CyberPunk: EDGE CASE   作:エネーロ

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#27 (Don't Faer) The Reaper / 死神なんて怖くない

開幕は、消えることからだった。

 

地を蹴った二歩目で、ヴォイドは光学迷彩を起動した。装甲表面を屈折制御が走り、黒いコートの輪郭が夜景に溶ける。

 

「ほう――消えたか」

 

大鬼(ダイオニ)の単眼が走査の角度を変える。声に、慌てはない。まだ。

 

見積りは四秒。それだけあれば、足りる。

 

走査の軌道がコンマ二秒乱れた。その隙間へ、逆側からジョニーが飛び込む。

 

「よそ見してんじゃねえぞ、ブリキ野郎!」

 

『右へ三歩。屈め。跳べ』

 

指示を、ジョニーは一切疑わずに実行する。四メートルの巨体の、死角から死角へ。オートショットガンの旋回が追いつくより早く、次の死角へ。

 

――俺を信じられるか。

 

あの問いの中身が、これだった。大質量の至近を回り続けるという、指示が一拍遅れれば挽肉に変わる機動。並のソロなら三秒で死ぬ。だがジョニーの足は、ヴォイドが引いた線の上を、笑いながら踏み続けていた。

 

「ちょこまかと……羽虫どもが!」

 

そして、大鬼は曲がれない。

 

ジョニーを追って巨体が回るたび、慣性のすべてを脚部の関節が受け止め、駆動音が半音ずつ跳ね上がっていく。負荷の集中点が、左膝に灯った。

 

(ここだ)

 

サンデヴィスタン、起動。一回目。残り、二回。

 

極彩色の中、ヴォイドは迷彩を解きながら左脚へ組み付いた。両腕の出力を全開放し、膝の関節を逆へ捻じり上げる。クロームが軋み、装甲の継ぎ目がミリ単位で口を開ける。

 

加速が切れ、世界に音が戻った。

 

呼ぶまでもなかった。開いた継ぎ目には、もうマロリアンの銃口が突き込まれている。

 

「そらよッ!」

 

三発、零距離。

 

徹甲弾が関節内部のローターを噛み砕く感触を、ヴォイドは組み付いた両腕で聞いた。

 

「グッ……小癪な真似をォ!!」

 

二人が同時に離脱する。振り返った先で、スマッシャーの左脚は膝から下の角度が狂っていた。駆動系は、死んでいる。

 

「ハッ、見たかよ! いくら装甲が分厚かろうが、支えられなきゃ意味がねえ!」

 

ジョニーが吠える。だが、巨体は倒れなかった。

 

死んだローターを、油圧が力ずくで代行する。作動液を霧状に噴きながら、狂った角度のまま、左脚が床を踏み抜いた。

 

「……面白い」

 

単眼の光量が絞られた。愉悦の色が消え、純粋な走査の色に変わる。

 

「その体、あとで丁寧に毟ってやる」

 

視界の隅を、残った手札が流れていく。サンデヴィスタン、残二。起爆パッケージ、残四――数十分前、この屋上を制圧した際に撒いた分。配置座標は、まだ生きている。

 

遊びの時間が終わったことを、ヴォイドは理解した。マロリアンを構え直すジョニーの気配も、同じことを告げていた。

 

 

そこからの戦闘は、帳簿の形をとった。

 

オートショットガンの掃射が屋上を薙ぐ。ヴォイドは射線の外周を走り続けた。

 

散弾がコンクリートと配管を裂き、破片が頬を掠める。口の中に鉄の味が滲んだ。呼吸が浅くなっている。回避は成立している。だが、成立の代金が一射ごとに引き落とされていく。神経系負荷、七十二パーセント。視覚野の右下では、夜景がそこだけ粗い粒子に変わり始めていた。サンデヴィスタンのせいだけではない。慣れない近接戦闘が、精神を削っていた。鎮静システムは興奮を抑えても、疲弊までは隠せない。

 

「どうした? 逃げ回るだけか!」

 

砲声の合間に、嘲りが飛ぶ。

 

「初めの威勢はどこへ行った!」

 

答えず、走る。戦術リンクの別枠に流れるジョニーの数字は、とうに橙域へ入っていた。左肩の裂傷、続く出血。それでも、移動速度だけは落ちていない。

 

『おいヴォイド、次はどこだ。右足か? 腰か?』

 

『息が上がってるぞ、ジョニー』

 

『うるせえ。こいつは武者震いだ』

 

体のすべてが限界を告げているのに、当の本人は、承知の顔で数字を無視している。ヴォイドは修正座標を送る。

 

問題は、こちらの消耗だけではない。

 

大鬼の単眼だ。

 

序盤、センサーはヴォイドの現在地を追っていた。いまは違う。銃口が、移動の半歩先へ置かれ始めている。

 

検証に、フェイントを一つ挟む。右へ二歩、急制動、左へ。

 

散弾は、制動の地点に来た。

 

「……ほう。今のを避けるか」

 

声から嘲りが消え、値踏みの響きだけが残った。

 

(読み始めたか)

 

この屋上に立った直後の交錯で、加速の内側を動くヴォイドを「目で追った」眼。あれは追跡ではなく、採取だったのだ。加速の初動。制動の癖。方向転換の周期。観測データが、いま照準に反映され始めている。

 

ヴォイドの戦闘経験は浅い。戦闘プログラムの付け焼刃で動けはするが、それまでだ。対する大鬼の中身は、姿がどれほど変わろうと歴戦のソロ。積み上げた場数が、半世紀分の性能差を喰い潰しにかかっていた。

 

こちらは消耗し、あちらは学習する。二本の曲線が交わるまで、数分。以降、回避は五割を切るだろう。

 

残された僅かな猶予。

 

その使い道は、とうに決まっている。

 

 

急所の在り処は、割れている。

 

大鬼の胸部装甲、正中線からやや左。継ぎ目の奥に、バイオポッドの熱源反応。機体全体を沈黙させる、唯一の一点。

 

問題は、その継ぎ目が一度もこちらを向かないことだった。

 

スマッシャーは死んだ左膝を軸に据え、トルソーを常に半身に保っていた。胸を斜めに逸らし、正面の円弧を塞ぐ。そして右腕は――抜き放ったモノソードを、畳んだ肘ごと胸の前へ引きつけたまま、微動だにしない。

 

(……迎撃の構えか)

 

加速中のこちらを、あの単眼は確かに捉えていた。体が追いつかないだけで、見えてはいるのだ。なら、追う必要はない。見えた初動の延長線上へ、最短の一撃を置けばいい。速さで勝てない相手から、速さそのものを奪う構えだった。

 

「サンデヴィスタンを使うがいい」

 

半身のまま、スマッシャーが言った。

 

「狙いは俺のコアだろう。……来い。この俺が二度も同じ手を食うかどうか、その身で確かめろ」

 

シミュレーションが回る。

 

一、正面からの関節連撃――回数不足。二、単眼を潰して死角から組み付く――センサーは全身分散、死角が存在しない。三、ランチャー全弾を胸部へ――この角度では装甲厚を抜けない。四。五。六。

 

港湾の夜、ヴォイドは盤面の終わりを一手で宣告した。いま、何百と走る演算のどこにも、あの宣告へ至る枝がない。

 

(なら――こじ開けるまでだ)

 

読まれるのは、承知の上だ。読みと着弾の間には、世代差の一瞬がある。そこへ滑り込む。

 

サンデヴィスタン、起動。二回目。残り、一回。

 

極彩色の中を、右膝へ走った。左と同じ手順。組み付き、捻じり、ローターを露出させる――計画の三手目で、世界が裏返った。

 

大鬼のモノソードが、到達点で待っていた。

 

反応を競う勝負ですら、なかった。追ってきたのではない。置いてあったのだ。加速の初動から進路を読まれ、終点へ刃が振り下ろされる。回避は半分だけ間に合った。半歩の分だけ刃筋が逸れ、平の衝撃を左肩の皮下装甲が受け止め、二百キロの体が屋上を二度跳ねて転がる。

 

「ヴォイド!!」

 

ジョニーの声が、遠くで聞こえた。加速が切れる。

 

左肩、損傷率は予測を下回った。切断は、半歩の差で免れている。ただ、刃を逃れた分の衝撃が骨格に居座り、駆動のたびに鈍く響いた。

 

「驚いたぞ。見た目より頑丈だ。……だが、言ったはずだぞ。二度は食わんと」

 

単眼の光が、転がった先のヴォイドを静かに照らす。誇張も嘲りもない、答え合わせを終えた声だった。

 

「次に使えば――今度は肩では済まさんぞ」

 

口の端の血を拭い、ヴォイドは立ち上がった。応えず、視界の隅に別のレイヤーを呼び出す。

 

屋上平面図。明滅する光点、四つ。

 

陽動のために自らの手で撒いた種が、まだそこで眠っていた。

 

 

第二プランの送信に、一秒もかからなかった。

 

光点のうち三つを結ぶ線の上へ、大鬼の突撃を誘い込む。それだけだ。

 

『ジョニー。次の直線、俺の引く線から半歩も外れるな』

 

『ハッ――今さらだろ』

 

ジョニーが跳ねるように駆け出し、大鬼の正面で挑発的に振り返った。

 

「こっちだ、鉄屑! その足で追いつけるもんならなあ!」

 

「明け透けな陽動だな。だが、まずは貴様から始末するとしよう」

 

大鬼が喰いついた。死んだ左膝を油圧で引きずり、二トンの慣性が直進に変わる。曲がれない巨体が、曲がる必要のない獲物を得た瞬間だった。

 

一つ目。右足の接地に合わせて、起爆。

 

「なに……!?」

 

爆圧が足首の関節を横から殴り、駆動音が悲鳴に変わる。二つ目、左腰部。三つ目、右膝裏。

 

「爆弾だと……貴様、いつの間に――!」

 

装甲は抜けない。抜く必要がなかった。開幕からこちら、負荷を積み上げ続けた関節部だけが、内側から順に音を上げていく。腰の旋回系が止まり、右膝が出力を落とし、半身の構えを支えていた軸が三点、同時に折れた。

 

だが、無償ではなかった。

 

誘導の最終区間、ジョニーは大鬼の射界を正面から横切っていた。関節が砕ける寸前のオートショットガンが、最後の掃射を吐く。

 

左の銀腕が、肘から先を失って宙を舞った。

 

「があッ……!」

 

その一瞬だけ、眼前の光景が記憶と重なった。

 

腕を失い、仰け反るジョニー・シルヴァーハンド。夜。塔の上。知っている光景だ。それはジョニー自身が見た、彼の最期の記憶。薙ぎ払われ、抵抗空しくとどめを刺される。

 

記憶の中の男は、そこでアラサカに敗北を喫した。

 

しかし。

 

目の前の男は、走った。

 

『ジョニー――!』

 

制止の送信は、受信される前に置き去りにされた。ジョニーは血を撒きながら四つ目の光点へ走り、右手一本で起爆パッケージを配管ごと引き剥がす。振り向く。構えの死んだ大鬼は、もう迎撃の角度を作れない。

 

「舐めんじゃねえぞ――」

 

突撃。

 

「まだまだ食い足りねえだろ、これでも食らいな!!」

 

残った右腕が、パッケージを胸部の継ぎ目へ叩き込み、捻じ込む。

 

「離れろ、腐れ肉がァ!!」

 

大鬼の裏拳がジョニーを薙ぎ払った。二度バウンドし、転がり、それでも右手はマロリアンを離していない。

 

倒れた姿勢のまま、銃口が持ち上がる。

 

「……バン(Bang)

 

一発。

 

爆光が大鬼の胸を内側から殴り、継ぎ目が破孔に変わった。

 

 

破孔は、まだ煙を吐いていた。

 

正中線のやや左。内側から殴られた装甲が外へ捲れ、奥で火花が断続的に明滅している。露出したフレームの先、熱源反応までの間に、遮るものはもう何もない。

 

「……やってくれる」

 

スマッシャーの語気には怒気も驚愕もなかった。ただ自らの損傷度を確かめるようにぐるりと頭部を動かす。腰の死んだトルソーを、右脚の油圧だけで捻じる。だが、半身の構えはもう作れない。関節という関節が悲鳴を上げ、巨体は自重に縫い留められていた。

 

「だがな、詰めが甘いぞ。貴様らの悪運も――ここまでだ」

 

単眼が、倒れたままのジョニーを焼くように照らす。右腕のマウントが軋み、銃口がそちらへ旋回を始めた。

 

その旋回は、終わらなかった。

 

サンデヴィスタン、起動。三回目。残り、ゼロ。

 

極彩色が世界を塗り替える。視界を埋める警告文を、ヴォイドはすべて未読のまま破棄した。引き伸ばされた時間の中、火花の明滅が静止し、捲れた装甲の一枚一枚が輪郭を持つ。

 

十二メートル。八。四。

 

単眼が、その速度域の内側でヴォイドを捉えた。種の割れたはずの初動が、迎撃の間に合わない速度で懐へ入ってくる。銃口を戻す時間も、腕で破孔を塞ぐ時間も、この世界のどこにも残っていない。

 

「――貴様! サンデヴィスタンがもう使――」

 

ゼロ距離。

 

両腕(プロジェクタイルランチャー)の砲口が、破孔の奥へ差し込まれた。

 

(――悪いが、ここまでが俺の領域(作戦)だ)

 

港湾の夜、施設中のスピーカーで響かせた宣告。二度目のそれは電波にも音にも乗せず、引き金の感触だけに変えた。

 

全弾、連続射出。

 

加速が切れ、音が世界に追いついた。籠もった爆発が胸郭を内側から連打し、継ぎ目という継ぎ目から閃光が漏れる。声は、最後まで続かなかった。単眼の光量が二度明滅し、油圧の唸りが一斉に途切れる。

 

巨体が、傾いだ。

 

支える関節は、どこにも残っていない。大鬼は自らが穿って登ってきた床の大穴へ、後ろ向きに沈んだ。瓦礫を巻き込み、階下の闇が巨体を呑む音が、三度、四度と反響して、途切れる。

 

システムは「目標反応喪失」とだけ表示した。撃破とも、死亡とも、表示しなかった。

 

夜風が、屋上に戻ってきた。

 

 

静寂に、音が付いてきた。

 

大穴の縁に立つヴォイドの視界へ、己の体たらくが数字として並ぶ。

 

サンデヴィスタン、残回数ゼロ。神経系負荷の超過は主機関へ波及し――心停止、検知。予備心臓、稼働開始。

 

心臓が一つ死んだことを、システムは二行で報告し終えた。残りの項目は、どれも赤かった。

 

歩み寄ると、ジョニーは瓦礫に背を預けて座り込んでいた。左の肘から先はなく、断面は爆風に焼かれている。それでも、マロリアンはまだ右手の中にあった。

 

「……よお」

 

顔は蒼い。口だけが、いつもの角度で歪んでいた。

 

「見たか、ヴォイド。主役の仕事ってやつをよ」

 

「ああ。……見たさ」

 

ジョニーの目が大穴の縁を一瞥し、夜空へ戻る。

 

「ハッ……あっけねえもんだな、死神サマも」

 

「軽口が叩けるなら軽傷だな」

 

「おいおい、もっと労われよ。こっちは腕が飛んでんだぞ」

 

答える口とは別の場所で、撤収経路の再計算が走っている。降下地点まで、負傷者一名を搬送して十一分。予備心臓が保つ時間の、内側にぎりぎりで収まる。

 

収まる、はずだった。

 

聴覚のノイズの底で、周期音を拾った。フィルタが三度掛け直され、音源が分離される。

 

ローター音。複数。北北東から、急速に近づいてくる。

 

システムが照合を終え、視界に分類を貼り付けた。

 

敵性増援。機数、六。

 

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