技術試験隊斯ク戦ヘリ   作:ザクスキー2世

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今回は、前回の予告通り日常回パート2になります。
三人称視点が多くなります。


第32話

 

 

 宇宙世紀0079年5月10日

 

 

 ララァはヨーツンヘイムの艦橋で、窓の下の手摺を握っていた。*1

 前へ出すぎると操舵席から外が見えなくなると教わったので、立つ場所は窓の端に決めている。靴の固定も確かめた。少し身体を傾ければ、船首の向こうまで見渡せる。

 その先を白い光が横切った。

 細く伸びた光の後ろから、別の光が2つ追いかけていく。離れたところにいたもう1つが進路を変え、先回りするように上へ動く。暗い宇宙には、それぞれの噴射が明るく浮かんでいた。

 

 アスカに訓練を見ていてよいかと尋ねたのは朝のことだった。

 

「艦橋の皆さんの邪魔にならないようにしてくださいね。艦長には私からお願いしておきます」

 

 そう言って出ていった彼女は、今、窓の外にいる。

 ララァは手摺へ少し顔を近づけた。あの中のどれがアスカかは、ここへ来てすぐに分かった。機体の色までは見えなくても、光が伸びるより前に、その行く先へ意識が引かれる。

 ただ、それを追い続けるのは難しかった。

 

 先ほどまでは、大きな艦を間に挟んで動いていた。今はそこから離れたところで、アスカのヅダを3機のザクが囲もうとしている。

 ララァは近くの席に設けられた画面と窓を交互に見た。画面には拡大された機影が映り、窓からでは点にしか見えないものにも、頭や手足があると分かる。

 3機のザクⅠQ-2型は、ララァには同じ形に見えた。左腕についた平たい板を前へ向けながら進むものと、長い銃を両手で構えたもの。その後ろに、もう1機。

 

 前にいる人が右へ動こうとしている。

 そう思うと、その機体から小さな光が噴き出した。ほとんど同時に、後ろの人が空いた場所へ入ってくる。

 ララァはそちらへ目を移す。今度は少し下だと思うと、やはりその通りに動く。

 相手の手がこちらへ伸びてくるより前に、差し出されると分かることがある。今感じているものも、それに近かった。距離はずっと遠いのに、3人が次にしようとしていることは、間近で見ているように伝わってくる。

 

 アスカは2機の間を抜けようとしていた。

 ララァにもそちらへ進む光が見えた気がする。だが、次の瞬間には、実際の機体が下へ向きを変えていた。

 思わず目で追い直す。

 下へ抜けた光は、そのまま遠ざかるはずだった。少なくとも、一瞬前まではそう感じていた。ところが噴射が短く途切れ、ヅダが身体だけを返すと、追っていたザクの脇へ滑り込んでいく。

 ララァの指に力が入った。

 

 分かったと思うたびに、違うところへ行ってしまう。

 進む先が2つ、3つと重なって感じられることさえあった。どれかへ目を向けると、もうその気配は薄れ、別の方へ強く引かれる。

 アスカが何も考えていないわけではない。むしろ、こちらが追いつく前に、次のことを決めてしまっているようだった。

 いくつもの先が見えているのだろうか。それとも、あの人が、そのたびに行き先を変えているのだろうか。

 こんなふうに感じたことは、今までなかった。

 

「どうだ?ナカノミヤ少佐はなかなかのものだろう」

 

 横から声がして、ララァは顔を上げた。

 プロホノウ艦長が椅子の背に片手を置いて立っている。こちらがずっと窓を見ていたので、様子を見に来たらしい。目が合うと、艦長は外へ顎を向けた。

 

「あの3人も随分と上手くなったのだがな。少佐にはまだ追いつかんようだ」

 

「はい、でも……」

 

 言いかけたところで、窓の向こうの光が重なった。

 左にいる人がほかの2人から少し離れようとしている。アスカへ銃を向けたまま、空いたところへ戻るつもりなのだろう。その動きがララァにははっきりと分かった。

 

「あの方、下へ戻ろうとしています」

 

「左のザクかね?」

 

「ええ、でもそこへ行くと……」

 

 ザクの足元に噴射が灯った。

 その先へヅダが銃口を向ける。ララァがアスカの居場所を確かめた時には、もう短い射撃が始まっていた。

 窓から弾は見えなかったが、傍らの画面でザクの胸に紫色が弾けた。機体が急に足を突っ張るような姿勢になり、噴射を変えて離れていく。

 

『メテオ03(スミス少尉)、胴体被弾。撃破判定です』

 

 報告を受けた乗員が端末へ何かを打ち込む。その手が一度止まり、ララァの方へ顔が向いた。

 艦長も画面から少女へ視線を戻す。

 

「よく分かったな」

 

「そちらへ行こうとしていましたから」

 

 答えながらも、ララァの目は外へ戻っていた。

 残った2人のうち、奥の人が前へ出る。もう1人が戻れるように、アスカの方へ銃を向けようとしているのだ。その動きにも迷いは少ない。

 だが、前へ出た後に銃口を向け直すのがほんの少し遅い。

 ララァは眉を寄せた。今度もまた、アスカだけが違うところへ行ってしまった。

 

「次は奥の方です。その後にもう1人……」

 

 すぐ横で、誰かが息を吸った。

 画面の中のヅダは背中を見せたまま流れている。ザクはそれを追って銃口を動かしたが、発砲する寸前にヅダの肩が返った。

 紫色の飛沫がザクの銃を持つ腕に広がる。まだ撃破にはなっていない。片腕を引いたザクはもう一方の腕を上げ、隣の機体がその前へ出ようとする。

 ヅダはそこにいなかった。

 銃口を避けながら下を抜け、先ほど腕を撃たれた機体へ再び向き直っている。2度目の射撃が胸に当たる頃には、最後のザクも姿勢を変え始めていた。

 

 ララァはその人が戻りたい場所へ目を向ける。

 今からでは、間に合わない。

 小さな光がいくつか瞬き、最後のザクの脇腹にも塗料が散った。

 

『メテオ04(ヘルベルト少尉)、撃破判定。続いてメテオ02(ライヒ中尉)も撃破。訓練終了』

 

 艦橋へ流れた声の後で、アスカが3人へ何か話し始めた。最初に聞こえたのは、味方を戻そうとした判断は良かった、という言葉だった。

 ララァはようやく手摺を握る力を緩めた。握り続けていた指を1本ずつ伸ばす。

 

「ララァ君、こういう訓練を前にも見たことがあるのかね?」

 

「いいえ」

 

 艦長の問いに首を振る。

 近くの乗員が画面の記録を少し戻していた。ザクが動き出すところを止め、隣の席の者へ見せている。何か間違ったことを言っただろうかと、ララァは2人を見比べた。

 

「私、邪魔をしてしまいましたか?」

 

「いや、そんなことはない」

 

 艦長はすぐに答えた。それから、少し離れた席にいるクリューガー副長へ目を向ける。副長もこちらを見ており、2人の視線が短く交わった。

 アスカが敵の姿を捉えるより早く警告する時にも、乗員たちはこんなふうに顔を見合わせることがあった。今はその時のことを思い出す者が、1人ずつ増えていた。

 ただ、誰もそれを口にはしなかった。

 

「少佐の動きも同じように分かるのか?」

 

 しばらくして、艦長が尋ねた。

 ララァは少し考え、ゆっくり首を横へ振る。

 

「あの方は分かったと思うともう違うことをしているんです」

 

「ほう」

 

「今度はこちらへ行くと思っても、次にはほかにも行けるような気がして……上手く言えません」

 

 自分の言葉を確かめるように、ララァは唇を閉じた。

 そんな説明では、艦長にも分からないだろう。それでも、ほかに言い方が見つからなかった。

 遠くでは、3機のザクが再び集まり始めている。離れたところで待つヅダの噴射が小さく灯ると、ララァの顔も自然とそちらへ向いた。

 

「もう少しここにいてもいいですか?」

 

「ああ、そこなら構わんよ」

 

 礼を言って、窓へ向き直る。

 次こそは分かるだろうか。

 動き始めた光を追う少女の横顔を艦長はもう一度見てから、静かに自分の席へ戻った。

 

 

 宇宙世紀0079年5月11日

 

 

 食事の時間を外した食堂は空いていた。

 ミアが入っていくと、壁際の卓でララァが紙を広げている。片手で端を押さえ、もう片方の手にペンを持っていたが、ミアが卓のそばへ来るまで、その先は一度も動かなかった。

 

「何を書いているんですか?」

 

「手紙よ。あそこにいた子たちに書くと約束したの」*2

 

 顔を上げたララァが紙の横へ置いてあった封筒を示す。

 館に残っている少女たちのことだと、ミアにも分かった。椅子へ手を掛けながら、卓に置きかけた自分の端末を手元へ引き寄せる。大事な手紙の上へ仕事の記録を重ねるところだった。

 

「まだ途中なのだけれど」

 

「あっ、邪魔でしたか?」

 

「ううん、何を書いたらいいか考えていたところ」

 

 ララァは空いている椅子を少し引き、ミアが座りやすいようにしてくれた。

 向かい合って座り、固定帯を締めると、書きかけの紙が目に入る。文字があるのは上の方だけだった。読んではいけないと思って視線を外したところで、ララァがペンを置いた。

 

「『元気にしています』と『皆さんによくしてもらっています』だけだと短すぎるでしょう?」

 

「宇宙へ来た時のことはどうですか?窓から地球が見えた時とか」

 

「それは書いたわ。あの子たちが同じものを思い浮かべてくれるかしら」

 

 ララァは紙へ目を落とす。

 ミアは自分たちが上がってきた日のことを思い出した。窓へ顔を寄せ、目を離さずにいたララァ。その横でアスカも外を見ていた。

 地球が丸いことを知っているのと、実際に窓の向こうに見るのとでは、やはり違うのだろう。ミアにもそれを上手く文章にする自信はなかった。

 

「絵を添えるのはどうでしょう」

 

「絵?」

 

「少し描いてあれば分かりやすいかもしれません。大きな地球と小さな窓とか」

 

 ララァは余白を見つめ、それからミアを見る。

 その顔がどこか困っていたので、ミアは慌てて言い足した。

 

「写真でもいいと思います!あとで撮ってあるものを探してみましょうか」

 

「お願いしてもいい?」

 

「はい、私も見たいですし」

 

 ララァの表情が緩んだ。

 頼まれたことが嬉しくて、ミアは端末に小さく覚え書きを入れた。次に機体の記録を開いたら、そのまま忘れてしまいかねない。画面を閉じると、ララァがまだ余白を眺めていた。

 

「あとはここで暮らしていることね。皆、空を飛ぶ話を聞きたがると思うの」

 

「空を飛ぶ……」

 

 ミアは思わず食堂の天井を見上げた。

 そこには取っ手と照明が並んでいる。通路を移動する時、邪魔にならない方へ身体を寄せることはあっても、空を飛んでいると考えたことはなかった。

 ララァには同じものがそう見えるのか。

 

「壁を蹴るとそのまま向こうへ行けるのよ。階段を上がらなくても高いところへ手が届くでしょう。最初にあれを見た時、あの子たちにも見せてあげたいと思ったわ」

 

「それならそのまま書けばいいと思います」

 

「そう?」

 

「はい、私はそういうふうに考えたことがなかったので」

 

 ララァはしばらくミアを見てから、ペンを取った。

 紙の上へ文字が少しずつ増えていく。ミアは鞄から飲み物の容器を取り出し、卓の留め具へ収めた。ララァも顔を上げ、端へ寄せてあった自分の容器から一口飲む。

 

「でも最初は止まれなかったの」

 

「強く蹴りました?」

 

「そんなつもりはなかったのだけれど。曲がり角の向こうへ行きたくて手を伸ばしたら、身体まで回ってしまって」

 

 ララァが片手を横へ伸ばす。ミアにも何をしたのか分かった。

 角の取っ手を掴んで、そのまま腕を縮めたのだろう。身体が取っ手の周りを回り、行きたかった方と違う向きを向いてしまう。慣れないうちはよくあることだった。

 

「気づいたらさっき通ってきた廊下を見ていたわ」

 

「戻っちゃったんですか?」

 

「ええ、だからもう一度やったの」

 

 そこまで聞いて、ミアの口元が緩む。

 ララァは先に笑い、肩を小さくすくめた。

 

「今度は天井が目の前に来たわ」

 

「あ、分かります。分かりますけど、それは腕で引っ張りすぎです」

 

「だって手を離すとどこまで行くか分からないでしょう?」

 

 ミアは笑いながら頷いた。

 今のララァは通路を危なげなく進んでいる。人が来れば手摺へ寄り、扉の前ではきちんと止まる。その彼女が、同じ角の周りを何度も回っていたというのが、どうにもおかしかった。

 

「最後はどうしたんですか?」

 

「通りかかった方に足を止めてもらったの。ちゃんと立ってからお礼を言いたかったのに、逆さまのままで」

 

「お辞儀をしませんでした?」

 

 ララァが黙った。

 その後で両手を顔へ寄せたので、ミアはとうとう声を立てて笑ってしまった。

 

「したんですね」

 

「少しだけよ」

 

「少しでもまた回りますよ」

 

「そうなの。あの時は分からなかったのよ」

 

 言いながら、ララァ自身も笑っている。

 頬を押さえた指の間から息が漏れ、ようやく収まったと思うと、ミアと目が合ってまた笑い始める。いつも静かに微笑んでいる顔とは、随分違って見えた。

 ミアは飲み物へ手を伸ばしかけ、もう少し待つことにした。今飲んだら、きっとむせる。

 

「それを書いたら心配されてしまうわ」

 

「今は大丈夫ですって最後につければ」

 

「ちゃんと信じてくれるかしら」

 

「次に会った時に教えてあげればいいんですよ。今度はララァさんが足を止めてあげる方です」

 

 ララァが顔から手を下ろした。

 そのまましばらく考えてから、そうね、と小さく頷く。

 

「あの子たちならきっと競争を始めるわ」

 

「それは止めないと危ないですね」

 

「止めても私が見ていないところで始めるの」

 

 その言い方に覚えがある気がして、ミアは首を傾けた。アスカが誰かの心配をしている時にも、少し似た口調になる。

 館の少女たちにとって、ララァはそういう相手だったのかもしれない。

 けれど、目の前の彼女は手紙に失敗を書こうか迷いながら、まだ少し頬を赤くしている。

 

 自分とそれほど違わないのだ。

 ミアはララァがペンを持ち直すのを見た。

 初めて会った時は、何を考えているのか分からなかった。こちらが落ち着かずにいる理由まで知っているようで、綺麗な顔を向けられると、それだけで言葉に詰まってしまったものだ。

 今も大人びているとは思う。

 だが、笑いを堪えきれずにペンを止め、書きかけの行へ戻ろうとしているのは、自分と同じくらいの年頃の少女だった。

 

「ララァさん」

 

「なあに?」

 

「その話を聞いたのは私が初めてなんですか?」

 

 ララァは少し目を伏せた。

 

「足を止めてくださった方は知っているわ」

 

「それはそうですけど」

 

 また笑いが込み上げてきた。

 今度はミアの方が先に俯く。肩を揺らすミアを見て、ララァもペンを置いてしまった。

 

「ミア、これではいつまで経っても書けないわ」

 

「すみません。でも今のはララァさんが……」

 

 言い終わらないうちに、食堂の入口が開く。戻ってきた乗員たちへ場所を空けるため、2人は卓に広げていたものを少し寄せた。

 ミアが端末を片づけると、ララァは紙の端を留め直し、今度こそ続きを書き始める。

 先ほどよりペンの動きは速かった。

 

 しばらくして、ミアは空になった容器を鞄へ戻した。

 格納庫へ戻る時間である。椅子の固定帯を外していると、ララァも顔を上げた。

 

「写真、今度一緒に見てもいい?」

 

「はい、あとで持ってきますね」

 

「ありがとう」

 

 ミアは頷き、手摺に掴まった。

 入口のところで振り返ると、ララァはまた紙へ顔を向けている。少し考えては書き足し、次の行へ進む。その口元に笑みが残っていたので、ミアまでまた笑いそうになってしまった。

 午後の仕事が終わったら、約束を忘れずに戻ってこよう。

 その時には、写真を見ながら話せることも、もう少し見つかるはずだった。

 

 

 宇宙世紀0079年5月12日

 

 

 訓練後の打ち合わせが終わり、私は小会議室で書類をまとめていた。

 ヨーツンヘイムと護衛艦の砲員たちにも加わってもらうようになってから、確認する記録が随分増えた。こちらからは見えていたはずの機体が、別の艦では船体に隠れていたということもある。1枚の図に航跡を重ねただけでは、分からないものだ。

 明日試す進入方向を手元へ控え、使い終えた端末を閉じる。最後に椅子を戻そうとしたところで、扉の脇にモニク大尉が残っていることに気づいた。

 

「何か確認し忘れましたか?」

 

「訓練のことではないのだけれど。少し、いいかしら」

 

「ええ、どうぞ」

 

 私は椅子を引き直した。

 モニク大尉は廊下へ一度目を向け、誰もいないのを確かめてから扉を閉める。それほど人に聞かれたくない話なのだろうか。総帥府から何か厄介な指示でも届いたのかと思い、こちらも座り直した。

 ところが、モニク大尉は向かいへ来ても、すぐには話し始めなかった。

 机の縁へ指を置き、口を開きかけては、少し眉を寄せる。

 

「マイ中尉のことなのだけれど」

 

「マイ中尉がどうかしましたか?」

 

「最近、私を避けているような気がするのよ」

 

 私は瞬きをした。

 何かの聞き間違いかと思ったが、モニク大尉はこちらの返事を待っている。どうやら、今聞こえた通りの相談らしかった。

 

「避けている、ですか」

 

「ええ」

 

「仕事が立て込んでいるのでは?私も訓練の記録を随分見てもらっていますから」

 

「それは分かっているわ。でも廊下で私を見た途端に今来た方へ戻るほど?」

 

 なるほど。それは、少し妙かもしれない。

 ただ、忘れ物に気づいただけという可能性もある。そう言おうとすると、モニク大尉が先に続けた。

 

「食堂でもそうよ。私が席に着くとまだ飲み物が残っているのに立ってしまう。報告もするし必要なことも答えるけれど、話が済んだらすぐにいなくなるの」

 

「以前からそうでしたか?」

 

「いいえ、前はそのまま話していたこともあったわ」

 

 モニク大尉の指先が机の縁を一度擦った。

 たまたま勤務時間が合わなかっただけなら、そのうち元へ戻るだろう。しかし、わざわざ私へ相談するほど続いているのであれば、本人にしか分からない変化があったのかもしれない。

 私はまず、最もありそうなところから尋ねることにした。

 

「モニク大尉、マイ中尉に何かしましたか?」

 

「何かって?」

 

「報告書のことで強く言いすぎたとか、説明の途中で遮ったとか」

 

「必要なことは言うけれど、特別なことをした覚えはないわ。いつも通りよ」

 

 そのいつも通りというところが少々難しい。

 モニク大尉は普段から言葉が強い。本人がただ確認したつもりでも、聞かれた方には追及に聞こえることがあるだろう。ただ、マイ中尉も昨日今日この隊に来たわけではない。今になって急に、それだけで避け始めるだろうか。

 地上でも、2人は普通に話していた。ヒルドルブの報告をまとめる時には、意見が食い違うこともあったようだが、仕事を投げ出すような人たちではない。

 

「口論になったことも?」

 

「ないわ。少なくとも、最近は」

 

「そうですか」

 

 少し困った。

 これでは、片方の話だけを聞いても理由が見えない。マイ中尉が別のことで悩んでいて、誰とも話したくないということだって考えられる。

 そのことを伝えると、モニク大尉はすぐに顔を上げた。

 

「少佐とは普通に話しているでしょう?」

 

「ええ、私のところへは記録を持ってきてくれますよ」

 

「ワシヤ中尉ともよ。さっきも格納庫で話していたわ」

 

 随分よく見ているものだ。

 そう思ってから、私はようやく、相談の内容以外のところへ気が向いた。

 普段のモニク大尉なら、避けられたところで放っておくだろう。仕事に支障が出れば呼びつけ、必要な返答が得られれば、それで済ませる。誰かに嫌われるかもしれないからと、言うべきことを呑み込むような人ではない。

 それが今は、相手が誰と話しているかまで気にしている。

 

「マイ中尉と話せなくなったのが気になるのですね」

 

「……急に態度が変われば気になるでしょう」

 

 モニク大尉はそう答え、視線を机へ落とした。

 怒っているのかと思ったが、どうも違う。私は自分の頬へ手を当て、彼女から伝わるものへほんの少し意識を向けた。

 言葉と一緒に届く苛立ちの奥に、落ち着かない感情がある。遠ざかられることへの戸惑いと、何をしたのか分からない心細さ。マイ中尉の名前を口にするたびに、その感覚が強くなる。

 

 ああ、そういうことか。

 私は頬へ当てていた手をゆっくり下ろした。

 モニク大尉はまだ自分でもよく分かっていないようだ。いつからなのか、何がきっかけだったのかまでは、私にも分からない。ただ、マイ中尉が黙って立ち去ることをほかの乗員がそうするのと同じには受け取れなくなっている。

 思えば、随分と違う2人である。

 モニク大尉がまず結論を求めるところで、マイ中尉はそこへ至る説明を始める。モニク大尉が苛立っても、彼は困った顔をしながら、なお必要なことを伝えようとする。何度かそんなやり取りを見てきたが、途中からモニク大尉も最後まで聞くようになっていた。

 その時間が案外嫌いではなかったのかもしれない。

 

「どうしたの?」

 

「いえ、少し考えていました」

 

 ここで分かったような顔をするのは、あまりよくない。

 本人もまだ気づいていないものへ名前をつけてしまえば、否定するために余計なことまで言いかねないのが、この人である。相談してくれたのだから、そのまま聞いておこう。

 それに、マイ中尉の方の事情はまだ分かっていない。ここから先は、本人に聞くしかなかった。

 

「私からさりげなく聞いてみましょうか」

 

「聞くって、何を?」

 

「最近何か気になることでもあるのかと。最初からモニク大尉を避けている理由を問い詰めたりはしませんよ」

 

 モニク大尉は少し迷ったようだった。

 こちらへ頼むことと、頼んだと知られることの間で、考えているらしい。私は急かさず、机の上に残っていた書類を鞄へ収めた。

 

「……あまり大げさにしないで」

 

「分かっています」

 

 モニク大尉の肩が僅かに下がった。

 その様子を見て、何とかしてあげたいという気になってしまったのだから、私も随分とお人好しである。とはいえ、この程度の仲介なら、士官学校でも何度かしたことがある。話を聞くくらいであれば、そう難しい仕事でもないだろう。

 私はモニク大尉と別れ、マイ中尉のいる作業室へ向かった。

 

 扉は開いていた。

 マイ中尉は机へ端末を並べ、今日の記録を整理しているところだった。私に気づくと顔を上げ、手元の画面をこちらへ向けてくれる。

 

「少佐、ちょうどよかった。先ほどの射線の件ですが、こちらの時刻を合わせると――」

 

「すみません。その前に少しよいですか?」

 

「はい、何でしょう」

 

 私は中へ入り、空いている椅子の背へ手を置いた。

 別に機嫌が悪いわけでも、誰とも話したくないわけでもなさそうだ。そうなると、モニク大尉の気のせいだと片付けるのも難しくなる。

 まずは仕事の量について尋ねた。マイ中尉は訓練の記録が増えたものの、ミアにも整理を手伝ってもらっているので、何とかなると答える。

 

「それなら良かったです。最近、食堂でもすぐに戻ってしまうと聞きましたので」

 

「ああ……書きかけのものがあると、気になってしまいまして」

 

「休める時には休んでくださいね。モニク大尉ともゆっくり話す暇がないそうではありませんか」

 

 マイ中尉の手が止まった。

 さりげなく、と約束した割には、少々近道をしすぎたかもしれない。だが、今の反応で、モニク大尉の名前に何かあることは分かってしまった。

 

「キャディラック特務大尉には必要な報告をしています」

 

「ええ、それは聞いていますよ」

 

「特に問題があるわけではありません。お忙しいでしょうし、私の説明も長くなりがちですから」

 

 マイ中尉は端末の画面へ目を落とし、先ほどまで表示していた記録を閉じた。

 新しく開いたのは、同じ記録の別の頁だった。そこへ視線を留めたまま、こちらへは顔を戻さない。

 

「マイ中尉、何か言いづらいことですか?」

 

「いえ、その……」

 

 返事は途切れた。

 この人は誤魔化すことがあまり得意ではないらしい。どうにか別の話へ戻そうとしているのが、表情だけでも分かる。

 ただ、そこまで話しにくい事情とは何だろう。

 私は口を閉じ、マイ中尉の方へ意識を向けた。

 

 不意に、男たちの笑い声が重なった。

 目の前の作業室には私とマイ中尉しかいない。それなのに、すぐそばで立ち話をしているかのように声が聞こえる。

 

「今度来た少尉、可愛いよな」

 

「だよなあ。この艦、まともな女っていないからさ」

 

「おい、特務大尉も女だろ!」

 

「アレがぁ?まさか!ハハハ!」

 

 ヨーツンヘイムの狭い通路が見えた。

 整備兵が2人。その傍らを通り過ぎ、曲がり角へ差し掛かる。手摺を掴んだところで、かすかに笑いが漏れた。

 声を上げて笑ったわけではない。ほんの少し、息が漏れただけだ。

 そんな言い訳めいた思いまで伝わってきて、私は何とも言えない気分になった。どうやら、マイ中尉も少しばかり面白がってしまったらしい。

 

 その直後、背後から鈍い音が響いた。

 続けて、もう一度。今度は硬いものがぶつかる音だった。あれだけ賑やかだった男たちの声は、もう聞こえない。

 視線がゆっくり来た方へ戻る。角からそっと覗いた先に、見覚えのある軍服の背中があった。

 モニク大尉だ。

 その右手に整備用のパイプレンチが握られている。

 

 向こう側では、先ほどの整備兵2人が重なり合ったまま宙を漂っていた。

 モニク大尉の肩が動く。こちらへ振り返ろうとしている。

 途端に景色が横へ流れた。壁を蹴った感覚と、背中を追われるような恐怖。最後に自室の扉が閉まる光景がよぎり、私は思わず目を閉じた。

 

 モニク大尉、何をしているのですか…

 

「少佐?」

 

 マイ中尉の声で目を開く。

 彼はこちらを心配そうに見ていた。机には先ほどと同じ記録が並び、廊下もパイプレンチもない。私の手だけが椅子の背を必要以上に強く握っている。

 頭を抱えかけたが、どうにか堪えた。

 

「いえ、何でもありません」

 

 何でもない顔をするには、今の光景は少々強烈だった。

 殴られた瞬間を見たわけではない。マイ中尉が目にしたのは、音のした方を覗き込んだ後の光景だ。だが、あの会話と工具と、重なって漂う2人が揃っていれば、何が起きたかは想像がつく。

 整備兵たちも、随分と命知らずなことを言ったものである。それにしたって、パイプレンチはないだろう。

 

 しかも、この人は少し笑ってしまっている。

 それを聞かれたかどうかも、覗いていたことに気づかれたかどうかも分からない。モニク大尉が振り返る前に逃げてしまったのだから、確かめようもなかったはずだ。

 廊下で顔を合わせるたび、その続きになるかもしれないと思えば、遠回りもしたくなるだろう。

 本人に何かした覚えはない。いつも通り。

 先ほどのモニク大尉の返答を思い出し、私はもう一度、頭へ向かいかけた手を止める。

 確かに、マイ中尉本人には何もしていない。そもそも、見られていたことすら知らないのかもしれない。

 モニク大尉からすれば、理由もなく避けられ始めたことになるわけだ。そこまで分かっても、どう仲を取り持てばよいのかは、一向に見えてこない。

 

 どうやら、引き受ける前に確認すべきことが、幾つかあったらしい。

 それでも、今さら聞かなかったことにはできなかった。

 私は椅子へ腰を落ち着け、まず何を伝えるべきかを考える。マイ中尉はまだ警戒しているようだったが、私がすぐには問いを重ねなかったので、閉じかけていた端末から手を離した。

 

「モニク大尉はマイ中尉に避けられているように感じて、少し気にしているようです」

 

「……特務大尉が、ですか?」

 

 声が思ったより大きかった。

 マイ中尉は自分でも驚いたらしく、開いた扉へ目を向けてから、こちらへ顔を戻す。

 

「怒っておられるのでしょうか」

 

「怒っているというより、理由が分からなくて困っているのだと思います」

 

 マイ中尉は何も言わなくなった。

 こちらの言葉を聞き違えたのではないかと確かめているような顔である。無理もない。あのパイプレンチを握っていた人が、自分の態度を気にしていると聞いても、すぐには結びつかないだろう。

 

「報告に問題があったという話ではありませんよ。以前より話す機会が減ったことを気にしているようでした」

 

「そうでしたか。私はそこまでは……」

 

 マイ中尉が椅子へ座り直す。

 答えを急ぐ様子はなく、卓の縁へ置いた手を見つめていた。私も、その先まで代わりに考えてあげるわけにはいかない。

 ひとまず、モニク大尉の様子を伝えることはできた。今日のところは、それでよいだろう。

 

「急にお邪魔してすみませんでした。記録の件は後で改めて伺います」

 

「あ、はい、分かりました」

 

 私が立つと、マイ中尉も少し身体を浮かせた。それから何か言いたそうに口を開いたが、結局は短く頭を下げるだけに終わった。

 作業室を出て、私は手摺に掴まる。

 廊下の先では、工具袋を抱えた整備兵が同僚を待っていた。何の関係もないと分かっていても、つい、その手元へ目が行ってしまう。

 

 さて、モニク大尉にはどう伝えればよいのだろうか。

 

 マイ中尉が忙しかっただけだと伝えれば嘘になる。では、怖がられていますと正直に言えばよいかというと、その後のモニク大尉の顔が容易に想像できてしまう。

 理由を確かめようと本人のところへ乗り込まれては、マイ中尉がさらに距離を取るだけだろう。

 私は額へ手を当てた。

 相手に何をしたのかと聞いた時、周りの人間にしたことも含めて尋ねるべきだったのかもしれない。

 

 モニク大尉は私の返事を待っている。

 好意に気づいた時には、話を聞いてあげれば少しは手助けできると思ったのだ。それが今は、まずパイプレンチを持たずに話を聞いて貰うところから考えている。

 整備兵たちの話をすれば、何のことかは伝わるだろう。だが、その場でマイ中尉が少し笑ってしまったことまで話してよいはずがない。

 そこは伏せるとして、では何処から切り出せばよいのか。

 口を開く前から言葉を取り消し、私はしばらく廊下の手摺を握ったまま、動けずにいた。

 

*1:
本来であれば、ララァは民間人なので艦橋に出入りなど出来ないのであるが、そこはガバガバジオン軍なので、この子は軍属じゃないけど少尉相当で接してあげてね!と戦闘部隊指揮官の佐官が言うので、なんとなく許可されている。あとは艦長の匙加減一つである。

*2:
ララァの方が2歳年上と判明し、なんだかんだで打ち解けあった結果、ララァはミアを面白くて反応の可愛い妹分のような感じに収まった。なので、口調も柔らかくなったが、ミアの方は敬語が癖になっている。




ご高覧ありがとうございます。

例の件を目撃していたマイは、何となくモニクが怖くなってしまい、どことなく避けられているような気がしたモニクはマイが気になり…
カプ厨としては、この2人にはくっついて欲しいですねぇ(プロホノウ艦長もニッコリ)

日常回はこれで終わりで、あとは模擬戦をしたらほとんどが戦闘になります。
今までは一対一やら一対多だったのですが、これからはそういう個の戦ではなく、複数で複数と戦うことが多くなるので、この章も戦闘描写書くのが大変でした…
ちょっと途中投げやりになってないか心配ですが、その時は多めに見て下さい。

次回予告ですが、今章の試作機がなんなのかの答え合わせになります。
よろしければ、明日もお付き合い頂けたら幸いです。

登場させるとしても大分先になりますが、ジークアクスのキャラを出すのはアリかナシか。(出るならニャアン)

  • アリ
  • ナシ
  • どっちでも良い
  • 早く書け
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