララァの手は、もう膝の上で握られてはいない。窓枠へ添えた指が僅かに動き、その向こうを、地球の白い雲の帯がゆっくりと流れていた。
ご高覧ありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
もう42話まで書き終わっていると言うのに、改めてアップロード前の最終校正をすると、ララァの動かし方は本当にこれで良いのだろうかと頭を悩ませてしまいますね…
やっぱりこのキャラ難しいって…
とはいえ、ジオン側ニュータイプ主人公を書くとなると、ララァはやはり重要なキーウーマンなので外せるわけもなく、かと言ってシャアも出さずに知らないところで亡き者にするわけにもいかず、第四の壁を突破してこちら側にまでデバフ効果を押し付けてくるコズミック悪霊ってマジで何者なの…
それと、今回は特に注釈を入れるようなこともないので、注釈を楽しみにされていた方は申し訳ないです。
尚、戦闘になっても注釈は減ってしまう模様…
それでは皆様、明日もまたお会いしましょう。
登場させるとしても大分先になりますが、ジークアクスのキャラを出すのはアリかナシか。(出るならニャアン)
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アリ
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ナシ
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どっちでも良い
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早く書け