タワー襲撃作戦への参加をヴォイドたちが決めてから、まだ数日と経っていなかった。モーガンを介して正式な要請が上がったのを受け、ミリテク側から連絡が入ったのはその翌日のことだ。
「詳細はこちらの
素っ気ない一文に、交渉の余地は感じられなかった。指定されたのは、ナイトシティ郊外――コーポプラザの一角に構えられたミリテクの
長い廊下を歩きながら、ヴォイドは肌に馴染まない空気の変化を感じ取っていた。酒とスモッグの匂いが染み付いたアトランティスやアフターライフのVIPルームとは何もかもが違う。壁面は継ぎ目すら見えないほど清潔で、光源はホロディスプレイの明滅だけ。人の生活の匂いが、この場所からは徹底的に排除されている。
すれ違いざま、重
「モーガンのお気に入りとやらか」
誰へともなく吐き捨てられた言葉に、ジョニーが片眉を上げる。だが男はそのまま人混みに紛れ、廊下の奥へ消えていった。
(……もう他のチームが動いてる、か)
その一瞬のすれ違いだけで、ヴォイドは十分に察していた。この
案内されたのは大会議室ではなく、
(情報の遮断か。それとも、単なる管理上の都合か)
判断材料が足りない。ヴォイドはその違和感を一旦内心のメモに留め、口には出さなかった。
ジョニーは腕を組んで壁に背を預け、露骨に居心地の悪さを滲ませている。企業《コーポ》の建物の中にいるというだけで、彼にとっては生理的な屈辱に近いらしい。
「趣味悪ィ内装だな」
誰に向けたわけでもない呟きに、答える者はいない。
スパイダーは物珍しそうに
「……へえ。末端のわりに、ファイアウォールはそこそこ本気じゃん」
ローグは対照的に、慣れた足取りで用意された椅子に腰を下ろす。長年こういう場に出入りしてきた人間の余裕がそこにはあった。ウェイランドはその斜め後ろに控え、必要以上に視線を動かさない。
ヴォイドは部屋の隅、壁際の死角となる位置に立った。誰かに命じられたわけではない。ただ自然と体がそこを選んでいた。人員の数、出口の位置、監視カメラの死角――いつもの手順で、いつもの無表情のまま、室内をざっと洗い出す。
正面に立ったのは、細身のスーツを纏った男だった。感情の起伏をほとんど感じさせない官僚的な口調で、名乗る。
「ミリテク作戦部、
壁面のホロディスプレイに、ヴォイドたちだけに割り振られた
「今回の対アラサカ作戦においては、複数の『ストライク・チーム』を個別に編成する。各チームには
クロウは一拍置いて、付け加えた。
「……他チームの詳細については、原則として伝達しない。それがこちらの流儀だ」
淡々とした説明だったが、ヴォイドの耳にはそれが契約《ディール》であると同時に鎖のようにも響いた。指揮系統の一元化。装備の貸与という名の管理。逐一の報告義務。言葉を変えれば、ミリテクという巨大な機構の駒として組み込まれる、というだけの話だ。
ジョニーが小さく舌打ちする。
「随分と丁寧な言い回しだな、飼い犬にするって意味だろ、それ」
クロウは表情を変えず、「解釈は自由です」とだけ返した。
その空気を見計らうように、モーガン・ブラックハンドが口を開く。
「これは俺が保証する。お前たちを単なる使い捨ての駒として扱うつもりはない」
彼は一度、部屋にいる全員の顔を見渡してから続けた。
「だが、組織である以上、最低限の枠組みは必要だ」
そう言って重ねた視線は、明らかにローグへ向けられていた。交渉の余地がある、という無言の合図だった。
案の定、クロウの説明が一段落するや否や、ローグが静かに、しかし刃のような声で割って入った。
「悪いが、アタシたちはミリテクの駒になるつもりはないよ」
室内の空気が一瞬で張り詰める。
「駒、とは心外ですね。あくまで対等な協力関係のつもりですが」
「対等、ね」
ローグは煙草に火をつけながら、紫煙越しにクロウを見据える。
「逐一の報告義務があって、装備の貸与を盾に行動を縛られて、命令系統は作戦部が握る。それのどこが対等だい」
紫煙を燻らせながら、彼女はテーブルの上に条件を一つずつ並べていく。
指揮系統はモーガン個人への直属に限定すること。作戦部からの直接命令は受け付けないこと。得た情報や戦果の扱いは、自分たちの
クロウは渋る。
「前例のない条件です。他のチームとの整合性が――」
「他のチームの話はどうでもいい」
ローグが遮る。
「アタシが保証するのは、このチームの実力と、モーガンとの信頼関係だ。港湾の一件、アンタらも耳にしてるだろう? アダム・スマッシャーを相手に生き延びた面子だよ。それだけの働きをする連中を、下っ端と同じ枠に押し込めようって方が無理な相談さ」
ジョニーが横から皮肉げに鼻を鳴らす。
「聞いた通りだ、スーツ野郎。俺たちはお前らの犬じゃねえ」
その一言は交渉の後押しにも、ただの苛立ちの発露にも聞こえた。
スパイダーも便乗し、膝の上のデッキを軽く指先で叩きながら付け加える。
「ついでに言っておくけど、ウチが拾ってきたデータをこっちの
クロウの眉間に、初めて隠しきれない苛立ちの色が浮かんだ。
モーガンが小さく片手を挙げ、ジョニーとスパイダーを制しながらクロウへ静かに頷く。
「ローグの条件を呑め。この件に関しては俺の名前で保証する」
モーガン個人の信用――これまでミリテクへ積み上げてきた貢献と実績――が最後の一押しとなった。クロウは渋々ながら条件を受け入れる。
「……承知しました。ただし、これは異例中の異例です。くれぐれもお忘れなく」
その言葉の裏に潜む牽制――特別扱いされる部隊への警戒――を、ローグは涼しい顔で聞き流す。
(しかし、これほどまでにあっさりと通るものなのか)
内心でそう訝しんだのは、クロウ自身だった。指揮系統の独立、命令拒否権、情報の
『アルファの独立性については、ある程度の融通を利かせて構わない』
その理由までは、クロウ自身にも知らされていない。彼は端末《ターミナル》に指を滑らせながら、その違和感を意識の隅へ追いやり、事務的な微笑みの下に押し込めた。
この一幕を、部屋の隅からヴォイドは黙って見つめていた。
(……交渉というのは、こうやるものか)
内心でそう呟きながら、
だが、その安堵の底に、ほんの一瞬、冷たい針のような違和感が差し込まれた。
(……些細なことだ。だが、望んだ条件が、望んだ通りに通り過ぎている)
2077年側の記憶の断片が、警告のように微かに疼く。それが何を指し示しているのか、ヴォイドにもまだ判然としない。ただ、「対等」という言葉の裏にある
クロウが小さく息を吐き、書き換えを終えた
「――ストライクチーム・アルファ」
アルファという
「で、リーダーは誰にしますか」
クロウが事務的に尋ねる。モーガンが答えるより先に、ローグがちらとジョニーへ視線をやり、口を開いた。
「ジョニーだ」
「はァ?」
ジョニーが目を剥く。
「おい、待て。俺は聞いてねえぞ」
「対外的な看板の話だよ、ジョニー」
ローグは涼しい顔で続ける。
「実務は今まで通り、みんなでやる。だけど交渉相手や他のチームに『誰が頭か』を示す顔は要る。アンタが一番派手で、一番名前が通ってる。適任だろ」
「くだらねえ肩書遊びに付き合う趣味はねえよ」
そう吐き捨てながらも、ジョニーの口元には隠しきれない、好戦的な笑みが滲んでいる。伝説を追い求める男にとって、「ストライクチーム・アルファのリーダー」という肩書は、決して悪い響きではないらしい。
クロウは
その様子を見つめながら、ヴォイドは内心でわずかに眉をひそめた。
(……名目上、とはいえ)
これまでの快進撃と、港湾での生還。その二つが、ジョニーの中で少しずつ「自分は倒れない」という感覚へ育ちつつあることを、ヴォイドは薄々感じ取っていた。リーダーという肩書は、その芽をさらに育てる養分になりかねない。
だが、今はまだ、それを言葉にする段階ではない。ヴォイドはそう判断し、視線をわずかに伏せるだけに留めた。
クロウは名義変更の入力を終えると、次の項目へと画面を送る手を止め、ふと付け加えた。
「……余談ですが、地下データ回収を担当する別動隊にも、既に
そこで彼は言葉を切り、それ以上は語らなかった。
「ふうん。なら、そっちはそっちで好きにやってくれ」
その素っ気ない一言で、話題は流れていく。だが、ヴォイドの記憶の隅で、「アルファ」「ベータ」「オメガ」という三つの
*
編成の話が一段落したところで、モーガンがふと、独り言のように呟いた。
「……そういえば、シャイタンにも声をかけておいた」
その名前に、ジョニーが片眉を跳ね上げる。
「は? ……あいつ、街に戻ってきてんのか」
「さあな」
モーガンは肩をすくめる。
「風の噂に流しただけだ。届いてるかどうかも、五分五分だろう」
ローグも煙草を挟んだ指を止め、わずかに目を細めた。
「あの男が大人しく街をうろついてるとは思えないけどね」
そう言いながらも、その口調にはどこか確信めいた響きがあった。
「――けど、来るよ、あれは」
「ああ」
ジョニーが短く頷く。声には皮肉の代わりに、妙な確かさが滲んでいた。
「アラサカ絡みの誘いを、あいつが断ったことは一度もねえ。噂が耳に入ってるなら、来る。理屈じゃねえ、あいつの性分だ」
その言い切り方に、迷いはなかった。かつて共に修羅場をくぐった者だけが持つ、根拠のない、しかし揺るがない確信。
ヴォイドは壁際の死角から、その短いやり取りを黙って聞いていた。
(……シャイタン)
かつてジョニーの口から一度だけ零れたその名を、ヴォイドは記憶の奥から静かに引っ張り出す。
*
そんな話も一段落し、クロウが次の議題へ移ろうと端末《ターミナル》に向き直った、その時だった。
ふいに、小部屋の扉が乱暴に開け放たれる。
足音一つ聞こえなかったことに、室内の面々が一斉に緊張を走らせる。だが、その反応は一瞬で霧散した。
「――来たか」
ジョニーが真っ先に口の端を歪めた。驚きではなく、答え合わせでも見るような響きだった。
現れたのは、全身を無骨な
彼は誰に断ることもなく、扉の外で制止しようとしたミリテク職員を無視して、ずかずかと部屋の中央まで歩み寄る。そしてクロウの手元のホロディスプレイを一瞥した。
「――俺の名前も、そこに入れておけ」
低く、錆びついたような声。名乗りもせず、ただそれだけを告げると、彼は踵を返して壁際に寄りかかった。
クロウが気圧されたように一歩後ずさりながらも、辛うじて事務的な態度を保って
「……シャイタン、氏。ストライクチーム・アルファへの編入希望、確認しました。……この部屋は本来、部外者の立ち入りを想定していないのですが」
その苦言も、シャイタンの無反応な沈黙にあっさりとかき消される。
「ほら見な」
ローグが煙草の煙を細く吐きながら、独り言のように呟いた。
「言った通りだろ」
その声に応じるでもなく、ジョニーがどこか愉快そうに口の端を歪め、シャイタンへ声をかける。
「よぉ、久しぶりだな」
シャイタンは一瞬だけジョニーへ視線を向けたが、言葉は返さず、再び正面を見据えるだけだった。二人の間に流れる短い沈黙には、かつて共に危うい仕事をこなした者同士だけが持つ、因縁めいた気配がある。
ローグはその空気を感じ取りながらも、煙草を挟んだ指を止め、シャイタンの
ヴォイドはあえて多くを語らせず、ただその存在感だけを静かに観察するに留めた。
(……これが、シャイタンか)
噂ばかりが先行していた悪名高いソロを、ヴォイドは初めてその目で捉えていた。目的のためなら手続きも礼儀も歯牙にかけない、その振る舞いだけで、伝え聞いていた人物像に相違はないと知れる。
ジョニーとローグの確信もまた、単なる強がりでも希望的観測でもなかったということだ。この男の性分を知る者だけが持てる、根拠のある読みだった。
得体の知れない気配を纏ったまま、シャイタンはただ壁際に佇み続けている。まだ言葉を交わしたわけでもないその男の存在を、ヴォイドは記憶の奥に静かに刻みつけた。
やがてクロウが手続きの完了を告げ、ブリーフィングは静かに終わりを迎えた。
*
拠点を後にする道すがら、ジョニーは新しい肩書きへの悪態を吐きながらも、どこか浮ついた足取りを隠せずにいた。
スパイダーはシャイタンという新顔に興味津々で話しかけている。返ってくるのはほぼ沈黙だけだったが、それすら気にする様子はなかった。シャイタンは一行から半歩下がった位置を、誰に合わせるでもない歩幅で歩いている。仲間になった、というより、たまたま同じ方向へ歩いている――そんな距離感だった。
ローグは涼しい顔で紫煙を吐きながら、満足げに呟く。
「思ったより上手くまとまったね」
拠点の出口で、ローグがふと足を止めた。数歩前を歩いていたはずのヴォイドが、いつの間にか歩を緩め、どこか思案気にしていることに気づいたからだ。
「……ヴォイド。なにか気になることでもあったかい」
ヴォイドは我に返ったように視線を上げる。彼女の言う通り、意識のわずかな一部が、まだあの
「……いや。何でもない」
ヴォイドは短くそう答え、内心のわずかな引っかかりを振り払うように、いつもの表情へ切り替える。
ローグはしばらくその横顔を探るように見ていたが、やがて肩をすくめた。
「ふうん。まあ、アンタがそう言うならいいけどね」
それ以上は追及せず、彼女は踵を返して歩き出す。
その輪の少し後ろを歩きながら、ヴォイドは静かに思考を巡らせた。
ミリテクという巨大な機構に組み込まれながらも、独立性を勝ち取ったチーム。伝説へと突き進むジョニーの、危うい高揚感。まだ得体の知れない同行者となったシャイタン。そのすべてを内心で冷静に見据えながらも――
ヴォイドの表情に浮かぶのは、これまでのような静かな平静さだけではなかった。かすかな、しかし確かな緊張。そして、この仲間たちと共に運命へ挑む、という一つの決意の色だった。
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