ローグの復帰戦から数日後。男は彼女の指定した場所へ向かっていた。
初対面での言葉の応酬は、案外拍子抜けするほどあっさりしたものだった。 クラブ・アトランティス近くの路地。重低音が漏れ聞こえる暗がりから現れた男の姿を見るなり、ローグは上から下まで、スキャナーで舐め回すように値踏みをした。 その鋭い眼光が、男の纏う未知の規格のクロームに一瞬だけ引っかかり、微かに眉を動かす。だが、彼女はそれ以上深くは追求しなかった。
「ハッ。サイバーデッキをゴテゴテに繋いだスパイダー・マーフィーみたいな
ローグは
そんなやり取りを数回。初接触から数週間が経ち、男がこの時代のストリートに奇妙な形で馴染み始めた頃、再度ローグから呼び出しを受けた。
すっかり顔パスとなったアトランティス。大柄な
重い防音扉を閉めると、合成タバコの煙、安っぽいドラッグの甘ったるい匂い、それに質の悪いアルコールとガンオイルが入り混じったような、ストリート特有の悪臭が鼻をつく。 円形のソファには、見かけない顔がいくつか並んでいた。全身を重装甲のクロームで固めた、無骨な歴戦の
男が入ってくるなり、彼らの鋭い視線が一斉に突き刺さった。
「……こいつが例の
「おい、やめとけ。絡むな」
新参のソロが放った威嚇するような低い呟きを、男の底知れなさを肌で知る古参のソロが慌てて制止する。 微かな緊張とともに、サイバー・アームの人工筋肉が軋む冷たい音が室内に響いた。どうやら今回は、ネットの海を安全に泳ぐだけの仕事ではないらしい。
ローグは奥のソファに深く腰掛け、手元の
「
男は軽く肩をすくめ、ソロたちの放つ露骨な警戒を意に介さない素振りで、空いている席に腰を下ろした。隣に座っていた顔半分がメタル・プレートの男が、不服そうに舌打ちをして身を引く。
「悪いな。最近はナイトシティの外でも、ネットの海が随分と騒がしくてね。ネットウォッチの犬どももてんやわんやだ。有用なデータを選別するのに、少し手間取った」
その言葉を聞いた瞬間、ローグは周囲の仲間へ無言の目線を配った。 意図を察して頷いた側近らしい男が促すと、傭兵たちはVIPブースからゾロゾロと出ていく。どうやら、ここからは本格的な内緒話になるらしい。
重い防音扉が完全に閉まったのを一瞥で確認すると、ローグは微かにため息を吐くように呟いた。
「……フン。アラサカとミリテクかい」
ローグが探るように目を細める。
「ご明察。ここのところ、両陣営のランナーの動きが過激化してる。互いに致死性の攻撃性防壁をぶつけ合って、ネットの深層は収拾がつかなくなりつつある」
ふぅ、とローグは咥えていたタバコを指に挟み、薄く紫煙を吐き出した。 ネオンの逆光に照らされたその横顔からは、何を思案しているのか伺い知れなかった。
「今度の
しばし間をおいて煙草を咥えなおしたローグは改まって男に顔を向けた。
声が一段低くなる。
「アラサカとミリテク、それぞれのケツ持ちである
CINOとOTEC。 欧州を拠点とするCINOと、新合衆国に属するOTEC。共に世界の海洋権益とエネルギー供給を牛耳る超巨大メガコーポだ。現在、彼らは破綻した別企業の買収を巡って水面下で血みどろの暗闘――いわゆる『
「随分と豪勢なヤマだな。CINOとOTEC……ケツを拭かせたいのはネットウォッチか?」
男が淡々とした口調の裏に確信を滲ませて尋ねると、ローグは忌々しげに鼻を鳴らした。
「相変わらず耳が早いね。
「データを引っこ抜くのは構わないが、それがアンタのフィクサーから受けた
男の問いに、ローグは端末をテーブルの中央へ放り投げた。起動したホログラムプロジェクターが、複雑に絡み合う海運と陸路の輸送網を空中に描き出す。青白い電子の光が、薄暗いブースの中で二人の顔を冷ややかに照らし出した。
「欲しい情報の中には、資源輸送に関するルートも入ってる。ウチの連中がそこを襲撃し、互いに『機密が漏洩して第三者が介入している』というリスクを錯覚させる」
ホログラムの光跡を指先でなぞりながら、ローグはさらりと血生臭い計画の全容を口にする。
「なるほど。ネットウォッチも案外
宙に浮かぶ複雑な経路図を見つめながら、男は感心したように息を吐いた。
「感心してる場合じゃないよ。今回のヤマは前回よりさらに危険だ」
ローグは身を乗り出し、男の目を真っ直ぐに捉えた。その瞳には、数々の激戦を潜り抜けてきた傭兵としての凄みが宿っていた。
「一歩間違えれば、アラサカとミリテクの重武装部隊に挟撃されるどころか、
物理的な交通網、企業の巡回ドローンのスケジュール、ミリテクの衛星監視網の死角。それら全てを掌握し、戦場に立つソロたちをリアルタイムで導く「神の目」になれという要求だった。
男は口角をわずかに上げ、ローグの目を真っ直ぐに見返した。
「理解した。決行日は?」
「一週間後、早朝。連中がコソコソと
「三日待て」
男はソファから立ち上がりながら、短く言い放った。
「最高のお膳立てを
重い防音扉へ向けて男が踵を返したとき、その背中を見送るローグの顔には、この危険極まりない
後に第4次企業戦争と呼ばれる企業や大勢を巻き込んだ争いの足音は耳元で鳴っていた。
一話ごとの長さは4000くらいがちょうどいいですかね?
あんまり長いと読みづらいかなと思って切ってます。
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