転生した悪の総統は異世界でも影から社会を支配する   作:悪役じゃない本物の悪人

6 / 6
6話 希望の鎖

 商業ギルドの執務室は、死んだように静まり返っていた。

 

 机の上には高価なインクスタンドが倒れ、黒い染みが最高級のマホガニー材を汚している。

 床には叩き割られた酒瓶の破片が散乱し、芳醇な香りが絶望の匂いと混じり合っていた。

 

「……ない」

 

 ゴードンの乾いた声がその静寂を破った。

 

「どこにも、ない。薬が、ない……!」

 

 昨日、闇の薬師たちが取引場所の崩落事故で禁忌の薬をすべて失ったという報告を受けてから、ゴードンは狂ったように金と人脈を使いリンドブルム中、いや、近隣の都市にまで手を回した。

 

 だが、どこも答えは同じだった。

 

「騎士団長閣下のご命令により、現在、闇のルートはすべて凍結しております」

「あの事故は教会による天罰だという噂が……」

「今、あの薬草に手を出せば、我々も破滅です」

 

 騎士団長は自らの資金源が事故で断たれたことに激怒し、事態の収拾と、おそらくは裏切り者の捜索のため、すべての取引を停止させた。

 皮肉なことに、ゴードンが娘の命を繋ぐために頼っていた騎士団長の武力が、今や彼の首を絞める鎖となっていたのだ。

 

(セリーナ……!)

 

 執務室の奥、厳重に閉ざされた扉の向こう側。

 そこが彼の最愛の一人娘、セリーナの病室だった。

 

 『銀の呪い』

 それは魔力が徐々に体から失われ、最後には呼吸すらできなくなる不治の病。

 

 あの薬がなければ、娘の命はあと数週間も持たない。

 

(金ならある! ギルドの金を、あれほど横領してきたというのに!)

 

 彼は自らの破滅を覚悟で手を染めた罪が、今や何の価値も持たないガラクタになったことを悟った。

 武力を持つ騎士団長に逆らえず、金で薬を買い続けるしか能がなかった自分。

 その結果が……これだ。

 

「……セリーナ……すまない……」

 

 ゴードンは執務室の机に突っ伏し、ギルド長という仮面の下で一人の父親としてただ静かに絶望していた。

 

 ◇◇◇

 

 その頃、旧魔術工房の地下。

 私はリリアとアンナを前に、休むことなく手を動かしていた。

 

 机の上には、アンナがフォルグランの指示で秘密裏に収集させた様々な希少な薬草と鉱石が並べられている。

 そして中央には、フォルグラン自身が書き上げた膨大な古文書の知識を再構築した精製手順書が置かれていた。

 

「いいか、リリア。お前が扱うのは『銀の呪い』の進行を抑制する『月の雫』だ」

 

 私はガラスのビーカーに入った、青白く輝く液体を指差した。

 

「この液体は魔力に極めて敏感だ。並の魔術師が熱を加えれば爆発し、冷やせばただの毒水に変わる」

 

「じゃあ、どうするのよ」

 

 リリアはその美しくも危険な液体を睨みつけた。

 

「お前の力を使う。お前の高密度の魔力は、この世界の魔術師が使う現象化した魔力とは違う。純粋なエネルギーそのものだ」

 

 私はビーカーの隣に、もう一つの触媒となる鉱石を置いた。

 

 「この鉱石に、お前の魔力を流し込め。ただし、破壊するのではない。先日のように振動させるんだ。一定の周波数でこの鉱石だけを溶液の中で振動させ続けろ。それが触媒となり、薬効成分だけが抽出される」

 

「……わかったわ。主様」

 

 リリアはこの数ヶ月で、もはや私の理論に一切の疑いを抱かなくなっていた。

 たまに反抗的な態度を見せるものの、そんなものはほんの些細なじゃれつきに過ぎなかった。

 

 彼女は目を閉じ、深く集中する。

 すると彼女の指先から、不可視の魔力の糸が放たれ、ビーカーの底の鉱石に触れた。

 

 ……!

 

 鉱石が人間の耳には聞こえないほどの高周波で微かに振動を始めた。

 

 すると青白い液体が、ゆっくりと対流し、不純物が分離していく。

 

 それはこの世界の誰も知らない、魔力と科学理論が融合した、高度な精製術だった。

 

 ――数時間後。

 

 ビーカーの底には純粋な黄金色の液体がわずか数滴分、残っていた。

 

「……できた」

 

 そう呟きリリアは汗を拭った。

 

「うむ、よくやった。これが解毒薬だ」

 

 私はその数滴を小さなガラス瓶に慎重に移した。

 

「アンナ。これを持ち、ゴードンの元へ行け」

 

「かしこまりました」

 

 アンナはその貴重な薬瓶をまるで赤子でも抱きかかえるように慎重に受け取った。

 

「それと、これもだ」

 

 私はもう一つ、分厚い帳簿を手渡した。

 

「ゴードンがこれまでに横領した金の流れ。そして、騎士団長と闇商人との繋がり。その全ての証拠だ。ギルドの帳簿の写しと騎士団の動向を照合し、完璧に裏付けた」

 

「……これはまた」

 

 アンナは恐ろしい物をという言葉を飲み込んだ。

 

「ああ。ゴードンに希望と絶望を同時に提示するんだ。彼がすがるべき主が騎士団長という不確かな武力ではなく、私という絶対的な知略であることを骨の髄まで理解させろ」

 

「御意のままに、フォルグラン様」

 

 アンナは、冷たい解毒薬と、重い鎖を携え、工房を出て行った。

 

 ◇◇◇

 

 商業ギルド長の執務室。

 ゴードンは憔悴しきった顔で、窓の外を虚ろに眺めていた。

 時刻はすでに夕刻を過ぎている。

 

 コンコン、と控えめなノックの音。

 

「……入れ」

 

 今のゴードンには、まともに返事をする気力もなかった。

 

 そうして視線を向けた先、入ってきたのはアルトス分家のメイド頭アンナだった。

 ゴードンの屋敷と分家との連絡役として、時折ギルドを訪れている客だった。

 

「……何の用だ。メイド頭殿」

 

「失礼いたします、ギルド長」

 

 アンナはゴードンの荒れ果てた執務室を見ても一切表情を変えず、深々と一礼した。

 

「今はお取り込み中のようですね」

 

「分かっているなら、出ていけ!」

 

 ゴードンは苛立ちを隠さずに怒鳴る。

 

 「今、私は……貴族の茶会の誘いなど、聞いている暇はない!」

 

 「いいえ」

 

 アンナは静かに首を振った。

 

 「お茶のお誘いではございません。フォルグラン様より、ギルド長へお見舞いの品を預かってまいりました」

 

 アンナはフォルグランを主とは呼ばなかった。

 

「フォルグラン? ……ああ、あのくだらん無能か! そんなもの必要ない! 持って帰れ!」

 

 ゴードンは分家の出来損ないの名を聞いてさらに不機嫌になった。

 しかし――

 

「お嬢様、セリーナ様の病が一日も早く快方に向かいますように、と」

 

 アンナが抑揚のない声でそう告げた瞬間、ゴードンの動きが止まった。

 彼の血走った目がゆっくりとアンナに向けられる。

 

「……何だと?」

 

 アンナは小さな包みをゴードンの机のインクの染みが広がっていない場所に置いた。

 ゴードンは唾を飲み込み、震える手で包みを開く。

 

 そこには――彼が血眼になって探していた禁忌の薬……のようなものがあった。

 

 そうだ、それは彼が闇の薬師から手に入れていたどす黒く濁った液体ではない。

 それは純粋な黄金色に輝く、まるで神の祝福のような高純度の液体だった。

 

 これこそが本物の月の雫なのか!?

 

「なっ……! これを、どこで……!? どうやって……!」

 

 ゴードンは薬瓶を掴み、アンナに詰め寄った。

 

「フォルグラン様は古い文献の研究がご趣味でして。偶然、その薬の精製法と材料の入手ルートを発見されたそうです」

 

 アンナは用意された嘘を、表情一つ変えずに口にする。

 ゴードンもこれが嘘だということは分かり切っている。

 だが彼にはどうすることも出来ず、ただ薬を握りしめ、アンナの顔を睨みつけた。

 

(偶然、だと? このタイミングで? 私の娘の病を知った上で? 騎士団長のルートが潰れた、この瞬間に?)

 

 背筋に、氷を突き立てられたような悪寒が走った。

 

「……あのガキ、何が望みだ」

 

「……」

 

「金か!? いくらだ! ギルドの金庫から、今すぐ……!」

 

「フォルグラン様は金銭にはご興味がございません」

 

 アンナは静かにゴードンの言葉を遮った。

 

「では何だ! 早く言え!」

 

 アンナはそこで初めて、メイドの仮面を剥がしたような、冷たい、底なしの笑みをゴードンに向けた。

 

「ただ、ギルド長と末永く、良き友人でありたいと。……ああ、それと」

 

 アンナはもう一つ、懐から分厚い帳簿を取り出し、机に並べた。

 

「これは?」

 

 ゴードンは嫌な予感を覚えながら帳簿を開いた。

 次の瞬間、ゴードンの呼吸が止まった。

 

 そこには彼がこの数年間、娘の薬のためにギルドから横領した金の流れ、帳簿の改竄の手口、そして、彼が騎士団長と結んでいた武器横流しの密約の証拠が完璧なまでに、一分の隙もなくリストアップされていた。

 

「ひ……あ……」

 

 ゴードンの顔から、血の気が完全に引いた。

 これは彼が秘密裏に管理していた裏帳簿そのもの。

 いや、それ以上に正確な破滅の証拠だった。

 

「これらの研究資料が、万が一本家の方の目に触れるようなことがあっては大変です」

 

 アンナはゴードンの絶望を、まるで観劇でもするかのように静かに見つめている。

 

「フォルグラン様はギルド長の大切な資料を責任をもってお預かりする、と申しておりました」

 

 ゴードンはその場に崩れ落ちた。

 彼は自分が置かれた状況を、ようやく完全に理解した。

 

 選択の余地など、最初からなかった。

 目の前の女が差し出した、黄金色の薬は娘の命を救う希望。

 そして、この帳簿は自分の社会的生命、いや一族郎党等しく全ての命を奪う絶望。

 

 あの無能の少年はその両方を、完璧なタイミングで突きつけてきたのだ。

 

 騎士団長は彼を恐怖で縛った。

 だが、この少年は……フォルグランは彼を希望で支配する。

 

「……フォルグラン様に、お伝えしろ」

 

 ゴードンは床に額を擦り付けんばかりの勢いで、震える声を絞り出した。

 

「私、ゴードンは……あなたの良き友人となろう、と」

 

「……」

 

 ゴードンのプライドを捨てた言葉。

 しかし、アンナから向けられるのはそのすべてを捨て去れと言う無言のプレッシャー。

 

「いいや、違う! あの方の忠実な僕となると! 娘の命を、私のすべてを、あの方に捧げると……!」

 

「かしこまりました。ギルド長」

 

 アンナはゴードンの完全なる降伏を確認し笑みを浮かべると再び深々と一礼した。

 

「薬は今後も定期的に供給されます。お嬢様のために。……フォルグラン様の、ご友人である貴方様のために」

 

 アンナは静かに執務室を退室した。

 

 残されたゴードンは黄金色の薬瓶を握りしめ、嗚咽とも哄笑ともつかない、壊れた声を上げ続けた。

 

 ◇◇◇

 

 その夜遅く。

 私の書庫にはゴードンから密かに届けられた商業ギルドの本当の極秘台帳が山のように積まれていた。

 

 表の帳簿とは別に、都市のすべての商業取引、借金、裏ルートの資金の流れ、そして、他の貴族たちの弱みが詳細に記されている。

 

「リンドブルム経済の血流は完全に掌握完了だな」

 

 私はその台帳をパラリと捲り、冷徹に呟いた。

 

「アンナ、ゴードンへの薬の供給ルートを確立しろ。ただし、供給量は常にギリギリを保て。希望を与えすぎれば、人は傲慢になる」

 

「かしこまりました」

 

「リリア」

 

 待機していたリリアが影から姿を現した。

 

「お前の魔力のおかげで、最高の鎖ができた」

 

「……お役に立てて光栄です、主様」

 

 リリアの髪を撫でながら窓の外を見つめる。

 

 私は剣も魔法も使えない。

 

 だが今、私の手元にはそこらの魔術師を圧倒的に上回る火力を正確に操る剣と、辺境伯を上回る権力を裏から行使できる傀儡がある。

 

「さて、ゴードンという財布は私の手に落ちた。騎士団長という武力は自らの資金源を失い、焦っている頃だろう」

 

 私の見据える先にいるのはもう既に次の標的だ。

 

「次なるは、アルトス本家、そしてリンドブルム全体の統治。……一つ一つ、丁寧に塗りつぶしていくとしよう」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。