UNIDENTIFIED_USER.exe   作:エネーロ

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2026/6/4 文章の空白を調整


#01 ERROR 404 : NOBODY / 何者でもない男

 焦げた合成肉(シンセ・ミート)と、劣悪な安物の潤滑油。そして、鉄錆のような血の匂い。

 

 視覚よりも先に、不快な嗅覚情報が男の意識を現実に引き戻した。

 薄暗い地下の解体所(チョップショップ)。水捌けの悪いコンクリートの床には、赤黒い液体が水溜まりを作り、無数のケーブルや千切れたサイバーウェアの残骸が臓物のように散乱している。

 

 その惨状の中心で、男はただ一人、棒立ちになっていた。

 周囲に転がっているのは、ストリートの最底辺を這いずり回るスカベンジャーと呼ばれるハイエナたちの末路だった。ある者は強化されたはずの頭蓋を内側から破裂させられ、ある者は軍用のサブダーマル・アーマーごと胴体を両断されている。壁には彼らが最期に放ったであろうスマートガンやテック・ライフルの弾痕が穿たれているが、男の身体には掠り傷ひとつ、焦げ跡ひとつ付いていない。

 

「……ッ」

 

 男は小さく呻き、自身の両手を見下ろした。

 指先から滴り落ちる血。それが自分の流したものではなく、足元に転がる肉塊から絞り出されたものであることは、嫌というほど明確だった。

 

 記憶が、ひどく混濁している。

 

 分厚いノイズの壁に遮られたように、数分前の自分が何を考え、どうしてこの薄汚れた地下室に辿り着いたのかが思い出せない。だが、頭蓋の奥底で鳴り響く直感的な「事実」だけが、冷酷に真実を突きつけている。

 

 ──俺が、やった。

 

 拳で、あるいは視線一つで放たれた致死のハッキングで。武装した十数人のならず者を、瞬きをする間に解体したのだ。まるで路傍の虫を払い落とすかのような、全く無駄のない、残酷なまでの殺戮劇。

 

 パニックが、胸の奥底から込み上げようとした。

 自分が何者かも分からないまま、この異常な惨状を生み出したのが「自分自身」であるという圧倒的な恐怖。鼓動が跳ね上がり、呼吸が浅くなる。

 

 その時だった。

 

『──心拍数の異常なスパイクを検知。神経伝達物質の分泌を調整。辺縁系への鎮静シーケンスを起動します』

 

 網膜の裏側に、無機質な自己診断プログラムの通知が滑り込んだ。

 直後、男の脊髄から脳幹にかけて、極低温の氷水を流し込まれたような絶対的な「凪」が訪れた。湧き上がろうとしたパニックや恐怖といった人間らしい感情の波立ちが、システムによって強制的に、かつ暴力的なまでの滑らかさで平坦に均されていく。

 

(……なんだ、これは)

 

 男は自らの身体を、戸惑いと共に確認した。

 表面上は人間の皮膚を模しているが、その下で蠢く機構は、男の知る──いや、いかなるメガ・コーポレーションの最先端ラボを探しても見つからないであろう、異次元の代物だった。

 

 周囲の環境データ、飛び交う暗号化された通信電波、ドローンのテレメトリー。空間に存在するあらゆる情報が、呼吸をするように自然と視神経に吸い込まれ、一瞬のラグもなく解読・最適化されていく。神経(ニューロン)の伝達速度は常人のそれとは次元が違い、その気になれば、空中で弾け飛ぶ血の雫の軌道を一つひとつ数えられるほどに時間が引き伸ばされて知覚できた。

 

 皮膚の下に編み込まれた人工筋肉(シンセ・マッスル)は、装甲車を素手で引き裂くほどの出力を秘めながら、駆動音はおろか微細な振動すら発しない。

 そして何より恐ろしいのは、男の意識が、この本来なら脳を焼き切るであろう途方もない情報量と兵器の如きオーバースペックを、「使い慣れた自分の手足」として完全に理解し、掌握していることだった。

 

 誰かが作ったものではない。

 

 己自身が、自らの手で組み上げた「器(システム)」だ。

 

 どこからともなく湧き上がったその確信が、男をさらなる虚無へと突き落とす。

 無意識に首筋のチップスロットに手が伸びる。しかしそこにはあるはずの遺物(レリック)はなかった。

 

「……くそが」

 

 感情を去勢された平静の中で、男は毒づいた。

 

 地下室のひび割れた換気扇の隙間から、毒々しいネオンの光が差し込んでくる。付近の無防備なローカルネットから強制送信された低解像度のスパム広告が、ノイズ混じりにチカチカと流れ込んできた。

 

『オールナイトでぶっ飛べ! 不快な現実は“スマッシュ”で流し込め!』

『ダイナラー社製最新サイバーアーム、低金利で提供中!』

 

 多種多様なスパムは色とりどりの残像を網膜に焼き付ける。

 不快な気分を振り切るように通信を切る。

 

 酸性雨の匂い、そして欲望が煮詰まったような異様な熱気。

 ここがどこなのか、男は嫌でも理解させられた。

 

 ──ナイトシティ

 

 夢を見る者から順に死んでいく、史上最悪の魔都。

 

 なぜ自分は、この狂った街の地下で、出鱈目な機構を備えた肉体とともに目覚めたのか。

 

 男は静かに踵を返した。

 足元に転がるスカベンジャーの死体を跨ぎ、地下室の暗がりへと続く通路へ向かって歩き出す。これほどの凄惨な殺しをやってのけながら、身体には疲労の欠片もない。関節部のマイクロスラスターと衝撃吸収機構が、足音すら完全に殺している。

 

 物理的な枷は一切ない。どんな兵器よりも完璧に駆動する肉体。

 それなのに、薄暗い通路へと消えていく男の足取りは、見えない鎖に繋がれているかのように、どこまでも重く、泥濘を歩くように遅かった。

 

 通路の先、さらに深い闇の奥から、ネズミが這い回る微かな音が嫌に耳に響いた。

 

 *

 

 そこからどうやって、どれだけの時間、ストリートを彷徨い歩いたのか。男の意識は未だに深い霧の中にあった。

 

 だが、視界を埋め尽くす極彩色のスパム広告や、行き交う人々のクロームの瞬きを無機質に処理し続ける視神経が、ふと、ある一点に縫い付けられた。

 

 摩天楼が林立するコーポレート・プラザの中心。他のどのビルよりも高く、そして傲慢にそびえ立つ漆黒の巨城。

 

 頂上で赤々と輝く、忌まわしい企業のロゴマーク。

 

 ──アラサカ・タワー

 

 その威容を見上げた瞬間、男の脳内にノイズが走り、奇妙な認知のズレが軋みを上げた。

 

(……おかしい。あのビルはあんなデザインだったか?)

 

 男の頭の奥底にこびりついている「ここではない記憶」が、微かな警鐘を鳴らす。あの城は、核の炎によって根元から焼き尽くされ、灰の雨を降らせて消失したはずの建物だ。

 

 いや、そもそも自分が知っている「2020年代」という時代は、こんな景色ではなかった。空飛ぶ車(AV)も、人体をサイボーグ化する技術も存在しない世界だったはずだ。だが現実はどうだ。眼前に広がるのは、男の知る歴史よりも遥かに暴力的で、狂気的なまでに科学が発達した、暗黒のディストピアそのものだった。

 

 ここは、自分が知る世界より少し前の時代かもしれない。

 思えばスパムや街の雰囲気は少し古臭いかもしれない。

 

 男は無意識のうちに、その漆黒の覇城へと足を進めていた。

 

 どれだけの距離を歩いたのか。男がアラサカ・タワーの巨大な正面ゲートに辿り着いた時、そこは異様な熱気と暴力のるつぼと化していた。

 

 ゲートを固めるのは、重武装のアラサカ・ライオットガードと、鈍い光を放つ軍用メカの群れ。

 

 対するその中心に集まっていたのは、怒号と歓声を上げる暴徒の波だった。それはさながら、うごめく巨体のように、ゆさゆさと揺れている。

 

 どこからか、腹の底を揺らすような爆音のディストーション・ギターが鳴り響いている。企業(コーポ)への強烈な中指と、反逆の意志を乗せたロックの律動。その音楽に煽られるように、暴徒たちがバリケードへ物を投げつけ、炎が上がり、けたたましいサイレンがストリートに木霊する。

 

 暴動の中心にある凄まじい熱狂。そして、アラサカの警備隊が容赦なくゴム弾や催涙ガスを放ち、波のように押し寄せては雲の子を散らすように弾き返される群衆たち。

 

 男は、その歴史的な暴動の一部始終を、まるで自分だけが世界から切り離されているかのように、茫然と立ち尽して眺めていた。

 

 視覚センサーは、飛び交う弾道や群衆の心拍数すら数値化して冷酷に分析しているのに、男自身の心には何の感情も湧き上がってこない。内蔵された自律神経クロームが、精神の昂りを許さず、ひたすらに平静状態を強制し続けている。

 

 ──人間じゃなくて、感情を忘れた怪物になったみたいだ

 

 そう自嘲しかけた時、男の視界の隅でアラサカの装甲車両が新たに数台到着し、警備部隊による本格的な武力鎮圧が開始された。けたたましいサイレンと共に、催涙ガスの白い煙がストリートを覆い尽くしていく。

 

 これ以上、目立つ場所で間抜け面を下げて突っ立っているのは得策ではない。

 男は熱狂と暴力のるつぼに背を向けた。

 

 踵を返す直前、彼の無機質な視覚センサーが、暴動のド真ん中で誰よりも熱狂的に周囲を焚きつける一人の姿を捉えた。炎と催涙ガスが入り混じる煙の向こう側──彼が高らかに振り上げた『銀色の腕』が、ネオンの光を反射して鈍く、だが強烈な自己主張を放って光っている。

 

 男はそれ以上気にかけることはせず、逃げ惑う群衆の波を、滑らかなクロームの挙動で幽霊のようにすり抜け、アラサカ・タワーの威圧的な影から逃れるようにネオンの海へと歩を進める。

 

 たどり着いたのは、コーポレート・プラザの喧騒が嘘のように静まり返った、人通りの少ない薄暗い裏路地だった。

 男は赤黒い雨を避けるようにコートの襟を立て、ひび割れた廃棄され、放置されたダストボックスの影に深く腰を下ろした。

 

(……俺は、誰だ)

 

 まずは、現状を把握しなければならない。

 男は壁に背を預けたまま目を閉じ、自らの脳内に広がるインターフェースに意識を沈めた。

 

 この街における自分自身の痕跡──住んでいたはずのアパートメントの契約情報、正規の銀行口座、勤務先のコーポあるいはギグの履歴、ネット上のプロフィール。ありとあらゆるデータベースへと思考の触手を伸ばし、検索をかける。しかし、結果はすべて「空振り」だった。指紋、網膜、DNAの配列データすら、この世界のどこにも登録されていない。

 

 完全な空白。まるで突然この世界に湧いて出たバグのように、自分という存在の証明が何一つ見つからない。

 

 途方もない孤独と絶望感が胸の奥底から湧き上がろうとした──が、それも一瞬のことだった。

 

『──過度なストレス性の感情スパイクを検知。辺縁系への鎮静シーケンスを起動します』

 

 またしてもシステムが冷酷に介入し、氷水を浴びせたかのように精神の波立ちを平坦に均していく。感情の静寂の中で、男はただ一つの事実だけを受け入れた。「自分は何者でもない」という事実を。

 

 だが、この探索は無駄ではなかった。副産物として、現在がいつなのかを正確に把握することができたからだ。

 

 男が接続したネットの海は、強固なブラックウォールで区切られた閉鎖空間ではなかった。果てしなく広がり、無法で、同時にどこか原始的な熱を帯びた「旧ネット」。データクラッシュによるネット世界の崩壊が起きる前──つまり、自分が漠然と記憶している「2077年」よりも半世紀以上前の時代であることが、はっきりと証明されたのだ。

 

 行き交う人々が纏うクロームはどれも無骨で洗練されておらず、ネットへの接続(ダイブ)に至っては、後頭部や手首から伸びた物理的なケーブルを有線で繋ぐのが当たり前の時代だった。

 

 だというのに、自分はどうだ。

 

 どんなメカニズムが働いているのか、後頭部にケーブルを挿すどころか、頭の中で「思考する」だけで、深く広大な電子の海を自由自在に泳ぎ回っている。

 自身の身体に組み込まれたサイバーウェアの全容をスキャンして、男は呆れを通り越して笑いそうになった。

 

 時代錯誤も甚だしい。2077年における最高級の市販品ですらない、さらに数世代先のテクノロジー、──下手したら数十世代先か──な「軍用試作テック」の数々。しかも、本来であれば脳の処理領域や神経の負荷が競合して同時インストールなど不可能なはずの代物が、全身にふんだんに、かつ完璧な調和をもって組み込まれている。

 

(……とんだイカサマ(チート)野郎だな)

 

 男は自嘲気味に口角を上げた。

 正規の口座こそ存在しないが、仮想インベントリに登録された暗号化クレジットには、一生遊んで暮らせるほどの莫大なエディが記録されている。金には困らない。

 しかし、このナイトシティを生き抜くには、金だけでは駄目だ。

 

 コーポの使い捨ての駒にされないための強固なコネクション、裏社会での信頼、そして何より「企業にそうそう手出しされないだけの圧倒的な実績と実力」が必要になる。

 

 薄暗い路地裏で微動だにせず、ネットの海を泳ぐこと半日。

 この時代の情勢、企業の勢力図、フィクサーたちの顔ぶれなど、あらかたの基本情報を調べ上げた男は、脳内で深く一息つくと、さらに深層へと潜っていく。

 

 

 ストリートのフィクサーに頭を下げて、鉄砲玉のソロ(傭兵)として活動していく手もある。 正直なところ、誘惑はあった。自らの肉体に組み込まれた無数の戦闘サブルーチンは、今この瞬間も「実戦」を渇望しているかのように、人工神経の奥底で微かな熱と疼きを放っている。

 

 手近なフィクサーを見つけ、厄介な汚れ仕事を請け負い、ただ眼前の敵の頭を物理的に吹き飛ばしていく。この暴力の化身のようなクロームに身を任せてしまえば、それはひどく簡単な道だった。おそらく数週間、いや数日もあれば、この街のアンダーグラウンドで新たな「伝説」として名を轟かせることも造作ないだろう。

 

 だが、男の冷徹な論理回路は、その安易な誘惑の先にある破滅的な末路を克明に描き出していた。

 自分が纏うのは、この時代の水準を半世紀は飛び越えたオーバーテクノロジーの塊だ。これ見よがしにストリートで暴れ回ればどうなるか。

 

 サンデヴィスタンすら凌駕する異常な反応速度、軍用アーマーを紙屑のように引き裂く出力、そして正体不明の光学迷彩。それらを使えば使うほど、「得体の知れない規格外のサイボーグ」の噂は、血の匂いに群がる鮫のようにメガ・コーポレーションの耳へと届く。

 

 アラサカの特務機関、あるいはミリテクのブラックオプス。彼らがこの異常なテクノロジーの存在を知った時、放っておくはずがない。 どれほど個人の武力が絶大であろうと、国家規模の軍事力と無限の資金を持つコーポに本気で狩られれば、単独の逃亡劇などいずれ必ずジリ貧になる。弾薬は尽き、クロームは摩耗し、やがて追い詰められる。

 

 その先に行き着くのは、無機質な企業の地下ラボだ。 冷たい手術台に四肢を拘束され、意識を保ったまま皮膚を剥がれ、生きたまま解剖される。頭蓋を開かれ、己の存在すらもデータの海へ還元される実験動物(モルモット)に成り下がる。

 

 記憶がないとはいえ、そんな無惨な最期だけは、魂の根底にある何かが強烈な拒絶を示していた。

 自らの異常な境遇と厄ネタの塊である身体を考えれば、ソロとしての道はどう見ても最悪の悪手だった。

 

(ちょうどよく、分不相応なオモチャを持っているんだ。だったら──)

 

 物理的な暴力ではなく、この常識外れの情報処理能力を使う。

 あらゆる強固な防壁(ICE)を赤子の手をひねるように乗り越え、コーポの機密からストリートのゴシップまで、金になる情報を引っこ抜いて売り捌く。

 

 通常のネットランナーのように、脳を焼かれないための氷風呂(アイスバス)も、足を止めて無防備になる有線ジャックも、この身体には必要ない。ただ街を歩きながら、呼吸をするようにあらゆる情報を掌握し、足跡一つ残さずに消える。

 

 誰もその実体を掴めない、電子の海の亡霊(ゴースト)。

 

 それが、男の身体に宿る冷徹な脳殻が弾き出した、この狂った街で生き残るための「最適解」だった。

 男は薄暗い路地裏から歩き出しながら、さっそく自らのシステムが弾き出した答えを実行に移す。

 

 手始めに、暗号化されたアンダーグラウンドの掲示板や、フィクサーたちが仕事を流すネットワークへと密かにアクセスする。

 

 ターゲットは、企業(コーポ)の物流施設を狙う強盗計画や、郊外のバッドランズへ向かう高額貨物の護衛(エスコート)任務だ。

 男の超人的なネットランナーとしての力にかかれば、この時代のセキュリティ網など障子紙に等しい。 容易く引き千切ることができる。 警備ドローンの巡回パターンやICEの脆弱性を突く最適な侵入ルートを割り出し、匿名のアカウント経由でストリートのならず者たちへ売り払う。

 

 逆に護衛任務を請け負ったソロたちには、襲撃が予想される危険地帯の迂回ルートや、街中の交差点の赤信号をすべて「青」に固定するためのタイムテーブル──どの時間に出発し、時速何キロで走ればノンストップで目的地へ到着できるかという、魔法のような運行データを高値で提供した。

 

 あるいは──まったくその逆のことも。

 

 ネットの深層で企業に抗争を仕掛けようと息巻いているギャングや反企業集団の通信を傍受し、その襲撃計画の全容をすっぱ抜く。そして、標的となっているコーポの防諜部門に対し、その情報を法外な値段で売りつける。

 

 どちらの味方でもない。ただ情報屋として、ストリートとコーポの間に立ち、双方の血とエディを天秤にかけながら搾取する。

 

 落ち着いてきた雨がまた降ってきた。雨を避けるように足早に路地裏を進む。

 ネオンの光を反射する水溜まりを踏み越えながら、歩みを進める男の瞳の奥に、ギラリとした暗い光が灯った。

 

(……この街で、生き残る)

 

 不用意に暴れ回ってアラサカやミリテクに捕まり、最先端ラボの実験動物(モルモット)として生きたまま解剖されるのだけはごめんだ。かといって、ストリートで無様に野垂れ死に、スカベンジャーどもに血液の一滴、クロームの欠片一つまで剥ぎ取られて売り捌かれるのも御免被る。

 

 記憶がなくてもいい。名前がなくてもいい。

 

 実体を持たない、誰も触れられない電子の海の亡霊(ゴースト)で構わない。

 

 すべては、この狂ったナイトシティを生き抜くために。

 

 何者でもない男の姿は、毒々しいネオンの海に溶け込むように、未だ騒めき輝く雑踏へと進んでいく。

 

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