修正している時間がないので、いったん保留していますがそのうち修正します。
資料を眺めていると、いつもの時間にコールが入る。スパイダーだ。ここ最近、判で押したように毎日この時間にかかってくることに、ヴォイドはもう疑問すら持たなくなっていた。
「スパイダー、シャイタンについて何か知ってることはあるか」
『――ちょっと』
画面の向こうで、声が跳ねる。
『女の子がコールしてきてるのに、第一声が甘い言葉じゃなくて仕事の話なの?』
からかうような響きに、ヴォイドは短く答えるに留める。
「お前なら俺より速そうだと思ってな」
『……まあ、悪い気はしないから許してあげる』
不満げな声色とは裏腹に、端末を叩く音はどこか弾んでいた。
シャイタンという名は、思っていたより遥かに"表"に出ていた。ストリートの噂話の域ではない。『ソロ・オブ・フォーチュン』誌――傭兵稼業の業界誌が組んだ北米ソロ特集の常連にまで、その名が挙がっている。ここ数年で、腕は立つが無名に近かった一人の男から、桁の違う成功率を誇る一流の
業界誌には載らない裏の記録――アラサカ側の被害報告書の断片も、次々と画面に流れ込んでくる。読み進めるほどに、輪郭がはっきりしてくる。標的の額でも権力でもなく、ただ「アラサカかどうか」だけを条件に仕事を選ぶ男。時には、わざわざアラサカの資産を潰すためだけに仕事そのものを作り出す、とさえ噂される。
『ストイックっていうか……まるで修行僧ね』
スパイダーが呟く。
「流行りの美容パーツも、見せびらかし用のギミックも一個もない。ただ純粋に、殺意を効率化するためだけの体って感じ」
(……アラサカへの憎悪で身を焦がすのは、恐れることではない、か)
ナイトシティには珍しくない部類の人間だ、と最初は思った。アラサカに何かを奪われ、恨みだけを燃料に生きながらえる手合い。だが、名も知れず消えていくはずのそうした残り火とは違う。この男は、隠れるどころか、業界誌の紙面に載るほどの"顔"を持ってなお、何年もその執念だけで走り続けている。
ヴォイドは端末を閉じ、わずかに眉を寄せる。会って言葉を交わすまでもなく、この男の輪郭はまだ判然としない。だが、それこそが今回の
*
「――侵入経路、開けた。近くに巡回はいないはずだけど、念のため気を付けて」
スパイダーの声が、ヴォイドの耳の奥で軽やかに弾む。ナイトシティ郊外、まだアラサカがデータの移送を終えていないと目星をつけた中規模のデータ拠点。その裏口の電子錠が、遠隔操作で音もなく開いていく様を、ヴォイドは自分の端末上の映像で確認していた。
現場に立つのはローグ、ジョニー、ウェイランド、そこでシャイタンの四人。ヴォイドとスパイダーは、いつも通り後方からの支援に徹する。
「守衛の巡回、あと十二秒で死角に入る」
ヴォイドは短くそれだけを告げる。
「了解」
ローグの声には気負いがない。慣れきった作業のような足取りで、四人は開いた裏口から音もなく滑り込む。
「相変わらず地味な仕事だな」
ジョニーが物陰から愚痴をこぼす。
「派手にぶっ壊す仕事の方が性に合うんだが」
「文句は仕事が終わってから言いな」
ローグが端末の画面を確認しながら、素っ気なく返す。
「サーバールームまで、あと三区画」
ウェイランドが先頭に立ち、通路の分岐ごとに小さく手信号を送る。言葉を交わさずとも、四人の足並みは一つの生き物のように揃っていた。何度もこなしてきた仕事の呼吸だ。
シャイタンだけが、その輪の中でも一人異質だった。手信号にも合わせず、ただ黙々と最後尾を歩く。だが足音一つ立てない歩みは、他の三人と比べても遜色ない。
「――カメラ二台、死角作った。あと十五秒余裕あるから、急がなくていいよ」
スパイダーの声に、どこか誇らしげな響きが混じる。
「今日は機嫌がいいじゃないか、スパイダー」
「まあね」
サーバールームに辿り着くまで、抵抗らしい抵抗は一つもなかった。ウェイランドが手早く物理端末に接続端子を差し込み、ローグがデータの抜き取りを開始する。
「拍子抜けするほど呆気ないもんだね」
ローグが呟く。
その様子を映像越しに眺めながら、ヴォイドは内心で小さく頷く。
(……いつも通りの仕事だ)
問題は、ここから先だった。
データの抜き取りが進む中、警備端末のログにわずかな異常が走る。
「――待って」
スパイダーの声が硬くなる。
「気づかれたみたい。予定にないルートで部隊がこっちに向かってる」
「歩行ドローンまで持ちだしたようだな」
ヴォイドは端末のログを流し読みしながら答える。
「増援も呼んだようだ。数分で大部隊のお出ましだ」
ローグが舌打ちする。
「あとどれくらいで抜き取り終わる」
「三分」
ウェイランドが端末を睨んだまま短く返す。
「――なら、俺が稼ぐ」
そう言うが早いか、ジョニーはすでに部屋の外へ向かっていた。
「ジョニー、勝手に――」
ローグの制止も終わらぬうちに、通路の奥で警備員の悲鳴じみた叫びが上がる。射撃音、何かが崩れ落ちる鈍い音。ジョニーはたった一人で、増援が来る前にその芽を摘みに行ったらしい。誰の指示も待たず、確認も取らず。
「まったく、後先考えないんだから」
ローグが額を押さえる。
その隣で、シャイタンが無言のまま歩き出す。
「――アンタもかい」
ローグの声に呆れが混じる。
「どっちにしろアラサカを潰すのが目的だろう」
シャイタンは足を止めずに言う。
「早いか、遅いかだ」
感情の起伏のない声だった。だが、そこに宿るのは追従でも義理立てでもない。同じ理由で、同じ方向に足が向くだけの話だ、とでも言うように。二人分の足音が通路の先へ消えていく。
サーバールームには、ローグとウェイランド、そして通信越しのヴォイドとスパイダーが残される。
「……ねえ」
スパイダーが小さく笑う気配がする。
「ジョニーが二人に増えた気がするんだけど、私だけ?」
「俺も同じことを思ってたところだ」
ウェイランドが苦笑交じりに端末から目を離さず答える。
ローグは深く息を吐く。
「面倒事が二倍になったって考えると、頭が痛くなるね」
ヴォイドは短く口を挟む。
「まるで調子に乗った子供だな」
「他人事みたいに言ってくれるじゃないか」
ローグの声には棘があったが、どこか笑いも滲んでいた。
ジョニーとシャイタン、二人分の
警備員の反撃はものの数十秒で沈黙した。無駄のない動き、迷いのない足取り。信念の形は違っても、向かう先も、踏み込む速度も、驚くほどよく似ていた。
(……行動だけ見れば、区別がつかない)
支援さえあれば、この二人はいくらでも無茶を通せてしまう。その事実が、ヴォイドの胸の奥にわずかな重さを残す。ジョニーの無謀が、これでまた一つ増長する種を得ただけではないか――共鳴という言葉が、ふとよぎった。
「――片付いたぜ」
ジョニーの声が、通信越しに軽く弾む。息一つ乱れていない。
シャイタンは倒れ伏す警備員たちを一瞥し、
「――大したもんだ」
シャイタンはぽつりと呟く。世辞ではない。実感だった。
「腕の方も、支援の方も」
スパイダーの支援精度と、ヴォイドの弾き出す予測線。どちらが欠けても、この速度と正確さは出なかった。
「褒めてくれるのは嬉しいけど」
スパイダーの声が弾む。
「ジョニーの方が、動きだけ見たらとっくに規格外だと思うけどな」
シャイタンは短く鼻を鳴らす。
「あれは支援があってこそだ」
驚きはなかった。むしろ得心に近い。生身の勘だけであの速度は出せない。射撃予測線を読み、動作検知の一歩先を行動で潰す――ジョニーの"無謀"は、単なる蛮勇ではなく、支援と噛み合った上での計算された無茶だったのだと、今なら理解できる。
「
独り言のような呟きに、答える者はいなかった。
「――データ、抜き取り完了。撤収に入ろう」
ウェイランドの声で、四人は踵を返す。
「ルートを出すから、その通りに進んで」
スパイダーの指示には迷いがない。
「来た時より警備は増えてるけど、動線はそのまま使える」
来た時と変わらぬ足取りで、四人は通路を戻り始める。だが侵入がすでに露見している以上、道中は無傷とはいかない。物陰から飛び出す警備員を、ローグとウェイランドが淡々と薙ぎ払っていく。手慣れた仕事だった。
「――増援よ」
スパイダーの声が緊張を帯びる。
「地上からの応援部隊。数が多い……それと」
一拍、間が空く。
「歩行ドローン、二基。退路を塞ぐ気だ」
出口へ続く通路の先、重い駆動音とともに人型を超えた質量の何かが姿を現す。装甲越しにも分かる火力と、その後ろに続く警備部隊の数。ローグが小さく舌打ちする。
「時間かけてる暇はないね」
「作戦予定時間もそろそろ超過する」
ヴォイドは端末の時刻表示に目を落とし、短くそれだけ告げると、意識をサブネットへ沈める。
外部プロトコルの層を弾く。
歩行ドローンの駆動音が、悲鳴じみた不協和音に変わる。二基とも、次の一歩を踏み出せないまま、その場に膝から崩れ落ちた。関節という関節から火花が散り、巨躯が瓦礫と化す。
「――なに?」
シャイタンが足を止める。今しがた自分たちの退路を塞ごうとしていた鉄塊が、たった数秒で沈黙したことに、束の間言葉を失っていた。
「デカブツは処理した。手早く処理しろ」
ヴォイドは短く答える。
「今更驚くことかい」
ローグが肩をすくめながら歩を進める。
「うちのランナー組は、こんなもんだよ」
「毎度のことだ」
ジョニーも振り返らずに続く。
だが、鉄塊の崩壊に浮足立ったのは、シャイタンだけではなかった。統制を失いかけたアラサカの警備部隊も、目の前で起きた光景に一瞬、足が止まる。その隙を、ジョニーは見逃さなかった。
「――上等だ」
低く笑い、真っ先に踏み込んでいく。動揺する敵の只中へ、迷いなく。
シャイタンもまた、一拍遅れて同じ場所へ足を向けていた。
「アラサカに、容赦をくれてやる理由はない」
感情の起伏を欠いた声だった。それでいて、そこに滲むのは狂気ではない。積み上げてきた歳月の分だけ重い、静かな断罪のようなものだった。二人分の動きは、噛み合っているというより、同じ方向にしか向かえない者同士がたまたま並んだ、という方が近い。統制を失った警備員たちは、まともに反撃する間もなく、次々とその場に沈んでいく。
制圧が終わるまで、さして時間はかからなかった。
*
「――拠点襲撃の件、報告が上がっています」
部下の声に、ケイ・アラサカはディスプレイから視線を上げる。
「損害は」
「データの一部流出。ですが……」
「構わない。あの拠点はとうに用済みだ」
ケイは書類から目を離さぬまま、事もなげに言う。
「わざわざ空箱を漁りに来たわけだ、ご苦労なことに」
骨折り損はこちらではなく、向こうの方だ。実害のなさに、ケイの声には苛立ちの色すらない。むしろ気にかかるのは、こちらの守りの薄い場所を的確に突いてきた、その手際の方だった。
「ミリテクの動きが、また一段活バツになった。そろそろ大きく動きそうだが……」
独りごちると、ケイは端末を操作し、別件の報告書を呼び出す。
「――スマッシャーの修復状況は」
部下の顔が、わずかに強張る。
「進捗は芳しくありません。稼働率は、まだ三割ほどかと」
「三割、か」
「……それと」
部下の声が硬くなる。
「本人から、伝言を預かっています」
「言え」
「はい」
部下は一度、喉の奥で息を止めた。
「――『いつまで這いつくばらせるつもりだ』と」
ケイは眉一つ動かさない。
「続けろ」
「『新しい体の一つも寄越せんのなら、せめて仕事はしろ。俺をこの様にした奴らの名前ぐらい、とっくに割れていて当然だろう』」
部下の声が、報告というより、何かをそのまま垂れ流すような響きに変わっていく。
「『シルヴァーハンドの腕は、大したことはなかった。だが、あいつの後ろにいるランナーがいる。俺を仕留めたのはシルヴァーハンドじゃない。あのランナーだ。名前も分からんなら、次までに調べておけ――』」
言葉を継ぎながら、部下はふと言葉を止めた。まるで、伝言そのものに宿る執念の重さに、指先まで冷えていくような感覚を覚えたかのように。
「以上、です」
ケイは小さく鼻を鳴らす。
「気の短いことだ」
呟きとは裏腹に、ディスプレイの向こう――まだ会ったこともない何者かの気配を、ケイはしばらく黙したまま見つめていた。
少しでもよかったと思っていただけましたら、評価、お気に入り登録よろしくお願いいたします。
感想もお気軽にお寄せください。