転生した悪の総統は異世界でも影から社会を支配する   作:悪役じゃない本物の悪人

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1話 非力と言う絶望

「足りぬ……」

 

 しわがれた呼吸が、高価な絹のシーツが敷かれたベッドの上で虚しく響く。

 男はもはや自分の名前すら思い出せないほど、永く闇の中に君臨していた。

 世間は彼を「影の支配者」と呼んだが、その呼び名を知る者もまた、社会の枢密に触れるごく一部の人間だけだった。

 

 そして現在、そんな影の総統の肉体は、病と老いによってすでに死の淵にあった。

 それはかつて、その頭脳一つで国家の金融を掌握し、政治家をマリオネットのように操り、法という名のルールブックを自らの手で書き換えてきた男の、あまりに無惨な最期だった。

 

「まだだ。まだ、私は手に入れていない……」

 

 彼の人生は渇望の連続だった。

 生まれ持ったのは常人を遥かに凌駕する知性と、人の心の機微を正確に読み解く洞察力。

 彼はその武器を使い、幼くして他者を操る術を覚えた。

 

 学生時代には教師や権力者の弱みを握り、社会に出てからは経済の盲点を突いて巨万の富を築いた。

 

 彼は暴力を振るわなかった。

 大声で威圧することもしなかった。

 ただ、静かに観察し、分析し、最適な一手を打つのみ。

 

 ある者には希望という名の毒を与え、ある者には恐怖という名の鎖を繋いだ。

 人々は、彼の手の上で踊っていることに気づかぬまま、彼の望む通りに動き、彼の帝国を築き上げていった。

 

 政治家は彼の資金援助なしには当選できず、官僚は彼の情報網によってスキャンダルを握られ、企業家は彼の経済戦略に組み込まれなければ市場から退場させられた。

 

 彼はこの国を、裏から完全に支配していた。

 

 だがしかし、彼は満足していなかった。

 

 彼の渇望は、一つの国では満たされない。

 目指すは世界そのものの完全掌握。

 

 世界地図を広げ、次の十年、次の五十年でいかにして他国を侵食し、世界経済を一つの意志の元に統合するか、その緻密な計画はすでに完成していた。

 ただ一つ、彼の計算に抗う絶対的な変数が存在した。

 

 時間である。

 人間として絶対に抗うことのできない肉体の限界……寿命だった。

 

 八十年を超える酷使に、彼の肉体は悲鳴を上げていた。

 

 どれほどの富を積もうと、どれほどの権力を行使しようと、この朽ちていく肉体だけはどうにもならなかった。

 最新鋭の医療も、彼の死期をわずかに遅らせるだけ。

 

「あと五十年……いや、三十年あれば世界を獲れたというのに……!」

 

 薄れゆく意識の中、彼の魂を焼くのは死への恐怖ではない。

 手に入らぬものが目の前にぶら下がっているという、耐え難い渇望と屈辱だった。

 やがて、国一つを手中に収めた絶対的な支配者の瞳から光が消え、その生は呆気なく幕を閉じた。

 

 ◇◇◇

 

 次に目覚めたのは、不快な産声を聞いてのことだった。

 

「(……何だこれは。うるさい。不愉快だ)」

 

 意識は明確だった。

 前世で蓄えた全ての知識。

 人心掌握の術。

 世界を裏から支配した策謀の全てが、この頭脳に焼き付いている。

 

 だが、体が全く動かない。

 

 視界はぼやけ、手足は自分の意志とは無関係に痙攣する。

 空腹、寒さ、排泄の不快感。

 それらの原始的な感覚が、精神を直接殴りつけてくる。

 

「おお、フォルグラン! 我が愛しき子よ!」

 

 それが、この世界で私に与えられた名だった。

 

 ◇◇◇

 

 状況の把握には数年の時間を要した。

 私が転生したのは、前世とは全く理が異なる世界。

 

 魔法が存在し、剣技が人の価値を決定する。

 個の武力が、前世における富や情報よりも遥かに絶対的な権力を持つ、超実力主義社会だった。

 

「面白い……!」

 

 前世で私は自らの肉体を呪った。

 人であるがゆえの限界。

 年齢による様々な制限。

 だが、今はどうだ。

 

 記憶を持ったままの転生。

 これは神の気まぐれか、あるいは私の渇望が引き寄せた奇跡か。

 いずれにせよ、二度目の生が与えられたのだ。

 ならば、為すべきことは一つ。

 

「今度こそ、世界のすべてを掌握する!」

 

 武力が支配する世界ならば、武力の頂点に立てばいい。

 前世では叶わなかった「完全なる支配」を今度こそ、この手で成し遂げる。

 

 私、フォルグランが転生したのは、アルトス辺境伯の分家。

 辺境都市リンドブルムにおいて、かろうじて貴族の末席に名を連ねるだけの、没落しかけた家だった。

 

 リンドブルムは魔物が跋扈する危険な森と、常に緊張関係にある隣国との緩衝地帯に位置しており、この都市において平和は武力によってかろうじて維持されている程度の物。

 それゆえに武力こそが絶対的な価値を持っていた。

 

 父であるこの分家当主グレゴリー・アルトスはかつては名の知れた剣士だったらしいが、魔物との戦いで足を負傷し、今は没落する家を立て直すことに焦心していた。

 二人の兄はそんな父の期待を一身に背負い、幼い頃から剣の訓練に明け暮れていた。

 彼らは明確な武力の才能を持っており、それが父の誇りだった。

 

「この世界では武力がすべてを決定する。ならば、私もその頂点に立てばいい」

 

 私はそんな兄たちを見て、幼いながらも自らの肉体に期待した。

 

 庭で木剣を振るう兄たちの常人離れした速度。

 メイドが指先から火花を散らして暖炉に火をつける光景。

 それこそが力であり、私が手に入れるべきものだと信じていた。

 

 前世の知略とこの世界の武力。

 その二つが組み合わされば、完全なる支配はもはや夢物語ではない。

 

「遂に念願の叶う時が――」

 

 ――だが、私が五歳となった日、その野望は根底から打ち砕かれた。

 

 その日は鑑定の儀と呼ばれる、貴族に限らずこの国の子供が自らの才能を知るための儀式、その当日だった。

 

 教会の神官が魔力を込められた水晶に手を触れさせる。

 この水晶は通常であれば、その者の才能に応じた色と輝きを放つ。

 兄たちの時は剣術の適性を示す眩い赤と魔術の適性を示す青の光が広間を満たしたという。

 

 私は冷めた目で、だが、内心では期待しながらその儀式を観察していた。

 

 さて、私の才能はどれほどのものか。

 剣か、魔法か。あるいはその両方か?

 

 目の前で神官が厳かに呪文を唱える。

 周囲の注目が一点に集まるのを感じた。

 

 ……しかし、水晶は沈黙したままだった。

 

 神官が怪訝な顔をし、もう一度呪文を唱える。

 しかし、尚も水晶はまるで、ただの石ころのように何の反応も示さない。

 

「……まさか」

 

 神官の額に汗が滲む。

 そして彼は流れる汗を袖口で拭いながら、判定を告げた。

 

「――判定。フォルグラン・アルトス。魔力適性、皆無」

 

 広間がシンと静まり返った。

 神官の告げた皆無という言葉が氷のように響き渡る。

 そして父の顔が、期待から驚愕、そして失望へと変わっていく。

 

「ま、待て。魔力がなくとも剣の才があれば……!」

 

 父が狼狽しながら叫ぶ。

 

 神官は今度は別の石板を取り出し、私に木剣を振るうよう命じた。

 

 剣は手を触れさせるだけでなく、剣を振るのか?

 そう思いつつも私は前世の記憶に基づき、最も効率的だと思われる動きで木剣を振るった。

 

 だが、石板はくすんだ灰色にしか光らない。

 

「剣術適性……劣悪」

 

 神官が告げた無慈悲な宣告。

 皆無ではなく劣悪と言うのがかつて剣で名を馳せた父の息子であるという証明なのだろうか?

 

 父はその場に崩れ落ちそうになるのを、かろうじて堪えていた。

 だが、その瞳から、息子フォルグランを見る光は完全に消えていた。

 そこにあるのは価値のない路傍の石を見るかのような目。

 

 そして私もまた――

 

「(魔力、皆無。剣術、劣悪……この私が……非力だと?)」

 

 信じられない現実に驚愕していた。

 

 前世で私は力なき者たちを嘲笑い、踏み台にして支配してきた。

 その自分が今やこの世界で最も軽蔑すべき弱者となったのだ。

 自身の境遇に絶望するには十分な状況だった。

 

 

 その日から、私の扱いは一変した。

 

 父は私に話しかけることをやめた。

 兄たちは私をアルトス家の恥として、存在しないかのように扱った。

 使用人たちですら、私に無関心を装った侮蔑の視線を向けた。

 

「出来損ない」

「才能なき者」

 

 そんな囁き声が幼い私の耳に容赦なく突き刺さる。

 

 屈辱だった。

 前世の総統としてのプライドがこの現実を認められない。

 

「馬鹿な。鑑定が間違っているだけだ!」

 

 私はその日から、狂ったように足掻いた。

 

 誰よりも早く起き、書庫で魔術、魔法の理論書を読み漁る。

 前世の知性をもってすれば、理論の理解は容易かった。

 だが、体に魔力が存在しないため、理論を理解しても現象として発現させられない。

 

 日が暮れるまで木剣を振り続ける。

 だが、才能ある兄が一日で習得する型を、私は一月かけても身につけられなかった。

 兄たちが軽々と持ち上げる訓練用の剣を、私は両手で引きずることしかできなかった。

 

 努力は才能ある者のための言葉だった。

 才能なき者の努力は……滑稽で無駄な足搔きでしかなかった。

 

 

 ――数ヶ月後。

 

 泥まみれで倒れ込む私の前に、兄の一人、次男のレオルドが立った。

 レオルドは魔法の才能に恵まれ、貴族らしくプライドの高い男だった。

 

「みっともないぞ、フォルグラン」

 

 レオルドは汚物でも見るかのように私を見下ろしそう言った。

 

「お前には才能がない。それは五歳のあの日、確定した事実だ」

 

「……」

 

「お前がどれだけ足掻こうと、我々の足元にも及ばん。お前のような非力な者が一族にいるだけで、アルトス家の名が汚れる。諦めて書庫にでも引きこもっていろ。それがお前の身の程だ」

 

 冷たく、淡々と、事実だけを告げられる。

 

 だが、その通りだった。

 この肉体には何の価値もない。

 私が渇望した武力はどれほど望んでも手に入らない。

 無力と言う絶望が前世の記憶を持つ強靭な精神すらも蝕んでいく。

 

 このまま無価値な人間として、誰からも支配され虐げられるだけの生を終えるのか?

 二度目の生も、また足りぬまま終わるのか?

 前世で味わった屈辱を、この世界でもう一度味わうのか?

 

「……くっ」

 

 泥に顔をつけながら、私は肩を震わせる。

 レオルドはその姿を絶望に打ちひしがれた弟と見て、満足げに鼻を鳴らしその場を去って行った。

 

「……くくく……」

 

 だが、私は泣いてなどいなかった。

 

 その震えは乾いた笑い声が漏れ出すのを抑えていただけに過ぎない。

 やがて、その笑い声は歓喜に満ちた自信へと変わる。

 

「ハハハハハ! そうか、そうだったな……!」

 

 私はあまりにもこの世界の常識に染まりすぎていたようだ。

 なぜ自分が剣を振るう必要がある?

 なぜ自分が魔法を使う必要がある?

 

 前世の私は一度だって人を斬ったことも殴ったこともない。魔法なんて、存在すらしなかったではないか。

 

 私が振るっていたのは腕力ではない……知力だ。

 私が纏っていたのは魔力ではない……カリスマだ。

 私が握っていたのは剣ではない……情報と金、そして人の心だ。

 

「武力がすべて、か。結構だ」

 

 兄レオルドは言った。「お前には才能がない」と。

 

 その通りだ。

 私に武力の才能は皆無だ。

 

「だが、レオルド。お前は私よりも遥かに愚かだ。お前は自分が持つ武力という才能以外の価値を、想像することすらできない」

 

 ならば、私はいつも通りその武力を持つ者たちを裏から操り、支配してやればいい。

 

 剣の才も魔法の才も無い?

 だからどうした!

 

 ペンは剣よりも強く、冴えた知略は魔法をも上回る。

 

 この非力な肉体こそ、神が与えた最高の試練。

 この武力社会こそ、私の知略が最も輝く舞台。

 

「見ていろ、レオルド、グレゴリー。そして……この世界!」

 

 私は泥の中からゆっくりと立ち上がる。

 その幼い顔には前世の悪の総統、影の支配者としての冷酷な笑みが浮かんでいた。

 

「今度こそ、我が足元にひれ伏させてやる」

 

 悪の総統、フォルグラン。

 

 その二度目の征服が静かに、しかし確実な悪意を持って再び始まった。

 

「さて、では兄上の忠告通り、身の程を弁えた弟というイメージ作りから始めよう」

 

 私はまず兄の忠告通り、書庫に引きこもる目立たない弟という完璧な仮面を被ることから始めた。

 

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