技術試験隊斯ク戦ヘリ 作:ザクスキー2世
気付いたら、7名の方が評価して下さっていて、バーに色が付いていました!本当にありがとうございます!!
今回で第1章の最終話になります!
ジオン公国軍の本国、サイド3のズムシティ。その中心に聳え立つ公王庁舎の謁見の間は、目が眩むほどの壮麗な光の海に包まれていた。
天井から吊り下げられた巨大なクリスタルガラスのシャンデリアが、放たれた幾千の光を乱反射させて白亜の壁面を彩っている。床一面に敷き詰められた深紅の絨毯は、一歩を踏み出すたびに靴底を深く沈み込ませ、そこに集う者たちの足音を悉く吸い取っていた。
実家が開く夜会や、他の名家が催す華やかなパーティの空気なら、私はこれまでの20年の人生の中で嫌というほど経験してきたつもりだった。
けれど、今回の式典はそれらとは根本的に性質が異なっていた。
雲の上のような階級の将軍たちが、胸元にびっしりと勲章を並べた軍服に身を包んで鋭い視線を交わしている。そして雛壇の奥には、我がジオン公国のロイヤルファミリーであるザビ家の面々が、絶対的な権威の象徴として鎮座していた。失敗など、爪の先ほども許されない。張り詰めた空気の冷たさに、私は仕立ての良い軍服の袖の中で、ガチガチに身体を緊張させて立ち尽くしていた。
重厚な鐘の音が響き渡り、ルウム戦役における叙勲式が厳かに幕を開けた。
司会進行の重く鋭い声が、此度の会戦において赫々たる戦功を挙げた猛者たちの名前を、その具体的な戦果と共に次々と読み上げていく。
「シャア・アズナブル中尉。ザク単機を以てマゼラン級1隻、サラミス級4隻、その他戦闘艦数隻を撃沈」
その名が呼ばれた瞬間、式典会場を埋め尽くしていた受勲者や報道関係者の間から、地鳴りのようなざわめきが巻き起こった。
並み居る将校たちの羨望と嫉妬、そして驚愕の感情が、うねりとなって私の肌をチクチクと刺激する。
「其の類稀なる戦功に鑑み、二階級特進を以て少佐に任ず。併せて、一級ジオン十字勲章を授与する」
戦功による二階級特進。開戦間もないこの時期において、それがどれほど異例の沙汰であるかは、周囲の将官たちの顔の引きつり具合を見れば火を見るより明らかだった。
続いて呼ばれたのは、あの独特の威圧感を放つ男たちだった。
「黒い三連星。マゼラン級、サラミス級数隻の共同撃破、並びに連邦軍総旗艦アナンケを共同撃沈。総司令官ヨハン・イブラヒム・レビル大将を虜囚とせり」*1
会場の熱気がさらに一段と跳ね上がる。
「隊長ガイア中尉を大尉へ昇進、マッシュ、オルテガ両少尉を中尉に任ず。併せて、二級ジオン十字勲章を授与する」
連邦の最高司令官を捕らえたという大金星に、会場のあちこちから感嘆の声が漏れる。ルウムの地獄を生き残り、新たな時代の主役となったエースパイロットたちが、次々と栄誉を手にしていく。
その時、私の背筋を冷たい緊張の糸が駆け抜けた。
「アスカ・ナカノミヤ少尉」
ついに、自分の名前が静まり返った謁見の間へと響き渡った。
「ルウム戦役において単機を以てマゼラン級戦艦1隻撃沈、1隻共同撃破。サラミス級巡洋艦3隻撃沈、1隻鹵獲。セイバーフィッシュ4機撃墜。コロンブス級改造空母2隻撃沈。レパント級ミサイルフリゲート艦2隻撃沈」
司会が私の戦果を読み上げ終えた瞬間、会場全体の空気が完全に凍りついた。
先ほどのシャア少佐の時と同じような圧倒的な動揺と、信じ難いという困惑の波が、濁流となって私の脳髄へと押し寄せてくる。
シャア少佐の時は私以外を向いていたが、今度はその全てが私の方を向いて感情が押し寄せており、目の前がチカチカとチラついて今にも倒れそうだった。
チラつく視界の端、受勲者の列の少し前方から、低く安定しているが、感心したような気配が伝わってきた。シャア少佐だ。彼は、仮面の下で興味深そうに口元を僅かに動かしていた。
さらにその斜め前からは、分かりやすいほどの感情の爆発が伝わってくる。
「なにぃ!?」
思わずといった様子で素っ頓狂な声を上げたのは、黒い三連星のオルテガ中尉だった。
「公王陛下の御前だぞ!すこし黙っとけ!」
すぐさま隣のガイア大尉から、小さい声で小言と共に鋭い肘鉄がオルテガ中尉の脇腹へと叩き込まれるのが見えた。
普段ならクスリと笑ってしまうような光景だったけれど、今の私にはそんな余裕など微塵もなかった。185cmという私の高い身長は、こういう場では嫌でも目立つ。会場中の何百という人間の視線が、針のように私の全身を突き刺していた。
他者から発せられる驚嘆、羨望、不信、そして値踏みするような無数の感情の粒子が混ざり合い、胃の奥から強烈な吐き気が込み上げてくる。私は奥歯を強く噛み締め、その不快な塊をグッと喉の奥へと飲み下した。今は失敗することが許されない。絶対に軍人の仮面を剥がすわけにはいかない。
「其の栄光ある戦功に鑑み、二階級特進を以て大尉に任ず。併せて、一級ジオン十字勲章を授与する」
再びおぉというどよめきが起きる中、私は前へと進み出た。
雛壇の前に立つ私の胸元へ、一級ジオン十字勲章を直々に取り付けるために、ギレン・ザビ総帥がゆっくりと歩み寄ってくる。底知れぬカリスマと、冷徹なまでの知性を放つその佇まいに、私は呼吸を止めた。
ギレン総帥は私の軍服の胸元に精緻な勲章をピンで留めると、その大きな手を私の片方の肩へと優しく置いた。
「久方振りにその顔を見たが、壮健そうでなによりだ。ナカノミヤ家の御令嬢が軍務に就いているとは知っていたが、ここまでの腕前だとは知らなかった。御父上もさぞ鼻が高いことだろう。これからも我々の勝利へ向けて、努力を続けてもらいたい」
マイクには乗らない、けれど確かな重みを持った声が、私の耳元に届けられた。
私たちのナカノミヤ家は、地球連邦からの独立を夢見てこのサイド3へと最初期に移住してきた、第一世代の宇宙移民である。ザビ家も同じく第一世代の宇宙移民であるが、移民する前も既に古い名家であり、移民した後にサイド3を発展させるために多額の出資を行ったナカノミヤ家は、サイド3の名家の中でも最上位に近い位置にある。
同じく地球から古く続いている名家の中には、ザビ家よりも家格は上と考える家もあるらしい。
そう言った経緯もあり、私自身実家が主催した大規模な夜会や、他の高官たちのパーティの席で、ギレン総帥とは何度か顔を合わせたことがあったのだ。まさか、当時は一介の令嬢に過ぎなかった私の顔を、この総帥が克明に覚えていてくれたなんて。
それまでの緊張が一瞬にして吹き飛ぶような、猛烈な熱さが胸の奥底から込み上げてくるのを確かに感じた。
「はい!父も母も、此度の勝利を心より喜んでおります。私自身、このように総帥からの身に余る御高配を賜り、これ以上の光栄はございません」
私が令嬢としての礼儀を保ちつつ、軍人として毅然と答えると、ギレン総帥の厳格な口元がふっと緩んだ。
「それは良い」
総帥が短く頷いた瞬間、前方に陣取っていた報道陣から、一斉に猛烈なフラッシュが焚かれた。
光の残像が網膜に焼き付く中、私とギレン総帥は並んでカメラのレンズを見据え、ジオン公国の勝利を象徴する一枚の写真へと収まった。
その後、式典は大きな混乱もなくつつがなく進行し、受勲者たちはお披露目を兼ねた祝勝会の会場へと移動することになった。
宴会場へと続く広大な廊下には、鮮やかな深紅のカーペットが長く敷き詰められている。私たちはそこを一列になって、ゆっくりと歩みを進めていった。
少しでも見栄えの良い、英雄たちの雄姿を写真に収めようと、カーペットの両脇に詰めかけた報道陣から、絶え間なく激しいフラッシュが浴びせられる。
すぐ近くにはテレビカメラとニュースキャスターの姿もあり、キャスターが興奮を抑えきれないといった様子で、マイクに向かって声を張り上げていた。
「見て下さい!ルウムで活躍した戦士達の入場です!!」
「前を歩くのは、黒い三連星の異名を持つガイア大尉、マッシュ中尉、オルテガ中尉の御三方です! 彼らはルウムの戦いにおいて、旗艦アナンケを撃沈し、レビル将軍を捕虜にしました!」
実況の声が響く中、前方を歩くオルテガ中尉が、これ見よがしに胸を張って勲章を見せびらかし、手を左右に大きく振っているのが見えた。
まるでお上りさんのようにだらしなく顔を綻ばせているのが、彼の背中からこれでもかと伝わってくる。大柄な体躯のせいで、後ろから見ていてもその浮かれっぷりは一目瞭然だった。
けれど、彼らに送られていた歓声は、次に続いたキャスターの絶叫と、地を揺るがすような女性たちの黄色い悲鳴によって、一瞬にして掻き消されてしまった。
「次はルウムで戦艦5隻を撃沈し、赤い彗星の異名で呼ばれるシャア中尉……いえ、異例の二階級特進を遂げて少佐になられた、シャア少佐の登場であります!」
私のすぐ前を、まるで何事もないかのように優雅に歩いているシャア少佐。
彼はルナボールで使用されるヘッドギアをベースにした、特製のマスクで顔の上半分を完全に隠している。それなのに、露出している顔の下半分や立ち居振る舞いだけで、誰もが彼を類稀なる美男子であると確信させてしまう不思議な空気を纏っていた。最近の本国の若い御令嬢たちの間では、彼の仮面の下の素顔がどんなものかを噂し合うのが、最先端のトレンドになっているらしい。
シャア少佐は、周囲の熱狂的な視線を受け流すように、涼しい笑顔を浮かべて御令嬢たちに軽く手を振り返していた。
その瞬間、前方のオルテガ中尉の背中から、ドス黒く燃え盛るような猛烈な嫉妬の感情が津波となって押し寄せてきた。
あまりの熱量に驚いて視線を向けると、オルテガ中尉は親の仇でも睨みつけるかのような、凄まじい形相でシャア少佐の横顔を凝視している。そのすぐ隣を歩くガイア大尉からは、ただただ頭を抱えたくなるような呆れの感情が漏れ出ていた。どうやら、公衆の面前でこれ以上恥を晒すのはやめてくれ、ということらしい。
キャスターは次々とレッドカーペットを進むパイロットたちの名前と戦功を読み上げ、そして、ついに私の番が巡ってきた。
「続いて登場いたしましたのは、我が軍に舞い降りた『閃光の踊り子』!先の会戦にて連邦の主力艦艇を単機で次々と葬り去り、シャア少佐に引き続き異例の二階級特進を遂げたアスカ・ナカノミヤ大尉です!名門ナカノミヤ家の御令嬢にして、シャア少佐にも並ぶ大戦果を挙げたその麗しき姿に、会場の視線が釘付けとなっております!」
キャスターの華々しい紹介と共に、割れんばかりの歓声と拍手が通路を満たした。
こういう華美な社交の場における視線の集め方なら、実家での経験から心得ている。私は引きずっていた軍人としての硬さを完全に消し去り、シャア少佐と同じように、優雅で隙のない微笑みを浮かべて周囲の観衆へと手を振り返した。
「アスカ様!」
「アスカお姉さま〜!」
「ナカノミヤ様!」
歓声の隙間から、私の名前を呼ぶ複数の高い声が聞こえた。
そちらへ視線を向けると、古くからの顔見知りである名家の御令嬢たちが、興奮した様子で扇子やハンカチを振っているのが見えた。つい数年前までは、私もあちら側の席に座って、誰かの入場を眺めていたはずなのに。運命の奇妙な変転に、胸の奥で小さく感慨に耽りながらも、私は彼女たちに向けて一際温かい笑みを返した。後で必ず、挨拶に伺わなくては。
やがて私たちは、宴会場である広大なダイクンの間へと到着した。
ギレン総帥による荘厳な乾杯前の演説が響き渡り、公国の輝かしい未来を寿ぐ高らかな音頭と共に、祝勝会が正式に始まった。
グラスが触れ合う軽やかな音が響き始めたのを見計らい、私は早速、先ほど私を呼んでくれた顔見知りの御令嬢たちの元へと挨拶回りに向かった。
「ごきげんよう、マレーネ様。お久しぶりでございますわ」
私が真っ先に声を掛けたのは、幼い頃から最も親しく付き合ってきたカーン家の長女、マレーネ・カーン様だった。
「まあ、アスカ様! ごきげんよう。此度のルウムでの目覚ましい御活躍、本国のニュースで拝見いたしましたわ。本当に、同じサイド3の娘として誇らしくてよ」
優雅に目を細めるマレーネ様に、私も令嬢としてお嬢様言葉で応じる。
「恐れ入りますわ、マレーネ様。過分なお言葉、身に余る光栄です」
私たちの会話をきっかけに、周囲から次々と顔見知りの御令嬢たちが、華やかなドレスの裾を揺らしながら集まってきた。戦場の血生臭い話などここには存在しない。話題は自然と、この年代の令嬢たちの間で最も関心の高い、定番の恋バナへと移り変わっていく。
「それにしてもアスカ様、あのように勇ましい殿方が集う最前線ですもの、どなたか素敵な出会いはございませんでしたの?」
マレーネ様から悪戯っぽい視線を向けられ、私は困ったような曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「ふふ、残念ながら。宇宙の戦場は生き残ることに必死でして、殿方の顔をのんびり眺めるような余裕は、今のところ全くございませんの。……そういうマレーネ様こそ、最近はいかがお過ごしですの?」
私が話を振った瞬間、それまで滑らかに微笑んでいたマレーネ様の頬が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まった。彼女は慌てたように扇子で口元を隠し、ふいと視線を逸らして黙り込んでしまった。
これは確実に対象がいる反応だ。さて、どうやってこのサバサバした彼女から可愛い本音を聞き出してやろうかと内心で考えていると、隣にいた別の御令嬢が、私の耳元に楽しそうにそっと耳打ちをしてくれた。
「マレーネ様は、近々ドズル閣下の御側室になられるのですよ」
「まあ……!」
思わず、素の声が漏れそうになるのを必死に堪えた。私は手に持っていたグラスを近くの給仕のトレイに預けると、マレーネ様の両手をそっと、けれど強く握りしめた。
「本当におめでとうございます、マレーネ様。心からの、真実の祝福をあなたに」
マレーネ様は、私ほどではないけれど、昔から少しばかり勘が良い性質を持っていた。手と手を重ね合わせた瞬間、お互いの感情が言葉という不確かなフィルターを通さず、直接行き来するような奇妙な感覚が走る。
私が打算や社交辞令ではなく、彼女の幸せを心底から喜んでいることが、波紋のようにマレーネ様の内側へと伝わっていく。マレーネ様の瞳が潤み、言葉の代わりに、温かく深い感謝の感情が私の胸の中へと流れ込んできた。
不思議な心地よい沈黙が私たちの間を流れた、まさにその時だった。
周囲の会話の波が、まるで見計らったかのように綺麗に途切れた。その隙間を縫うように、背後から非常に落ち着いた、低い声が掛けられた。
「お嬢様方、お取り込み中すまないが、すこし彼女をお借りしたい」
振り返ると、そこには鮮やかな赤い軍服を完璧に着こなした男が立っていた。
「アズナブル少佐!」
「シャアで良い」
マスクの奥の瞳を僅かに細め、流れるような所作で会釈する彼を見て、周囲の御令嬢たちが何人か一瞬で顔を赤く染めた。そして、邪魔をしては悪いと察した彼女たちは、静々と波が引くように私たちから距離を取っていく。
最後まで手を握り合っていたマレーネ様から、『上手くやりなさい』というからかうような感情が伝わってきた。思わず顔を見ると、扇子の陰からニヤリと意味深な笑みを浮かべて去っていくところだった。
瞬く間に周囲に誰もいなくなり、華やかな宴会場の片隅で、私とシャア少佐の2人だけの空間が形成された。
「大尉、君があのモビルスーツのパイロットだったとはな。戦果を聞いたが、素晴らしい腕前だ」
「ありがとうございます、シャア少佐。ですが、少佐の赫々たる戦功に比べれば、私などまだまだ若輩者に過ぎません」
「謙遜はいらない。ミノフスキー粒子散布下において、あれほどの高速戦闘を展開しながら連邦の弾幕を完全に無力化する。並のパイロットにできる芸当ではない。それに君の乗っていたあの機体……実に凄まじい推力と追随性だったな」
「ええ、私の愛機、ヅダです。ツィマット社の技術者たちが、機体各所を超硬チタン合金に置き換えて限界速度を引き上げてくれた特注品です。速度と瞬間的な機動性という点においては、現行のどの機体にも負けるつもりはありません」
「なるほど、ヅダか。興味深いな。君のような卓越したパイロットが味方にいるということは、この戦争において、実に心強い限りだよ」
お互いの戦果を称え合い、モビルスーツの挙動に関する技術的な意見交換がしばらくの間続いた。彼の言葉はどれも簡潔で、それでいて本質を突いている。底知れぬ知性と、確固たる自信が、彼の気配から静かに漂っていた。
「シャア!!」
突然、会場の喧騒を力任せに切り裂くような、大音声が響き渡った。
2人で声のした方を振り返ると、ザビ家の御曹司であるガルマ様が、こちらに向かってズンズンと長い歩幅で歩み寄ってくるのが見えた。
その姿を視界に捉えた瞬間、シャア少佐の端正な口元が、ほんの僅かに歪んだ。仮面の裏側で、彼がやれやれと苦笑しているのが、手に取るように分かってしまう。
「すまない、どうやら私に用があるようだ。では、君のこれからの活躍を期待しているよ」
シャア少佐はそう言い残すと、グラスを持っていない方の右手を、私の方へと真っ直ぐに差し出してきた。
別れの握手。私は何のためらいもなく、その手をしっかりと握り締めた。
――その、刹那だった。
視界の境界線が、パッと鮮やかな七色の光となって爆発した。
豪奢な宴会場の風景も、耳を聾するほどの賑やかな喧騒も、こちらへ近づいてくるガルマ様の姿も、すべてが一瞬にして彼方へと消失していく。私の周囲には誰もいなくなり、世界には私とシャア少佐の2人だけが、その果てしない七色の空間のただ中に取り残されていた。
目の前に立つシャア少佐の素顔が、信じられないほど鮮明に私の瞳に映り込んでいた。
本来ならマスクで隠されているはずの、透き通るように美しい、冷徹な青い瞳。その瞳が、今までに見たこともないほどの驚愕に大きく見開かれ、私を真っ直ぐに見つめ返している。
彼の方からも、言葉を一切介さない、強烈なまでの困惑と、魂の底を揺さぶられるような驚きのエキスが、私の精神へとダイレクトに流れ込んできた。お互いの脳髄が、細い糸で直接繋がってしまったかのような、圧倒的な共鳴。
しかし、その神秘的な空間は、ほんの数秒の後にふっと霧のように掻き消えてしまった。
気がつけば、私は元のダイクンの間の、眩い光の中に立っていた。
ハッと我に返った私とシャア少佐は、何かの拒絶反応のように、弾かれたように握り合っていた手を離した。互いに言葉を失ったまま、しばらくの間、ただ呆然と視線を交わし合う。
「……大尉、君は、いったい……」
シャア少佐が、掠れた微かな声でそう呟いた瞬間、私たちの間にガルマ様が滑り込んできた。
「シャア!探したぞ!話がある……おや、どうしてアスカ嬢が君と?」
強制的に会話は打ち切られた。私はガルマ様に向かって、令嬢としての完璧な角度で深く会釈を捧げると、そのまま音もなく後退りをして、賑やかな人混みの影、いわゆる壁の花の定位置へと身を引いた。
手にしたグラスの縁を指先でそっとなぞりながら、私は先ほど起きた不可解な現象について、必死に思考を巡らせていた。
今のは、一体何だったのだろう。どれだけ士官学校で学んだ知識をひっくり返しても、明確な答えなど見つかりはしない。
ただ、あのルウムの戦場で、あれほど数万の死者の残留思念に酔い、狂いそうなほどの吐き気に苦しんでいた私の中に、不思議なほど不快感は残っていなかった。それどころか、何故だか不思議と、悪い気はしなかったのだ。
そんな風に1人で考え込んでいた時のことだった。
「アスカ嬢!こんなところにいたのか!!主役の1人が、壁の花になるなんて勿体無い!!」
会場のすべての音を圧殺するような、凄まじいどら声が響き渡り、私は思わず肩を跳ね上げてびっくりしてしまった。
声のした方を見ると、巨躯を揺らしたドズル・ザビ中将が、こちらに向かって大きく手を挙げながら、ノシノシと迫ってくるところだった。そのあまりの巨体ゆえ、彼が人混みを掻き分けて進むたびに、周囲の将校や令嬢たちがぶつかって吹っ飛びそうになっている。私は慌てて、こちらから閣下の元へと駆け寄った。
「閣下!」
「おお、アスカ嬢!今回は良くやったな!!」
近づいた瞬間、私の背中へドズル閣下の分厚い手がバシバシと容赦なく叩きつけられた。
凄まじい物理的な衝撃が走り、口から自分の魂がそのまま飛び出して行ってしまいそうになる。痛みを堪えて姿勢を正す私に、閣下は大きな顔を近づけて、少し呆れたように声を潜めた。
「全く、オレの気遣いを無駄にしおって。危険から遠ざけるために技術試験隊に出向させたというのに、艦隊に単機で突っ込む奴があるか。お前が死んだら、マレーネも悲しむ。本人からは、もう聞いているのだろう?」
閣下のその言葉を聞いた瞬間、私の脳裏にすべてのパズルがパチリと組み合わさった。
そうだったのだ。開戦直前、私が突然最前線の主力部隊ではなく、第603技術試験隊という一見地味な部隊に出向になったのは、ドズル閣下直々の配慮だったのだ。マレーネ様との縁故や、私の実家であるナカノミヤ家への、閣下なりの優しい気遣い。
けれど、閣下はきっとご存知ないのだろう。私がジオニック社からの陰湿な裏工作を受け、主力機であるザクを一切受領できなかったからこそ、あの部隊へ行くしかなかったという皮肉な真実を。私はその事実を胸の奥に仕舞い込み、満面の笑みを浮かべた。
「はい、閣下。マレーネ様からは先ほど直接伺いました。……誠におめでとうございます!」
「ハッハッハッ!まあ、オレのことは良い。しかし、これほどの大戦果を挙げた以上、これからの部隊への要求や期待は嫌でも高くなるだろう。身体には十分気をつけるんだな」
「はい!勿体無きお言葉、ありがとうございます!!」
ドズル閣下の温かい激励に、私は軍人として力強く敬礼を返した。
その後は、実に目まぐるしい時間の連続だった。
後に真紅の稲妻の異名で戦場を恐怖に陥れることになるジョニー・ライデン大尉や、白狼と称されることになるシン・マツナガ軍曹といった、公国軍の錚々たる若き天才たちを紹介された。さらに、士官学校の2期上の先輩であり、当時から大変優秀な成績を残していたアナベル・ガトー中尉とも再会を果たし、旧交を温めることができた。
途中、黒い三連星のオルテガ中尉から、大戦果を挙げた生意気なお嬢ちゃんだと因縁をつけられ、軽く絡まれるような一幕もあったけれど、私はサバサバとした態度で適度にいなし、大きなトラブルに発展することもなく、華やかな式典はすべて無事に幕を閉じた。
それから、さらに数日が経過した。
本国での慌ただしい狂騒の日々を終え、私は再び、私の職場である技術支援艦ヨーツンヘイムへと帰艦していた。
深夜、静まり返った自室の中。
私は制服を脱ぎ捨て、狭いベッドの上に腰掛けていた。窓の向こうには、どこまでも冷たく、終わりを拒絶するような外宇宙の暗黒が広がっている。
机の上には、昼間まで私の胸元を飾っていた、鈍い輝きを放つ一級ジオン十字勲章と、新しくなった大尉の階級章が、ぽつんと置かれていた。
目を閉じれば、今でも耳の奥に、あの不器用で、口が悪くて、けれど誰よりも大砲を愛していた男の声が聞こえてくる。
『あとは、頼んだぜ』
最高の戦果を挙げたのだと、人生の終わりに相応しい往生だったのだと、ヘンメ大尉は満足して死んでいった。あの豪快で、傲岸不遜な笑い声が、私の脳裏からどうしても離れてくれない。
本国のきらびやかな謁見の間では、決して見せることの許されなかった涙が、1人きりの暗い部屋の中で、堰を切ったように私の頬を伝い落ちていった。
大戦果の裏に隠された、あまりにも重い後悔と無念。
私は溢れる涙を拭おうともせず、暗黒の宇宙を見つめ続けた。胸に刻まれた別れの痛みを、冷徹な軍人としての決意へと変えるように、私は静かに、偉大な砲兵への追悼の祈りを捧げた。
読了ありがとうございます!!
黒い三連星に関しては、注釈も入れましたが名前しか分からないので、こう言う変則的な表彰の仕方になりました。
ガイアだけ、ミゲル・ガイアというフルネームなのは分かったのですが、他の2人がわからなかったので、1人だけフルネームで紹介されていてもおかしいと思い、こういう形になってます。
とりあえず、シャアや他のエースパイロットとも面識をここで作れたので、今後何かしらの形で物語に絡められたらなと思っています。
さて、すこし前も後書きにて書きました通り、第二章を全話執筆終わるまで更新は止まると思います。
遅筆ゆえ、どのくらい掛かるか分かりませんが、1ヶ月過ぎてしまったら、執筆途中でも投稿しようと思っています。
これからも、よろしくお願いします!