UNIDENTIFIED_USER.exe   作:エネーロ

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#02 Sympathy for the Devil / 亡霊の挨拶

 人々の憶測を呼んだアラサカ・タワーの足元で数万人の群衆が激突。

 暴動と興奮の熱が引いてから、相応の月日が流れていた。

 

 表のニュースでは、一部の過激派によるデモとだけ報道された事件。

 だが、ストリートの人間なら誰もが知っている。あれは伝説的なロックバンドのボーカルがファンを扇動し、巨大企業(コーポ)の心臓部へカチコミを仕掛けた、かつてない規模の反逆だったと。  

 鎮圧部隊による苛烈な事後処理が終わり、首謀者である「銀腕のロックボーイ」も街から姿を消した。ニュースネットワークは再び、コーポの株価の乱高下と、ちっぽけなギャングの抗争を垂れ流す退屈なプログラムに戻っている。

 

 見上げれば、分厚い汚染スモッグが空を覆い、摩天楼のネオンが濁った空気の中でボヤけている。ナイトシティは再び、欲望と暴力が平坦に続く日常を取り戻したかのように見えた。

 だが、陽の当たらないアンダーグラウンドの底では、別の熱が静かに、しかし確実に蔓延していた。  ストリートのバーや、フィクサーたちの間で、夜な夜な囁かれるひとつの都市伝説。

 

 ──莫大なエディ、あるいはそれに匹敵する『情報』という相応の対価さえ用意すれば、どんな防壁(ICE)もすり抜け、狙った情報を確実に引き抜く『幽霊(ゴースト)』がいる。

 

 最初は、よくある三流ネットランナーのハッタリだと思われていた。しかし、噂は次第に血の匂いを帯びて広がっていく。  ある噂によれば、自社の機密を弄ばれたメガコーポが業を煮やし、物理的な発信源を割り出して完全武装の特務部隊を秘密裏に送り込んだらしい。だが、彼らはただの一人も帰還しなかったというのだ。

 

 後日、現場となった廃区画に足を踏み入れたスカベンジャーが見たのは、ひしゃげた軍用クロームの残骸と、原形を留めない肉塊の山だけだったと、まことしやかに囁かれている。激しい銃撃戦が行われた痕跡すらなく、まるで規格外の工業用プレス機にでも放り込まれたような、一方的で無惨な「解体」の跡だったと。

 

「ネットの深層で産声を上げた未知のAIが、殺人機械(ドローン)を操っているんだ」

「いや、重火器で固めた軍上がりの凄腕ランナー集団に違いない」

 

 真偽の定かではない正体不明の存在は、恐怖と畏敬を込めて裏社会で尾鰭をつけながら語り継がれていく。  コーポの追跡を煙に巻き、あまつさえ精鋭部隊を跡形もなくすり潰す存在。いつしか『幽霊(ゴースト)』の名は、ナイトシティの闇を生きる者たちにとって、最もホットで危険な畏怖の対象として定着しつつあった。

 

 *

 

 アラサカの一件のほとぼりがようやく冷め、ナイトシティに再びいつもの喧騒が戻り始めた頃。ローグは、この街の裏社会へと帰還を果たした。

 有名クラブ『アトランティス』の奥に陣取った彼女は、紫煙と安酒の匂いが立ち込めるVIPブースで、復帰後の初仕事(ギグ)の計画を練っていた。テーブルの中央には、ターゲットとなるコーポのセキュリティマップがホログラムで投影されている。

 

「警備はコーポの精鋭部隊。正面突破なんて、自ら死体袋に入りに行くようなものね。西側の搬入口、ここならEMPで30秒だけセキュリティ網に穴を開けられる。そこを突く」

 

 経験と死線を潜り抜けてきた実績に裏打ちされた、有無を言わせぬ響き。彼女の言葉には、ストリートで名を馳せる有力なソロとしての確かな重みがあった。同席している歴戦の仲間たちも、その作戦に真剣な面持ちで耳を傾けている。  

 

 だが、チームのテッキーがホログラムの不完全な図面を操作し、冷静な声で口を挟んだ。

 

「ローグ、EMPのアイデアは悪くない。だが、このマップは穴だらけだ。西ゲートを抜けた先、メインフレームに続くサブネットワークの構造がごっそり抜け落ちている。もしそこに未知のアイス(防衛プログラム)が敷かれていたら、ランナーがハッキングを終える前に30秒が過ぎる。俺たちは袋のネズミだ」

 

 その的確な指摘から、重苦しい堂々巡りが始まった。

 

「なら、空調ダクトからドローンを這わせるのはどうだ?」

「サブネット手前でスキャナーに焼かれるのがオチだ」

「いっそ陽動を派手にして、警備が手薄になった隙に……」

「コーポの増援スピードを舐めるな。5分でトラウマ・チームとまとめてお出ましだ」

 

 次々と代替案が出されては、情報不足という致命的なリスクの前に潰されていく。決定的にピースが足りない。明確な打開策が見えず、VIPブースの空気は徐々に重苦しく停滞していった。  そんな息が詰まるような沈黙を嫌ったのか、チームのネットランナーが、その重い空気を吹き飛ばそうと軽口混じりに笑い声を上げた。

 

「はっ、いっそのこと、最近ストリートで噂になってる『ゴースト』にでも頼んでみるか? どんな強固なICE(防衛壁)もトーストみたいに焼き切って、欲しい情報をそっくりそのまま引っこ抜いてくるって評判の──」

 

「ふん」

 

 ローグが鼻で笑う微かな音が、ランナーの軽口を切り捨てた。  彼女は手にしたグラスの安酒を煽り、一気に飲み干すと、カツンと重い音を立ててテーブルに置いた。激昂はない。だが、その冷徹な双眸には、一筋縄ではいかない凄みが宿っている。

 

「どんなICEも焼き切る幽霊? ……アタシが街を空けている間に、どいつもこいつもしけた作り話に踊らされるようになったわけ」

 

 地を這うような低い声。

 

「どうせどこかのフィクサーが、自分の箔付けに流したホラ話さ。いいこと、ここはストリートのガキの遊び場じゃない。顔も知らない、存在すら怪しい都市伝説(ゴースト)に命を預ける気? 私の仕事で、そんな形のない噂にすがるような真似はやめな」

 

 軽口を言い出したランナーは、彼女の鋭い気迫に怯えるような真似はせず、「わかったよ、ただの冗談だ」と軽く肩をすくめて苦笑いを浮かべた。  形のない噂にすがるほど、初心(ウブ)ではない。不確かな情報を容赦なく切り捨てると、ローグは苛立ちと共に深く吸い込んだ紫煙をゆっくりと空中に吐き出した。煙の向こう側で、彼女の目は再び不完全なセキュリティマップを射抜いている。

 

「……」

 

 ローグは腕を組み、ホログラムの青白く揺らめく光を見つめながら深い思案に沈んだ。ブースの中に再び沈黙が落ちるが、先ほどのような停滞した空気ではない。彼女の脳内でいくつもの思考が巡り、精査されている時間だった。

 

 やがて、彼女は灰皿にタバコを押し付けると、鋭い視線をチームへと向けた。

 

「小手先の代替案を出す前に、基礎から見直すわ。この穴だらけのデータの出処を徹底的に洗ってちょうだい。依頼主が一体どこの誰からこのガラクタ情報を掴まされたのか、情報元(ソース)の裏を取るのよ。話はそれから」

 

 不確かな噂を歯牙にもかけず、あくまで確実な情報(インテル)にこだわる彼女の毅然とした姿勢に、チームは再び張り詰めた空気を取り戻した。軽口を叩いていたランナーも真剣な顔つきに戻り、チーム全員が根本的なデータの洗い直しと、依頼主の身辺調査へと取り掛かっていった。

 

 *

 

 一方、男は定住するセーフハウスを持たず、ネオンの死角から死角へと仮眠場所を変える生活を続けていた。

 絶えず響く雨音と、遠くで鳴るサイレン。雨漏りのする廃ビルの片隅で、男は深く広大なネットの海に意識を沈めていた。

 フィクサーや傭兵たちが暗号化してやり取りする深層ネットワークの底。男は、ある大口のギグに関する通信データの断片を傍受し、その情報の買い手──実行犯のリストに目を留めた。

 

Rogue(ローグ)

 

 その文字列を認識した瞬間、男の頭の奥底にこびりついている「ここではない記憶」が、一人の女の顔を浮かび上がらせた。

 数十年後の未来において、このナイトシティの裏社会に君臨することになる「女帝」の姿。

 

(……あの女が、街に帰ってきたか)

 

 一度は身を潜めていた大物たちが動き出し、停滞していたこの街の歴史の歯車が、再び重い音を立てて回り始めようとしている。  だが、男は傍受したギグのターゲットとなっているコーポの名前を見て、わずかに眉をひそめた。

 男のデータベースには、その企業の防諜部門の厄介な傾向が記録されていた。連中は意図的に穴だらけのダミー情報をストリートへ漏洩させ、それに飛びついた油断した狼藉者を施設内へ誘い込んでから一網打尽にして排除するという、悪趣味なハニートラップを好んで使う。並のランナーがそこそこ深く潜ったところで、見つかるのは巧妙に作られた偽物のデータだけだ。ローグたちも今頃、そのダミー情報の不自然さに頭を悩ませているか、あるいはすでに毒餌を掴んで死地へ向かうピンチに陥る寸前かもしれない。

 

(……好機、か)

 

 男は思考の波をさらに一段、ネットの深淵へと沈める。幾重にも偽装されたダミーの階層を素通りし、本命のメインフレームへと到達。システムに気付かれることすらなくICEの隙間を抜け、本物の内部警備システムと巡回ルートのデータを手早く抜き取った。

 男が暗闇の中で静かにデータを整理していると、脳内に搭載されたOSが、視界の隅で予測アルゴリズムを更新した。

 

 数週間前、自らの物理座標を嗅ぎつけてきたコーポの武装部隊を返り討ちにした一件。あの結果により、メガコーポは彼を「厄介なネット上の亡霊」から、明確に排除すべき「脅威」へと認識を改めつつある。このまま正体不明のまま暗がりに隠れ続ければ、捜索網に引っかかる。

 これ以上、ただ息を潜めて隠れ続けるのは得策とは言えないだろう。

 

 導き出された答えは一つ。  

 

 実体のない幽霊を辞める潮時だ。歴史が動き出したこの絶好のタイミングで、ストリートの最有力候補であるローグと繋がりを持ち、裏社会における強固な足場を築く。

 それが、男の生存確率を最も高めるための最適解だった。

 

 *

 

 男は雨漏りのする廃ビルの冷たい床からゆっくりと立ち上がり、暗闇の中で瞳の奥に淡い光を明滅させた。

 

 彼が選んだのは、物理的に彼女の足取りを探り当て、警戒心にまみれた傭兵たちの前に姿を晒すという無骨な手段ではない。今まさに彼女が罠にかかっている最中なのか、それともまだ準備段階なのかすら、男には知る由もなかった。  

 だが、それは問題ではない。彼はただ、引き抜いたばかりの本物のデータを携え、先ほど傍受した暗号通信の痕跡(ログ)を逆に手繰り、彼女のパーソナルリンクへと直接、秘匿回線を繋ぎにかかった。

 

 一方、ナイトシティのどこか。有名クラブ『アトランティス』のVIPブース。  ローグは不完全なセキュリティマップを前に、データの洗い直しを命じたチームのメンバーたちへ次の指示を出そうと口を開きかけていた。彼女のパーソナルリンクには、歴戦のソロとしての警戒心から、大金をはたいて組み込んだ最新鋭の軍用規格の防壁(ICE)が張り巡らされている。ストリートの並のランナーが束になっても、警告音ひとつ鳴らすことなく弾き返せる代物だ。

 

 ──だが、それはあくまで「この時代」の基準でしかなかった。

 

 突然、ローグの視界の端でノイズが走った。  いや、聴覚だけではない。視覚インプラント(オプティクス)までもが、一切のシステム警告を発することなく、強制的に外部からのアクセスを許したのだ。  

 分厚い軍用のICEが、まるで薄い障子紙を指で破るかのように、何の抵抗もなくすり抜けられている。

 

「……何ッ」

 

 ローグの表情がわずかに強張り、テーブルに置いた手がピクリと動く。チームのメンバーたちは、彼女の突然の硬直に訝しげに首を傾げた。  

 彼らには何も聞こえていないし、見えてもいない。回線は、ローグ個人の神経系にのみピンポイントで繋がれていた。

 重低音が響き渡るクラブの喧騒が、ローグの意識から遠のいていく。  代わりに彼女の脳内へ直接流れ込んできたのは、ひどくノイズの少ない、静かな男の声だった。

 

『──ノックもせずに失礼。いくらアトランティスの高価なICEがあると言えど、不用意にそこらのローカルネットワークに接続したままにするもんじゃない。タチの悪い情報屋に、裏口の鍵を開けて待っているようなものだ』

 

「な……ッ」

 

 ローグが声を上げるより早く、男の静かな声が鼓膜を揺らす。  

 男は彼女の視覚インプラントをハッキングし、ローグの瞳を通して、テーブルに浮かぶ不完全なセキュリティマップを明確に『視て』いた。

 

『おっと、どうやら最高のタイミングだったらしい。あんたが今睨みつけているその仕事(ギグ)について、とびきり耳寄りな情報があるんだが……どうする? 取引する気はあるか?』

 

 姿なき情報屋からの、最初の接触(ファーストインプレッション)

 

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