CyberPunk: EDGE CASE   作:エネーロ

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遅くなりました


#10 Seek & Destroy / 死神の(シャドウ)

クラブ・アトランティスのVIPルーム。煙草の紫煙が漂う密室のソファで、ジョニー・シルヴァーハンドは復調したばかりの銀色のクロームを滑らかに駆動させ、満足げに笑みを浮かべていた。

 

「どう? ジョニー。リパーに見てもらったっていうから心配してたけど、調子は戻ったわけ?」

サイバーデッキのホロ画面から顔を上げたスパイダー・マーフィーが、心底ほっとしたように声を弾ませる。あの激戦の後、外で合流した彼女は、アラサカ地下施設でのオダとの死闘――肉を引き裂かれ、血の海の底へ沈みかけていた彼の姿を見ていただけに、その回復ぶりはランナーの彼女にとっても喜ばしいものだった。

 

「ハッ、心配すんなスパイダー。ナイトシティ最高の腕利きにエディを弾んだからな。すっかり元通り、いや前より調子がいい。今ならアラサカのクソどもを一人残らず灰にして、その焼け跡でテキーラが飲める気分だぜ」

「はいはい、頼むからその灰でむせて死んだりしないでよね。あんたのそのイカれた特攻癖のせいで、こっちはもう少しで脳髄までこんがり焼かれるところだったんだから」

 

スパイダーが呆れたように肩をすくめる。

 

「ハッ、天下のスパイダー・マーフィーともあろう者が、あの程度の軍用ICEでビビってちびりそうになったってか?」

「あら、言ってくれるじゃない。あんたが刀持ちのイカレた暗殺者と頭の悪い殴り合いをしてる間、誰が裏で必死に致死性のデーモンをコンパイルしてたと思ってるの?」

「俺の陽動あってこそのハッキングだろうが。裏でキーボード叩いてただけのくせに偉そうに言うんじゃねえよ」

「アンタねえ……自分の命を繋ぎ止めてもらった恩人に言うセリフがそれ?」

 

二人の容赦のない、しかしどこか確かな信頼関係を感じさせる皮肉の応酬。

かつては部屋の隅で気配を消していたはずの幽霊(ゴースト)は、スパイダーの執拗な誘いもありチームの仲間として参加している。「定位置」となった一人掛けのソファに深く腰掛け、その騒々しいやり取りを静かに眺めていた。

 

「そもそも、私とそこの『空っぽクン』の完璧なバックアップがなきゃ、あんた今頃ただのミンチだったわよ」

 

矛先が向けられ、ジョニーが忌々しげに顔を顰める。

 

「チッ……あんな感情の抜け落ちた不気味な野郎と一緒にすんな。俺の視界に勝手にノイズを割り込ませてきやがって、おかげで吐き気が止まらねえ」

 

悪態をつくジョニーに対し、ヴォイドは無表情の仮面の奥でグラスを見つめたまま、平坦で冷ややかな声を返した。

 

「……俺の計算では、あの時お前が単独で突撃していた場合の生存確率は0.03パーセントだった。感謝しろとは言わないが、事実を歪曲するのは非合理的だな」

「テメェ……相変わらず理屈っぽくて鼻につく野郎だぜ、空っぽ野郎(ヴォイド)

 

ジョニーが噛み付くが、その言葉には以前のような本物の殺意は微塵も混じっていなかった。

ヴォイドは仮面(無表情)の奥で、手元のグラスの氷を静かに揺らした。常に戦場のあらゆる情報を俯瞰し、無駄を徹底して削ぎ落とす彼の冷徹な思考回路からすれば、目の前で繰り広げられる口論はあまりにも非効率で無防備だ。

だが、明日生き残れる保証すらないこの狂った街で、必死に生存の糸口を模索し続けてきた彼にとって。こうして他愛のない軽口を叩き合い、笑い合える騒がしい連中の輪に身を置くことは、不思議と悪くない心地よさだった。

 

そんな、チームとしてのささやかな歓談を破るように、重厚な防音扉が静かに開いた。

 

「くつろいでるところ悪いね。客人を連れてきたよ」

 

そう言って部屋に入ってきたローグの後ろには、二人の男が立っていた。 一人は、淀んだ紫煙の立ち込めるこの場には到底似つかわしくない、ミリテクの制服をまとった痩せぎすの壮年エージェント。 そしてもう一人は――無駄のない引き締まった体格に黒いトレンチコートを羽織り、右腕に鈍く光る黒いサイバーアームを持つ男。 ストリートの生きた伝説、モーガン・ブラックハンドだ。

 

「ハッ。ミリテクのスーツ野郎に、スーパーマンのお出ましか。わざわざこんなドブネズミの巣までご苦労なこった」

 

ジョニーがピタリとグラスを止め、トゲのある憎まれ口を叩く。 だが、モーガンはその挑発に表情一つ変えず、ただ短く息を吐いた。

 

「久しぶりだな、シルヴァーハンド。お前のその減らず口も相変わらずだ」

 

旧知の仲に対する挨拶を済ませると、ローグが顎でソファをしゃくった。

 

「座りな。アタシがしばらく動かないと言ったのに、わざわざあんたが直接足を運んできたんだ。よっぽどデカい『ヤマ』が来たんだろう?」

 

促されるまま対面のソファに腰を下ろすと、モーガンは淡々と、だが重みのある声で語り始めた。

 

「ある企業が、極めて重要な戦術物資をアラサカに奪われ、我々ミリテクに奪還の依頼を持ち込んできた。情報部で解析した結果、それはミリテクとアラサカ、両社の争いにおいて戦局を根底から揺るがしかねない代物だと判断された」

一呼吸置き、モーガンはローグたちの顔を見渡した。

「それをただアラサカに渡すのは、我々としても看過できない。ターゲットは、アラサカが管理するサウス・ナイトシティ第4港湾施設。目的は、隠密に施設へ侵入し、コンテナに格納されている『内容物』の奪取だ。これを、お前たちのチームに任せたい」

 

「……おい。忘れたわけじゃねえよな」

 

ジョニーが明確な殺意を露わにし、エージェントを睨みつけた。

 

「こないだは随分と楽しい依頼(ギグ)を回してくれたじゃねえか。てめえらの書いたクソみてえな台本のせいで、こっちはもう少しでミンチになるところだったんだぜ。……よくもまあ、平気なツラして次の仕事を押し付けに来れたもんだな」

 

部屋の空気が一気に冷え込む。だが、痩せぎすのエージェントはまるで気圧される様子もなく、淡々と事実を口にした。

 

「誤解なきよう。先日のアラサカのデータフォートレスでの一件……あの不手際を招いた前任の担当者は独断専行の咎により、すでに社内で適切に『処理』されました。我々は過去の遺恨ではなく、未来の利益を望んでいます」

「ハッ、見事な尻尾切りだ。反吐が出るぜ」

 

ジョニーが鼻を鳴らして吐き捨てると、エージェントはさらに言葉を継いだ。

 

「それに、前任者の暴走ゆえに無茶な仕事を押し付ける形となってしまいましたが……アラサカの暗殺部隊を退け、あの死地から生還を果たしたあなた方の実力を、上層部は高く評価しているのです」

 

「……一つ、疑問がある」

 

エージェントの白々しい賞賛を遮るように、一人掛けのソファから平坦な声が響いた。 ヴォイドだ。彼は仮面(無表情)の奥の冷徹な眼差しを、エージェントではなくモーガン・ブラックハンドへと向けていた。

 

「戦局を揺るがすほどの重要物資。なぜ、最高戦力であるあなたが直接奪いに行かない?」

 

その率直かつ論理的な問いに、モーガンはわずかに目を細め、プロフェッショナルへの敬意を示すように慎重に言葉を選んだ。

 

「簡単な計算だ、幽霊(ヴォイド)。その重要度から、港湾施設の防衛にはアラサカの番犬――アダム・スマッシャーが配置される可能性が極めて高い」

 

スマッシャーの名に、ローグの表情が微かにこわばる。

 

「俺とあの狂犬が同じ空間でやり合えば、スマッシャーによって周囲一帯は確実に消し飛ぶ。物資の詳細が不明である以上、俺たちの戦闘の余波でペイロードが破損すれば任務は失敗に終わる。今回の『無傷での確保』という目的に、俺の同行は向かない」

「……つまり、あなたが陽動に回るということか」

「ああ。俺がノース・ナイトシティにある別のアラサカ所有の港湾施設を派手に叩く。スマッシャーは俺に異常な執着を持っているからな。奴はアラサカの防衛命令を無視してでも、確実に俺の首を獲りに動くはずだ」

 

モーガンは卓上にナイトシティのホログラムマップを展開し、二つの拠点を指し示した。

「俺が狂犬を惹きつけ、その間に専門の回収業者(お前たち)が手薄になった金庫(コンテナ)からブツを頂く。これが最も成功確率の高い戦術だ」

 

伝説のソロによる、確約された安全と完璧なロジック。 だが、ローグは依然として腕を組んだまま、鋭い眼光を崩さなかった。

 

「……もし、スマッシャーが釣られなかったら? 奴が命令を優先して、アタシたちの現場に残っていたらどうするつもりだい」

「その可能性は低いと見積もっていますが」

 

エージェントが横から口を挟む。

 

「万が一、スマッシャーとの鉢合わせが発生した場合は、即座に撤退を優先してください。奴との交戦は極力避けることに全力を尽くすように」

 

アダム・スマッシャー。 その機械仕掛けの狂気とも呼べる自分への異常な執着に、モーガンは小さく嘆息した。

 

「……そういうことだ。危険な仕事になるが、お前たちの腕を見込んでの頼みだ。ぜひ力を貸してほしい」

 

モーガンはそれ以上言葉を飾ることなく、立ち上がった。

 

「返事は後で構わん。行くぞ」

 

彼はエージェントを促すと、背を向けてVIPルームから去っていった。

 

重厚な防音扉が完全に閉まり、ロックが掛かる音が部屋に響く。 二人が去った後のVIPルームには、重苦しい沈黙が降りていた。 ローグは無言で手元のグラスを見つめ、縁を指先でなぞっている。スパイダー・マーフィーはホロモニターに映るデータ群を睨みつけながら、難しい顔で眉間に皺を寄せていた。ヴォイドもまた、目を閉じて思考の海に沈んでいる。

その停滞した空気を破ったのは、肺に溜め込んでいた紫煙を大きく吐き出したジョニーだった。

 

「……ミリテクのスーツ野郎は気に食わねえ。けど、アラサカはもっと気に食わねえ」

 

卓上に残されたホログラムマップを睨みつけながら、彼はギリッと犬歯を鳴らす。

「アダム・スマッシャーがなんだ。俺は俺のために、アラサカをぶっ潰すために動くだけだ」

 

死神の名を出されてもなお、恐怖を微塵も見せずに嘯くジョニー。だが、ローグは顔を上げ、かつてないほど深刻な声音で釘を刺した。

 

「軽口を叩くんじゃないよ、ジョニー」

 

ローグの冷たい瞳が、狂犬を射抜く。

 

「相手はアダム・スマッシャーだ。あの化物に正面から対抗できるのは、この世にモーガン・ブラックハンドくらいしかいない」

 

アダム・スマッシャー。 アラサカの資金で全身を規格外の重火器と装甲で置き換えた完全義体者(フルボーグ)。これまで数多の伝説的エッジランナーたちをただのミンチに変え、世界中に死体の山を築き上げてきた正真正銘の生ける死神だ。

ローグは言葉を区切り、重く息を吐いた。

 

「モーガンの目論見通り、上手く陽動に釣られてくれれば、これ以上ない簡単な依頼(ギグ)だ。……だが、もし奴が釣られず、防衛のために現場に留まっていたとしたら」

 

彼女はマップの一点を見据え、氷のような声で最悪の可能性を口にする。

「アラサカに痛手を与えるどころか、確実にこのチームの誰かが死ぬことになる」

「なら、その時は俺がそのガラクタをスクラップにしてやるまでのことだ。関係ねえよ」

 

圧倒的な戦力差を説かれてなお、ジョニーは自らの破滅願望を隠そうともせず、むしろアラサカへの底知れぬ憎悪を燃やして猛った。

相変わらずの無軌道な狂犬っぷりに、ローグとスパイダーは揃って諦めたように深々と嘆息する。

 

「……ジョニーは予想通りとして.... ヴォイドはどうする?」

 

スパイダーが視線を向けた先。目を閉じていたヴォイドが、静かに瞼を開いた。

 

「率直に言って、気乗りはしないな」

 

ヴォイドは平坦な声で事実を述べる。

 

「あのブラックハンドが自ら囮になり、アダムを釣るという戦術自体は理にかなっている。だが、ターゲットの物資の重要度によっては、あのアダム・スマッシャーであっても個人の執着よりアラサカの防衛任務を優先する可能性がある。リスクの振れ幅が大きすぎる」

 

ヴォイドは遠回しに、この作戦自体がアラサカの罠である可能性を示唆した。

 

「アタシからも頼む、ヴォイド」

 

ローグが真摯な目で、凄腕のランナーを見つめる。

 

「アンタがいれば、最悪の事態になっても逃げ切れる確率は格段に上がる。報酬の取り分は色をつけてやるよ」

「チッ……まあ、こそこそ隠れまわるだけの空っぽ野郎にしては、こないだはマシな働きをしたからな。どうしてもって言うなら、俺のステージのバックアップに入れてやってもいいぜ」

 

ジョニーも彼なりのひねくれた言い回しで、ヴォイドの腕を認めるような言葉を吐き捨てた。

沈黙の後、ヴォイドは小さく息を吐き出し、渋々といった様子で頷いた。

 

「……条件がある。現場での撤退判断は、俺の解析を最優先とさせろ。特に、この死にたがりの首輪はきつく締める必要がある」

「いいだろう。交渉成立だ」

 

ローグが口角をわずかに上げ、同意する。

 

「やった! これで私の他にもジョニーの首輪を引く係が増えたわね!」

 

スパイダーがわざとらしく明るい声を上げて手を叩くと、ジョニーは忌々しげに顔を顰めた。

 

「ふざけんな。誰が犬だ」

 

悪態をつきながら、ジョニーは苛立たしげにグラスを置き、乱暴な足取りでVIPルームから出ていった。

 

残された三人の間には、これから向かう最悪の死地への静かな緊張感が満ちていた。

 




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