CyberPunk: EDGE CASE   作:エネーロ

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#26 (Face) The Reaper #2 / 死神に挨拶しよう

非常階段に、靴音が四つ、規則正しく反響していた。

 

先頭をジョニー・シルヴァーハンドが往く。手すりを掴み、一段飛ばしで駆け上がりながら、銀の腕の駆動音とともに吐き捨てた。

 

「カッコつけやがって」

 

ローグもスパイダーも、応えなかった。

 

弾倉の擦れる音。乱れた呼吸。踊り場を折り返すたび、四人分の音だけが上へ運ばれていく。最後尾にあるはずの重い金属音――シャイタンの足音が、そこにない。

 

ヴォイドは殿を走りながら、視界の端を流れる数字を処理していた。屋上まで残り八階。五階。三階。AVの離陸シークエンス完了まで九十秒。背後、階下の熱源はなおも接近中。心拍は一定。感情に割く演算は、残っていなかった。

 

 

蹴破ったドアの向こうは、風と轟音だった。

 

アラサカ・タワーの屋上。着陸パッドではAVがローターを回し、吹き下ろしが粉塵を外周へ掃いている。

 

「急げ!」

 

ローグが叫ぶ。ジョニーが機体へ飛び込み、スパイダーがデータケースを抱えたままキャビンへ滑り込む。最後に残ったローグが振り返り――そこで止まった。

 

ヴォイドは動いていなかった。

 

ドアを抜けて数歩。着陸パッドの手前で足を止めていた。突風がコートの裾を叩くが、重心は揺れない。タラップへ向かう動作を、ヴォイドは開始しなかった。

 

キャビンから三対の視線が刺さる。ジョニーが眉を寄せ、ローグが目を細め、スパイダーが身を乗り出す。なぜ乗らない。誰かが口にするより早く、答えは足元から来た。

 

床が、隆起した。

 

爆音ではない。地鳴りだった。コンクリートの層が内側から押し上げられ、亀裂が放射状に走る。次の瞬間、ヴォイドとAVの間の床面が、数百キロの瓦礫ごと真上へ爆ぜた。

 

粉塵の中を、それは這い上がってきた。

 

四メートル。二トン。分類器が階下で照合を諦めた輪郭――大鬼(ダイオニ)の装甲を纏ったアダム・スマッシャー。

 

「逃がすと思ったのか?」

 

金属を削るような合成音声が屋上を渡る。装甲のいたるところが焼け、かすかに抉れていた。階下からここまで、床という床を砕いて直上してきた道程を、傷の数が語っていた。

 

排熱の陽炎が巨躯を包む。右腕のマニピュレーターが持ち上がった。

 

掴まれていたのは、無骨な金属殻。

 

シャイタンのバイオポッドだった。

 

「シャイタン!」

 

キャビンからスパイダーの声が裂ける。だが、ポッド表面のステータスランプは沈黙し、外部スピーカーからは何も返らない。ローターの風だけが通り過ぎ、ポッドは鉄塊のように静かだった。

 

「同じボーグだから、少しは歯ごたえがあるかと思ったがな」

 

スマッシャーは手の中のポッドへ単眼を向けた。

 

「とんだガラクタだった」

 

投擲は無造作だった。ゴミを捨てる軌道で、数十キロの金属殻が宙を飛ぶ。

 

ヴォイドは一歩も退かず、両腕でそれを受けた。脚部のリニア・アクチュエータが唸り、靴底がコンクリートを削って火花を散らす。

 

重い。

 

表面には真新しい凹みと焼け跡。だがシステムが拾う微弱な生体信号は、内部の脳髄がまだ死んでいないことを告げていた。外部接続は全損。生きている。ただ、それだけだ。

 

 

ヴォイドはポッドを抱えたまま、AVへ向き直った。タラップの縁まで歩き、身を乗り出したスパイダーへ、重量を静かに預ける。

 

「シャイタンを頼む。スパイダー」

 

受け取った腕が沈む。スパイダーは震える指でポッドの表面に触れた。応答はない。

 

ポッドに触れていた指が、止まった。スパイダーの顔が上がる。ヴォイドと、その背後で煙を吐く穴とを見比べた。

 

「待って、もしかしてだけど――」

「俺がヤツにケリをつける」

 

振り向かない。背後の大穴からは駆動音が唸り続けている。AVの計器が離陸限界を赤で刻んでいた。ミリテクの航空支援が切れるまで、アラサカの防空網が目を覚ますまで、残り数十秒。

 

キャビンの奥で、ローグが舌打ちした。ヴォイドを見、穴を見、計器の赤を見た。二秒。それだけだった。

 

「……頼んだよ、ヴォイド」

「ああ」

 

取り決めは、それで完了した。

 

「ヴォイド」

 

スパイダーがポッドを脇へ置き、タラップから身を乗り出した。両腕が首に回り、背伸びした唇が頬に触れる。熱と、微かな香水の匂い。

 

「生きて帰ってきて」

 

耳元で囁く声に、いつもの軽さはなかった。

 

「これが終わったら――私の前から、いなくなっちゃうんじゃないかって。ずっと、そう思ってた」

 

風が声の端を攫う。細い腕に、力がこもる。

 

「絶対帰ってきて。約束」

 

ヴォイドは目を伏せた。参照できる動作ログが、どこにもなかった。それでも腕は動いた。壊れ物を扱う速度で、彼女の背中に回る。

 

「ああ、分かってる」

 

自分の声が、聞き慣れない響きを持っていた。

 

「帰ってくるさ」

 

嘘は、どこにも混じっていなかった。スパイダーは一度だけ強く抱き返すと、自分から身を離し、キャビンの奥へ退いた。

 

ローターの回転数が跳ね上がり、AVが浮上を始める。

 

 

風圧が増す中、スマッシャーは動かなかった。頭部をわずかに傾け、浮上する機体を追いもしない。センサーの焦点は、ヴォイド一人に据えられたままだった。

 

「感動的だな。一昔前のメロ映画のようにな」

 

スピーカーが嘲りを鳴らす。ヴォイドは機体が高度を上げていく気配を背中で測りながら、口の端を歪めた。

 

「お前みたいなやつが映画を見るなんて意外だよ」

 

ドン、と着地音が隣で鳴った。

 

視線を流す。黒い防弾ベスト。鈍く光る銀の腕。ジョニー・シルヴァーハンドが、遠ざかるAVのキャビンから飛び降りていた。

 

「どいつもこいつも、カッコつけやがって」

 

ジョニーはマロリアンを回し、弾倉を叩き込んだ。

 

「主役は俺だ。ヴォイド、忘れたわけじゃないだろうな」

 

頭上を離脱していく機影の方角から、ローグの怒声が聞こえた気がした。通信は切れている。生身の声が届く距離でもない。だが、あの女帝の怒りなら、空間を歪めてでも届きかねなかった。

 

「足を引っ張るなよ」

「おいおい、それは俺の台詞だ」

 

ジョニーはスマッシャーを見据えたまま、肩をすくめた。

 

「それにしても、スパイダーといつの間にそんな仲になりやがった。堅物ぶってた割に隅に置けねえな」

「……答える必要を感じない」

「お前に女心の扱いが分かるかよ。手伝ってやるって言ってんだ」

「手伝う……? ローグとの交際期間に浮気した回数は」

「五回からは数えてねぇ」

「……クズが」

 

生の声での掛け合いだった。この街で最も死に近い場所で、システムは警告を積み上げ続けている。それでも、隣に立つ男の熱が、演算の列に不規則なリズムを混ぜていた。悪くない、と処理される類のリズムだった。

 

「お喋りは終わったか」

 

大鬼が一歩、前へ出た。コンクリートが砕け、屋上が揺れる。単眼がジョニーの銀腕を、次いでヴォイドを順に捉えた。

 

「ジョニーボーイ、お前がこの戦いについてこれるとは思わんが――まあいい。ひと思いに殺してやろう」

「やってみやがれ、ブリキ野郎が」

 

ジョニーは銀腕でマロリアンを構えた。

 

 

返答は、右腕のオートショットガンの咆哮だった。

 

散弾が床を抉り、空調ダクトを千切り飛ばす。ジョニーは弾幕の間を跳ぶ。戦術支援は、その足取りを今も『トップソロ』の分類で飾り立てる。

 

踏み込み。マロリアンの銃口が、兜に似た頭部装甲へ向く。大口径の徹甲弾、三連射。

 

甲高い金属音が三度。火花。装甲表面の削れ、深度二ミリ。

 

スマッシャーは被弾に反応も返さず、三本爪の二脚を深く沈めた。

 

次の瞬間、二トンが弾けた。

 

時速八十キロ。背部ラックからモノソードが抜かれ、風を裂いてジョニーへ迫る。

 

「まじかよ……!」

 

防御の銀腕が間に合わない。システムが衝突までの残時間を刻む。〇・四。〇・三――

 

割り込んだのは、黒いコートの背中だった。

 

ヴォイドの脚部アクチュエータが限界駆動し、床材を砕きながら、刃ごと質量を正面で受け止めた。

 

「ハハハハッ、その矮躯で俺を止めるか!」

 

火花越しに笑声が震える。

 

「ヴォイドとか言ったな。モーガン以外で俺を正面から止めたのはお前が初めてだ!」

 

両腕のクロームが軋みを上げる。

 

「アラサカからは、接触した場合は生け捕りを命じられているが――興が乗った。ここでお前もすり潰す!」

 

巨躯の奥で、一段低い駆動音が起きた。背部ポートから陽炎が噴く。スマッシャーのサンデヴィスタンが起動する――そのコンマ数秒前。

 

ヴォイドも、自分のサンデヴィスタンを起動した。

 

風の音が消えた。

 

舞う瓦礫が空中で止まり、世界が極彩色に引き伸ばされる。その中を、モノソードの刃がヴォイドの首へ這い進んでくる。

 

遅い。

 

ヴォイドの積むサンデヴィスタンは、半世紀先の代物だ。アラサカの試作機との世代差が、そのまま時間の差になっていた。

 

だが、背筋を冷たいものが走った。体はついてきていない。それなのに、単眼のセンサーだけが、極彩色の中を動くヴォイドを正確に追い続けている。

 

(――何を積んでいる)

 

思考を打ち切る。両腕と脚部の出力を上限へ。モノソードを振りかぶって開いた胸部へ、ゴリラアームの拳を叩き込んだ。

 

衝撃が静止した空気に波紋を作る。二トンの巨体は、数センチ浮いただけだった。

 

(重すぎる)

 

解除はしない。追撃へ移る。頭部、胸部、腹部、肩。継ぎ目らしき部位へ、秒間数十発。戦闘プログラムに任せた連打。手応えは、どの一発にもなかった。

 

色が、戻った。

 

タワーの灰色と、夜風の音が世界に帰ってくる。スマッシャーのサンデヴィスタンは、とうに切れていた。

 

「なんだ、なにが起きた」

 

位置関係が跳び、遅れて打撃音が束になって鳴る。極彩色の外に置かれていたジョニーが目を剥いた。

 

ヴォイドの眼前の装甲は、ひしゃげてはいた。それだけだった。

 

「グッ……ふ、フハハハハ。なるほど、確かに俺クラス――いや、俺以上の体か」

 

数メートル滑ったスマッシャーが、肩を揺らした。

 

「だが、この大鬼のプロトタイプは装甲戦車を超えるスペックだ! ヴォイド、貴様がいくら優れたクロームを積もうが、火力が足らん。その腕、そこらのソロならミンチにできるだろうが――このアダム・スマッシャーを貫くには少々力不足だったな」

 

ヴォイドは無言で奥歯を噛んだ。ゴリラアームの出力自体は、あの装甲を割る数値を出している。足りないのは力ではない。質量だ。

 

体高四メートル、概算重量二トン超。対するこちらは二百キロ。拳の運動エネルギーは装甲を凹ませ、余剰はすべて巨体を押すことに食われる。踏み込んで殴るたび、答えは同じ式に収束した。

 

背後に回り、関節部を直接圧壊させる手はある。問題は、その隙をサンデヴィスタンだけで作れるかだった。

 

「ヴォイド、お前でも無理なのか」

 

ジョニーがマロリアンを構え直し、横目で問う。

 

「出力だけなら俺のほうが上だ。だが、重量差が埋まらない」

「殴っても埒が明かねえってことか」

「関節をへし折るしかない」

「サンデヴィスタンのクールダウンは」

「もう使える。だが――」

 

言葉の途中で、視界がぶれた。

 

両目と鼻から、血が一筋ずつ落ちる。

 

損傷レポートが視界の隅に並ぶ。網膜毛細血管、再破裂。神経系、過負荷域。連続起動の熱が、生身の側から焼き始めていた。

 

「お前、それ……」

「気にするな」

 

手の甲で血を拭う。

 

「……そうかよ」

 

拭う間も、演算は回り続けている。全力のサンデヴィスタン、肉体が保つのはあと三回。手足を全部捥ぐには、足りない。

 

頭部への集中攻撃は捨てる。大鬼のセンサーは全身に分散している。シャイタンと同じボーグである以上、胸部のバイオポッドと機体全体を潰さない限り、あの視界は死なない。クイックハックは接続先が存在しない。スタンドアロン。物理ポートは装甲の奥。

 

質量攻撃――ここは屋上だ。あの晩の港湾のように、頭上から落とせる十数トンはどこにもない。

 

残るのは関節部。すべてをそこへ賭けるしかなかった。

 

コンマ数秒の演算の果て。ヴォイドは視線を前へ向けたまま、隣の男に言った。

 

「ジョニー」

「なんだ」

「俺を信じられるか」

 

ジョニーは一瞬だけ目を丸くし、鼻で笑った。

 

「ハッ――お前、そんな臭い台詞どこで覚えやがった」

 

撃鉄が起きる。

 

「上等だ。信用してるぜ。とっくの前からな」

 

前方で、大鬼が左腕のオートショットガンとモノソードを構え直す。

 

三者の視線が交わった。

 

 

狂犬と幽霊は、同時に地を蹴った。

 

 




ご期待にお答えできているかはわかりませんが、最後まで突っ走ろうと思います(寝不足)


26/7/23 追記 次回更新は週末までお時間いただければと思います
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