おねショタ渡り鳥銀河を征くスターエイジ・ローヴァーズ 作:アイアイホイホイおさるさん
ユウが完全に落ち着くまで、シズルはしばらくその場で待った。
いきなり知らない場所で目を覚まし、さらに見知らぬ大人と対面したのだ。
本来なら泣き出してもおかしくない。
だがユウは不思議なほど静かだった。
赤い瞳でシズルを見上げながら、時折不安そうに周囲を見回している。
その様子は、飼い主を探している迷子の子猫にも似ていた。
「歩けるか?」
シズルが膝をついて尋ねる。
ユウは少しだけ首を傾げた。
質問の意味を考えているようだった。
やがて小さく頷く。
「……うん……」
か細い声だった。
シズルは少し安堵する。
抱えて運ぶ事もできるが、自力で歩けるならその方が良い。
何より、子供の体力や健康状態は実際に見てみなければ分からない。
コールドスリープから目覚めた直後ならなおさらだ。
「なら行こう」
そう言って手を差し出す。
ユウは一瞬ためらった。
しかし、やがて恐る恐るその手を握る。
小さい。
本当に驚くほど小さい手だった。
シズルの手が大きい事もあるが、それを差し引いても幼さを感じる。
戦場や犯罪者ばかり相手にしてきた彼女にとって、その感触はどこか新鮮だった。
『帰還ルートを再表示します』
シーサン・ポーがヘルメット通信で告げる。
『来た道を戻れば宇宙港ブロックへ到達可能です』
「ああ」
シズルは頷いた。
ユウの歩幅に合わせながら通路へ出る。
赤い非常灯に照らされた研究施設。
相変わらず不気味な静寂が続いていた。
だが、来る時とは少し状況が違う。
今のシズルは一人ではない。
守るべき相手がいる。
自然と警戒心も強まっていた。
通路を進みながら、シズルは周囲へ視線を走らせる。
監視カメラ。
ドローン用レール。
防衛設備らしき装甲扉。
どれも健在だ。
しかし。
「……妙だな」
シズルが呟いた。
『どうしました?』
シーサン・ポーが反応する。
「静か過ぎる」
来る時は監視ドローンが何度も巡回していた。
警備システムも生きていた。
だが今は違う。
一機も見当たらない。
気配すらない。
まるで施設全体が眠ってしまったかのようだった。
シーサン・ポーも何かに気付いたらしい。
『……おや?』
「どうした」
『警備ネットワークです』
モニター上へ基地内部のデータが表示される。
『停止しています』
「停止?」
『はい』
シーサン・ポーの声にも戸惑いが混じる。
『監視ドローン全機オフライン。防衛システム停止。内部警戒レベルゼロ』
シズルの眉が僅かに動いた。
「そんな事があり得るのか?」
『普通ならありません』
即答だった。
『誰かが制御システムへ介入した可能性があります』
「誰かが……」
シズルは足を止める。
この施設に他の人間がいる?
残党か。
あるいは別の侵入者か。
だが、考えても答えは出ない。
今重要なのはユウの安全だ。
余計な寄り道をしている場合ではない。
「後回しだ」
シズルは歩き出す。
「まずは船へ戻る」
『了解です』
シーサン・ポーも反対しなかった。
そのまま二人は通路を進む。
迷路のような研究施設。
無人の実験区画。
破壊された研究室。
静まり返った居住ブロック。
長い時間をかけて歩き続け――やがて。
***
宇宙港ブロックへ続く大型通路へ到達した。
そして。
シズルは足を止めた。
「……なるほど」
静かな声だった。
その視線の先。
宇宙港ブロックの中央に複数の人影が立っていた。
五人。いや六人。
全員武装している。
黒いスーツ。
防弾装甲。拳銃。自動小銃。
そして。その中心にいる痩せた男。
見覚えがあった。
「ゼンダか」
シズルが言う。
男は穏やかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、シズルさん」
ゼンダ・ゼンダマー。
依頼人その人だった。
どうやら別ルートで施設へ侵入していたらしい。
彼の背後には黒服の男達が並んでいる。
前回会った護衛達より数が多い。
しかも全員が戦闘装備だ。
役人の護衛にしては、いささか物々しい。
ゼンダはそんな事など気にしていないように微笑む。
「流石ですね」
彼は軽く拍手した。
「無事に見つけ出して頂けたようだ」
視線はユウへ向いている。
まるで荷物の状態を確認するような目だった。
シズルはそれを見逃さない。
ゼンダは一歩前へ出た。
「感謝します」
穏やかな声。
「これで依頼は達成です」
そして。
当然のように言った。
「その子を引き渡していただけますか?」
空気が少しだけ変わる。
シズルは何も答えなかった。
代わりに隣を見る。
ユウ。
その小さな身体が震えていた。
最初は寒いのかと思った。だが違う。
怯えている。
赤い瞳は大きく見開かれ。
顔色は青白くなり。
呼吸も浅い。
まるで目の前に怪物でも現れたかのようだった。
「……」
シズルは無言のままユウを見る。
ユウの手が彼女のスーツをぎゅっと掴んだ。
離れたくない。
そんな意思表示にも見えた。
そして。
少年の視線は真っ直ぐゼンダへ向いている。
知らない相手を怖がっている様子ではない。
違う。
もっとはっきりした感情だった。
恐怖。それも本能的なもの。
かつて酷い目に遭わされた相手を前にした時のような。
そんな怯え方だった。
シズルの目が僅かに細まる。
ゼンダは笑顔を崩さない。
「どうしました?」
何も知らないふりをしている。
だが。
シズルの中で警戒心が一段階強くなった。
ユウがここまで怯える理由。
それを考えれば答えは一つしかないように思えた。
静まり返った宇宙港ブロックで。
シズルは少年の小さな手を離さなかった。
「基地へ向かう前に、一つだけ保険を掛けておいた」
張り詰めた空気の中で、シズルは静かにそう言った。
宇宙港ブロックには重苦しい沈黙が漂っている。
コフィン号へ続くドッキングブリッジ。その前を塞ぐように立つゼンダ達。
そしてシズルの背後には、怯えた様子のユウ。
互いに武器を抜いているわけではない。
だが、その場にいる全員が理解していた。
もうこれは、単なる依頼の完了報告ではない。
誰もが腹の内を探り合う段階は終わったのだ。
シズルはユウを背中へ庇うように半歩前へ出る。
その動きだけで、彼女が少年を引き渡す気がない事は明白だった。
ゼンダは穏やかな笑みを浮かべたまま尋ねる。
「保険、ですか?」
「ああ」
シズルは答える。
「お前と会った時から違和感があった」
その声は落ち着いている。
怒りも焦りも無い。
ただ事実を確認するような口調だった。
「だから基地へ向かう前に、シーサンへお前の身辺調査を頼んでおいた」
一瞬。
ゼンダの表情に僅かな揺らぎが走る。
「……調査?」
「そうだ」
「誰にです?」
その問いには本物の意外さが混じっていた。
まるで予想外の答えを聞いたような顔だった。
シズルは肩をすくめる。
「AIにだ」
「AIにですか?」
ゼンダが目を瞬く。
シズルは口元を少しだけ緩めた。
「ウチのAIは優秀なんでね」
すると通信回線から、どこか誇らしげな電子音声が響いた。
『その通りです!』
シーサン・ポーだった。
『ワタクシ、こう見えてもかなり高性能なんですよ!』
「自分で言うな」
『事実ですので!』
いつも通りのやり取りだった。
だがシズルの目は笑っていない。
視線はずっとゼンダを捉えたままだ。
「調べた内容は多い」
シズルは続ける。
「出生記録、学歴、就職履歴、居住履歴、家族構成、納税記録、医療データ、学生時代の記録、卒業アルバム、自治体の名簿、学習塾の名簿、ボランティア活動履歴、SNSアーカイブ、各種行政データベース」
淡々と並べられる項目。
その数は異常だった。
もはや個人調査というより身元洗浄に近い。
黒服達の間にざわめきが走る。
ゼンダだけは無言だった。
「そして、それらを惑星バスタゴア政府の公式記録と照合した」
シズルは言う。
「結果は単純だ」
短い沈黙。
その後、彼女ははっきりと告げた。
「ゼンダ・ゼンダマーという人物は存在しない」
空気が凍り付く。
誰も動かない。
誰も喋らない。
まるで時間そのものが止まったようだった。
ゼンダの笑顔も動かない。
だがその奥で何かが変わったのをシズルは見逃さなかった。
「存在しない……ですか」
ゼンダが呟く。
「そうだ」
シズルは即答した。
「お前の履歴は作り物だ」
そしてさらに続ける。
「出生地の行政区分が年代と一致しない。卒業した事になっている学校は、その年には既に統廃合されている。勤務先企業の記録にも矛盾がある。住所履歴も改竄だらけ。戸籍データも後から挿入された痕跡があった」
ゼンダの顔から笑みが少しずつ消えていく。
シズルは容赦しなかった。
「最初は偽名を使った犯罪者かと思った、だが調べるうちに気付いた。お前はもっと厄介だ」
その言葉に。
ユウの身体が小さく震えた。
ゼンダを見る目には明確な恐怖が宿っている。
シズルはそれを感じながら続けた。
「ガルダ党崩壊後の記録も調べた」
その瞬間。
ゼンダの瞳が僅かに細くなる。
「銀河連合が公開した戦後資料、新政府の調査報告、解放軍の証言、残党リスト、行方不明幹部一覧………」
シズルは一歩前へ出る。
金属床が小さく鳴った。
「ガルダ党は解体された、幹部の多くは逮捕された、処刑された者もいる、戦死した者もいる。だが――」
そこで言葉を切る。
「何人かだけ姿を消した」
ゼンダは何も言わない。
だがその沈黙こそが答えだった。
「死亡確認無し、拘束記録無し、所在不明、逃亡先不明、銀河連合も追跡中………」
シズルは冷たく言い放つ。
「そしてその一人がお前だ」
重い沈黙。
宙港の空調音だけが響いている。
シズルはさらに追い打ちを掛けた。
「偽名、偽履歴、偽経歴、偽の役人資格、全部用意して新政府へ潜り込んだ。そういう事だろう?ちょっと調べればこうだ、技術を軽視するオーラ教らしいツメの甘さだな」
そして最後に。
吐き捨てるように言った。
「………そんな奴にこの子は渡せないな」
その瞬間だった。
ゼンダの表情から、人間らしい温度が完全に消えた。
今まで浮かべていた穏やかな笑顔。
柔らかな物腰。礼儀正しい役人の顔。
それら全てが剥がれ落ちる。
現れたのは別人だった。
冷たい。
酷く冷たい目。
他人を人間ではなく道具としか見ていないような目だった。
数秒。沈黙が続く。
やがて。ゼンダが笑った。
「なるほど」
低い声だった。
「そこまで調べられていましたか」
その声音には、もう先程までの穏やかさは無い。
蛇が獲物へ巻き付く前のような冷たさがあった。
「流石は賞金稼ぎですね」
ぱち。ぱち。
ゆっくりと拍手する。
「実に優秀だ」
「褒められても嬉しくないな」
シズルが返した。
その時だった。
『マスター!』
突然、シーサン・ポーの声が響く。
今までにないほど切迫している。
『後方高熱源反応!複数です!』
シズルは反射的に振り向いた。
そして理解した。
あの時、警備システムが停止していたのではない。
掌握されていたのだ。
背後の大型隔壁が開いていた。
その向こうには暗闇が広がっている。
そして。
無数の赤い光点。
一つ。二つ。三つ。
いや違う。
十。二十。三十。
まだいる。
赤い光が暗闇の中で次々と点灯していく。
ギギギギギギ……。
重い駆動音。
金属が擦れる音。
油圧シリンダーの作動音。
やがて姿を現したそれを見て、シズルは目を細めた。
戦闘ロボット。
基地警備用の重装機だった。
横へ広い重装甲。複数の脚。大型クローアーム。砲塔。赤く光るセンサー。
その姿は巨大な蟹を思わせる。
研究施設を守るために作られた殺戮機械だった。
一機だけでも厄介だ。
だが現れた数はそんなものではない。
十数機。
二十機近い。
しかも後方通路を完全に封鎖している。
『警備ネットワーク掌握確認!』
シーサン・ポーが叫ぶ。
『制御権限はゼンダ側です!』
「………やはりな」
『ああっ! だから言ったじゃないですか! 先に中央制御を止めるべきだって!』
「説教は後だ」
シズルは短く返す。
既にライフルへ手を掛けていた。
前方には黒服達。
後方には戦闘ロボット軍団。
完全な挟撃。
逃げ場は無い。
ユウが震える。
小さな手がシズルのスーツを強く握った。
その感触を感じながら、シズルは静かに前へ出る。
少年を守るように。
盾になるように。
その姿を見て。
ゼンダは心底愉快そうに笑った。
狂信者の笑みだった。
「素晴らしい」
彼は両手を広げる。
「本当に素晴らしいですよ、シズルさん」
黒服達が一斉に銃を構える。
ロボット達の武装が起動する。
赤い照準レーザーが無数に伸びる。
まるで処刑台だった。
そんな状況の中。
ゼンダは恍惚とした表情で天を仰ぎ、かつてガルダ党の信徒達が叫んでいた言葉を高らかに唱えた。
「――オーラは最も偉大なり!」
その声に呼応するように、戦闘ロボット達のセンサーが一斉に赤く輝く。
黒服達が引き金へ指を掛ける。
宇宙港ブロック全体が、一触即発の殺気に包まれていた。