おねショタ渡り鳥銀河を征くスターエイジ・ローヴァーズ 作:アイアイホイホイおさるさん
#09
コフィン号の重力ブロックには、小型宇宙船としては少々不釣り合いとも言える設備が存在していた。
浴槽付きのバスルームである。
宇宙時代において、水は決して安い資源ではない。
大型客船や軍艦ならともかく、個人所有の宇宙船ではシャワー設備だけを設置し、生活用水の消費を抑えるのが一般的だった。賞金稼ぎや運び屋が使う船ならなおさらである。
実際、シズルがこれまで乗ってきた船の多くは、身体を洗う最低限の設備しか備えていなかった。
しかしコフィン号には、しっかりとした浴槽が設置されている。
これはシズル自身の強い希望によるものだった。
賞金首との銃撃戦。
宇宙海賊との戦闘。
時には戦艦相手に命を懸けた空戦。
そんな危険な仕事を繰り返していると、心身の疲労は知らず知らずのうちに蓄積していく。
だからこそ、仕事を終えた後くらいは湯船に浸かりたい。
それが中古のコフィン号を購入して改装した際、数少ない譲れない条件の一つだったのである。
浴室の扉が開く。
ふわりと暖かな湯気が脱衣所へ流れ出した。
先に姿を現したのはシズルだった。
濡れた黒髪を後ろへ流しながら出てくる。
長い髪の先からは水滴がぽたぽたと落ち、肩を伝って床へと滴っていた。
戦闘服ではなく、船内用のラフな服装へ着替えようとしている姿は、普段の賞金稼ぎとしての鋭い雰囲気とは少し違って見える。
その後ろから、小さな足音が続いた。
ぺた、ぺた、と床を踏む音。
ユウである。
白い髪は湯気のせいで少ししっとりとしており、赤い瞳はどこか眠そうだった。
風呂というものが久しぶりだったのか、それとも心身ともに疲れていたのか。
とにかく今は、基地で見せていたような怯え切った様子は薄れている。
シズルは棚から大きめのタオルを取り出した。
「ほら、こっちへ来い」
ユウは素直に近寄ってくる。
最初に出会った頃なら考えられない変化だった。
あの時は少し近付いただけでも怯えていた。
今では当たり前のように隣へ来る。
その事実に、シズル自身も少し驚いていた。
「じっとしていろ」
「……うん……」
ユウは小さく返事をする。
シズルはタオルで髪を拭き始めた。
わしゃわしゃと乱暴にやるのではなく、傷付けないよう優しく。
白い髪は絹糸のように柔らかかった。
指の間をさらさらと滑っていく。
ユウは気持ち良さそうに目を細めている。
「……」
シズルは少しだけ不思議な気分になった。
自分が子供の髪を乾かしている。
そんな未来は今まで一度も想像した事がなかった。
賞金稼ぎになってからはなおさらだ。
自分の事だけで精一杯だった。
それが今では、見知らぬ子供の世話を焼いている。
人生とは本当に分からない。
やがてタオルでの水分取りが終わると、今度はドライヤーを取り出した。
ぶおおお、と温風が吹き出す。
ユウの白髪がふわふわと揺れた。
「目を閉じてろ」
「……うん……」
素直だ。
本当に素直だった。
シズルが言った事をほとんどそのまま聞く。
その様子は五歳児というより、親鳥について歩く雛のようでもあった。
しばらくして髪が乾く。
白い髪は再びふわりと膨らみ、まるで綿毛のようになった。
「よし」
シズルは満足そうに頷く。
するとユウが自分の髪をぺたぺたと触った。
「……?」
「乾いたぞ」
「……かわいた……」
何だか嬉しそうである。
シズルは思わず口元を緩めた。
そして今度は自分の髪を乾かし始める。
長い黒髪に温風を当てる。
その間、ユウは近くのベンチへ座ってぼんやりしていた。
戦闘や逃亡続きだった反動か、今にも眠ってしまいそうである。
そんなユウを見ながら髪を乾かしていた時だった。
ふとシズルの視線が脱衣所の隅へ向く。
そこに置かれている物が目に入った。
白いシャツ。
それだけだった。
「……ん?」
シズルは一瞬考える。
そして数秒後、ある事実に気付いた。
「待てよ……」
ドライヤーを止める。
静かになった脱衣所で、彼女は改めて白シャツを見つめた。
基地から連れ出した時。
ユウはコールドスリープ用の簡素な服を着ていた。
つまりこの白シャツである。
そして今。
目の前にある服も白シャツだけだった。
「……あ」
ようやく理解する。
着替えがない。
一着しかない。
しかも子供用。
当然だがシズルの服は着せられない。
サイズが違い過ぎる。
宇宙船内を歩くだけでずり落ちるだろう。
「参ったな……」
額を押さえる。
今さらながら重大な問題に気付いてしまった。
ユウはきょとんとしている。
「……?」
「いや、君の事だ」
シズルは白シャツを持ち上げた。
「服が一着しかない」
「……ふく?」
「そうだ」
洗濯はできる。
コフィン号には洗濯設備もある。
だが洗っている間に着る服がない。
どう考えても不便だった。
というより、子供を育てる上で論外である。
「服だけじゃないな……」
シズルは考え始める。
下着。
靴。
歯ブラシ。
寝間着。
食事。
子供向けの生活用品。
思い付くだけで次々と出てくる。
今までは自分一人だった。
必要な物など限られていた。
武器。
弾薬。
食料。
船の整備部品。
それくらいで済んでいたのだ。
しかし今は違う。
コフィン号には自分以外の乗員がいる。
しかも幼い子供だ。
「……」
シズルは思わず天井を見上げた。
戦艦相手の戦いより頭が痛いかもしれない。
ユウはそんな彼女を不思議そうに見上げている。
「……しずる?」
「ん?」
「……だいじょうぶ?」
心配そうな声だった。
シズルは一瞬ぽかんとする。
そして思わず苦笑した。
「それを言うのは私の方だろう」
小さな頭をぽんと撫でる。
ユウはされるがままだった。
その様子を見ていると、何だか肩の力が抜けてくる。
「まあいい」
シズルは立ち上がった。
「どのみち補給は必要だった」
食料も減ってきている。
燃料や生活用品の補充もある。
そのついでに必要な物を揃えればいい。
そう考えれば難しい話ではない。
問題は――。
「子供服なんて選んだ事ないんだがな……」
思わず本音が漏れた。
ユウは意味が分からないまま首を傾げる。
シズルはそんな様子を見て再び苦笑した。
賞金首との戦いなら慣れている。
宇宙戦も慣れている。
だが子供の服選びは完全に専門外だった。
コフィン号は静かに航路を進む。
その中でシズルは、自分がこれから向き合う事になる新たな問題について考え始めていた。
それは賞金首でも宇宙海賊でもない。
たった一人の、小さな少年との生活だった。
***
風呂で汗と疲労を洗い流した後、シズルはユウを連れてコフィン号の通路を歩いていた。
船内用のラフな服装に着替えたシズルの長い黒髪はまだ少し湿っている。
一方のユウは、例の白いシャツを着直していた。
やはり改めて見ても心許ない。
コールドスリープ用の簡素な衣服でしかなく、子供が日常生活を送るための服ではなかった。
その事実を再認識したシズルは、早めに買い物を済ませる必要があるな、と内心で考える。
もっとも。
その前に確認しておかなければならない事もあった。
通路を抜け、二人はコフィン号のブリッジへ入る。
自動ドアが左右に開いた。
すると正面のメインモニターに映っていた四角い顔がこちらを向く。
『おや、お戻りになりましたか』
シーサン・ポーである。
画面の中のロボット顔が、どこか安心したような表情を浮かべていた。
『お風呂はいかがでした?』
「悪くなかった」
シズルは操縦席へ腰を下ろしながら答える。
「少なくとも戦艦相手に戦った後の疲れは少し取れた」
『それは何よりです』
シーサン・ポーは頷くように画面を揺らした。
『マスターは疲労を軽視する傾向がありますからね』
「していない」
『しています』
「していない」
『しています』
即答だった。
あまりにも迷いのない返答に、シズルは軽く肩をすくめる。
こういう時のシーサン・ポーは妙に頑固だった。
そのやり取りを聞いていたユウは、意味こそ分からないながらも二人の会話をぼんやり眺めている。
どうやらシーサン・ポーの存在にもすっかり慣れてきたらしい。
少しずつだが前進している。
シズルはそう感じていた。
ブリッジ前面の大型スクリーンには、広大な宇宙空間が映し出されていた。
無数の星々。
漆黒の闇。
そして遥か彼方へ流れていく光点。
既にバスタゴア宙域は遠く後方にある。
あの戦いの場所はもう見えない。
グランドスラム級との死闘も、今となっては遠い出来事のようだった。
しかし。
『ですが油断はできませんよ』
シーサン・ポーの声が少し真面目になる。
『ワタクシとしてはそこが心配なのです』
「何がだ?」
『何が、ではありません』
画面の顔がむっとした表情になった。
『我々はユウ君を連れ去った上に、残党が苦労して修復したであろうグランドスラム級まで沈めたんですよ?』
その言葉にシズルは苦笑する。
確かにその通りだった。
結果だけ見れば、自分達はガルダ党残党にとって相当な打撃を与えている。
ユウは彼らにとって重要な存在だったらしい。
そのユウを奪われた。
さらに切り札である戦艦まで無力化された。
恨みを買わないはずがない。
『普通なら諦める損害額ではありません』
シーサン・ポーは続ける。
『ワタクシなら泣きます』
「お前はAIだろう」
『気持ちの問題です』
「そうか」
『そうです』
相変わらずである。
だがシズルもシーサン・ポーの懸念は理解していた。
ガルダ党残党はしつこい。
解放戦争で敗北した今なお各地で暗躍している事からもそれは明らかだった。
特にゼンダ。
あの男はまだ生きている。
諦めたとは思えない。
「……」
シズルは腕を組む。
ブリッジに短い沈黙が流れた。
やがて彼女は話題を変えるように口を開く。
「ところでシーサン」
『はい?』
「この近辺で補給できる場所はあるか?」
『補給ですか?』
「ああ」
シズルは後ろにいるユウへ視線を向ける。
ユウは椅子によじ登ろうとして失敗していた。
「見ての通りだ」
『なるほど』
シーサン・ポーはすぐに理解したらしい。
『子供用品ですね』
「それもある」
シズルは頷く。
「服も必要だし、生活用品もいる。食料の補充もしたい」
『少々お待ちください』
直後。
モニター上へ無数のウィンドウが展開された。
星図。
航路情報。
宇宙港データ。
商業施設リスト。
シーサン・ポーが高速検索を始めたのである。
数秒後。
『検索完了しました』
「早いな」
『ワタクシを誰だと思っているのです』
画面の顔が少し得意げになる。
『1000万語の言語を翻訳できる高性能AIですよ』
「それは前にも聞いた」
『何度でも言います』
シズルは苦笑した。
そして表示された星図へ視線を向ける。
そこには一つの宙域が強調表示されていた。
『最寄りの大規模商業施設はカタクリ星系の宇宙ステーション・ロッタリアです』
シーサン・ポーが説明する。
『治安も比較的良好。補給施設も充実。民間人の利用率も高く、衣類から船の部品まで一通り揃います』
「ロッタリアか」
シズルはその名前を反芻する。
聞いた事はある。
運び屋や傭兵の利用も多い商業ステーションだったはずだ。
少なくとも買い物には困らない。
ユウの服を揃えるにも都合が良さそうだった。
「距離は?」
『現行速度なら数時間です』
「近いな」
『かなり近いですね』
シーサン・ポーが答える。
『補給地点としては最適かと』
シズルはしばらく考えた後、頷いた。
「なら決まりだ」
そして操縦席のコンソールを軽く叩く。
「ロッタリアへ向かう」
『了解しました』
シーサン・ポーが即座に応じる。
星図上の航路が更新される。
新しい進路が青い光で表示された。
コフィン号のエンジン出力が上昇する。
船体が微かに振動した。
ユウはその揺れに気付き、窓の外を見上げる。
「……?」
「次の目的地だ」
シズルが言う。
ユウは意味こそ理解していないだろう。
それでも彼はシズルの声を聞くと安心したように頷いた。
コフィン号は静かに加速する。
遠ざかっていく戦場。
残党との因縁。
そして先の見えない旅路。
それら全てを背にしながら、宇宙船は新たな目的地――ロッタリアへ向けて進路を取った。
だがその先で待つ新たな騒動を、この時のシズル達はまだ知る由もなかった。