CyberPunk: EDGE CASE   作:エネーロ

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#23 Welcome to the Jungle / 鉄檻へようこそ

壁面のモニターが、市街の火を映している。

 

一つではない。三区画、同時。ウォーターフロントの倉庫街、シティセンターの高架下、サント・ドミンゴの工場地帯。群衆の頭数、掲げられた横断幕、燃やされる社旗――音声を切った映像の中で、火だけが規則正しく揺れていた。

 

「地上警備より、増援要請が上がっています。反企業デモが同時多発。統率された動きです。背後関係の分析は――」

「前座だ」

 

ケイ・アラサカは映像から目を離さない。

 

「本命は空から来る。地上の頭数は据え置け」

 

部下が端末に指示を流し込む。その手元を待たず、ケイは次を求めた。

 

「地下の状態は」

「センサー網、全系統正常。経路は――ご指示の通り、生かしたままです」

「積荷は」

「隔離区画に。配置も、ご指示の通りです」

 

配置、という語の中身を、部下は口にしなかった。防衛班の名簿に載っていない男が一人、あの区画の前に立っている。データ経路の防衛には一個中隊を割いた。積荷の前には、一人だけを置いた。

 

数字だけを見れば、均衡を欠いた配分だった。ケイはその不均衡を、修正する気がなかった。

 

大鬼(DaiOni)は」

 

部下の指が、端末の上で一瞬止まった。

 

「試作号機、最終接続試験に入っています。ですが――神経負荷が、規定値の三倍を超過したままです。搭載パーツの半数は試験段階のもので、適合演算を通ったのは、あの男ただ一人。正直に申し上げて、あのような不確実な代物を、どう運用なさるおつもりなのか」

「どうでもいい。急がせろ」

 

ケイは初めて、モニターから部下へ視線を移した。

 

「ミリテクは必ず、こちらの最高戦力に見合う駒を当ててくる。ブラックハンド本人か――あるいは、例の個体か。分析班が総掛かりで、いまだプロファイルを埋め切れていない、あれだ」

 

一拍。

 

「未知数には、未知数を当てる。在庫の中で釣り合う駒は、あれしかない」

 

部下は復唱だけを返した。

 

空調の風が、うなじを撫でていく。ケイは椅子の背から体を起こし、正面のディスプレイを切り替えた。市街の火が消え、湾岸の防空レーダーが広がる。

 

沿岸、南南西。識別信号のない飛行反応が、複数。

 

ケイは通信端末に手を伸ばした。動作に、速度はなかった。予定表の次の行に目を落とすだけの、そういう手つきだった。

 

「――全部署へ通達。第二種警戒体制へ移行」

 

 

 

 

ローターの振動が、奥歯まで届いている。

 

機内に会話はなかった。三十分前まではあった。ローグが装備の最終確認を指示し、スパイダーが軽口を一つ挟み、ジョニーが鼻で笑った。アラサカ・タワーの灯が窓の面積を侵し始めてから、誰も口を開いていない。

 

眼下で、市街が燃えていた。

 

三区画。オレンジの光点の周りに群衆が渦を巻き、投光器の白がそれを薙いでいる。回線(ライン)が一つ開いた。

 

『アルファ、こちらウェイランド。第三ポイント、着火。群衆はざっと六千。機動隊と社の警備、地上の目は全部こっちに釘付けだ』

 

『降りるなら、今のうちだぞ』

「上出来だ」

 

ローグが短く返す。

 

「終わったら深追いするんじゃないよ」

『分かってる。撤収線は三本引いてある』

 

回線が切れた。ジョニーが窓の外の火を一瞥し、何も言わずに視線を戻した。

 

「――対空グリッド、起きた」

 

スパイダーの声から、軽さが抜けている。

 

「タワー外周、砲塔十二基。レーダー連動で……この高度に入った瞬間、挨拶が来る」

「ヴォイド」

 

ローグの一言で足りた。

 

意識をグリッドへ沈める。

 

タワーの防空網は多層で、指揮系統は上層の管制ノードに束ねられ、そのノードは互いを監視し合っていて、一つを落とせば残りが即座に穴を塞ぐ構造をしており、だから落とすのではなく、北面の砲塔群が参照する敵味方識別の応答テーブルに、レーダーの更新周期の狭間を縫って、一行だけ偽の登録を流し込む――

 

視界の右下に、熱量警告が一度灯って、消えた。

 

二系統並列。まだ浅い。

 

引き際、グリッドの全体像が像を結んだ。上層から地下まで、防御の厚みがそのまま読める。データ経路は氷の壁。電力系は二重化。ただ一箇所――最深部の一区画だけが、何も返さなかった。防壁があるのではない。信号そのものがない。物理的に切り離された空白。

 

対電子戦の遮断措置。そう分類して、意識を引き上げた。

 

「北面、通った。ただし偽装の照合は三十分周期だ。次の照合までに降りる」

「十分だよ」

 

ローグが降下フックを掴んだ。

 

「全員、降下用意!」

 

機体が傾く。開いた側面ドアから風が殴り込んできて、機内の温度が一度に下がった。眼下、タワーの屋上が近づいてくる。ヘリポートの標識灯、換気塔の列、伏せた影のような警備の配置。

 

 

降下二十秒前。開いたドアの縁で、ヴォイドは眼下の配置を数え終えた。

 

「俺が先行する!」

 

風に負けない程度の声量で告げる。

 

「単独降下で制圧まで四十秒。全員での交戦なら二分半、被弾リスクは頭数の分だけ増える。数字の上では――」

「却下だ」

 

ジョニーが遮った。ドアの反対側で、マロリアンの薬室を確かめている。

 

「数字の話はしてねえ。ここから先は全部、俺の獲物だ」

 

薬室が閉じる。金属の噛み合う音が、ローターの轟音の下でも聞こえた。

 

「てめえの指先一つで終わる戦争なんざ、つまらねえにも程がある。この手でぶっ壊すから意味があるんだよ」

「合理性の欠片もない理屈だ」

「ロックンロールってのはそういうもんだ」

「二人とも、そこまで」

 

ローグが降下ラインを掴んだまま割って入る。

 

「ヴォイド、あんたの弾は温存だ。本命は下にいる。屋上ごときで切るんじゃないよ」

 

戦術的には、それが正解だった。ヴォイドは反論を打ち切った。カテゴリ分類だけが残る――ジョニーの理屈は非合理。ローグの理屈は合理。結論だけが同じ場所にある。

 

「降下!」

 

ラインが夜へ流れた。

 

着地の衝撃より先に、シャイタンの初弾が鳴った。

 

降下中の射撃だった。ヘリポート東側、遮蔽に入りかけた警備員が崩れる。着地、二歩、二発目。無駄弾がない。十四年分の弾道が、この屋上のために引かれていたような撃ち方だった。

 

ジョニーは正面から行った。

 

投光器の白の中へ、遮蔽も取らずに踏み込む。マロリアンが三度吠え、三つの影が沈む。動作検知の警報が屋上に響き渡り、それがそのままこの男の入場曲になった。応射が集中する。集中した分だけ、他の全員の射線が空く。

 

「東、クリア」

「西、二枚残り――取った」

 

ローグの声が交通整理を続ける。彼女自身の射撃は最小限で、その最小限が毎回、膠着した一点だけを崩していく。

 

ヴォイドは換気塔の列を移動しながら、割り当ての仕事を進めた。

 

一つ目。外壁保守用のウインチ基部に、掌サイズの起爆パッケージを貼り付ける。磁着の鈍い音。信管、待機。

 

二つ目。ヘリポートの給油配管の継手。三つ目。通信中継塔の根本。

 

指定の設置点を回る間、交戦には二度だけ参加した。スパイダーの警告した死角からの増援と、ジョニーの背中へ回り込んだ一人。二発。それ以上は撃たなかった。撃たないことが、今夜の自分の仕事の半分だった。

 

「設置完了。三点、信管待機」

「こちらも終わり」

 

スパイダーが屋上階の保守端末から顔を上げる。

 

「昇降系、掌握した。下りのルート、開通」

 

最後の銃声から、十秒が経っていた。硝煙の匂いが風に流され、投光器だけが誰もいなくなった床を照らしている。

 

制圧、完了。所要二分十秒。

 

ジョニーが空の薬莢を蹴り、階段室の扉へ顎をしゃくった。

 

「――行くぞ。ここからが本番だ」

 

 

 

 

九十二階の廊下は、消火剤の霧で白かった。

 

天井のスプリンクラーが誤作動したまま止まらない。霧の向こうで銃口炎が瞬き、シャイタンの応射がそれを黙らせる。床を蹴るたび、濡れたカーペットが重い音を立てた。

 

「突き当たり右、階段室! 左は封鎖されてる!」

 

スパイダーの声に従い、五人は右へ折れる。

 

三フロア下でも、同じことが起きた。正面の防火扉が降りていて、東側の通路だけが開いている。開いた側から警備が湧き、応戦し、押し通る。その繰り返し。

 

抵抗は激しい。数も装備も、屋上とは比べものにならない。

 

だが、とヴォイドは弾倉を交換しながら思考の一角に処理を回す。

 

封鎖の位置を、時系列で並べ直す。降下地点からの動線に重ねる。パターン照合、三巡。

 

封鎖は侵入を止めていない。侵入経路を、削っている。

 

通れる道が常に一本だけ残る。その一本を繋いでいくと、一筆書きの線になる。自分たちは今、その線の上を最短で走っている――走らされている。

 

「次、八十七階の機械室を抜ける! サブネットのアクセス階まで、あと五フロア!」

 

スパイダーが経路を読み上げる。ヴォイドはその座標列を、いま抽出した一筆書きに重ねた。

 

一致した。

 

彼女の演算に誤りはない。現存する通路の中で、あれが最適解だ。問題は、その「現存する通路」を選定したのが、こちらではないという一点だった。

 

告げるべきか。判断材料を並べる。確証はない。物証もない。代替経路はすでに封鎖されている。仮に告げたところで、取れる行動は現経路の続行だけだった。

 

言葉にする価値のある情報が、一つもない。

 

結論が出る前に、体が先に動いていた。機械室の手前、曲がり角の死角へ先行し、クリアリングを済ませる。

 

「クリア」

 

短く告げる。それ以外は、告げなかった。

 

ストリートで、こういう仕事を何度も見てきた。逃げ場を一つずつ潰して、獲物が自分の足で袋小路へ歩いていくよう仕向ける追い込み漁。仕掛ける側は何度もやった。掛かる側の景色は、こう見えるのか。

 

機械室を抜けると、業務用エレベーターのホールに出た。スパイダーが保守端末に有線を挿し、ケージを呼び寄せる。巻き上げ機の唸りが、シャフトを昇ってくる。

 

扉が開いた。五人分の重量で、ケージがわずかに沈む。

 

ローグが操作盤の前に立った。

 

「アクセス階まで、直通かい」

 

「直通。ただし階の隔壁は、着いてから開ける」

 

「上等」

 

扉が閉まる。下降が始まり、階数表示が減り始めた。

 

減っていく数字を、ヴォイドは見ていた。誰かが決めた順番の通りに。

 

 

 

 

異変は、数字で始まった。

 

『ベータ、こちら統制。定時報告を送れ』

 

作戦統制の音声が、全部隊共通の回線に流れる。下降するケージの中、五人が同じ声を、それぞれの耳の奥で聞いていた。定時報告の間隔は十分。ベータの前回送信から、十三分が経過していた。

 

『ベータ、こちら統制。応答せよ』

 

応答の代わりに、回線が開いた。

 

開いた瞬間から、音が壊れていた。銃声。反響からして狭い通路。誰かの怒鳴り声が別の誰かの声に潰され、途切れる。

 

『――剣』

 

一語だけ、明瞭に聞こえた。

 

『違う、囲め、囲――』『一人だ、たった一人――』

 

ノイズが全部を塗り潰した。それから、何も。

 

回線は開いたままだった。開いたまま、何の音もしなかった。

 

「……ベータの現在位置は、地下だろう」

 

ローグが低く言う。誰への問いでもなかった。

 

『全部隊へ、こちら統制。映像をリレーする。ベータ・シックスの記録、途絶直前の三十秒』

 

統制の声とともに、共有視界に映像が流れ込んだ。

 

地下の保守通路。非常灯の赤だけが照明で、床は薬莢と、動かない装備の輪郭で埋まっている。撮影者の呼吸が荒い。銃口が通路の先へ向く。先には誰もいない。振り向く。誰もいない。もう一度、前へ――

 

視界が斜めに割れた。

 

上半分と下半分が別の方向へ流れ、赤い非常灯が二重にぶれて、信号が死んだ。

 

最後のフレームまで、誰も映っていなかった。撮影者は、自分を両断したものを一度も見ていない。

 

ケージの中で、口を開く者はいなかった。階数表示だけが減り続けている。

 

『統制、こちらオメガ・ツーワン。現場に到達』

 

別の声が割り込んだ。

 

『生存者、ゼロ。全周に射撃痕――応戦はしている。だが人員の損傷は、全員、刃によるものだ。銃創は一つもない』

「銃を持った十二人が」

 

ジョニーが眉を寄せた。壁にもたれた姿勢のまま、動いていない。

 

「一人も当てられずに、全員斬られたってのか」

「ベータは抽出屋だ。荒事の専門じゃない。だとしてもね」

 

ローグの指が、装備ベストの胸元をまさぐった。いつもなら煙草を挿している位置だ。今夜そこに収まっているのは予備弾倉で、指は摘まむものを見つけられないまま止まった。

 

「こんな仕事をする奴に、アタシは心当たりがないよ」

『統制、こちらオメガ・ツーワン。周辺捜索に移行する。抽出データの端末が残って――』

 

声が、切れた。

 

途切れ方に、前置きがなかった。ノイズもない。回線そのものが、真ん中から断たれたような沈黙だった。

 

『オメガ・ツーワン、こちら統制。応答せよ』

 

統制が呼ぶ。二度。三度。

 

数字だけが、また積み上がっていく。ベータの十二人。ツーワンの四人。

 

回線に、新しい声が入った。

 

『全部隊へ、こちらオメガ・シックス』

 

モーガンだった。

 

雑音の少ない、静かな声だった。静かなまま、続いた。

 

『――やり口に、既視感がある。俺がバックアップに入る。アルファは引き続き、任務を遂行しろ』

『オメガ・シックス、こちら統制。指揮系統は――』

『副長に預ける。以上だ』

 

回線が切れた。統制も、それ以上は何も言わなかった。

 

ケージが減速を始める。アクセス階が近い。

 

誰も、モーガンの「既視感」の中身を訊かなかった。訊いたところで答えない声だったし、答えを聞く時間も、もうなかった。

 

 

 

 

ケージが止まり、扉が開いた。

 

アクセス階の手前、機械設備の並ぶ緩衝区画。人の気配はない。配管の中を流れる冷却液の音だけが、壁の向こうで続いている。五人は射線を分担しながら、隔壁前の通路を進んだ。

 

移動の間、ヴォイドは思考の残り半分で照合を回し続けていた。

 

刃だけで部隊を消す使い手。その水準の剣士を、記憶の中から検索する。ストリートの伝説、業界誌の常連、裏の被害報告に名前の挙がる腕利き――該当する名前は数えるほどで、その全員が、所在も所属も一致しない。

 

照合は、空振りに終わった。

 

該当なし。この盤面に、自分の知らない駒が置かれている。

 

結論だけなら単純だった。相当なやり手のソロが、表に名前を出さない条件でアラサカに雇われた。それだけの話だ。ストリートでは毎日起きている種類の取引で、珍しくもない。

 

そう分類した。分類したはずの結論が、収まりの悪い音を立てていた。

 

これまで、盤面の駒は全部知っていた。配置が変わることはあっても、駒そのものが増えたことは、一度もなかった。

 

「ヴォイド」

 

隣に並んだスパイダーが、正面を向いたまま言った。

 

「隔壁の開放、三十秒もらう。その間の守りはよろしく」

「了解した」

「――ん。いい返事」

 

語尾に、わずかな笑いが乗った。

 

「帰ったら、その調子で返事の練習もしようね。この前の続きから」

 

この前の続き。

 

検索するまでもなく、口の端の一点が参照された。処理は今回も完了しなかった。適切な返答の候補が三つ生成され、三つとも、口に出す前に棄却された。

 

沈黙が答えになった。

 

スパイダーは何も言わず、デッキのケーブルを解きながら、少しだけ歩調を速めた。後ろ姿の肩が、笑いの形に一度だけ揺れた。

 

通路の先、隔壁の前で五人は足を止めた。

 

隔壁は、目の前で開いた。

 

スパイダーが有線を挿す前に、だった。

 

アクセス階の全周を覆う遮蔽区画――その唯一の物理開口部が、警告灯も回さず、駆動音だけを低く響かせて左右に割れていく。扉の断面に、装甲と遮蔽材の層が幾重にも見えた。その向こう、廊下が奥まで照明を点している。無人の廊下は白く、静かで、掃除が行き届いていた。

 

同時に、ヴォイドの視界の隅で受信表示が一つずつ落ちた。外部回線、消失。測位信号、消失。区画の口をくぐった電波が、内側へは一歩も入れない造りだった。

 

誰も、踏み出さなかった。

 

「……開けてないよ、私」

 

スパイダーの声が硬い。有線の端子が、彼女の指先で行き場を失っている。

 

ヴォイドは廊下の奥を走査した。熱源なし。動体なし。センサーの応答は正常――正常すぎた。ここまでの全フロアで鳴り続けていた警報が、この階には存在しない。

 

背後で、音がした。

 

振り返る。今しがた抜けてきた緩衝区画の入口で、別の隔壁が降りていく。駆動音は同じ低さで、同じ滑らかさで、床と噛み合って止まった。

 

退路が、閉じた。

 

同時に、館内の警報が――遠くのフロアで鳴り続けていたあの音が、一斉に止んだ。

 

静寂が落ちる。

 

耳が拾うものは、空調の風と、五人分の呼吸だけになった。開いた隔壁の先で、白い廊下が待っている。追い込み漁の袋の口が、これだった。入れば閉じる。入らなくても、もう戻れない。

 

ジョニーがマロリアンを一度、掌の上で回した。

 

「ご丁寧なこった」

 

シャイタンは無言で、開いた隔壁の縁に射線を這わせている。

 

ローグが息を一つ吐いた。紫煙の代わりに、白い呼気だけが空調の風に散った。

 

「……歓迎されてるね」

 

誰も笑わなかった。

 

 

五人は、開いた口の中へ踏み出した。

 

 

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